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📖『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』芝 健介 著 (中公新書 1943)

2021-08-05 20:24:33 | 日記

 

👴おはようございます。連日連夜、うだるような暑さが続いておりますが……

👶おじいちゃんの体調が心配です。おじいちゃんはもうコロナの予防接種は済んだよね❔

👴源くん、ありがとう。ああ、コロナの予防接種はおじいちゃんは2回とも済んだよ。1回目の二日目は注射を打った腕が腫れて痛く、身体がものすごくだるかった。2回目の注射は、飛び上がるほど痛かった❗

👧そんなに脅かしたら、みんなが心配しちゃうじゃない。

👴おお、そうだね、ごめんなさい。

👩新疆ウイグル自治区のウイグル人の皆さんはきちんとコロナの予防接種を受けられたのかな❔心配しています。新疆ウイグル自治区という場所は、寒いのかな❔暑いのかな❔

👧YouTubeで見るとウイグル自治区では屋台で「🍉スイカ」を売っていたよ。あと、肉饅頭みたいな食べ物。ウイグル(東トルキスタン)は「🍖シシケバブー」という肉料理が世界的に有名なんだって。地形は広大な山脈があるようだ。

👨中●の新疆ウイグル自治区内の強制収容所に、『民族浄化』の名のもとに中●共産党政府と習氏によって収監されている100万人以上といわれる何の罪もないウイグル人の皆さんは、2017年からずっと今日までまだ助け出されていません。

ウイグル人の皆さんの解放を待ち望んで地団駄を踏んでいる私たち家族であります。今朝は📖『ホロコースト』という書籍を1冊ご紹介します。

👩ヒトラーとナチ・ドイツにより『ガス室送り』になって殺戮された大勢のユダヤ人のかたがた。ドイツが第二次世界大戦に敗戦して、その時までやっとの思いで生き残っていたユダヤ人の皆さんは、シンドラーなどの人々の力を借りてやっと家に戻ることができました。けれども自宅に戻っても、家建物自体が壊されていたり、📖🎥『アンネの日記』のようにユダヤ人でない父だけが生き残り、家族は殺されて欠けていたり……。

疑問はただ1つ。なぜもっと早く助けられなかったのだろう❔

👨戦後、ヒトラーは裁判と罰を受ける前にちゃっかり自殺してしまい、ホロコーストを実行した将校たちは裁判にかけられ今度こそ自分等が死刑になりました。

👧『ウイグル人権弾圧またの名をジェノサイド』をこの2021年のまっただ中に行っている中●共産党政府の人々と習氏、ジェノサイドを手伝った中●人の人々は、いずれ死刑じゃない❔

👩そうだね。

👨それより先に、早くウイグルのかたがたを助けてほしいよ。それが僕たち家族の願いです。

 

 

 

📖『ホロコースト   ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 』

芝    健介    著        中公新書1943

中央公論新社刊

600万人殲滅(ざんめつ)の実態

 

まえがき

ホロコースト(holoc

aust)とは何か-。

現在では、特にナチ・ドイツによるユダヤ人大量殺戮を指す。

第二次世界大戦がはじまった1939年9月からナチ・ドイツが敗北する45年5月までのあいだに、およそ600万人のヨーロッパのユダヤ人が殺害された。一民族が、これほど多く、組織的に殺されたケースは歴史上存在しない。

このホロコーストについて、われわれ日本人はどのようにイメージしているだろうか。

全体主義体制のナチ・ドイツで、反ユダヤ主義である独裁者アードルフ・ヒトラーが、「ドイツのユダヤ人」を皆殺しにしろと命令し、「アウシュヴィッツ」で実行された-。大学に入学したばかりの学生たちの話から類推すると、こういったものでは、ないだろうか。

ホロコーストは、日本に限らずヒトラーという狂気に満ちた独裁者が、ユダヤ人への憎悪から発案し、彼の命令によって実行されたととらえられがちである。だが、事実はそのように単純ではない。

その背景には、まずヨーロッパ社会が伝統的に抱えていた反ユダヤ主義があった。一人の独裁者だけでなく、一般の人びとにもユダヤ人を嫌悪する意識が深く浸透していたのである。ヒトラー率いるナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)は、反ユダヤ主義を巧みに政治に取り込み、政権を獲得している。

