日々雑感

と言う名の諸々突っ込み話
(主にアニメ…だったのが最近めっきり政治blog化…)

ひっそり流れるニュース

2010-11-03 02:32:35 | 政治
は~ぃ皆さ~ん
この国のメディアは重要ニュースを流さないので
テレビ・新聞をニュースソースにしてちゃダメですよ~
「事件ないから平和」なんて思ってちゃ駄目です


ニコ動より
民主党大スキャンダルだろ 谷口喜徳総理官邸の職員恐喝未遂で逮捕
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12622936


ニュースソースは海外メディアをネットで見るようにした方が良さそうです…

重国籍法案

2010-10-24 23:10:45 | 政治

あぁもぅどうしてこの国の政治は次から次へと…

まさか、右翼と呼ばないで!

重国籍法案と国籍選択制度の廃止 請願受理されています!!! 2010/05/05 (Wed)http://politiceconomy.blog28.fc2.com/blog-entry-444.html


危険です。外国人参政権以上に危険です。
重国籍になれば外国に都合のいい政治家に「日本人として」投票できちゃいますから。
外国人参政権も国政から地方へ戦場を移して「常設型住民投票権」とか名前を変えて
誤魔化しで押し通そうとしてます。
日本を日本でなくしてしまう法案が次から次へと矢継ぎ早に出されてます。
皆さんの声が必要です。拡散お願いします_O_

チャイナリスク 本当に分ってますか?

2010-10-23 22:14:45 | 政治
これも本当に多くの人の目に留まらないと拙いと思うので
転載させて頂きます。

My日本
Freemanさんの日記(2010/10/20分)及びblogより転載


「日本人が中国から出国できなくなる?」

これは最悪のチャイナリスクと
言えるかもしれませんね。

最近は少しずつ在中の日本人の家族が
日本に帰ってきている書き込みがみとスレや
真空パックスレでも見受けられるわけですけども、
羽白近平(ハネシロコンペー、習近平のこと)さんは
何をやらかすか分からないんで、↓の法案も
拡大解釈してくる可能性があるんですよ。

まずは赤字神こと、三橋貴明さんの↓のブログをどうぞ。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/day-20101018.html

以下、転載です。
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実は現在の日本では、未だに「最悪の中国リスク」が全く知られていないのです。「最悪の中国リスク」とは、「中国民事訴訟法231条」になります。

 東ア板などをご覧になられていた方々は、07年ごろにやたらと「韓国企業の中国からの夜逃げ」のニュースが報じられたのを覚えていらっしゃると思います。あの大量韓国企業夜逃げを受け、中国共産党がいわば「夜逃げ防止法」として07年秋に作ったのが、本「中国民事訴訟法231条」になります。

 この法律、中国で「民事上の問題(要はカネの問題)」を抱えている外国人に対し、法的に出国を差し止めることができるという凄まじい内容なのです。
 まずは文面を見てみましょう。

『中国民事訴訟法231条
 非執行人は法律文書に定めた義務を履行しない場合、人民法院は出国制限をし、或いは関係部門に通達をして出国制限を協力要請をすることができる。
-司法解釈規定
 出国制限される者の具体的範囲としては、非執行人が法人或いはその他の組織であった場合、法定代表人、主要な責任者のみならず、財務担当者等債務の履行に直接責任を負う者も含む。』

 読めばわかりますが、本231条は極めて「拡大解釈」がしやすい条文になっています。何しろ「法律文書に定めた義務を履行しない」が条件で、「主要な責任者」を出国停止にできてしまうわけです。
 本法律が施行された結果、中国に進出した企業で働く人が、日本人だけでも百人近く、台湾人は桁が違う人々が「出国停止」すなわち中国から出れない状況に至っているのです。

 具体的なイメージをつかみにくい方は、是非とも以下を御視聴下さい。

【チャイナリスク】中国合弁会社幹部が体験した出国停止事件[桜H22/2/22]
http://www.youtube.com/watch?v=I0HMmDuAZyo&feature=player_embedded


 この法律が恐ろしいのは、例えばある企業が商標法違反などをでっちあげられ、原告が裁判官を買収し、被告企業に損害賠償が命じられた場合、その支払いを果たすまで被告企業の関係者(主要な責任者)を中国からの出国停止措置にすることができることです。また、現在、中国で事業活動を行っている日系企業が、ベトナムなり他国へ移転しようとしたとき、でっち上げた債務問題を理由に関係者が出国停止を命じられる可能性もあります。

そして最も問題だと思うのが、この法律が最近できたものとはいえ、日本では全く周知されていないという現実です。上記「中国合弁会社幹部が体験した出国停止事件」では、中国の領事館に勤める外務官僚さえ、この法律の存在を知りませんでした。無論、国内マスコミが大々的に報じたことはありません。
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あまり想定はしたくないことですが、このことが事実なら、
最悪の場合、第2の通州事件が起きる可能性があります。
通州事件については↓にて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/tushujiken.htm

もう↑に書いてあることなので、あえて説明を加える必要はありませんが、
1937年の7月に支那で起きた事件であり、
日本人の女性が非常に無残な殺され方をされた事件だったんです。

できれば、真空パック・支那分裂に関する
ハードプランが実行される前に日本人は全員、
日本に帰国することを願うばかりです。
そうしないと70年前の悲劇をまた繰り返すことになりますから。


(転載ここまで)


私も通州事件なるものをこの日記で初めて知りました。
これはマジでやばいですよ。ってかもぅ手遅れかも知れない…(汗
中国にいる皆さんの無事を心から祈っています…

罪を憎んで人を憎ま…

2010-10-21 20:37:20 | 政治
…ずにいられるかボケェ!!!


