「アナロ熊」が暴いてしまった「地デジカ」の秘密
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090508/194086/?P=1 ここから引用
「アナロ熊」の歌 http://www.youtube.com/watch?v=bUMtQCPbTuc
「アナログマ」中心サイト http://www12.atpages.jp/analoguma/
「地デ鹿ホームページ」 http://www.nab.or.jp/chidejika/
「地デ鹿」騒動の顛末
1.地デジ大使、クサナギ剛氏が、公然わいせつ罪で逮捕。大使職を辞する。
2.大使代役に民放連は、「地デジカ」を持ってきた。
3.鳩山総務大臣と写真がプレスリリースされた。
いかにもやっつけ仕事っぽい粗雑な表情(「地デジカ」君はことのほか著作権にうるさいのでイラスト断念)も良い。非常に良い味を出している。
地デジカの写真は大きな反響を呼んだ。
特に、その衣装が。「スクール水着着てないか?」と、匿名掲示板で話題になったのである。
ここで、民放連は、対応を誤る。「地デジカの衣装はスクール水着ではありません」という見解を発表したのである。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0904/28/news073.html
ネット上には、
「スクール水着を着た美少女キャラの地デジカ」
「レオタードでポーズする萌えイラストの地デジカ」
「全裸の地デジカ。ただし股間部分にモザイク」
「地デジカの着ぐるみの背中のチャックから全裸の前大使が上半身だけ出して笑っている地デジカ」
といったイラストが大量発生した。
民放連はさらに対応を誤る。
地デジカの著作権および二次創作について、コメントを発表。
「地デジカの無断掲載には厳しく対応します。ブログに掲載したり掲示板に載せることも、黙認しません」
「特に、二次創作キャラクターの作成や掲載につきましては、許されるものではありませんので、見つけ次第、厳しく対応していきます」
民放連のメディアリテラシー(メディアを読み解く能力)の低さに驚愕した。
この馬鹿げたコメントを公表したのは、民放連である。
言葉とメディアについての専門家であり、社会に向けて有形無形の情報を提供することで半世紀を食いつないできた専門家集団であるはずの組織だ。
そのメディアリテラシーの専門家たる人々の組織のトップ(なのか、あるいは広報担当なのかもしれないが)が、この程度の対応力しか持っていなかったということは、消防署員が自宅の居間で花火をやって失火したとか、暴力団員が恐喝に遭って警察に被害届を出したとか、JTの社員が大麻で逮捕されたとかいうのと同じで、プロとしてあるまじきどうにもはずかしい大失態である。
メディアリテラシーの何たるかもわかっていないくせにプライドだけは人一倍高い困ったおじさんたちが、一日中テレビを見ながら、ネットへの憎悪のホゾを固めている。
アナロ熊を生んだのは、このコメントだった。
「鹿をイジるのが禁止なら、オレらのオリジナルのキャラを作ろうぜ」
ということで、アナログ利権を守るアナロ熊は、登場・・・
「アナロバ」と名乗るロバも登場。デジタルチューナーをロハで配布することを要求するロバ・・・
「著作権」がからむと、人は曇った目で世の中を見るようになる。
別の言い方をするなら、著作権を意識した人間の心の内には疑心暗鬼が生じるということだ。
著作者は、「欲」を抱いている。
いつしか、遺産を争う兄弟みたいに、自分以外のあらゆる人間に疑いの目を向けるようになる。
おそらく、著作権をかかえこもうとしている人々は、この先、ろくなことにならない。
不労所得や既得権益を守りたい気持ちはわかる。でも、守ろうとするその気持ちがクリエイターの魂を腐らせてしまう。そこのところに気づかないといけないと思う。
きれいごとを言えない人間は、ものを創る資格を持っていないのだ。
著作権は、海賊版を売る業者を取り締まるために発明された概念であって、著作物を買ったお客様の利用を制限するためのものではない。
「二次創作禁止のキャラクター」や、「複製と編集が禁じられている映像」や、「教科書に載せることができない詩」や、「図書館に置くと著者が怒る書籍」や、「ネット上で閲覧させると作家先生の団体が訴訟を起こす芸術作品」は、どれもこれも・・・
つまり、「編集しない約束で録画できる動画」や「転載、引用をしない範囲内で暗誦するべき詩」や「人前で演奏しないという前提で販売されている楽譜」は、「モノを乗せない条件下でのみ機能する棚」と同じで、インテリアであって実用物ではない。
ちなみに、私のテキストは、どこに書いたものであれ、全面的にコピーフリー。リンクフリーだ。無料ならば、金儲けに使わないならば、どんどん配布していただいて結構。
というよりも、無料で読まれて私にどんな被害がある?
「有料で買うかもしれない予定読者を失うことになる」
と?
なるほど。読み捨てのクズ原稿を書いている著者にとっては、あるいはそういう次第になるかもしれない。
が、読者に感銘を与えるテキストを書いている書き手は、自分の作品が無料であれ有料であれ、多数の人々の目に触れれば触れるだけ、自分のファンが増えるはずだ、というふうに考える。
ん? 思い上がりだと?
