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街場の中ごく論 魯迅『吶喊』『阿Q正伝』

2022-02-18 22:54:40 | 日記
【衆知】
内田さん:「(前略)
愛国主義を突き詰める過程で、
自分の同胞の一部を
「祖国を蝕(むしば)む非国民」
として告発しなければならない。
この退嬰的同胞を告発しなければ、
国を救うことができないというところが
愛国主義の苦しみではないかと思います。

同胞を告発することの苦しみは、
この(人類館)事件のとき、
魯迅によって典型的に経験されました。

(👨これが、ママが2000年頃から
よく話のたとえに出す、
『魯迅スライド事件』。

👴うちの李下の文章力では
うまく皆さんに伝えられなかった。
内田さん、よく書いて教えてくれました❗)

魯迅は人類館事件の前年に日本に留学し、
この事件のあったときにはちょうど
東京の弘文学院に在籍しています。

ですから、留学生たちの抗議運動の
まさに渦中にあったことになります。

(人類館)事件の翌年、
魯迅は仙台医学専門学校に入学して、
医学を修めるために仙台に赴きます。

仙台時代の生活を
魯迅は印象的な「藤野先生」
という短編に記していますが、
この小説は魯迅が医学を棄てて、
文芸の道に進む転機を短く正確に描いています。

その転機は「幻灯事件」と言われるものでした。
魯迅の第二学年のとき、
医学生たちはある時事的な映像を
幻灯(スライド)で見せられます。

日露戦争中でしたので、
映像は日本人がロシア兵を
打ち破っている場面ばかりでした。

魯迅はこう書いています。

「たまたまその中に中ごく人が混じっていたのである。
ロシア人のためにスパイをして
日本軍に捕らえられ、
銃殺されようとしているのだが、

それをとりかこんでいるのも中ごく人の群衆だった。
教室の中にはもう一人、わたしもいるのである。
「万歳!」彼らはいっせいに手をたたいて歓声をあげた。

この歓声は、(スライドを)一枚みるごとにいつもあがったが、
わたしにとっては、その声は
とくに耳を刺すようにきこえた。

その後、(わたし魯迅が、)
中ごくに帰ってきてからも、
私は銃殺される罪人を 
のどかに見物している人たちをみたが、
彼らもまだどうしてか 
酒に酔ったように喝采するのである。」

⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
同胞を襲ったむごい運命を
ぼんやりと傍観して、
「酒に酔ったように喝采する」
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
この当事者意識の希薄さのうちに
魯迅は清末中ごく人の精神的退廃の
徴をみたのでした。
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
そして、この「酒に酔ったように喝采する」同胞を見たときに、
「私の考えはかわってしまったのだ」
と魯迅は書いています。

(どのように考えが変わってしまったのかというと、)
それは医学を棄てて、
文芸を職業とすると、いうことです。

🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
医学では中ごく人の肉体の病は治せる
けれど、それ以上に深く病んでいる
心の病は癒せない。  
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
「わたしたちが先ずやらなければならないことは、
彼らの精神を改造することである。

そして精神の改造に役立つものとしては、
私はそのとき当然、文芸をあげるべきだったと思った」(『吶喊(とっかん)』)と、
そのときの「回心」の理由を魯迅は後年説明しています。

この文章を書いているとき、
魯迅の脳裏では
「幻灯」で見せられた、同胞の銃殺を
「酒に酔ったように喝采する」中ごく人たちの姿と、
台湾の同胞が「展示」されている内国勧業博覧会を
「のどかに見物している 」清国からの観光客たちと、
抗議もせずにぼんやりときょうしゅ傍観していた、
清国の外交官たちの姿がかさなっていたのではないかと思います。

⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
この同国人たちの知的退廃に⚠️⚠️⚠️
近代的な科学技術を単に接ぎ木しても、
それでも祖国を救うことにはならない。
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
同胞の不幸を見物するような 
退嬰的な精神的な構えそのものを
問題にしてゆかなければならない。
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
おそらくそのような覚悟が、
魯迅に「阿Q正伝」を書かせることになったのだろうと僕は思います。
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
阿Qは同胞が銃殺されるのを見て、
「酒に酔ったように喝采する」、
⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️⚠️
中ごく人の退嬰性を人格化しています。
 
けれども、これをもし政治的文脈に落とし込んでしまったら、
それは「阿Q的なもの=前近代的心性を自己批判せよ」
というシンプルで空疎なスローガンにしかなりません。
でも、魯迅はそうしなかった。

そうしたくはなかった。
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
そこが魯迅の偉大なところだと思います。 

魯迅は阿Qを「厚みのある」人間として描いています。
阿Qのような中ごく人が生まれてくるのには長い歴史がある。
鍾乳洞の鍾乳石が長い時間をかけて形成されるように、
中ごくの歴史が絞り出すようにして生み出した人物類型である。
阿Qが平然と、恬淡と、阿Qでいられるのは、
自分の中には中ごくの本然のものが脈々と流れており、
自分こそ中ごくの正系を継ぐものであるという確信があるからです。

阿Qはつねに得意です。 
侮辱され、罵倒され、打擲された後にも、
そのようなときこそ
むしろ一層よい気分になります。

「これはあるいは、
中ごくの精神文明が世界に冠たることの、 
一つの証拠であるかもしれない」
と魯迅は皮肉な筆致で書いています。

魯迅が理解していたのは、
阿Q的なもの、
すなわち中ごく人の身体の深層に血肉化し、
骨にからみついているような退嬰性は
科学や政治の用語では適切には記述することができないし、
記述すべきではないということです。