産経ニュース
皇太子ご夫妻“襲撃”元活動家が名護市市議に当選 辺野古に反米・反日グループ集結?
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/101009/lcl1010092246003-n1.htm


なんですか これ。何の冗談ですか。
前科者がいけしゃあしゃあと市議に立候補してしかも当選とか。
それでそっち系の人間がどんどん集結してるとか。
正気の沙汰と思えません。
もぅホントどうかしてるよこの国…orz

原爆投下を「戦争の悲惨さ」で語ってはいけない④

2010-10-18 21:08:39 | 政治
(yamaさんの日記からの転載 続きです。①はこちら


ちなみに第一次大戦終結後のパリ講和会議の際に、日本は、「人種差別の撤廃」を議題として提出し、賛成多数を取り付けますが、当時の議長国だったアメリカに「全会一致でない」という詭弁によって退けられた事実があります。 この日本全権が提出した人種平等案ですが、当時の全権、牧野伸顕と珍田捨己は当初この案を白人側から提出させようとしました。有色人種が単にこれまでの汚辱を晴らそうとした事になってはその理想が損なわれると。

しかし、「白人優越性のチャンピオン」を自認するオーストラリア全権ヒューズ首相の猛反対を知って激怒した日本全権が自ら起草し提出する運びになりました。

その際の牧野の演説をパール氏は「真摯で、尊厳で、礼儀正しく、かつ穏当」と評しています。牧野は人種平等を要請する一方で、提案された原則の即時実施は求めず、各国の輿論の趨勢に従い、一任するに留めていました。

しかしその程度の提案さえ米英の拒否に合い否決されてしまったのです。(もうこれだけでも自分なんかは”鬼畜米英”は間違っていないと思いますが。)

当時太平洋周辺の白人諸国の東洋人排斥運動は、地域的なものから、国家による立法を求めるものへと拡大。排斥の理由は初めは経済的なものであったのが、次第に文化的に相容れない→生物学的に許されないと変化。

1917年に米国移民法制定、1924年排日移民法制定と日本人移民を完全に閉め出していきます。

国際連盟は「形式的平等」と「戦利品の処分」という表面的問題においては日本を対等に扱ったものの、一方には白色人種の独断的な優越意識があり、移民を出さなければならない日本の人口過剰問題に、なんら配慮をしなかった。ごく控えめな人種平等案ですら拒否されたことは、日本に劣等感を植え付けた。

以上のことを踏まえて、パール氏は日本の指導者が青年の心理に人種的優越感を植え付け、民族を保護しようと考えたとしても非難できないとして検察側の主張を退けています。

私はこのパール氏の主張こそ、当時の世界情勢を鑑みた時に非常に公平な見方であると思います。

(軍事教練についても、必ずしも侵略の準備を意味せず、世の中が平和でも訓練は適当とされ、あらゆる強国で不可欠とされており、各国が競争心とパワーポリティクスをの観念を有している世界において、日本は人種平等案を退けられ欧米から劣等感を持たされた。他方国際社会で強国とは、普通以上の軍事・政治・経済・財政の力を持ち、自国の地位のためには力の行使をいとわない国のことだった。したがって、日本の為政者達が教育方針を変更した動機に、国家の地位向上のような「合法的な野心」以外のものがあったとは了解し得ないとパール氏は主張しています。) 

また「人種差別を公然と掲げるドイツとの同盟関係」についてですが、当時の日本は今の日本のように、同盟があるというだけでアメリカの侵略戦争にくっついていくようなだらしない国ではなく、国策としてユダヤ人を排斥しない事を掲げ(1938年12月猶太人対策要領)ナチスからの再三の圧力を撥ね退けています。

1940年に6,000人のユダヤ人難民にビザを発給した外交官杉原千畝氏の話は有名ですが(日本政府の方針に反して、というデマが流れていますが)、彼以外にもシベリヤを横断し満州経由で入国しようとし、凍死の危険にさらされていたユダヤ難民を救った樋口季一郎少将も忘れてはなりません。彼はユダヤ難民輸送列車の手配を満鉄総裁に依頼し、総裁はユダヤ難民を無賃輸送する様指示。繰り返し無賃乗車は続けられますが、その時の満鉄総裁は「富田メモ」で昭和天皇が名指しで不快感を示されたという「最悪のA級戦犯」松岡洋右氏でした。

これに対し同盟国ナチスから抗議が来て樋口季一郎少将は関東軍参謀長の事情聴取を受けていますが、参謀長は樋口の意見に同意してナチスの抗議を撥ね退け、その後もユダヤ難民は同ルートで続々と避難してきました。その参謀長の名はやはり東京裁判で死刑となった東条英機氏。

先に書いた「猶太人対策要領」は本来外務大臣の所管であったものの、樋口の補佐官を勤め満州におけるユダヤ難民保護の方針を策定した安江仙弘大佐が陸軍大臣に意見具申し、これに共感した陸軍大臣が5相会議(首相、外相、蔵相、陸相、海相による重要国策会議)に提案し国策として成立させたものだったのです。

この時の陸軍大臣とは板垣征四郎氏、いわゆるA級戦犯の中では東条英機氏に次いで悪者扱いにされているかの人物だったのです。

このA級戦犯の中で最も評判の悪い3人こそ、数万のユダヤ難民の救済に欠かせない役割を果たした人物でした。

また満州を通過したユダヤ難民は当時入国ビザなしで入る事のできた上海共同租界に向かっていますが、日本海軍警備地区だけでも最大3万人のユダヤ人であふれかいっていたそうです。そこで海軍のユダヤ専門家犬塚惟重大佐がユダヤ人保護に奔走していました。

