量子力学と意識の変容(宇宙と人間の無限性について)

量子力学をどのように生活に活用するか、量子力学と意識の変容とタイムトラベル・パワレルワールドの究極の可能性を探求します。

ファラデーの電気と磁気についての研究が、それを基点に発展し相対性理論と量子力学につながります

2012-02-15 | 日記
ここで、電気に関する一人の重要な研究者が登場します。

それは、マイケル・ファラデーです。



彼は、19世紀最大の科学者とも言われています。

ファラデーが重要な理由は、
電気と磁気(=電磁気)についての研究が、
彼を基点として発展して、
アインシュタインの相対性理論
現在の量子力学につながっているからです。


その流れは、簡単にするとこうなります。

マイケル・ファラデー(電気と磁気の研究)
 → ジェームズ・クラーク・マクスウェル電磁方程式
  → アインシュタイン(相対性理論)
   → 場の量子論

(※マクスウェルの電磁方程式、アインシュタインの相対性理論、
 場の量子論は、それぞれ他の複数の分野がさらに統合されて
 生み出されています。)


ニュートンが、剛体力学の運動と重力(万有引力)の基点とすると、
ファラデーは、電磁気力の研究の基点になります。

これは、現在考えられている4つの宇宙の力の、
はじめの2つなります。

4つの宇宙の力
重力相互作用(万有引力)………ニュートン
電磁相互作用……………………マクスウェル
強い相互作用……………………量子力学
弱い相互作用……………………量子力学



マイケル・ファラデー(ウキペディア)
マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791年9月22日 - 1867年8月25日)は、イングランド人の化学者・物理学者で、電磁気学および電気化学の分野での貢献で知られている。
直流電流を流した電気伝導体の周囲の磁場を研究し、物理学における電磁場の基礎理論を確立。それを後にジェームズ・クラーク・マクスウェルが発展させた。同様に電磁誘導の法則、反磁性、電気分解の法則などを発見。磁性が光線に影響を与えること、2つの現象が根底で関連していることを明らかにした。電磁気を利用して回転する装置(電動機)を発明し、その後の電動機技術の基礎を築いた。それだけでなく電気を使ったテクノロジー全般が彼の業績から発展したものである。
化学者としては、ベンゼンを発見し、塩素の包接水和物を研究し、原始的な形のブンゼンバーナーを発明し、酸化数の体系を提案した。アノード、カソード、電極 (electrode)、イオンといった用語はファラデーが一般化させた。
ファラデーは高等教育を受けておらず、高度な数学もほとんど知らなかったが、史上最も影響を及ぼした科学者の1人とされている。アルベルト・アインシュタインは壁にファラデー、ニュートン、マクスウェルの絵を貼っていたという。静電容量のSI単位「ファラッド (F)」はファラデーに因んでいる。また、1モルの電子の電荷に相当するファラデー定数にも名を残している。ファラデーの電磁誘導の法則は、磁束の変化の割合と誘導起電力は比例するという法則である。


マイケルは4人兄弟の3番目で、学校にはほとんど通っていない。多数の本を読むうちに科学への興味が強まり、特に電気に興味を持つようになった。1812年、20歳となり年季奉公の最後の年となったファラデーは、ジョン・テイタム の創設したロンドン市哲学協会(City Philosophical Society)の会合で勉強するようになった。また、当時のイギリスで有名だった化学者ハンフリー・デービーの講演を何度も聴講した。ファラデーは300ページにもなったデービーの講演の際につけたノートをデービーに送った。それを見て感心したデービーは、すぐさま好意的な返事をした。ファラデーが科学の道を歩みたいと言ったところ「科学は苦労の連続である。今は何の仕事もない。もしあったら連絡する」といわれ、ファラデーは落胆した。しかしその後、デービーは塩化窒素の実験中の事故で目を負傷し、ファラデーを秘書として雇うことにした。王立研究所の助手の1人が解雇されると、ハンフリー・デービーは代わりを捜すよう依頼され、1813年3月1日、ファラデーは王立研究所の化学助手となった。



ファラデーは特に電気と磁気の研究でよく知られている。…デンマークの科学者ハンス・クリスティアン・エルステッドが電気と磁気の関係を示す現象を発見すると、1821年にデービーとウイリアム・ウォラストンが電動機を作ろうとしたが失敗した。ファラデーは2人とその問題について話し合い、電磁回転 (electromagnetic rotation) と名付けた動きを生じる2つの装置を作り上げた。1つは水銀を入れた皿の中央に磁石を立て、上から水銀に浸るように針金をたらし、その針金と水銀を通るように電流を流すと、電流によって生じた磁場が磁石の磁場と反発して針金が磁石の周囲を回転し続けるというものである。もう1つは単極電動機と呼ばれるもので、逆に磁石側が針金の周りを回るようになっていた。それらの実験と発明が現代の電磁技術の基礎を築いた。この成果に興奮したファラデーはデービーやウォラストンの許可を得ずに、それを公表した。

