量子力学と意識の変容(宇宙と人間の無限性について)

量子力学をどのように生活に活用するか、量子力学と意識の変容とタイムトラベル・パワレルワールドの究極の可能性を探求します。

マクスウェルのエーテル理論  01 目に見えない、微細な物質的な何か

2012-05-02 | 日記
物理学的立場から、エーテル理論を最も深く最初に考えたのは、
マクスウェルです。

そして彼のエーテルに関する記述は、
今の、量子力学の「NOTHING 無」または、「EMPTY 空」、
「VACUUM 真空」の概念に非常に影響を与えているほか、

マクスウェルの電磁波の速度一定の理論が、
アインシュタインの相対性理論(光と時空の理論)の
基礎となっています。

マクスウェルの「エーテル」についての小論文が、
この当時、どのように最先端の「エーテル理論」が考えられていたのかを
解く鍵になります。

(また、これは今の量子力学を解く鍵でもあります。)




James Clerk Maxwell
“Ether” in Encyclopædia Britannica (9th ed.), 1878.


「エーテル」 ジェームズ・クラーク・マクスウェル



(訳 鈴木てつや)


ETHER, or Æther (αiθήρ, probably from αiθω, I burn, though Plato in his Cratylus (410, b)s the name from its perpetual motion ), a material substance of a more subtle kind than visible bodies, supposed to exist in those parts of space which are apparently empty.

ETHER(または Æther)、「エーテル」とは、私(マクスウェル)にとっては、プラトンの Cratylus という対話編の中に出てくる「永続運動」に関する名前で出てきたのが、最初であったと思われる。「エーテル」は、目に見える物質よりももっと微細な(目に見えない)物質的な何かであり、一見、真空と見なされているような空間構造の中に存在しているだろうと予想される。

The hypothesis of an aether has been maintained by different speculators for very different reasons. To those who maintained the existence of a plenum as a philosophical principle, nature's abhorrence of a vacuum was a sufficient reason for imagining an all-surrounding aether, even though every other argument should be against it. To Descartes, who made extension the sole essential property of matter, and matter a necessary condition of extension, the bare existence of bodies apparently at a distance was a proof of the existence of a continuous medium between them.

このエーテルという仮説は、これまでいろいろな理論家が、さまざまな理由を持って主張してきたものである。(空間には)何かかが満たされているはずだとする哲学的な原理を唱える者にとっては、他の諸々の反証にもかかわらず、「自然は真空を嫌う」という法則から、これは十分に根拠があるものとされ、すべてはエーテルに満たされているのだ、と考えられている。ルネ・デカルトは、(万物を形成する)唯一の、本質的な資質が、(すべてに)拡張していると考え、また物質は、それは(同時に)拡大(して存在)するとした。そして、もし一見して、離れた距離に(空間から独立して)在るように見える複数の物体があっても、その物体同士の間には、(宇宙空間でも真空があるのではなく、万物を形成する唯一の、本質的な資質が見えない形で)お互いの空間の間につながって存在しているのだと考えた。

But besides these high metaphysical necessities for a medium, there were more mundane uses to be fulfilled by aethers. Aethers were invented for the planets to swim in, to constitute electric atmospheres and magnetic effluvia, to convey sensations from one part of our bodies to another, and so on, till all space had been filled three or four times over with aethers. It is only when we remember the extensive and mischievous influence on science which hypotheses about aethers used formerly to exercise, that we can appreciate the horror of aethers which sober-minded men had during the 18th century, and which, probably as a sort of hereditary prejudice, descended even to the late Mr John Stuart Mill.

このような、中間媒体(エーテル)に対する高度な形而上的な意味付けの他にも、もっとありふれた形でエーテルでの説明がつけられているものもある。エーテルはもともと、如何に惑星が(宇宙空間の中を)泳ぐ(=公転している)か、という説明のために生み出された理論である。エーテルは、電場と磁場を形成するものであるとか、我々人間同士の間での感覚の伝播を起こす媒体であるとか、(こうしたエーテルの働きは)すべての空間が、三度か四度(回)エーテルで満たされるまで続くものであるとか・・・、いろいろと説明された。デカルトが説いたエーテル拡大の説(渦動説)や他の冗談のような説が、仮説であるのもかかわらず、あたかも公式であるかのように吟味され、科学界に影響を及ぼした歴史を振り返ると、18世紀においては、冷静な人いわれる方々さえ信じていた、様々な突飛なエーテル理論でも、我々は寛大に受け入れることができる。例えば、後の(賢人と見なされていた)ジョン・スチュアート・ミルのような人であっても、一種の伝染した偏見のような形で、(今では不可思議に見える考えを)信じていた。

The disciples of Newton maintained that in the fact of the mutual gravitation of the heavenly bodies, according to Newton's law, they had a complete quantitative account of their motions; and they endeavoured to follow out the path which Newton had opened up by investigating and measuring the attractions and repulsions of electrified and magnetic bodies, and the cohesive forces in the interior of bodies, without attempting to account for these forces.