後に白露ユダヤ・アシュケナジー協会の名誉会長ブロッホ氏から犬塚氏の名をゴールデンブックに記載したいと申し出があった際、犬塚氏はこういって断ったそうです。

「私の哀れなユダヤ難民を助け東亜のユダヤ民族の平和と安全を守る工作は、犬塚個人の工作ではなく、天皇陛下の万民へのご慈愛にしたがって働いているだけである。私はかつて東京軍司令部に居たとき、広田外相からこんな話を伺った事がある。広田外相が慣例の国際情勢を陛下に奏上申し上げたうちでナチのユダ虐待に触れたところ、陛下は身を乗りだされて憂い深げにいろいろご下問なさるので、外相は失礼ながら陛下はユダヤ人を日本人と思い間違いあそばしているのではないかと不審に存じ上げたが、陛下は「いや、ユダヤ人とわかっているが、哀れなもの」と仰せられその御仁愛のほどに恐懼したというのだ。私は陛下の大御心を体して尽くしているのだから、しいて名前を載せたければ陛下の名を書くように。」


また、ナチスは日本政府のユダヤ人に対する寛大な政策に不快感を募らせ1942年、犬塚惟重大佐が上海から転出した後、ナチスの親衛隊長官ヒムラーが、東京に赴任していたヨゼフ・マイジンガー大佐を上海に派遣させ(マイジンガーはワルシャワで10万人のユダヤ人を虐殺されたといわれ、ヒムラーでさえ裁判にかけて死刑にした方がいいと考えた残忍極まりない人物)ユダヤ難民の処理を迫り、3つの提案をしています。

1、廃船にユダヤ人を詰め込み東シナ海に流して撃沈する。

2、岩塩鉱で強制労働させ死なせる。

3、収容所を建設し、生体実験の材料にする。

マイジンガーはアジアでもホロコーストをやろうとし、1は施設もいらず安上がり、2は収入も出て一石二鳥、しかし3がお勧めと平然と言ってのけていました。日本が直接手を下さなくてもユダヤ人を引き渡してくれさえすれば、廃船に乗せて我々が沈めるとも主張しましたが、日本側が拒否し全てのユダヤ人はナチの手に渡ることはありませんでした。

ちなみに犬塚大佐は無実の罪でBC級戦犯として捕らえられましたが、偶然裁判長も弁護団もユダヤ人で、上海での実績が証明され不起訴となっています。

他にも1940年12月、外相だった松岡洋石は在日ユダヤ人と会談し、「三国同盟は私が結んだ。しかしだからと言ってヒトラーのごときの口車に乗ってユダヤ人を排斥する事はしない。これは私の信念だけではない。帝国の方針であるから安心しなさい。」と発言しています。

つまり、ドイツという「人種差別国家」と同盟があっても、日本が人種差別を行わなかったのは、政府高官達の個人的な信念だけではなく、当時の日本政府の方針であり、実際にその方針に従った決定や実態がきちんと歴史の中に存在している、ということなのです。


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「日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされてはならぬ。日本人が過去の戦争において、国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心を失った民族は、強大国に迎合する卑屈な植民地民族に転落する。日本は連合国によって与えられた“戦犯”の観念を頭から一掃せよ」  パール博士「平和宣言」36

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(パール博士著「平和の宣言」p91より)

十一月五日、博士は中の島平和記念公園をおとずれ、いまをさかりの菊花を手向けて、原爆慰霊碑に黙祷をささげた。ふと目にとまったのは、花崗岩に刻まれた文字である。その碑には『安らかに眠ってください、過ちは、繰り返しませぬから』とある。博士はこの碑文をナイル君を通じ、二度も三度もたしかめた。その意味がはっきりしてくるにつれて、みるみるいきどおろしい不審の色を浮かべた。

「この“過ちは繰り返さぬ”という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん日本人をさしているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか、わたくしは疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたものは日本人ではないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明らかにして、“わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ”というなら肯ける。この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。(略)」

「国民がその良心にゆがめられた罪悪感をになって卑屈になっているあいだは、進歩も発展もない。原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」



と、あちこちからの拾い書きのまとめですが、どっかで議論する際に「武器」として使えるようにメモってみました。

原爆投下を「戦争の悲惨さ」で語ってはいけない③

2010-10-18 21:05:41 | 政治
(yamaさんの日記からの転載 続きです。①はこちら


また、人種偏見については、そうした意識が最も薄い日本人からしたらなかなかピンとこないのも仕方が無いのかもしれませんが、原爆投下や先の戦争を理解するうえで必要不可欠な知識と思われますので少し補足させていただきます。

「マンハッタン計画」をスタートさせたルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られています。彼はスミソニアン博物館教授アレス・ハードリショカに「日本人はなぜ邪悪なのか」を内々に研究させその「科学的」な「研究」により、本気で「日本人が邪悪なのは我々(白人)よりも頭蓋骨の発達が2000年遅れているからだ」と信じていました。これはナチス・ドイツが「アーリア人の優越性」を信じこんでいたのに通じるものがありますが、一般のアメリカ人(白人)の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していたこととも無縁ではありません。

当時のアメリカの人類学者は「日本人の大脳は欧米人の灰白色より白い。原始的なままで思考力は劣る。」と平然と言っていましたし、当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていました。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」

「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」

こうした思考は当然軍内部にも大きく見られた一般的な考えでした。

「ジャップを殺せ!ジャップをもっと殺せ!猿肉をもっと作れ!!」南太平洋軍司令官 ウィリアム・バルゼー

「ジャップスについては地図の上から抹殺されるまで悩まされ続けるであろう」  西部防衛司令部司令官 ジョン・デビット将軍

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。日本人を根絶しなければならない!」  トマス・ブレーミー将軍

他にも対ドイツ戦の戦意高揚のためのバッジには、ヒトラーの写真と「指名手配の殺人犯」の文字が書かれていたのに対して、対日本戦のためのバッジには「ジャップ狩猟許可証年中有効無制限」の文字に猿の絵が書かれていました。これは当時「恐るべきヒトラーも黄色いジャップスもいなくなる」とアメリカ一般で言われていた認識が反映されていたものといえます。

