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狼よさらば

2022-02-02 20:48:23 | 日記


👧本日(2月4日)から立春。
今日はあとから寒くなるというけれども

何だろう、この今朝の寒くなさは⁉️
昨日までと全然違う。

これも自然の摂理というものか❔
天は助くる者を助く。

👨今日からオリンピック開幕だな。

ニュース
💀「ペキンオリンピックは
💀世界の強権国家の首脳を集め開催」

凄いニュースタイトルに驚いた‼️
2022年のコピー大賞に燦然と輝く名文だ。

ペキンオリンピック開会式に出席する人々を見れば、 
強い国(ほんとうは弱い国)が白日にさらされる‼️

必ず出席者名簿を読むべきだ。
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
🌕️これからの世界平和のための・・・・🌕️
🌕️非常に重要な参考資料になるだろう。🌕️
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️風穴💨🌕️

👩わたし行く人、わたし行かない人。

👨ママ、それは、
「わたし食べる人、あなた作る人」でしょう。


🇺🇳国連の事務総長は
「オリンピックは平和に向けた祭典だから」
とオリンピックの開会式に向けて
出発したらしい。

👩つまりオリンピックとは、
「開催国が、
平和に向けた
どのような確固とした意見を持っているか」
を『採点』する、良い機会(チャンス)」だ。

👨今回のオリンピック開催国は
ing(現在進行形)で人権問題を進行中。
アメリカの国連大使は、
国連事務総長に「行くな」ととめた。

しかし国連事務総長は、
オリンピック開催国の機嫌を損ねないようにと
開会式に出席する。

👴国連がそのような態度では
もう世界の平和などあり得ない。

👩このままの状況では、
国際社会が待ちに待った
『しんきょう訪問』もゆるゆるで
結果ははじめから失敗だろう。

👨「印、ついにペキンオリンピック外交ボイコットへ」
印も開会式に出席しないと発表した。
良かった‼️
開会式開催時間までに間に合ったね‼️
チベットから亡命し、
インドの大統領と握手され、
インドに亡命されている
ダライ・ラマ14世、良かったですね‼️

選手は細心の注意を払い、
どうぞ無事に帰国してください。
 
👴こうなってしまうわけは、
やはり「衆知が足りないから」だそうだ。
(松下幸之助さん。)

結論は、
「重要事件を
関与者・擁護者・癒着者自身に
調査(派遣)・または質問させても
まったく、なんの意味もない。
問題は解決しないままで、
より悪化する」



👨YouTube検索ワード

・「ウィグル人の悲惨な状況」

・「その國の名を誰も言わない」



👩おはようございます。突然ですが、
私は「レイプ(強姦)」という言葉で
📽️『デス・ウィッシュ(相手または自分の死を望む)』
という、チャールズ・ブロンソン主演の映画を思い出します。

(たまたま自分がチャールズ・ブロンソンのファンで、
レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジのファンで、
ジミー・ペイジがこの一連の作品の何作品目かの映画の
映画音楽を担当したということでこの映画を知った。)


いま私が注目しているのは
この映画の内容の賛否ではなく、

映画の中で「レイプ」されたキャロルさんの様子についてだ。

「身体の傷なら癒せるけれど
心の痛手は癒せはしない」

(👨ママ、それは、ジュリーの
『時の過ぎゆくままに』。)

キャロルさんは、
身体の傷は治癒しても、
自分が「レイプ」されたことと、
自分の母親がチンピラに激しく殴打されて
殺された事件によって感じさせられた
恐怖の中でも最上級の恐怖と、
大切な母を殺されてしまった
二度と取り返しのつかなさが原因で
重度の精神障害を患って
廃人同然になってしまった。

この映像、
母娘がチンピラに出会って
出会い終わるまでの部分の映像を
私は何度飛ばして観たことか‼️
「レイプの映像」と
精神障害を患ったキャロルさんの映像は、
それほど私にとって見ることが耐えられないものだった。
キャロルさんのようになった人は、
男性の影を見ただけでもフラッシュバックが起き、
叫んだり気絶してしまうという。