思い上がっていない人間は、原稿なんか書かないよ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090508/194086/?P=1 ここから引用
「アナロ熊」の歌 http://www.youtube.com/watch?v=bUMtQCPbTuc
「アナログマ」中心サイト http://www12.atpages.jp/analoguma/
「地デ鹿ホームページ」 http://www.nab.or.jp/chidejika/
「地デ鹿」騒動の顛末
1.地デジ大使、クサナギ剛氏が、公然わいせつ罪で逮捕。大使職を辞する。
2.大使代役に民放連は、「地デジカ」を持ってきた。
3.鳩山総務大臣と写真がプレスリリースされた。
いかにもやっつけ仕事っぽい粗雑な表情(「地デジカ」君はことのほか著作権にうるさいのでイラスト断念)も良い。非常に良い味を出している。
地デジカの写真は大きな反響を呼んだ。
特に、その衣装が。「スクール水着着てないか?」と、匿名掲示板で話題になったのである。
ここで、民放連は、対応を誤る。「地デジカの衣装はスクール水着ではありません」という見解を発表したのである。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0904/28/news073.html
ネット上には、
「スクール水着を着た美少女キャラの地デジカ」
「レオタードでポーズする萌えイラストの地デジカ」
「全裸の地デジカ。ただし股間部分にモザイク」
「地デジカの着ぐるみの背中のチャックから全裸の前大使が上半身だけ出して笑っている地デジカ」
といったイラストが大量発生した。
民放連はさらに対応を誤る。
地デジカの著作権および二次創作について、コメントを発表。
「地デジカの無断掲載には厳しく対応します。ブログに掲載したり掲示板に載せることも、黙認しません」
「特に、二次創作キャラクターの作成や掲載につきましては、許されるものではありませんので、見つけ次第、厳しく対応していきます」
民放連のメディアリテラシー(メディアを読み解く能力)の低さに驚愕した。
この馬鹿げたコメントを公表したのは、民放連である。
言葉とメディアについての専門家であり、社会に向けて有形無形の情報を提供することで半世紀を食いつないできた専門家集団であるはずの組織だ。
そのメディアリテラシーの専門家たる人々の組織のトップ(なのか、あるいは広報担当なのかもしれないが)が、この程度の対応力しか持っていなかったということは、消防署員が自宅の居間で花火をやって失火したとか、暴力団員が恐喝に遭って警察に被害届を出したとか、JTの社員が大麻で逮捕されたとかいうのと同じで、プロとしてあるまじきどうにもはずかしい大失態である。
メディアリテラシーの何たるかもわかっていないくせにプライドだけは人一倍高い困ったおじさんたちが、一日中テレビを見ながら、ネットへの憎悪のホゾを固めている。
アナロ熊を生んだのは、このコメントだった。
「鹿をイジるのが禁止なら、オレらのオリジナルのキャラを作ろうぜ」
ということで、アナログ利権を守るアナロ熊は、登場・・・
「アナロバ」と名乗るロバも登場。デジタルチューナーをロハで配布することを要求するロバ・・・
「著作権」がからむと、人は曇った目で世の中を見るようになる。
別の言い方をするなら、著作権を意識した人間の心の内には疑心暗鬼が生じるということだ。
著作者は、「欲」を抱いている。
いつしか、遺産を争う兄弟みたいに、自分以外のあらゆる人間に疑いの目を向けるようになる。
おそらく、著作権をかかえこもうとしている人々は、この先、ろくなことにならない。
不労所得や既得権益を守りたい気持ちはわかる。でも、守ろうとするその気持ちがクリエイターの魂を腐らせてしまう。そこのところに気づかないといけないと思う。
きれいごとを言えない人間は、ものを創る資格を持っていないのだ。
著作権は、海賊版を売る業者を取り締まるために発明された概念であって、著作物を買ったお客様の利用を制限するためのものではない。
「二次創作禁止のキャラクター」や、「複製と編集が禁じられている映像」や、「教科書に載せることができない詩」や、「図書館に置くと著者が怒る書籍」や、「ネット上で閲覧させると作家先生の団体が訴訟を起こす芸術作品」は、どれもこれも・・・
つまり、「編集しない約束で録画できる動画」や「転載、引用をしない範囲内で暗誦するべき詩」や「人前で演奏しないという前提で販売されている楽譜」は、「モノを乗せない条件下でのみ機能する棚」と同じで、インテリアであって実用物ではない。
ちなみに、私のテキストは、どこに書いたものであれ、全面的にコピーフリー。リンクフリーだ。無料ならば、金儲けに使わないならば、どんどん配布していただいて結構。
というよりも、無料で読まれて私にどんな被害がある?
「有料で買うかもしれない予定読者を失うことになる」
と?
なるほど。読み捨てのクズ原稿を書いている著者にとっては、あるいはそういう次第になるかもしれない。
が、読者に感銘を与えるテキストを書いている書き手は、自分の作品が無料であれ有料であれ、多数の人々の目に触れれば触れるだけ、自分のファンが増えるはずだ、というふうに考える。
ん? 思い上がりだと?
思い上がっていない人間は、原稿なんか書かないよ。