白人のドイツ人はヒトラーに騙されているが本当は善良、しかし黄色人種の日本人は一人残らず滅ぼすべき敵である、と。

最近映画にもなった硫黄島の戦い。映画には出てこなかったと思いますが、当時の海兵隊員のヘルメットにはこう書かれていました。

           「ネズミ駆除業者」

また、連合軍兵士の間では戦死した日本兵から金歯、耳、頭皮、頭蓋骨などを収集し戦果の証にするという悪習が行われていました。骨でペンホルダーが作られたり、兵士である息子が切り落とした日本兵の耳の塩漬けを玄関前に釘で止めて、みんなにみてもらいたいという母親も居ました。(実はこうした悪習はフィリピンの独立運動を抑える際にも、そしてその後の朝鮮戦争やベトナム戦争でもアメリカの白人兵の間で見られたものでした。)

こうした話は当時アメリカでは普通に報道されていました。(有名なところで1944年5月号 ライフ誌に掲載された日本兵の頭蓋骨を記念品として贈られ、礼状を書いている少女の写真は有名ですね。)こうしたエピソードは『人種偏見 ─ 太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』ジョン・ダワー著(TBSブリタニカ)に詳しいのですが、この著者はこうした野蛮なエピソードをいくつも紹介した上で「もしも歯や耳や頭皮がドイツやイタリアの兵士の死体から収集されそれが英米国内に報道されたならば、騒然たる状況を引き起こしたに違いない」と書いています。

著名な飛行家リンドバーグは戦後ナチスの虐殺跡を見て日記にこう書いています。

「以前にかかる困惑を覚えたのはどこでだったろうか。南太平洋でか。そうとも。ビアク島の洞窟で日本兵の遺体が腐りかけているのを見かけたときだ。爆撃穴に埋まる日本兵の遺体の上から残飯が投げ捨てられ待機室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けてあるのを見かけたときだ。ドイツ人はユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張するアメリカ人が、日本人の扱いで同じような事をしでかしたのである。”奴らは本当に獣以下だ!どいつもこいつも皆殺しにすべきだ”耳に胼胝が出来るほど南太平洋のアメリカ将校から聞かされた台詞だ。」

第二次大戦中、「民族根絶」を考えた国はドイツとアメリカであった、この事実はもっと認識されていいと思います。


また原爆投下を日本に決定したチャーチルとルーズベルトに関してはこんなエピソードが残っています。

英植民地ビルマのウ・ソー首相は欧州に戦火が拡大するさなかの1941年10月、ロンドンにチャーチルを訪ねています。ビルマの独立を約束してくれるならビルマ人兵士を欧州に送ってドイツ軍と戦わせます、と訴えに行ったのですが、チャーチルは彼の要求を撥ね付けた上で、後にこう語っています。

「植民地の有色人種に必要なのは(独立ではなく)鞭だけだ」と。

失意のウ・ソーはその後大西洋を渡って米国のルーズベルトに会いに行きます。ルーズベルトはその3ヶ月前に「大西洋憲章」を発表し、その中で「すべての人々の持つ自分たちの政府を選ぶ権利を尊重する」と謳いあげていました。彼ならビルマ独立を支持してくれるのではないか、と。

しかしウ・ソーの期待は裏切られます。

C・ソーンの「米英にとっての太平洋戦争」(草思社)にはチャーチルの言葉として憲章にある人々とは「私も大統領も念頭にあったのはナチスに占領された東欧国家の主権や国民のこと」(つまり白人)で、有色人種は入っていなかったのだ、と。


こういう主張にはよく「でも当時の日本も、民族差別を公然と国策に掲げるナチス・ドイツの同盟国で、皇国史観により、日本民族の優越性を唱える一種の差別国家だった。」と日本の反日サヨクはお決まりの反論をしてきます。

実はこの点についてあの極東軍事裁判でも検察側から「精神的戦争の準備」としてあらゆる青少年に「民族的優越感」を起こさせるように日本の教育方針が変更された、軍国主義化していったと同じような主張がなされました。

これに関して東京裁判で被告人全員に無罪判決を下したパール博士は、イギリスの歴史学者トインビーの言葉を用いながら興味深い考察をなされています。

パール氏は、自分の人種こそがもっとも優秀だとする「謬見」は全ての国に共通する欠陥だと指摘しながらも、そうした「謬見」といえども、国際社会に人種差別がある限りは「防御武装」であり、国民を劣等感の有害な影響から守るものだとしています。

また西欧諸国が人種差別に基づいている事実に鑑みれば、どんな国の指導者でも、このような感情は自己防衛の方便として必要だと本気で考えるであろう、と。

ちなみにトインビーはその著作の中でこう記しています。


「我々(白人)は彼ら(有色人種)を歩いている樹木ぐらいにしか考えず、たまたま出会った地方に棲息する野獣としか考えていない。実際のところ、われわれ西欧人は彼らをその地方の動植物の一部と見做し、われわれと同様な情熱を持った人間とは見做さない。また彼らを人間以下のものと考え、普通の人間が持つ権利を所有しないもののごとく待遇して差し支えないと感じている。彼らは、彼らが占めている土地の単なる土着のものにすぎない。そしてどんなに永く住んでいても、何らの基本的権利は得られない。西欧人の先駆者が切り倒した森の木々、あるいは彼が射落とした大きな獲物のように、彼らの命は一時的なものであり、もろいものである」

原爆投下を「戦争の悲惨さ」で語ってはいけない②

2010-10-18 21:00:18 | 政治
(yamaさんの日記からの転載 続きです。①はこちら


また「広島は軍事都市であったことが原爆投下の原因」などというトンデモ話がありますがこれも間違えです。広島が選ばれたのは当時まだ空襲を受けていない、原爆投下の威力を正確に評価できるような都市だったからです。それまでの民間人殺傷を目的とした都市空襲(明々白々な国際法違反の大虐殺)によって、破壊されていない都市が残り少なくなっていた中での選択の結果だったのです。