この映画でレイプされたのはキャロルさんだけれど
どこかの国では、毎晩女性が引きずり出されて
レイプされているという。毎晩。
国際社会に注意指摘されているので
この、人間の尊厳を冒涜する行為が
いまはやまっていることを切に望む。 
しかし今はやめているからといって、
されたご本人とご家族の苦しみは一生続く。

👨キャロルさんを強姦したチンピラも
強権国家の首脳と外相も、
自分が命令してやらせている
間接的強姦・殺人の数々の
取り返しのつかない量と恐ろしさに
気付かず平然と暮らしているところが
もう全く人間の皮を着た悪魔だし、狂人だ。



👧文言(もんごん)を『人権侵害』から『人権状況』に、
『人権侵害をしている』と強く断定することを避けた表現。
そして5W1Hに反し、
『誰々が、』という一番重要な主語を書かない表現。
やっぱり、善くない‼️と思った。

これでは被害報告書にもならない。
犯人は暗闇で見えず、
そのまま逃走したんですか❔


ウィキペディア
洋画
『狼よさらば』(おおかみよさらば、原題:Death Wish)は1974年製作のアメリカ映画。妻子が凶悪犯罪に巻き込まれた男が夜な夜な犯罪者たちを拳銃で処刑していくヴィジランテ・アクション映画。監督はマイケル・ウィナー、脚本をウェンデル・メイズ(英語版)、主演をチャールズ・ブロンソンが務めた。本作の人気を受けて後に『ロサンゼルス』(1982年)、『スーパー・マグナム』(1985年)、『バトルガンM‐16』(1987年)、『狼よさらば 地獄のリベンジャー』(1994年)と続編が製作され、「Death Wishシリーズ」(または「狼よさらばシリーズ」)と呼ばれる。

狼よさらば
Death Wish
監督
マイケル・ウィナー
脚本
ウェンデル・メイズ
原作
ブライアン・ガーフィールド
製作
ハル・ランダース
ボビー・ロバーツ
製作総指揮
ディノ・デ・ラウレンティス
出演者
チャールズ・ブロンソン
ヴィンセント・ガーディニア
音楽
ハービー・ハンコック
撮影
アーサー・J・オニッツ
編集
バーナード・グリブル
製作会社
パラマウント映画
ディノ・デ・ラウレンティス・カンパニー
配給
パラマウント映画
コロンビア ピクチャーズ
公開
1974年7月24日
1974年11月2日
上映時間
93分
製作国
アメリカ合衆国
言語
英語
イタリア語
ドイツ語
製作費
$3,000,000(概算)
興行収入
$22,000,000
次作
ロサンゼルス
テンプレートを表示
ブライアン・ガーフィールドの1972年の同名小説(原題『Death Wish』、日本語題は『狼よさらば Death Wish』)を原作としている。

原作共に原題の「Death Wish」は
「(自分または相手の)死を望む」の意。

公開当時は、本作は明らかに自警主義を肯定し、犯罪者に対する無制限の処罰を推奨していると批判された[2]。原作は自警主義を批判する内容だったのに対し、映画はこれを肯定したとされている。しかしながら、商業的には大成功を収め、犯罪率が上昇していた1970年代のアメリカの世論の共感を得るものであった。

あらすじ
成功した建築家で、模範的な市民である中年男性ポール・カージーは最愛の妻ジョアンナとニューヨーク・マンハッタンに住み、仕事も家庭も順風満帆に過ごしていた。ある日のこと、ポールが不在の自宅にて、ジョアンナと婚家から帰省していた娘キャロルは配達員を装ってマンションに侵入した3人組の不良少年に襲われる。家には7ドルしか無かったことに腹を立てた少年たちはキャロルをレイプし、抵抗するジョアンナを激しく殴打して逃亡した。娘婿のジャックからの連絡で病院に急行したポールであったが、ジョアンナは息を引き取り、

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▼肉体的には無事であったキャロルもまた▼
▼事件のショックで重度の精神障害を患う▼
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意気消沈するポールは妻の葬儀後に警察に捜査状況を聞きに行くが、容疑者特定の目処すら立っておらず、担当刑事は凶悪事件が多発するニューヨークでは警察の手が足りていないと弁明する。

