英名の指導者、とかく人心服さぬもの・・・水雲問答⑤
雲 治国の術は国民の心を服させることだと思います。人心が服しませぬと、どんなよい
法律を作っても、どんな美しい気持ちで政治をやっても、駄目であります。施すという
ことと、寛大ということがなければ人心は服しません。どうすれば人心が服するのか、
これは私達には一番痛切な問題であります。
どうも名君にはとかく人心が服さないと言われますが、どうしてでしようか。
水 ああもしてやる、こうもしてやるということが過ぎますと、賞をみだりにするという
弊害が生じます。また余りに寛大にしておりますと、だらしなくなって引き締まらなく
なります。国民や部下に褒美をやってご機嫌をとり、あるいは悪いことをやってもなる
べく大目にみいやるということで、あれはよい指導者だと人心を得ようというのは、最
も末なるものです。自分に備わっている徳性があれば自然に人を感化する。それは手練
手管の問題ではなくて、中味のあるものがどういうふうに外に反映するかの問題であり
ます。どうも英明の主というもののは頭が良いものですから手段方法、すなわち権謀に
かたよる。そうすると、あいつは頭が良いから一杯ひっかけられるぞ、というふうに考
えて、その人間の為すところを信用しません。
手段や策略ではいけません。春風駘蕩とか蕩々と言います。蕩々、スケールが大きく
屈託がない。身体の内部にある何とも言えない、あたたかい気持ちが自然に外にあらわ
れれますと、理屈なしに服するものであります。施も寛も、程度と方法によって結構で
すが、人君がけちで重箱の底をほじくるように細かいところまで立ち入ると、国民は堪
えられないものであります。
人君の治術
雲 徳義にかたよると、とかく情におぼれ、だらしなくなる。これに対して頭がよいという
こと、英明の弊害は、こまかくうるさくなることです。とかくどちらも弊害を免れない。
そこで人の上に立つ者は、よく人を知って、その人に委任し、表現と実体をてらしあわせ
て、よく吟味して励ますほか、治世の術はないものと思います。
水 細かくつつかずに、全体的に人を知って委任する、という御意見まことに結構であります。
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