1945年春からアメリカは原爆投下目標の都市を検討し始めましたが、目標は原爆の効果を正確に測定できるように、直径3マイル(約4.8キロ)の市街地をもつ都市の中から選び、空襲を禁止しました。特にその市街地から周辺にも居住地域が広がっている地域で、有効な損害を与えられる地形を持つ事を条件としていました。

これにかなうのが京都、広島、長崎、小倉、新潟などでした。

「京都を原爆から救った恩人」と言われるアメリカ人が何人かいますが、すべて何の根拠もない流言に過ぎないことは、吉田守男著『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫)に詳細に書かれていますので関心のおありの方はぜひご一読される事をオススメします。当時のアメリカ政府は、日本の文化遺産を根こそぎ破壊することに、なんのためらいもなかったことがよくわかります。


また広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、原爆の対日使用は「人体実験」だったとして、以下のように指摘しています。

「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への『人体実験』である。

だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、

第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。

第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。

第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。

第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」



上記の内容を補足する事実として、広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい実態を述べていらっしゃいます。


「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。

その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。

しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。

このように原爆は人体実験であり、戦後のアメリカの利を確立するための暴挙だったにもかかわらず、原爆投下によって大戦が終結し、米日の多くの生命が救われたという大義名分にすりかえられました。このことによって核兵器の判断に大きな過ちが生じたと私は思っています。」  橋爪文『少女・14歳の原爆体験記』(高文研)より

※ちなみに「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)については当時被爆者達から「診察すれども治療せず」と言われていました。


1995年、スミソニアン国立航空宇宙博物館での「原爆展」が開かれようとしていた際、当時のクリントン大統領は、「原爆展」の中止を支持するとともに、「トルーマン大統領が下した原爆投下の決断は正しかった」と言明しています。

原爆の被害については戦後GHQの検閲により、長く日本人の目に触れられないように(その後触れられたとしても”日本も悪いことをしたから仕方が無いが”という贖罪意識の洗脳教育とセットで)なっていました。

アメリカでは今でも、原爆の被害を伝える内容の展示は、上記の「原爆展」のように公的な場では激しい非難とともに人々の目に触れられないような状況に追い込まれている為、多くのアメリカ人はその実態を知りません。(日本人でさえきちんと知らされていないのではないでしょうか。)

スミソニアンの「原爆展」で検閲された内容の一部は以下の通りです。

「私は道路で馬車を引いている人の死骸を見ましたが、その人は依然として立っていて、髪は針金のように逆立っていました。」
    (長崎  黒川ひで)

「たくさんの生徒の目玉が飛び出ていた。彼女達の口は爆風で引き裂かれたままで、顔は焼けただれ、・・・着ているものは体から焼け落ち、・・・その光景はまさに地獄だった。」
    (広島第一女高校長  宮川造六)

「人々の皮膚は黒焦げであった。髪も焼かれて無くなり、前から見ているのか後ろから見ているのかもわからない状態だった。腕を前に出して垂らし、皮膚は、腕だけでなく顔からも体からも垂れ下がっていた。・・・まるで歩く幽霊のようだった。」
    (広島 八百屋店主)



外交の一手段であり、国際法の縛りがある「戦争」。そこでのルール違反である「戦争犯罪」。

一方、戦闘による殺害ではなく、国家の意思として計画的に実行される犯罪である「ホロコースト」。

(「ホロコースト」は、スターリンによるブルジョワ階級6,000万人大虐殺、毛沢東による文化大革命等での思想上の理由による2,000万人以上の大虐殺、カンボジアではポル・ポトによる800万人の自国民のうち250万人の虐殺、台湾では国民党による3万人の台湾人の虐殺、チベットやウイグルでは現在進行形の民族浄化が「戦争とは無関係」に行われています。)


原爆投下が戦争遂行とは全く無関係に、戦争のドサクサに紛れて「生体実験」として行われた、ナチの「ホロコースト」と同列の大虐殺であることは明白であると思います。
 
単なる「戦争の悲惨さ」として語られるのは、歴史的事実に反するだけでなく、アメリカの原爆投下の罪を軽減し、本当の平和を見えなくしてしまう行為であり、これは日本人として絶対に手放してはいけない認識だと思います。


余談ですが、1996年、広島の原爆ドームはアウシュビッツ収容所と並び、人類の「負の遺産」として世界遺産に指定されましたが、アメリカは最後まで世界遺産指定に反対していました。

原爆投下を「戦争の悲惨さ」で語ってはいけない①

2010-10-18 20:45:41 | 政治
ここんとこずっと政治ネタばかりですみませんが、
これは是非とも多くの人に知って欲しい事なので
許可を頂き転載させて頂きます。


My日本
yamaさんの日記(2010/9/12分)より転載


原爆投下を「戦争の悲惨さ」で語ってはいけない①

「空と海からの完全封鎖と条件付降伏があれば、日本本土に上陸する必要すら全くない」 ウィリアム・D・レイヒ提督

「原爆は全く不必要であり、アメリカ国民の命を救う手段としてもはや不可欠ではなくなった。アメリカがここまで恐ろしい兵器を最初に使う国にならないよう望んでいる」 ドワイド・D・アイゼンハワー将軍

「(原爆投下は)軍事的に見れば全く不必要だ」 ダグラス・マッカーサー

戦争中、米国で軍事面の指導者として尊敬を集めていたアイゼンハワー、マッカーサー、レイヒの3人ともが、日本の降伏に原爆投下は「不必要」と見ていました。(補足しますと、対日戦略爆撃を指揮したカーチス・ルメイは、戦後、回想記の中で「原爆を落とすまでもなく太平洋戦争は実質終わっていた」と記していますし、1989年に公開された、陸軍省諜報部による1946年の最高機密調査では、「日本の降伏に原爆はほとんど関係がなかった」という結論が出されています。また1946年実施の戦略投爆調査の結論も、「原爆が投下されなくても、またソ連が宣戦布告しなかったとしても、さらには日本上陸を考えなくとも、1945年12月31日までには確実に、そしておそらく1945年11月1日までには、日本は降伏していたであろう」との結論を示しています。)