だが、ヒトラーもナチ党幹部も、当初よりユダヤ人の大量殺戮を考えていたのだろうか。歴史を繙(ひもと)くと、そこから見えるのは、ユダヤ人政策-ドイツでの第二帝制以来の言葉を借りれば、「ユダヤ人問題の『最終(的)解決』の迷走である。

1933年にヒトラーが政権を獲得してはじまったユダヤ人弾圧政策は、当初、ドイツからユダヤ人を「追放」することであった。当時、ドイツ国内のユダヤ人は約56万人である。ナチ党はユダヤ人をゲルマン民族に毒害を振りまく劣った民族と規定し、さまざまなユダヤ人への差別規定を設け、パレスティナのユダヤ人機関とも協定を結び、ドイツからの追放を画策した。のちには、アフリカのマダガスカル島への移送をも真剣に検討した。

しかし、それには限界があった。1938年3月🇨🇿チェコ、そして10月に🇵🇱ポーランドの西半分を支配地に組み込んだことで、さらに多くのユダヤ人を抱えこむことになったからである。このポーランド支配地には200万人以上のユダヤ人が居住していた。ナチスはドイツ人に土地を与えるため、ユダヤ人を「ゲットー」という指定された居住区に集住させていく。このゲットーでは、劣悪な待遇から多くのユダヤ人が飢えや病で倒れることになる。

だが、この時点でもナチスはゲットーに集住させたユダヤ人を、ソ連への侵攻後、「東方」の地に追放しようと考えていた。

しかし、ソ連領内にはさらに300万人に及ぶ膨大なユダヤ人が存在したため、ナチスは、行動部隊(アインザツツグルペン)と呼ばれる約3000人の殺人部隊を組織し、1941年6月のソ連侵攻とともに、同領内のユダヤ人の大量射殺を開始する。年末までに彼らが殺害したユダヤ人は少なく見積もっても約50万人にのぼる。

1942年以降、独ソ戦が混迷を深めていくと、今度はユダヤ系ポーランド人の殺戮(さつりく)が日程にのぼってくる。アウシュヴィッツに代表される6つの「絶滅収容所」-ガスを用いた殺害施設を作り、大量殺戮を行うにいたるのである。ユダヤ人問題の「最終解決」は、紆余曲折を辿(たど)りながら、ガス殺というかたちのホロコーストに行き着くのである。

近年のホロコースト研究では、いつヒトラーがホロコーストの最終決定を出したのか、あるいはそもそもヒトラーはそういった役割を果たしたのか絶えず議論されている。本書は、そういった問題を意識しながらも、一般読者に向け、ナチ・ドイツのユダヤ人政策がホロコーストに行き着く過程の全体像を描くことを目的とする。序章では反ユダヤ主義の背景を説明し、第Ⅰ(1)~Ⅵ(6)章で本書の中心テーマを描く。また終章では、ホロコーストが、戦後どのように認識され、研究されているのかについて言及する。

ホロコーストが、世界的に広く知られるようになったのは、1978年にテレビドラマ『ホロコースト-戦争と家族』が、アメリカNBCで放映されてからである。日本でも同年秋に、翌年にはドイツでも放映され大きな反響を呼んだ。しかし、日本でより広く一般に知られるようになったのはさらに遅く、『シンドラーのリスト』などの映画を通した1990年代以降ではないだろうか。それでもなお、狂気に満ちた独裁者ヒトラーが、ユダヤ人の大量殺戮を命令し、アウシュヴィッツで実行されたといった認識が少なくない。

本書を注意して読んでいただければ、先に述べたようなホロコーストにいたるので複雑なプロセス、ドイツのユダヤ人だけではなく、ヨーロッパ地域のユダヤ人のほとんどが巻き込まれた事実、さらに強制収容所や絶滅収容所が多種存在し、アウシュヴィッツだけではない惨劇が数多くあったことをご理解いただけると思う。

※なお、ドイツ語固有名詞の表記は、原音にちがいないかたちを採用した。

(👨以上が📖『ホロコースト』(芝 研介 著)の まえがきでした。)

 

あとがき

ホロコーストの犠牲者は600万人を超えるが、そのなかには100万人を超える子どもたちが含まれている。以前、『星をつけた子供たち』(デボラ・ドワーク 著)の翻訳を監修したとき、胸を衝(つ)かれたのは、ホロコーストをかろうじて逃れ、生き残ったこどもたちの証言である。