これに怒ったデービーとファラデーの関係が悪化し、デービーは電磁気以外の研究をファラデーに押し付け、数年間電磁気研究から遠ざけたと見られている。デービーはファラデーが王立協会の会員になることを猛烈に反対し、自分が見出したファラデーの頭角に嫉妬を抱き始めていた。しかし、ファラデーの友人の推薦により、協会員に選ばれた。

他の科学者たちが電磁気現象を力学における遠隔力と考えていたのに対して、ファラデーは空間における電気力線・磁力線という近接作用的概念から研究している。ファラデーの突破口は、鉄の環に絶縁された導線を巻きつけてコイルを2つ作ったことであり、一方のコイルに電流を流すともう一方のコイルに瞬間的に電流が流れることを発見した。この現象を相互誘導と呼ぶ。その後の実験で、空芯のコイルの中で磁石を動かしても電流が流れることを発見した。また、磁石を固定して導線の方を動かしても電流が流れることを発見。これらの実験で、磁場の変化によって電場が生ずることが明らかとなった。このファラデーの電磁誘導の法則は後にジェームズ・クラーク・マクスウェルが数理モデル化し、4つのマクスウェルの方程式の1つとなった。そして、さらに一般化され場の理論となっている。ファラデーは後にこの原理を使って原始的な発電機を製作している。

後年ファラデーは電磁力が電気伝導体の周囲の空間に及んでいるという説を提案した。しかし他の科学者はその考え方を拒絶し、ファラデーの存命中は認められなかった。ファラデーの帯電した物体や磁石から磁力線が出ているという概念は、電磁場の視覚化手段を提供した。このモデルは19世紀後半の産業を支配した電気機械式装置の開発にとってきわめて重要となった。


・・・・・・・・・・・・・・・

19世紀の初頭、科学者はまだ「宇宙を司っているエネルギー」が、
どのように働いているのか、分かっていませんでした。

当時は、風はどのような力か、ドアが閉まる力は何か分からず、
「力」はそれぞれ別箇に、独立して働いていると考えられていました。

エネルギーの相互の関係も、今日の「4つの宇宙に働く力」のひとつも、
まだ明らかにされていませんでした。

しかし、ここに一人の貧しい青年が、
この宇宙と自然の隠された法則を探し始め、
その歴史が変わろうとしていました。

彼は物凄い情熱をもっていました。
すべての自由になる時間を電気の研究に充てました。

そして目に見えない「力の世界」、
「エネルギーの世界」の扉を開け始めました。

ロイヤル・フィルハーモニック協会の創設者の1人、
ウィリアム・ダンスがファラデーに与えた
化学者ハンフリー・デービーの講演の入場券が、
彼の人生を変えていくことになります。

電気はその当時、脚光を浴び始めていました。

ちょうどその頃、バッテリー(電池)が発明されました。
電気を流すと、方位磁針の方向が変化することについて、
実験で当時から確かめられていましたが、

誰も一体どんな力が、電気の周りに働いているのか、
その不思議な力を説明できる人はいませんでした。

デービーの王立研究所での実験は、
ファラデーが初めて「電気」と「力」という
ふたつの異なった世界を見たときであり、
そして、この二つをまとめるきっかけとなりました。



ファラデーは信心深い人物で、所属していた教会の教えから、

「宇宙のすべては、神から創造されたもので、
 この中からほんの少しでも秘密を理解することができたら、
 すべてが深い相互関係の中にあることを知るようになる」

と考えていました。

PBS | Einstein's Big Idea | Michael Faraday - Part 1


それまで、一般に「力は直線方向に働くもの」と考えられていました。
しかしファラデーは、実験結果に即して考えた結果、
電気を流した電線に働く、未知の力は、
円形に筒のように働いているものと考えました。

ファラデーの電気と見えない場の力の関係の解明は、
その後の時代のエネルギーに関する包括的な理解へと導きました。

ファラデーは、後にアインシュタインがこれを評して、
「偉大なる革命」と呼ぶ大きな発見をスタートさせたのです。

PBS | Einstein's Big Idea | Michael Faraday - Part 2



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