しかし、3期務めて偉大な大統領だと評価されていたルーズベルトが急死した結果、「つぶれた田舎の雑貨屋の親父」みたいな風貌とアメリカ国民にみられていたトルーマンが大統領に就任し原爆投下への流れが加速していきます。彼は自らのイメージを挽回し「男らしさ」を証明する事を強く望んでいました。



もともと、原爆開発はルーズベルトの時代にドイツの核開発を恐れた、ドイツから亡命してきた科学者達の促しにより1939年、ルーズベルトの許可が出て始められました。

しかし、ドイツが1942年に原爆開発を断念していた事を知ってもなおアメリカは開発を続け、1943年5月、アメリカの軍事政策委員会では原爆投下地点について対日戦で使用する意見が大半を占めました。また、1944年9月18日、ニューヨーク州のハイドパークで行われた極秘会談でチャーチルとルーズベルトは原爆を「日本に対して使用するかもしれない」と合意しています。(「チューブ・アロイズ」の覚書)

つまり、開発のきっかけは対独戦ではあったものの、原 爆 使 用 に 関 し て は ド イ ツ の 降 伏 前 か ら、 ド イ ツ に 対 し て で は な く 日 本 に 対 し て 使 用 す る 意 図 が あ っ た わ け で す。

しかしルーズベルトは日本との戦争が長引けば、中国が内戦になる可能性が高まると考え、ドイツを降伏させた後、一日も早く日本を降伏させるために知日派で早期講和論者(天皇の地位保全の条件さえ出せば日本は降伏すると主張する)グルーを国務次官に抜擢し、対日政策を変更していきました。しかしルーズベルトが急死しトルーマンが大統領に就任すると、グルーの対日政策は無視されていきます。

(ちなみにタフツ大学の歴史家マーティン・シャーウィンは、「トルーマン大統領がジョセフ・グルーの助言を受け入れていれば、アメリカ兵、日本人の犠牲者の数は大幅に削減されたことであろう」と語っています。)

グルーはルーズベルトの後を継いだトルーマンに対して、天皇の地位さえ保証すれば日本は容易に講和に応じる事をドイツ降伏後の1945年5月末から再三トルーマンに進言していました。

「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」(草思社)の著者・鳥居民氏は、様々な状況証拠を踏まえ、もしここでトルーマンが進言を受け入れていたら戦争は7月2日に終わったとシュミレートしています。

アメリカの高官たちは「天皇の地位保証」が日本降伏の最重要条件だとすでに認識し、フーバー元大統領、スティムソン陸軍長官、レーヒ提督などもトルーマンに働きかけを行っていました。

しかしトルーマンはそれらの意見もことごとく無視します。

ポツダム宣言第12項には「我々の諸目的が達成されて、且つ日本国民を代表する性格を備え、明らかに平和的志向と責任ある政府が確立されたとき、連合国占領軍はただちに撤収されるであろう。」とありますが、実は草案の段階では以下の様な続きがありました。

「このような政府が二度と侵略の野望を抱くものではないことを、平和を愛好する諸国が確信するのであれば、こ れ に は 現 皇 統 の も と に お け る 立 憲 君 主 制 を 含 む も の と す る 

つまり、ポツダム宣言草案の時点では「天皇制の維持」を保証していたわけです。これは早期講和論者グルーによる発案でしたが、トルーマンはこの草案の後半部分の天皇地位保全に関する部分をあえて削除しました。

そればかりではなく、草案では共同提案国にソ連の名前が入っていたもののトルーマンはそれも削除し、中国国民党政府に名を差し替えました。

当時、日本にとってソ連は和平の仲介を依頼中の国であり(アメリカは暗号解読によってすでにその事を知っていました)、中国国民党政府は交戦中の敵。。。日本がポツダム宣言をより一層受け入れにくいように細工をしたわけです。

しかもトルーマンはこのポツダム宣言を国務省からではなく、宣伝機関の戦時情報局から発表させていました。それも「最後通牒」といった記述も無く、降伏を勧告する外交文書としての文面でもなく、「これ以上抵抗するならもっと徹底的に叩きのめすぞ」といった単なる宣伝文書にしか見えないような書き方にしていました。

このことについてスチムソン陸軍長官は後にこう語っています

「歴史の中で、アメリカは降伏の条件を延期したことによって戦争を長引かせた。」

ここには明らかに、日本が黙殺するように仕組んだアメリカ側の意図があり、これを持って日本側の黙殺を原爆投下に結びつけて批判するのはあまりにもアンフェアといえるでしょう。

また、アメリカは1945年2月のヤルタ会談で、スターリンにドイツ降伏の3ヶ月後にソ連参戦を約束させていますが、それ以降ポツダム会談までに原爆を完成させていたアメリカが、ソ連の対日参戦が無くても日本を制圧できるとして、そしてスターリンの共産勢力に対する威嚇といった意図から急遽原爆投下に踏み切ったという側面もあります。トルーマンは国内の原爆投下反対派の共和党議員よりも早く、スターリンに対して原爆実験成功について話をしています。(このことで後に共和党議員から反感を買うことになるのですが)

また5月の下旬に、ルーズベルトの個人特使であったハリー・ホプキンズをモスクワに派遣し、ポーランドの処遇をソ連に委ねることをモロトフ外相に確約した上で(これはソ連に対する大幅な妥協を意味します)、正確な対日参戦日を聞きだすことに成功しています。

