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英紙と産経新聞

2021-08-20 17:25:39 | 日記

 

 

COURRiER JAPON

アフガン女性が英紙に寄稿「見渡せば女性たちの怯えた顔と、それを面白がる男たちの醜い顔ばかりだ』の記事より。(ブルカ burka とは、イスラム圏で使われる女性用のベールのひとつ。)

 

 

日曜日の早朝、授業のために大学へ向かっていると、女子寮から女性たちが駆け出してきた。何があったのか尋ねると、タリバンがカブールに到着したので警察が避難するよう言っている、ブルカを着ていない女性は殴られるのだと言う。

 

私たちは家に帰りたかったが、公共交通機関は使えなかった。女性を乗せたことの責任を負いたくないからと、ドライバーたちが乗せてくれないからだ。寮で生活していた女性たちからすれば、さらに悲惨だ。彼女たちはカブール外の土地から来ていたので、どこへ向かえばいいのかもわからず、怖がり、混乱していた。

 

一方で周囲に立っていた男たちは、少女や女性たちをバカにしてその恐怖を笑っていた。「ブルカを着てこいよ」とある男は言った。またある男は「お前たちが路上に出るのは今日が最後だ」と言い、さらに「1日でお前らの4人を娶(めと)ってやる」と言う男もいた。

 

官公庁が閉鎖されたため、姉は家に帰るべく町中を何キロも走った。「民衆やコミュニティに貢献するために4年間使ってきたパソコンを、痛みを感じながらシャットダウンしてきた」と彼女は言った。「泣きそうになりながらデスクを離れて、同僚たちには別れを告げてきたの。仕事ができる最後の日だとわかっているから」

 

私はアフガニスタンで最も優れた2つの大学から、ダブルディグリーをほとんど取得しかけていた。11月にはアフガニスタン・アメリカン大学とカブール大学を卒業するはずだったが、今朝、これまでのすべてが走馬灯のように頭をよぎった。

 

私は今の私になるために昼夜を問わず努力してきた。だが今朝家にたどり着いたとき、私と姉妹たちが最初にしたことは、IDや卒業証書、修了証明書を隠すことだった。あまりにも辛い。誇るべきものを、なぜ隠さなければならないのか。今この国では、自分が自分であることが許されない。

 

ひとりの女性として、私は男性たちが始めたこの政争の犠牲者であるように感じている。大きな声で笑うことも、好きな曲を聞くことも、お気に入りのカフェで友達と会うことも、大好きな黄色いドレスを着ることも、そしてピンクの口紅を引くこともできなくなったような気がするのだ。仕事へ行くこと、何年もかけてきた大学の学位を取ることももう、かなわない。

 

私はネイルを塗ることが大好きだ。今日家に帰る道すがら、よくマニキュアをしに行っていたサロンを見た。店の前に飾られていた美しい女性の絵は、一晩にして白く塗りつぶされていた。

 

周りを見渡せば女性たちの恐怖に怯えた顔と、女性を憎み、そして女性が教育を受け、働き、自由を得ることを否定する男たちの醜い顔ばかりが目に入る。私が何よりショックを受けたのは、楽しそうに女性をバカにしている者たちの姿だ。彼らは私たちの側ではなくタリバンの側に立ち、その力をさらに強大化させている。

 

アフガニスタンの女性たちは、わずかな自由のために多くを犠牲にしている。孤児だった私はただ教育を受けるために絨毯を織った。いくつもの経済的な問題に直面したが、それでも私には、将来したいことがたくさんあったのだ。こんな結末になるなんて、思ってもいなかった。

 

こうなった今、24年間の人生で成し遂げたことをすべて燃やさなければならないようだ。IDカードやアフガニスタン・アメリカン大学で得た表彰状を持つことはリスクを伴うし、持っておいても、使うことはできない。アフガニスタンには私たちの仕事などない。

 

地方が次々と陥落していったとき、私は少女時代の美しい夢を思い返していた。そして母が話してくれたタリバンが支配していた時代の話、当時の女性に対する扱いを思い出し、私と姉妹たちは眠れない夜を過ごしたものだ。