夜、自宅で窓の外を眺めたポールは不良少年らが通りの車の窓を割り騒いでる様子を目撃する。翌日、靴下と小銭で作ったブラックジャックをポケットに忍ばせたポールは夜道を歩いていたところ、自分を襲いに来た強盗を不意打ちで返り討ちにし昏倒させる。帰宅したポールはウィスキーで動揺する精神を落ち着けつつも、奇妙な高揚感を覚えていた。

やがて上司の図らいにより、ポールはアリゾナ州ツーソンへ長期出張に赴く。現地の住宅開発プロジェクトのクライアントで地元の名士であるエイムス・ジェインチルはガンマニアで、かつての西部開拓時代のように自分の家族や財産は自分たちで守るべきだと語り、ポールは感銘を受ける。その後、エイムスに誘われガン・クラブを訪れたポールは見事な射撃の腕前を披露し、彼を驚かせる。ポールは徴兵された朝鮮戦争でも良心的兵役拒否者として衛生部隊に配属されたほどの反戦平和主義者であったが、実は幼少時、猟師であった父親から銃器の扱いの訓練を受けていた。しかし、猟場での事故で父が亡くなると母はポールに2度と銃を使わないと約束させ、それまで武器とは無縁の生活を送っていた。やがて開発交渉は成立し、帰途に就いたポールは空港でエイムスから餞別として包みを手渡された。

マンハッタンに戻ってきたポールであったが、到着早々ジャックから

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▼キャロルの精神障害が悪化し、・・・▼
▼精神病院に入院したことを伝えられる▼
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帰宅したポールは失意のままエイムスからの餞別を開封する
と、中にはニッケルメッキされた32口径の回転式拳銃(Colt Police Positive)と弾薬(.32S&Wロング弾)が入っていた。拳銃を懐に忍ばせ夜道を歩くポールは、自分を襲ってきた拳銃強盗を射殺してしまう。自宅へ逃げ帰ったポールはショックの余り激しく嘔吐するが、やがて彼は夜な夜な街を散策し、裕福で無防備に見える自分に襲い掛かる強盗や暴漢たちを次々に拳銃で処刑していく。それに応じてポールの日常生活もかつてのような明るいものへと戻っていく。

ニューヨーク市警のベテラン刑事フランク・オチョア警部[注釈 1]は、この連続殺人が復讐目的の自警主義的な犯行であるとすぐに気づく。警察は謎の処刑人を糾弾するが、メディアや市民たちは「幻の狩人」と異名し称賛した。やがてオチョアはポールに辿り着き証拠も見つけるが、検察と署長は彼の活動によって街頭犯罪が約半分にまで減っていることや警察への市民感情の悪化を怖れ、ポールの逮捕状請求を棄却し処刑行為を自主的に引退させるよう命令する。憤慨するオチョアは、匿名の電話でポールに犯行がバレていることを伝え、処刑行為を止めるよう警告するが、その程度では彼が収まらないことも予期していた。

ポールは自宅前で張り込むオチョアを出し抜き、3人組の強盗のうち2人をいつものように鮮やかに返り討ちにするも、1人には逃げられてしまう。追走の末に早撃ち勝負を挑もうとするが、失血により失神している間に強盗を取り逃がす。現場に到着したオチョアはポールと彼の拳銃を発見した若いライリー巡査に見たことをすべて忘れるよう命令し、ポールを病院へと移送する。病室でオチョアは敗北感に苛まれながらも彼の罪を見逃し、ニューヨークから去るよう命じる。「幻の狩人」が捕まったかと病院に駆けつけた報道陣にオチョアは、彼は強盗事件の被害者であると説明した。

後日、ポールは転職してニューヨークを離れ、シカゴ・ユニオン駅に到着した。新しい会社の代表者が出迎える中、ポールは駅構内で若い女性に嫌がらせをするチンピラの集団に遭遇する。女性に手をさしのべるポールを挑発するチンピラたちに、ポールは指鉄砲を向けて不気味な笑顔を投げ掛けるのだった。最後の前の前の前