これは原爆投下の準備が完了する8月1日以前にソ連の大規模な機甲部隊が満州に攻め込むと、日本が降伏してしまい、原爆投下をせずに終戦を迎えてしまう事を恐れたためと思われます。また、ドイツ降伏後にチャーチルから首脳会談(ポツダム会議)の提案があったにもかかわらず、トルーマンは無意味に引き伸ばしを図っています。これは7月4日に予定されていた原爆実験の結果を把握してから会談に臨みたかったトルーマンの意図があったのではないか、と鳥居氏は推測しています。


トルーマンの思惑は上に記したとおり、全米から嘲笑されていた自らのイメージを回復し、強い指導者である事をアピールするために何としても原爆投下を行いたかったこと。(実のところトルーマンは、彼の部下の高官たちと違い、エールやハーバードといった一流大学の卒業生でもなければ、歴代大統領の中でも珍しく大学を出ていない大統領で、その事に対して強いコンプレックスがありました。それだけではなく、大戦争の遂行に大きな役割を果たしたチャーチルやスターリンなどの同盟国の首脳に対しても引け目がありました。自分だけが棚牡丹式に指導者の地位を得ていながら、何一つ実績がないと。)

そして、彼個人のそうした内面的な動機だけではなく、以下の要件も重要でした。

1、膨大な費用をかけて作った原爆を議会対策のためにも使わなければならなかった。( 実は原爆製造にかかわる資金は完全な秘密のうちに投じられていました。もし使わないで戦争が終結してしまった場合、レスリー・グローブス〈原爆製造・開発の責任者〉管轄下の工兵団の予算の中に隠しておく事ができなくなり、議会の承認が必要になってくる。原爆の使用が無いまま戦争が終わってしまえば、どうやってそれまでの巨額な資金の支出と、今後も必要なのかを国民と議会に納得させることが難しくなってしまう、という問題がありました。)

2、ウラン濃縮型と、プルトニウム型の2種類の原爆を黄色いサルの住む都市で実験使用してそれぞれの効果を確かめる必要があった。(ちなみに1993年2 月5日の『朝日新聞』に、ネバダ核実験場を管轄している米エネルギー省ネバダ事務所が発行している刊行物「公表された米核実験」の中で、広島・長崎への原爆投下が「核実験(テスト)」として記載されていることが明らかになったと報じられました。また1958年2月3日『東京新聞』には「私は広島・長崎の原爆攻撃を指令したあとに、良心のとがめを少しも感じなかった。」というトルーマン前米大統領の言葉が紹介されています。)


3、戦後の世界秩序をめぐってソ連のスターリンに脅しをかけておく必要があった。 (これは広く知られているので割愛します。)

つまりアメリカ側は、原 爆 な し で も 日 本 を 終 戦 に 持 ち 込 む 事 が で き る と 知 っ た 上 で 、日 本 に 終 戦 の 意 思 が あ る 事 も 知 っ た 上 で 、 あ え て 終 戦 時 期 を 引 き 延 ば そ う と し て い た 確 実 な 状 況 証 拠 が あ る と い う こ と 。

そしてそれらの工作の意図は「 原 爆 を 投 下 す る ま で 日 本 を 降 伏 さ せ た く は 無 か っ た か ら 」 と 考 え ざ る を 得 な い 、というのが最も新しい史料検証の結果導き出される歴史的実態だということです。


倫理的・戦略的な視点で、原爆使用の阻止を図ろうとした米政府・米軍高官・科学者がいたことは上記のとおり確かですが、反対に警告なしで(ドイツではなく)日本に原爆を投下する事を強硬に主張した人種差別主義者ロバート・オッペンハイマーのような人物が「マンハッタン計画」を主導していた事や、トルーマン、バーンズなどの動きを知る時、結局のところ歴史は「倫理的でない」者の主張に沿った形で進んでいった事ははっきり明記しておく必要があります。

私達日本人は、2種類の原爆の効果を確かめるためのモルモットとして実験されたのだという歴史的事実を覆す事はできません。

(ちなみに、ポール・ティベッツ機長をはじめエノラゲイ搭乗員の多くは、戦後もずっと「全く後悔していない。夜眠れなくなったことも一度もない。あの時、我々は人類にとって最善のことをしたんだ」と述べ、原爆投下の正当性を強調しています。)

緊急署名のお願い

2010-10-17 22:36:36 | 政治
ま~たアニメネタでなくてすみませんが…

時間が無くてすみませんが緊急なんです。
ご協力お願いします。

ひめのブログ
名古屋が中国に侵略されそうです②[緊急署名のおねがい]
http://000hime.blog74.fc2.com/blog-entry-217.html
署名期限:10月31日(20日とありますが、役所側が遅れている為、延長になったそうです。 )

うちの実家も管轄範囲に入ってる…orz
可能な限りご協力&拡散をお願いします。

(10/21 期限延長につき再UP)

尖閣・外交の愚

2010-10-03 03:00:34 | 政治
尖閣デモに参加して来ました。
2chニュースでイタタなんですが詳細は以下で見て貰うとして。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1550289.html

流石に馬鹿過ぎる外交とこれまた偏向どころじゃないシカトのマスコミとか(汗
なんか怒りを通り越してホトホト呆れますよ。この国の現状に。
この状勢はまぢで戦争前夜って感じです…

法 改正? 改悪?