(👧新疆ウイグル自治区で人権弾圧されているウイグル人の子どもたちは、幼稚園児たちは、親が強制収容所に収監されてしまっているので、夕方になっても迎えにくる親はいない。子どもたちは養護施設に入れられ中●共産党の教育をされる。

👩そんな子どもたちが将来、警察や軍隊でまた教育されるのだろう。

👨特に学問的に優秀な子どもは最高学府に行かせて、世界の先端企業に派遣するのだろう。

👴困った。非常に困った😞💦わしが思うに『中●共産党に教育された人間AI 』に育てて戦争の兵隊の代わりに使うのだろう。

👨『スーツを着た兵隊』。)

 

 

 

(あとがきの続き)

両親とともに戦争が終わるまで潜伏した15歳の少女、労働収容所で死の「選別」を免れた14歳の少年、ゲットーでの飢餓や栄養失調による衰弱死をかろうじて逃れた13歳の少年、そして、ユダヤ教徒であることを隠し、キリスト教徒の家に預けられて助かった11歳の少女……。極限状況を生き抜いた彼らの証言は、殺されていった子どもたちの声である。

なかでも8歳でキリスト教徒に預けられたヤナ・レヴィの言葉は心に残る。

自分の本名が何であったのか、もう覚えていませんでした(中略)忘れることが必要だったので、本当に忘れてしまったのです。 両親がいまの私の名前を知らなかったら、私を見つけ出せないことはわかっていました。他の人になりきってしまったら、その下に潜んでいたはずの私のことは誰一人わからないのです。

自らのアイデンティティを消し去ってはじめて、生きることが許される。ナチ体制下のユダヤ人は、子どもでさえ、筆舌に尽くせない苛酷な状況にあった。

ホロコーストは、1990年代以降、歴史学で大きく取り上げられるようになり、

(👩そしてまた、2021年のいま、『ウイグル人権弾圧』をやめてもらうため、ボブ・ディランの🎵『風に吹かれて』を再び歌わねばならなくなりました。)

 

 

📖『ホロコースト』芝    健介 著   中公新書1943

第Ⅳ(4)章

ソ連侵攻と行動部隊(アインザツツグルツペン)-大量射殺

大量虐殺を孕(はら)んだソ連侵攻

(P.109)   「保安警察の特別行動隊(アインザツツグルツペン)が自己の責任において行動する」ことがヴァーグナーとハイドリヒのあいだで確認された。国防軍は補給はするが、住民への執行措置に特別行動隊を投入する命令は、ハイドリヒが発令することとし、1ヵ月後にブラウヒッチュ陸軍総司令官とのあいだに正式協定を行った。

ポーランド侵攻と異なり、国防軍の承認だけではなく協定を組んだことによって、ソ連地域では、親衛隊が住民に対して、より厳しい対応をとれるようになったのである。つまりは、ゲスターボ(秘密国家警察)、親衛隊保安部を軸とした移動殺人部隊である行動部隊をはじめ親衛隊諸部隊の広範囲の行動が可能となったのである。(中略)

(P.110)ソ連民間人のドイツ軍に対する犯罪行為は、軍法会議ではなく直接被害に遭った部隊が報復してよいとされた。だがその一方で、ドイツ軍兵士のソ連住民に対する犯罪行為は、ドイツ軍部隊の風紀・治安保持上どうしても必要とされる場合のみ軍法会議で扱うとしている。(中略)

開戦後のソ連兵士捕虜から共産党委員を見つけ次第ただたちに殺害せよという、いわゆる「コミッサール命令」が国防軍統合指令部から発せられた。

こうした戦時法規を無視した犯罪的秘密指令は、従来の研究では3月以降にヒトラー一人の判断で行われてきたとされてきたが、実は国防軍も決定について積極的にコミットしていたのである。(中略)

(P.114)戦時法規を無視したソ連侵攻を計画していたドイツ軍は、殲滅戦を推進していった。(中略)

また、特にユダヤ人に対しては苛酷であり、1941年末までに成人男子のみならず女性や子どもを含め50万~80万のユダヤ人を殺害した。1日平均2500~4000名を超える計算である。

そして、その先頭に立ったのが、行動部隊(アインザツツグルツペン)である。(中略)

ナチ・ドイツ敗北後に開かれたニュルンベルグ国際軍事裁判では、「D」の指揮者オットー・オーレンドルフが検察側の証人として出廷し、はじめて大量虐殺の実態の一端を証言し、行動部隊の存在が知られるようになった。