登場人物
ポール・カージー
演 - チャールズ・ブロンソン
大手の土地開発会社に勤める建築家。朝鮮戦争で徴兵されたことがあり医療班の士官だった。父親は猟師でそれが縁で銃に詳しく手馴れてもいる。妻と娘が強盗事件の被害者になり、意気消沈していたが諸事情から持っていた銃で無法者たちを殺害するようになり、メディアからは「幻の狩人」と呼ばれるようになる。遠くにいる人間も撃ち抜くなど射撃能力は高い。
ジョアンナ・カージー
演 - ホープ・ラング
ポールの妻。大きい娘がいる年齢だが年を感じさせない美女。家宅侵入した強盗たちい暴行を受けて殺害される。
フランク・オチョア
演 - ヴィンセント・ガーディニア
警部。
ジャック・トビー
演 - スティーヴン・キーツ
ポールの娘婿。ポールとの仲は悪くなかったが事件のショックを受けたキャロルの容態に関わることで関係がぎくしゃくしてしまう。
サム・クロイツェル
演 - ウィリアム・レッドフィールド
ポールの同僚。
キャロル・トビー
演 - キャスリーン・トーラン
ポールとジョアンナの娘。ショッピングで居合わせた男たちに付け狙われ、家宅侵入した強盗たちに暴行を受けて重体になり心が壊れてしまう。次第に衰弱し、入院してしまう。
エイムス・ジェインチル
演 - スチュアート・マーゴリン
住宅開発プロジェクトのクライアント。名士。少々、オネエが混ざっている。
ハンク
演 - ジャック・ウォレス
警察関係者。
ドライヤー
演 - スティーヴン・エリオット
ポリスコミッショナー。
ブリッグス
演 - エドワード・グローバー
警部補。
ジョウ・チャールズ
演 - エドワード・グローバー
21分署の巡査。
ジョージ・ジョーダン
保安主任。
トーマス
ポールが初めて射殺した男。
キャスト 編集
役名 俳優 日本語吹替
テレビ朝日版
ポール・カージー チャールズ・ブロンソン 大塚周夫
ジョアンナ・カージー ホープ・ラング 中西妙子
フランク・オチョア警部 ヴィンセント・ガーディニア 田中明夫
ジャック・トビー スティーヴン・キーツ 徳丸完
サム・クロイツェル ウィリアム・レッドフィールド 寺島幹夫
キャロル・トビー キャスリーン・トーラン 有馬瑞子
エイムス・ジェインチル スチュアート・マーゴリン 家弓家正
ハンク ジャック・ウォレス 青野武
ポリスコミッショナー スティーヴン・エリオット 藤本譲
常務 クリス・ガンペル 上田敏也
ブリッグス警部補  エドワード・グローバー 緑川稔
強盗 ジェフ・ゴールドブラム 玄田哲章
テレビ朝日版 - 初回放送:1980年6月29日(日) 『日曜洋画劇場』
その他吹き替え:増岡弘、龍田直樹、宮村義人、北村弘一、幹本雄之、加川三起、小林由利、平林尚三、山本敏之
翻訳:飯嶋永昭、演出:小林守夫、調整:前田仁信、効果:遠藤堯雄、桜井俊哉、制作:東北新社
DVDには放送時カットされた箇所を一部別キャストで追加収録したものが収録
上記以外にも端役として、後に有名となる無名時代の俳優たちなどが多く出演している。性格俳優のロバート・ミアノは強盗役として出演している。またジョン・ハーツフェルドは地下鉄でポールが読んでいる新聞を切る強盗を演じた。後にテレビ番組で共演もしたローレンス・ヒルトン・ジェイコブス(英語版)は、終盤のセントラル・パークの強盗として大きな役割を果たした。長らくデンゼル・ワシントンは路地裏の強盗役と出演し、俳優デビューしたとされていたとされていたが、ワシントンは事実ではないと否定している。女優のヘレン・マーティン(英語版)は、強盗に反撃する被害者役として登場している。クリストファー・ゲストは終盤でポールの銃を発見した若い警官役である。捜査会議の場で台詞がある女性警官はオリンピア・デュカキスであった。ソニア・マンザーノ(英語版)は序盤のノンクレジットのレジ係役として登場していた。また、映画序盤でカージー家を襲う3人組の強盗中の奇人はジェフ・ゴールドブラムであり、本作は彼の俳優デビュー作であった。最後から1つ前
製作
ブライアン・ガーフィールドの1972年の同名小説(原題『Death Wish』、日本語題は『狼よさらば Death Wish』)を原作としている。ガーフィールドは自身の経験(妻の財布が盗まれた一件と、車が破壊された一件)をきっかけとして自警主義をテーマとして扱うようになった。当初は、それに責任のある「クソ野郎(the son of a bitch)」を殺すことができるというものであったが、後にこれは原始的な考えで、軽率な発想だとみなした。そして、怒りによってそのような思考に陥り、そこから抜け出すことができない男を主人公とした作品を書くことを決めた[4]。オリジナルの小説は好評を博したが、ベストセラーには至らなかった。ガーフィールドは自分に唯一声を掛けてきた映画プロデューサーのハル・ランダースとボビー・ロバーツ(英語版)に『Death Wish』『Relentless』の映像化権を売却した。彼らは2作品のうち、片方の映画化の脚本を書く機会を与えられ、当初『Relentless』を選んだ。これは『Relentless』の方が映画化するのに単純に簡単だと思われたためであった。