2009-07-07 22:16:22 | 政治
1ヶ月ぶりに書く内容がアニメじゃなくて申し訳ないんですが、
ちょっとこの問題を一緒に考えてみて下さい。

児童ポルノ法改正案の正体
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/287.html

ちばてつやが考える表現の自由「―と、ぼくは思います!!」
http://www.chibapro.co.jp/?tbl=gallery

敢えてどうこうしろとは言いません。
ご自分で見て、知って、考えて、どうするか皆さん各自が決めて下さい。
お願いします。


(追記)
無断転載であれなんですが、これも合わせて
http://dl5.getuploader.com/g/ero_game/20/ero_game_20.jpg

次なる御子は

2006-02-14 10:19:42 | 政治
秋篠宮妃殿下の御懐妊でそこら中のblogで
「男の子であってくれたら」とか「男の子でも女の子でも」といった事が採り沙汰されています。
「お子がどちらか」を論議する事自体 不敬だとは思いますが、
そこを承知で敢えて言いたいと思います
女の子であってくれたら

私は男系維持派なのに変に見えるかもしれません。
女の子を望む声が全然見受けられないからというのも理由の一つではあるんですが、
ここで皇子に恵まれたとしても 次代の後継者の数が 0から1になるだけであり、
危機的状況である事に変わりはありません。
それに、将来的にその皇子に後継者を望む声が集中する事にもなります。
今の皇太子殿下が経験された問題がそのまま繰り返されるだけであり、
何の問題解決にもならないのです。
なのに 今皇子が誕生したら、世の中はその目先の後継者に飛び付いてしまうでしょう。
本当に問題解決するには やはり旧宮家に御復帰をお願いした方が良いと思うのです。
そして、その事を皆がちゃんと認識できるよう、皇女の誕生を望みたいと思います。
何より お子が女子だった時、落胆したり形ばかりの祝福になったりしたくないのですよ…


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秋篠宮妃殿下御懐妊

2006-02-07 16:26:55 | 政治

昨日書いたばかりなのに
ウルトラC来ちゃったよ!!!ヽ(´ー`)ノ
まずは御懐妊おめでとうございます
これで改正案提出が中止されれば万々歳ですが…
取り敢えず携帯からなのでこれだけ
続きは帰ってから書きます


(続き)
なんというか物凄いタイミングで来ちゃいましたね~
ネットでこのニュースが流れるや否や ものの10分かそこらで
この話題のblogエントリ数はあっという間に40~50ほどにもなったでしょうか
まさに祭り状態(´ー`)

しかしなんというか まさに神の采配としか言いようがない
人がどんな策を講じようとも 神の仕組はそれら全てを凌駕する
下手な足掻きは止めた方がいいですよ 小泉さん(笑


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皇位継承の条件

2006-02-06 23:51:29 | 政治

前回ぐだぐだながらも結構な量書きましたが、それでもまだ書き足りない事があるのでもう少しこの問題で書いてみます。
長くなりますがご容赦を_(__)_

さて、男系維持派の中には「旧宮家の男子が皇族女子と婚姻すればいい」という意見をいう方がいます。
理屈から言えばそうです。確かにそれで男系維持は出来ます。出来ますが しかし…
それを国民の側から求めるべきではないと思うのです。
皇統を担う事になるというだけでも重大です。なのにその上に
生涯の伴侶となる方を選ぶのにその相手を決められるというのは如何なものでしょうか?
しかもそれは婚姻の問題ですから、男女双方の方に求められる事になります。
そのような事を臣たる国民から君たる皇族に求めるのは余りにもおこがまし過ぎなのではないでしょうか?
そのような分を弁えない事を軽々しく口にすべきではないと思います。

過去 遠い傍系からの即位に際し 直系との婚姻がなされる事は確かにありました。
しかし、それは遠い傍系の即位を快く思わない周りの公家等を納得させる為のもので、云わば「補強の理由付け」でしかありません。
直系が重要ならその皇女が即位したはずですし、そもそも
直系の皇女もいなかった武烈帝から継体帝への継承も有り得ないはずです。
しかし 現実は武烈帝から継体帝へと皇位は継承されました。
「直系との婚姻」は必須条件ではないのです。

その他の条件・理由付けもそうです。
「皇族として生まれてなければ」とか「帝王学が…」とか言いますが、これらも必須条件ではない「おまけの理由」です。
宇多天皇は臣籍から皇籍復帰して即位された天皇としてよく引き合いに出されますが、
その子 醍醐天皇は 宇多天皇が臣籍に在った時にお生まれになっています。
つまり皇族として生まれていないのです。
それでも父の皇籍復帰に伴って皇籍となりそのまま皇位につかれています。
帝王学に関しても言うに及ばずでしょう。
遠縁の傍系からの即位では 皆一様に皇位を継ぐことになるなど思いもよらなかったでしょうから。
どれもこれも「おまけの論理」
言ってる人が自分で納得したい理由を述べているに過ぎません。

対して。
「男系かどうか」は 常に「絶対前提条件」でした。
直系が絶えそうになった時は まず皇統男系子孫が探し出され、
その中から 直系との親等とか生まれとか年齢とかが考慮されて相応しい方が選ばれたのです。
「男系である」事が「相応しいかどうか」の判断基準とされた事など一度としてありませんでした。
「皇統男系である」事は「絶対条件」で「皇統以外の者が皇位につく」などは論外だったのです。
そして、これのみが必須条件でした。

以上の様に「皇統男系である」事のみが必須条件で、そしてその他は全てオマケに過ぎない事を正しく理解したならば、
直系との婚姻を求めるなど愚の骨頂でしかない事が分かるはずです。
また旧皇族方が60年皇籍にない事も否定理由にならない事も分かるでしょう

内親王・旧皇族方には 心より望まれる方と結婚して頂き 温かな家庭を築いて頂きたいと思います…


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書き終わって 改めて見帰してみると 随分右掛かった言動ですな 我ながら(汗
いゃ 偏らないよう偏らないよう気をつけてはいるんですが(^^;
しかし… 皇室典範の問題を考えるようになってから 自分の中に
「尊皇」の想いがしっかりと育まれ根付いていた事を自覚し驚愕します。誰に教えられたわけでもないのに…
これが「日本人ということ」なのかもしれません。
自分達が誇りに思える歴史と文化、大切にしていきたいものです…