先述したように行動部隊は、ソ連侵攻以前にもすでにポーランドで指導的人物だった数千名のポーランド人と多数のユダヤ人を射殺していた。

1941年春になると、親衛隊指導部はライプツィヒ近郊プレッチェの警察学校、やはりライプツィヒに近いバート・デューベン、バート・シュミーデベルクにあらためて4つの行動部隊として再編成し、国家保安本部人事局の責任者ブルーノ・シュトレッケンバッハ親衛隊少尉(1902~77)のもと訓練を行った。

行動部隊の指導官クラスには国家保安部出身で30~40代、大学卒(さらには博士号持ち)のエリートが任命され、大学教授も含まれていた。A~D4つの行動部隊は6月始めにはデューベンに集められ、指揮者たちには6月17日ベルリンでハイドリヒから、口頭で共産党の活動家の一掃、ソ連地域のユダヤ人の殲滅、その他人種的マイノリティの一掃が命じられていたのだった。

 

武装親衛隊による虐殺

一方で、親衛隊の武装部隊も巨大化し、虐殺にあたっていた。当初、強制収容所の監視などを行っていた親衛隊の武装部隊は、ポーランド戦終了後に5万名を超える武装親衛隊(Waffen-SS   ヴァッフェン・エス・エス)として、本格的な部隊に膨張していた。(中略)

(👴このようにナチ・ドイツの📖『ホロコースト』を読み進んでいくと、その『ホロコースト』をいちばん身近に経験した国として、今、ドイツのアンゲラ・メルケル首相とドイツ国民が、いちばん中●共産党と習氏のしている『ウイグル・ジェノサイド』に反対すべきではないだろうか❔いくら現在は中●と輸出入の関係が良好であり、最近大規模な水害も経験されてさぞかし苦しい立場ではあるだろうが、やはりドイツに一番先に、中●のしている残虐な行為に断固として厳しく反対してもらいたい。そうでなくては何のためにドイツはナチ・ドイツ軍による『ホロコースト』を経験したのか❔反省の意味が無いではないか❗

👨核を投下された辛く苦しい経験があるのに、毎年8月6日と8月9日は未来永劫やって来るのに、核の保有に反対しない日本政府と似ている。

広島市    1945年8月6日 午前8時15分 原子爆弾投下。

長崎市    1945年8月9日 午前11時02分 原子爆弾投下。

👩原爆を投下された国民だからこそ言えることがあるだろうと思う。

👴日本政府はアメリカの傘下だからなかなか言えんのじゃ。

👶大人はぼくたちにもっと本当のことを教えてよ❗そうしたらぼくたちがきちんと言うからね❗

👴各国の教科書は、自分の国の都合の良いように、メンツを保てるように書くものじゃ。

👶そんなんじゃ、ダメじゃん❗ぼく、歴史、大好きなのに❗)

 

 

 

(P.121)ある虐殺風景

(中略)

午前5時、二個中隊が町に侵入した。だが兵士たちはパルチザンの駆り出しは行わず、家々からユダヤ人を引きずり出した。大隊指揮官は、総統の思し召し(おぼしめし)で健康回復を図るべく病人と弱者を選び出していると呼びかけたが、老人、子ども、患者だけでなく、「労働可能」なユダヤ人成人男女8000名が集められた。その後、町から郊外まで連れ出され、ウクライナ人によって掘られた長さ25メートル、幅4メートルの巨大な穴の縁に次々に立たされ銃殺されていった。

(👨こんちくしょう‼️彼らが何を悪いことしたってんだ💢‼️

👩パパ❗

👴知れば知るほど腹が立つ‼️

👧みんなおかあさんに似てきちゃったよ❗

それにしても📖『ホロコースト』の本の117ページの写真は悲しくてひどい。

👶おかあさんはこのページを開いて毎晩泣いていたよ。するとぼくも悲しくなっちゃうんだ。この、今にも撃たれそうなおじさんが、ぼくのパパやおじいちゃんだったらどうしようと考えると胸がえぐられるように急に締め付けられ痛くなる‼️ぼく、ひとりぼっちになったら、どうすればいいの⁉️こわいよ~‼️うぇ~ん🌊🌊

👧髪の毛は黒いし、顔立ちは似ている。日本人だということを隠して生きるんだ。

👶えっ❔どういうこと❔)

 

 