その後、『Death Wish』の映画化のため、ウェンデル・メイズ(英語版)が脚本家として雇われた。彼は原作の基本的な構造と哲学的な対話の多くを脚本に反映した。また、刑事役のフランク・オチョアを主要キャラクターにするのは彼のアイデアだった。初期脚本の草稿は、結末が完成版とは異なっており、その中の1つはガーフィールドのアイデアを踏襲するものであった。主人公は家族を襲った3人の凶悪犯に立ち向かい、返り討ちにあって死んでしまう。オチョアは死んだ主人公の武器を発見し、彼の足跡を継ぐことを考えるあるいは、別脚本では主人公が負傷して病院に運ばれるが、結末は不明のまま終わる。オチョアは武器を見つけるが、それをどうすべきか悩み、その決断もまた曖昧なままである]。

元はシドニー・ルメットが監督し、ポールをジャック・レモンが、オチョアをヘンリー・フォンダが演じる予定であった。しかし、ルメットは『セルピコ』の監督のため、本作から降板し、別の監督を捜す必要が出てきた[4]。その中には、フォンダをポール役にしたかったピーター・メダック(英語版)を含め、何名かの監督が検討されたが、最終的にユナイテッド・アーティスツはマイケル・ウィナーを抜擢した。これは彼の気骨ある暴力的なアクション映画の実績によるものであり、具体的には『メカニック』(1972年)、『スコルピオ』(1973年)、『シンジケート』(1973年)などが評価された。

本作の物議を醸すであろうテーマと主人公役に誰をキャスティングするかの難しさが認識されていたため、他のスタジオからは拒絶されてしまった。ウィナーはチャールズ・ブロンソンを起用しようとしたが、これには2つの問題があった。1つはブロンソンの代理人ポール・コーナーが、この映画は危険なメッセージを伝えると考えていたこと、もう1つは脚本が原作に従って主人公を大人しい会計士としていたことで、これはブロンソンのイメージには合わないことであった[4]。後にブロンソンは「本当にミスキャストだった」と語り、「ダスティン・ホフマンか、弱いタイプの男を演じる人の方が良いテーマだった。その時はそう言ったんだ」と述べている[7]。

予算の制約からプロデューサーのランダースとロバーツは権利を手放さざるを得なくなったため、ユナイテッド・アーティスツはプロジェクトを取り下げてしまった。当初のプロデューサーは、イタリア出身で映画界の巨匠ディノ・デ・ラウレンティスに交代した[5]。ラウレンティスは、チャールズ・ブルーホーン(英語版)を説得し、パラマウント映画に企画を持ち込んだ。パラマウントがアメリカ国内での映画配給権を、コロンビア ピクチャーズがアメリカ国外での配給権を獲得した。ラウレンティスは配給権を前売りすることで300万ドルの予算を調達した。

予算の確保と共に、脚本の修正のため、ジェラルド・ウィルソン(Gerald Wilson)が雇われた。彼の最初の仕事は、ブロンソンに相応しいように主人公の役柄を変えることであり、名前は原作の「ポール・ベンジャミン」から「ポール・カージー」となり、仕事は会計士から建築家となった。また、その経歴は第二次世界大戦の退役軍人から朝鮮戦争の退役軍人に変更された。また、当時、戦闘任務に就かなかった理由も、陸軍の主計から良心的兵役拒否者に変わった。また、メイズの脚本からはいくつかの小さなエピソードが不要とされ削除された。