そのような文体からは
「阿Qを殺せ」という
「阿Q正伝」の末尾で阿Qを殺したのは、
彼が殺されるべきだと思ったからではありません。
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
阿Qが殺されるべきことに
現に無意識のうちに同意しており、
その、死刑の風景を
「酒に酔ったように」
今読みつつある中ごく人の、
読者に向かって、
「阿Qはあなた自身ではないのか?」
と問うためです。❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
❇️❇️❇️❇️❇️❇️
中ごく人がめざすべきなのは、
阿Qを「非国民」として切り捨てることではなく、
阿Qのような人間❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
(つまりこの小説を読みつつある「あなた」)
をこそフルメンバーとして迎え入れることができるような
寛仁で闊達な「来るべき社会」である。

そのことにならあなたは同意するだろう?

魯迅は中ごく人の読者たはちに
そう問いかけようとしていたのではないか
と僕は思います。❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
❇️❇️❇️❇️❇️❇️❇️
魯迅がその渦中にあった人類館事件から 
学んだことはたくさんあったと思います。

そのひとつは、
 
中ごくの近代化は
「阿Q的な人々」を
前近代的遺制である「患部」として 
外科的に切り捨てることによってではなく、
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️
彼ら自身がおのれの病を自覚し、
自らの手で治癒を決意することによってしか
果たすことができないと考えた
🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️🌕️ 
ことだと僕は思っています。

(中略)

魯迅が『阿Q正伝』で試みたように、
他者の精神の内側に
身をねじ込むようにして入り込み、
そこから見える歪んだ世界を記述するときにだけ、
おそらく人間は自身をとらえている幻想の檻(おり)から
少しだけ身を逃れさせることができる
のだと僕は思います。」 

書名 『増補版 街場の中ごく論❗』
著者  内田 樹
出版社 ミシマ社
発行日 2011年03月03日
定価  1,600円+税


👩中学3年国語の教科書『故郷』(魯迅)は、
内田さんによる上記のような、
『吶喊』『阿Q正伝』(魯迅)についての
記述の添付が必要だと思う。

👧解説がなければ、
『故郷』を読んだだけでは
日本の中学3年生には
魯迅の『故郷』に対する気持ちはわからない。


『故郷』『吶喊』『阿Q正伝』に付いた
内田さんの添付解説を一番に読む権利があるのは
中ごくの人々だ。
しかし、読むことが
中ごくの強権政治で叶わないとしたら、
次に読むのは自由の国に来ている中ごくの人々だ。


👩郷美、
魯迅は、毛●東に
プロパガンダ(宣伝)として
使われてしまったの。
中ごくの国民は
魯迅の『故郷』『阿Q正伝』
を手に取り読むことは出きるのに
魯迅が本当に伝えたかったことは
いまだに中ごく国民に伝わっていない。

👨事実なんてどうでも良いんだ。
自分の都合の良いときは相手を利用し、

自分の都合が悪いときは
事実をねじ曲げるか、隠蔽するか、
ウソをつけば良いと思っている人々。


👩中ごくは読むものを根本的に間違えている。 
読むものは、毛沢東語録ではなく、
たとえば
国際条約集、
阿Q正伝、
故郷、
日本や世界の偉人伝(毛沢東やスターリン、
ヒトラーは偉人ではないから。)、
08憲章、
吶喊
などだと思う。

中ごく国民は
これらの書籍が読める体制になれば
読んでくれるかもしれないが、
問題は中ごくのトップたちだ。
読んでもらう方法がない。

これらの優れた書籍・文章は、いまだに
彼らにとって焚書(焼いて灰にしてしまいたいほどにハイレベルな禁書)なのだろうか❔

👨だから、ママ、
読むことは出きるんだけど、
プロパガンダ情報戦で
真実をねじ曲げて 
国民に伝えることができるんだよ。

👩毛●東に、
自分が真に
中ごく国民に伝えたいことを
ねじまげられた魯迅本人は、
ねじまげられたことを
知っていたのかしら❔

👧知っていたと思う。
魯迅はいつも中ごく政府に命を狙われて
逃げ続けていたから。
知っていても
相手が強権だもの。
相田みつを。

👴国を思う、
魯迅のような立派な人を、
劉暁波のような
中ごく人のための『08憲章』を考えてくれた人を
追い詰めていく国家とは、
やはり『ならず者国家』と
呼ばれても仕方ない。

最近は中ごくに輪をかけたような
とびきり恐ろしい強権体制の
ロシアが台頭している。

👧中ごくの国民のように政府から
『夜と霧』
『ヴァイツゼッカー大統領
ドイツ終戦40周年記念演説全文』
とかも何にも知らされていない、
(既知だったらごめんなさい。)
または、
『仮想世界』で暮らしている方々、
『夜と霧』などをたとえ知っていても
政府によってねじ曲げて
理解させられてしまっている方々、

ロシアの国民のように
中ごくよりもっと恐ろしい強権体制のなかで
暮らしている方々、

そういう方々は、
どうにかしてイギリスBBC放送などと
連絡を取り、
自分の国の状況をどうぞ伝えてください。

と思う。

過去に目を閉ざす者は……

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