(P.117 写真) 行動部隊による殺戮    おそらく行動部隊Dによる.ウクライナのヴィンニッツァ,1942年。

(👨掘られた大きな穴のなかには撃たれた人たちがのけぞったり、あお向けになったり、うつ向いたりしてむざんに落とされている。写真中央には黒いコートを右手 膝の上に持った、背広と白いシャツを着た、少し伸びた髪を二対八に分けた、目鼻立ちの整った、きっと立てば長身そうな40代くらいの男性が、穴の縁に座らされて、カメラで彼を撮(写)しているカメラマンのほうをギョロリとした目で突き刺すように見ている。彼は今にも彼の斜め上、後方に立つ軍服を着た兵士に後頭部を小型の拳銃で撃たれようとしている。兵隊はカメラマンのためにほんの数秒動きを停めたあと、きっとすぐにこのおじさんの頭を撃ち抜いて、おじさんは穴のなかに落ちていったのだろうと写真からは推察される。

👩いま、『ウイグル人権弾圧』も、ナチ・ドイツの『ジェノサイド』に匹敵すると欧米諸国が伝えているから、『ウイグル人権弾圧』の様子もきっと、この写真に匹敵するほど残虐なのだろう。)

 

 

(続き)

巨大な穴の縁に次々と立たされ銃殺されていった。

1名に2名の兵士が付き1名は後頭部を1名は心臓を狙って撃ち、子どもは母親の肩に乗せ母親ともども3名の兵士が撃ち、射殺は繰り返された。

(👩ふざけんじゃねぇ‼️

👨ママ‼️

👩パパだってさっき言ったじゃない‼️

👴まあまあ。

👩何がまあまあよ❗お父さんっ💢‼️

👶うぇ~ん🌊🌊

👧先読みして穴、掘っとくな‼️鬼‼️)

 

 

実は射殺の兵員選定にあたって、殺害に耐えられない者は遠慮なく申し出るようにという指示があり、10名から15名が他の任務に回してほしいと申し出たという。この間ユダヤ人は靴も下着も脱がされ、それらはウクライナ人に配られていた。

そのうちに国防軍将校が現場に現れ、差し迫って必要なユダヤ人職人まで殺害することの無意味さを指揮官に強調し、4時間後に射殺は中止される。だが、この日は少なく見積っても2000名が犠牲になった。さらにオストログのユダヤ人は、9月1日に普通警察の部隊によって2500名が虐殺されることになる。

(👴本来市民を守るための警察が、何を、罪もない人たちを殺害しているのだ‼️なぜ、そうなってしまうのか⁉️)

 

 

 

 

 

 

📖『ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 』

芝 健介 著 (中公新書1943)

 

レビュー一覧

 

①ホロコーストの全体像を描き出した一冊。

「いずれにせよ本書を通して、ホロコーストというユダヤ人大量殺戮について、狂気に満ちた独裁者ヒトラーがアウシュヴィッツで行うよう命令し、実行されたといった直線的なものでは決してないことを理解して欲しい」(あとがき、P267)

 

ドイツ国内、ヨーロッパにあった反ユダヤ主義の雰囲気。

ユダヤ人位相→隔離→殺害と進んでいった様子が明らかにされている。強制収容所、基幹と支所、労働収容所、そして絶滅収容所へ。

ゲットーにおける様相の違いなど。

また、ユダヤ人のみならず捕虜・障害者・政治犯など様々な人々が非人間的な扱いを受けた。

「ゲットー」(Ghetto)ユダヤ人強制居住区 約400箇所

起源は中世ヴェネツィア。隔離・移動制限はあるものの、安全だった。

ワルシャワ・ゲットー、ウーチ・ゲットーなど。

ハイム・ルムコフスキ(ウーチ・ゲットーのユダヤ人評議会議長)

対ソ戦での苦戦→東への移送は無理となった。

ゲットーも受け入れられない状況。

ヘウムノ絶滅収容所1491.12ガス殺の始まり

(独:クルムホーフ)

「ラインハルト作戦」「ヴァンゼー会議」

「強制収容所」は1933年ナチ党政権獲得後に作られた。

 

 

②占領地拡大に伴い爆発的に増加するユダヤ人について、移送、ゲットー囲込み、労働での斃殺、行動部隊による処刑、更に絶滅収容所での虐殺へと変遷する「最終解決」政策史を概観。ベーレンバウムとの併読が望ましい。

 

 