ウィナー自身もまたいくつか脚本の修正を求めた。小説にも原案脚本にも、主人公と妻の関係を描くシーンはなかった。ウィナーは幸せな関係を描いたプロローグを入れることを決め、本作は序盤にカージー夫妻がハワイで休暇を過ごすシーンが描かれた。また、初期草稿では主人公は西部劇『真昼の決闘』(1952年)の戦闘シーンを見て影響を受ける形であったが、ウィナーはアリゾナ州ツーソンで行われている西部劇の再現での戦闘シーンを含む、より巧妙なシーンに置き換えた。最終的な脚本では主人公はしばしば西部劇のようなセリフを話すようになった。例えば最後の戦闘シーンでは主人公は怯んだ武装強盗に対し、「銃を構えろ(fill your hand)」と自分に挑むように言う(これは西部劇の代名詞であるジョン・ウェインが、1969年の『勇気ある追跡』のクライマックスにて状況及び敵に言い放つセリフと同じである)。また、最後にオチョアが町を出るように言うシーンでは、ポールは「日没までに出なくちゃならないのか?」と尋ねる。その他には地下鉄の駅での殺人はメイズの脚本では画面外で間接的に描写されることになっていたが、ウィナーは直接的な残忍なシーンに変えることにした。

映画の撮影場所をめぐっては些細な対立が起こった。ブロンソンはロサンゼルスのベルエアにいる家族と会えるように、カルフォルニアを拠点としたロケ地を希望していたが、ウィナーはニューヨークを希望し、ラウレンティスはそれを支持した。このため最終的にブロンソンが折れた。本作は1973年から1974年にかけての冬にニューヨークにて撮影された[4]。封切りは7月24日にニューヨークのロウズ・シアターにて行われた。最後
評価
『狼よさらば』は自警主義(ヴィジランティズム)を支持する内容であったため、公開当時から賛否両論があった。しかし、どのような形であれアメリカの観客たちに影響を与え、横行する凶悪犯罪にどう対応すべきかの議論を活発化させた。本作の生々しい暴力表現、特にポール・カージーの娘のレイプシーンや、彼の計画的な殺人シーンは、エクスプロイテーション映画のようであったが、都市部の犯罪率が上昇していた当時のアメリカの雰囲気の中では現実的な描写であるとみなされていた。

多くの批評家たちは、「社会に対する不道徳的な驚異」、「反社会的行動を助長するもの」としてこの映画に不快感を示した。ニューヨーク・タイムズ紙のヴィンセント・キャンビーは最も率直に批判した1人で、2つの大きな記事で本作を批難した。
ロジャー・イーバートは4つ星のうち3つ星を与え、ウィナー監督による演出の「クールな正確さ」を賞賛しつつも、本作のテーマには不同意を示した。ジーン・シスケルは4つ星のうち2つ星を与え、その構成について以下のように書いた。「信憑性に考慮して作られていない。本作の目的は復讐の正当性にもっともらしい理由付けを行い、そしてその不条理に気づく時間がないほど話を次々と進ませている」。ロサンゼルス・タイムズ紙のチャールズ・チャンプリン(英語版)は、「この映画は卑劣である…… 下劣で扇動的な内容であり、野蛮な感情と反理性を惹き付けさせる」と書いた[15]。ワシントン・ポスト紙のゲイリー・アーノルド(Gary Arnold )は、「鬱血するほど短絡的な内容だ。都会でおこる暴力への賢明な洞察はただの1つしかない。ブロンソンが獲物を探して犯罪に満ちたニューヨークの通りを歩くと次々と殺人が起こっていく」と評した。『The Monthly Film Bulletin』誌のクライド・ジーボンズは、「表面的にはバッド・ベティカーの復讐もの西部劇とそうかけ離れたものではない。一方では、言うまでもなくマイケル・ウィナーにはベティカーのような寓話のセンスや、あるいは良き伝説(folk-mythology)を構成する才能に欠け、現実味のある(three-dimensional)悪役を好むということもない」と書いた。

