九州大学同窓生九条の会のブログ

九州大学で学んだ私たち日本と世界のOBはアジアと世界に平和を求める叫びと九条を広めます。
日本で唯一の同窓生九条の会

8月6日(日)14時のザ・スクープスペシャルで鳥越俊太郎さんと対談します。

2006-08-05 02:21:24 | マスメディア
 7月30日の九大同窓生九条の会と六本松九条の会の合同講演会で講演をされた当会の代表世話人の東野利夫医師が8月6日(日)14時のザ・スクープスペシャルで鳥越俊太郎さんと対談します。

撮影は山の上ホテルで7月20日に行われました。
鳥越俊太郎さんは其後六本松の東野産婦人科にも弟さんのやられているフランス屋というパン屋さんにも見えたそうです。
鳥越さんは今日本を代表する良心的ジャーナリストと言えるでしょう。
この番組を少しでも多くの人に見て頂きたいと思います。

視聴の感想文をお寄せ下さい。

東野先生が7・30講演で言われた「過ちを改めないのが過ち」と「殺されても殺さない覚悟」を改めて胸に刻みたいと思います。

以下テレビ朝日 ザースクープスペシャル よりの引用です。

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 連日の空襲で、敗戦の色合いが濃くなった1945年5月。九州大学医学部に目隠しされたアメリカ兵捕虜が運ばれてきた。捕虜は、軍関係者が見守る中、医学部教授らによって、片肺を取り除かれ、その状態で生きることが可能かどうか、調べられた。また代用血液として海水を血管に注入する実験も行われた。こうしたアメリカ兵捕虜への医学実験は、6月までの間に4回行われ、犠牲者は8人に上った。この事実は、戦後、明るみになり、GHQによる横浜軍事裁判によって、当時の関係者らに厳しい判決が下された。

 この現場に居合わせた医師らは、出所後も沈黙を続け、ここ10数年の間で、次々と他界した。その中で唯一の生き証人が福岡市で開業医を勤める東野利夫氏(80)だ。
東野は、このときの心境について、こう説明する。「B29のために、毎日毎日、何千、何万という同胞が死んでいることに対する敵対心がむらむらと起こった。目の前で捕虜が殺されても、かわいそうという感情が起こらなかった」自分の心はなぜうずかなかったのか。医者として、人間として、自分は失格ではないのか。戦後、東野は葛藤に苦しんだという。

 KBCでは、この九州大学生体解剖事件に関する資料をアメリカの公文書館で大量に発見し、長時間かけて検証を行った。その結果、捜査資料や医師らが提出した書類、裁判記録などから、事件の背景が浮かび上がった。なぜ、医師らは海水を血管に流し込んだのか。終戦間際の日本では、負傷した兵士、空襲でけがをした民間人を助けようにも血液が不足し手術が出来なかった。このため国は、代用血液の開発を各大学の医療機関に急がせていたという。日本人を救うためには、捕虜の命を奪っても構わないと誰もが思ったという事実。戦争末期、医師を追い詰めたものは何だったのか。
 番組の狙い 
 悲劇から60年。九州大学で起きた生体解剖事件は、戦後すぐにGHQによって医師や軍人らが裁かれ、5人に死刑判決が下された。遠藤周作の「海と毒薬」によって世に広く知られたが、事件の背景や真相は、語り継がれることはなかった。なぜ、人間を生きたまま解剖するという前代未聞の事件が、福岡で起きたのか。番組では、ザ・スクープのキャスター鳥越俊太郎による東野氏へのインタビューを軸に、当時の捕虜管理責任者、アメリカに住む捕虜遺族、さらにはアメリカ公文書館で発見した貴重な資料を通して、九州大学生体解剖事件の本質に迫る。そして戦争という狂気が生んだ悲劇の真相について考える。

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テレビ朝日 ザースクープスペシャル より

二度とあの悲惨を繰り返さない為に憲法九条を守り抜きましょう。


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