ニュートンの後継者たちは、(デカルトの渦動説のように、エーテルの渦によって惑星が動いているのではなく)天体の相互で、万有引力が発生しているという事実を主張してきた。彼らニュートン学派は、ニュートンの物理学的法則に則って、運動に関する完全な量的計算方法を持っていた。彼らはまた、電気と磁気を帯びた物体の引力と斥力、並びに物体の内部で働く凝集力を測定・調査して、それらがどのような力なのか説明することはできなかったが、ニュートンが開いた(物理科学の)道に続こうと努力したのだった。

Newton himself, however, endeavoured to account for gravitation by differences of pressure in an aether (see Art. Attraction, Vol. iii. p. 64); but he did not publish his theory, "because he was not able from experiment and observation to give a satisfactory account of this medium, and the manner of its operation in producing the chief phenomena of nature."

ところでニュートン自身は、万有引力の説明を、エーテル領域内での圧力の差異から見出そうとしていた節があった。しかし、彼はこの理論を出版することはなかった。その理由は、ニュートンが、「実験や観測によっても、このエーテルとみなされるものに対して十分な説明を与えることができなかったからであり、またそのエーテルが、自然界で主にどのような現象を生んでいるのか、という仕組みや振る舞いが分からなかったから」である。

On the other hand, those who imagined aethers in order to explain phenomena could not specify the nature of the motion of these media, and could not prove that the media, as imagined by them, would produce the effects they were meant to explain. The only aether which has survived is that which was invented by Huygens to explain the propagation of light. The evidence for the existence of the luminiferous aether has accumulated as additional phenomena of light and other radiations have been discovered; and the properties of this medium, as deduced from the phenomena of light, have been found to be precisely those required to explain electromagnetic phenomena.

他方で、現象を説明するためにエーテルを想像している方々も、それらのエーテルによって、どのような動きがあるかという「エーテルの性質」については特定できず、また彼らが説明しようと試みている、エーテルによって引き起こされた効果を、思った通りに説明できずにいた。(たくさんのエーテル理論の中で、妥当な説明を持って)生き残った唯一のエーテル理論は、クリスティアーン・ホイヘンスの光の伝播を説明する為のものであった。エーテルの存在についての証拠は、更なる光の現象の数々や、他の放射線が発見されて、積み重なっていった。そしてこのエーテルの特性は、光の現象から推論されて、電磁気の現象で説明されるものと、正確に一致することがわかったのである。


THE UNIVERSE AND THE FORCE


渦動説 - Wikipedia
渦動説(かどうせつ、cartesian vortex theory)とは、ルネ・デカルト(1596 - 1650)が提唱した、天体などの運動の原理を説明するための学説。何らかの流体・媒質の作用によって天体の動きを説明する説であり当初支持者が多かったものの、後にニュートンが提唱した説(ニュートン力学)が現れ 17世紀から18世紀にかけてデカルト派とニュートン派に分かれて大論争に発展し、18世紀なかごろに渦動説に否定的な証拠が得られたが、科学史的・科学哲学的には重要な説である。1633年ころの『世界論』の草稿においては、物体とは独立した空間を認めて「運動というのは、空間の中の、ある位置から別の位置への移動」と見なしていたが、その後デカルトは考え方を変えて真空という概念は認めなくなり、世界は延長(=おおむね現在で言うところの物質)で満たされているとした。デカルトの渦動説は、天体を運動させているのは天体を囲んでいる物質(流体、エーテル)が天体を押しているからだとし、その物質は渦のように動いているとする。ニュートン自身も後になり、重力というのはエーテルの流れが引き起こしているのかも知れない、とも考察した。


引力と斥力 - Wikipedia
引力(いんりょく、英語:attraction)とは、2つの物体の間に働く相互作用のうち、引き合う(互いを近付けようとする)力のこと。一方、斥力(せきりょく、英語:repulsion)とは、同様に2つの物体の間に働く相互作用であるが、反発し合う、すなわち互いを遠ざけようとする力のこと。現在、物理学においては4つの基本的な力が考えられている。

そのうちのひとつ、電磁力(静電力と磁力)には引力と斥力の両方が存在する。電気と磁気にはそれぞれ2つの極性があり(電気では正と負、磁気でも正負と言うがN極とS極と言うこともある)、同じ極性同士には斥力が働き、異なる極性同士には引力が働く。 このように、引力と斥力の違いは単なる符号の違いといえる。一方で、これもまた4つの力のうちのひとつである重力(万有引力)は、引力だけが確認されており、斥力としての重力は確認されていない


分子間力 - Wikipedia
分子間力(ぶんしかんりょく、英語:intermolecular force)は、分子同士や高分子内の離れた部分の間に働く電磁気学的な力である。力の強い順に並べると、次のようになる。

イオン間相互作用
水素結合
双極子相互作用
ファンデルワールス力

これらの力はいずれも静電相互作用に基づく引力である。イオン間相互作用、水素結合、双極子相互作用は永続的な陽と陰との電気双極子により生じるが、ファンデルワールス力は電荷の誘導や量子力学的な揺らぎによって生じた一時的な電気双極子により生じる。

最新の画像もっと見る