原作者のガーフィールドは原作のテーマとは正反対に自警主義を支持するような本作に不満を持ち、扇動的と呼び、本作及びその続編はすべて無意味で腐っていると述べている。本作の人気を受けて、ガーフィールドはこの1年後に明確に自警主義を否定するテーマの続編『Death Sentence』を書いた。主演のブロンソンは本作を擁護し、本作は暴力について解説し、これを批判することを意図したものであって、暴力をロマンチックに表現したものではないと主張した。


影響
当時53歳で、ヨーロッパやアジアでは『大脱走』の俳優として知られていたブロンソンにとって本作が分水嶺となった。アメリカ映画界のアイコンとして、以後20年以上、絶大な人気を誇った。

同時期の『ダーティー・ハリー』と共にヴィジランテ映画(自警団映画)の嚆矢とされ、以降、司法に失望した主人公が自らの手で悪人に報復する、というこの映画ジャンルが誕生した草分けとなった。
『ザ・シンプソンズ』のエピソード『A Star Is Burns』
『アメリカン・ダッド』のエピソード『The One That Got Away』
2006年の三池崇史の『太陽の傷』は娘を殺された父親が復讐する作品であり、哀川翔が務める主人公の職業はポール・カージーと同じ建築設計士である。
2019年の国連総会においてパキスタン首相のイムラン・カーンはカシミール紛争に関してインドが同地方の自治権を取り上げたことを批判するなかで、本作に言及している。











(👨読ませていただいたブログに
強く同感したものがありました。)

中ごく共産党は、
相手を武力で脅し
実力を行使する。
香港、ウイグル、南シナ海がその例だ。

ソチオリンピック直後、
クリミア侵攻したロシア。
ペキンオリンピックが終わり次第
台湾、次は日本に攻め入るかも知れない。

武力行使しにくい国には、
政治経済文化あらゆる部門に浸透し
賄賂と性的手段を使い
世論を誘導する方法。

アフリカ等発展途上国には、
経済・技術援助をして味方につける。

自国が批判されれば、
強く繰り返し否定するだけでなく、
同じ批判を相手国家に返し、
相手国の弱点を言い、
筋違いの難癖をつけて
相手国の世界の信用度を損なおうとする中ごく。
まだ分別のない幼子のように
大声でわめき散らす。
米国の人種差別や
日本の靖国問題など
中ごくの絶好の標的だ。
約束を守れと相手国に言い、
自国はその時その時で
言っていることに中心が通っていない。
カネの力と武力で
強制的に相手国を従わせ
批判には論理もなく
ただそらぞらしい反論を繰り出すのみ。
その独善的で自分よがりな
荒々しさに
周囲の国々と国民は
ウンザリしている。


国民は人民と呼ばれ、
国名をはじめ、
人民解放軍、
人民銀行、
人民元などに
その名は刻まれている。 
しかし、民の原義は
「眼を潰された隷属民」との通り、
中ごく国民は情報遮断のなかでモノ扱いされている。
中ごく国民統治者に対して敵意はあるが
🌕️敬意や信頼はなく、
🌕️それ故に、
💀支配者は
💀監視と恐怖政治を続け、
💀従う者は全幅の絶対服従を
💀表現し続けなければならない。
💀国民の間には
💀血縁以外の共同意識はない。
💀この統治形態は、
❇️古の周公の仁徳による王道と対比された、
💀利と武を恃む覇道そのものである。


💀金・暴力と血縁だけしか信用できない社会は、
💀がん組織にも似ている。
🌕️正常組織では、
🌕️個々の細胞は 
🌕️分に応じて機能を全うし、
🌕️全体の調和を維持する。
💀がん組織は
💀ただ増殖するだけの細胞から成り立ち、
💀果たすべき役割を無視して
💀周囲に浸潤を続ける。
💀細胞同士も生存を競い合い、
💀時に自壊して滅びる。
💀他民族の侵略を数千年間受けた結果が、
💀この末法の極道社会である。
💀しかし、これこそが
💀その地の人民の世界観に
💀適合する社会なのであろう。
💀つまり、この形態は
💀この先も変わらず続く。 

(👴嗚呼。)