 

まさかまた基本的な権利をすべて奪われ、20年前に戻ってしまうなんて思ってもみなかった。権利と自由のために戦ってきた20年の後に、ブルカを探して自分のアイデンティティを隠すことになるなんて。

 

タリバンが地方を支配するようになったこの数ヵ月間で、何百人もの人々が娘や妻を守るために家を出てカブールにやってきた。彼らは公園の中や野外で生活している。私はアフガニスタン・アメリカン大学の学生グループの一員として、お金や食料品、生活必需品などの寄付を集めては彼らに配り、助けようとしてきた。

 

彼らの話を聞いたとき、私は涙が止まらなかった。ある家族は戦争で息子を失い、カブールまでのタクシー代を払うお金がなかったため、交通費と引き換えに息子の妻を差し出したのだという。ひとりの女性の価値が、旅費と同等になどなろうか。

 

そして今日、タリバンがカブールに到達したと聞き、私は奴隷になるのだと思った。彼らは私の人生を好きなように弄ぶことができる。

 

私は英語教育センターで教師として働いていた。もうクラスの前に立ってABCの歌を教えることができないと思うと、耐えられない。

 

あの幼く可愛い女子生徒たちは教育を諦め、家にいることになるのだと思うたび、涙がこぼれ落ちてゆく。

 

以上。

 

 

 

産経抄  2021.8.

女性は教育も就労も認められず、公共の場では全身を覆う衣服「ブルカ」の着用が義務づけられる。イスラム原理主義勢力タリバンの統治下だったかつてのアフガニスタンで、女性の人権が抑圧されていたのは周知の通り⏩ただ政権内部ではそれに抗(あらが)う動きもあった。2003年3月8日の「国際女性の日」、首都カブールで女性の権利を礼賛する式典を開催して世界を驚かせた。会場を埋めた数百人の女性は誰一人ブルカを着けていなかった。⏩国際社会からの孤立を何とか避けようとする穏健派のがんばりだたった。もっとも、かえって強硬派を刺激して勢いづかせてしまう。これに乗じたのが、国際テロ組織「アルカイーダ」とその指導者ウサマ・ビンラーディンである。⏩1年後に起きたバーミヤンの巨大石仏の破壊を主導し、米中枢同時テロに突き進んでいく。本来は「賓客」に過ぎない彼らが、いかにタリバンを乗っ取ったのか。丹念に追ったのが、大宅賞を受賞した高木徹さんのノンフィクション『大仏破壊』である。⏩テレビのニュース番組で、(👴ターバンと服装を小綺麗に整えた笑顔の)タリバンの幹部が女性キャスターの質問に答えている。あらゆる娯楽を禁じていたはずのタリバンの戦闘員が、遊園地で(👨関係者の子どもたちと)はしゃぐ映像も公開された。(👩イメージが大事だから恐ろしいイメージを払拭せよと中●に教えてもらったのだろうよ、不気味だ。)

英米両国の空爆により政権が崩壊してから20年(👴アフガニスタン戦争)、再び権力を奪取したタリバンは、旧政権とは違うソフト路線を強調している。(👩あれだけ人を殺戮しておいて今頃何が「ソフト路線」だ。頭隠して尻隠さず。信じない。)⏩ただ最近でも、降伏した政府軍兵士を処刑したり、占領地域の住民女性に戦闘員との結婚を強要したり、(👩強制収容所に送られたウイグル人夫の不在を狙い、漢民族にウイグル人女性と同じベッドに寝させるのと同じだ。無でやなやつ。)

占領地域の住民女性に戦闘員との結婚を強要したりと蛮行が報告されている。(👨そんなタリバンがそう簡単に)「変身」はにわかに信じられない。

何より危惧されるのが、💀テロ組織とのつながりである。ビンラーディンの殺害後も生き残るアルカイーダは「絶好の機会(チャンス)だととらえているはずだ。