③ヒトラー政権によるユダヤ人政策の推移を解説する。

紆余曲折が順を追って解説される他、

ゲットーの仕組みや生活ぶりが興味深かった。

終章であるホロコーストと歴史学では

ホロコーストをどのように捉えるべきか

研究された成果を紹介しており、

より深く学んでみたいと思わされる。

 

 

④ヒトラーが大量のユダヤ人をアウシュヴィッツで殺した、といった単純な理解を超えて、「ホロコーストの全体像を描くことを目的に、ナチ体制という加害者側から見た虐殺にいたる過程と殺戮の様相を記し」(p.265)たもので、反ユダヤ主義の背景から、ユダヤ人問題の「解決方法」が、追放→ゲットー→ソ連のユダヤ人の大量射殺→大量殺戮となっていくいきさつ、過程を詳しく解説している。ゲッベルス、ゲーリング、ハイドリヒ、アイヒマンなどナチ政策や虐殺の現場に深く関わった人物の解説もある。

 絶滅収容所と強制収容所というのがあったり、射殺が心理的負担が大きいとか、ホロコーストに対する歴史学の見方とかが印象的だった。特にゲットーに供給された腐ったジャガイモの話はひどい。マイダネク絶滅収容所の親衛隊員の話は最悪だった。また、掲載されている「行動部隊による殺戮」、「現地人による”ポグロム”」などの写真は衝撃だった。ただ、とても詳しいが、どちらかと言うとホロコースト研究の入門書という感じで、おれには難しかった。(13/08/21)

 

 

⑤新書だったので、手に取りました。

 普通の市民の集まりが、こういう大虐殺を起こす。ある意味、今まで読んだ大量殺人の本より、怖い。

 もう少し、この方面の本を読んで行きたいです。

 

 

⑥ホロコーストの全体像を描き出した一冊。

「いずれにせよ本書を通して、ホロコーストというユダヤ人大量殺戮について、狂気に満ちた独裁者ヒトラーがアウシュヴィッツで行うよう命令し、実行されたといった直線的なものでは決してないことを理解して欲しい」(あとがき、P267)

 

ドイツ国内、ヨーロッパにあった反ユダヤ主義の雰囲気。

ユダヤ人位相→隔離→殺害と進んでいった様子が明らかにされている。強制収容所、基幹と支所、労働収容所、そして絶滅収容所へ。

ゲットーにおける様相の違いなど。

また、ユダヤ人のみならず捕虜・障害者・政治犯など様々な人々が非人間的な扱いを受けた。

「ゲットー」(Ghetto)ユダヤ人強制居住区 約400箇所

起源は中世ヴェネツィア。隔離・移動制限はあるものの、安全だった。

ワルシャワ・ゲットー、ウーチ・ゲットーなど。

ハイム・ルムコフスキ(ウーチ・ゲットーのユダヤ人評議会議長)

対ソ戦での苦戦→東への移送は無理となった。

ゲットーも受け入れられない状況。

ヘウムノ絶滅収容所1491.12ガス殺の始まり

(独:クルムホーフ)

「ラインハルト作戦」「ヴァンゼー会議」

「強制収容所」は1933年ナチ党政権獲得後に作られた。

 

 

⑦占領地拡大に伴い爆発的に増加するユダヤ人について、移送、ゲットー囲込み、労働での斃殺、行動部隊による処刑、更に絶滅収容所での虐殺へと変遷する「最終解決」政策史を概観。ベーレンバウムとの併読が望ましい。

 

 

⑧ヒトラー政権によるユダヤ人政策の推移を解説する。

紆余曲折が順を追って解説される他、

ゲットーの仕組みや生活ぶりが興味深かった。

終章であるホロコーストと歴史学では

ホロコーストをどのように捉えるべきか

研究された成果を紹介しており、

より深く学んでみたいと思わされる。

 

 

⑨ヒトラーが大量のユダヤ人をアウシュヴィッツで殺した、といった単純な理解を超えて、「ホロコーストの全体像を描くことを目的に、ナチ体制という加害者側から見た虐殺にいたる過程と殺戮の様相を記し」(p.265)たもので、反ユダヤ主義の背景から、ユダヤ人問題の「解決方法」が、追放→ゲットー→ソ連のユダヤ人の大量射殺→大量殺戮となっていくいきさつ、過程を詳しく解説している。ゲッベルス、ゲーリング、ハイドリヒ、アイヒマンなどナチ政策や虐殺の現場に深く関わった人物の解説もある。

 絶滅収容所と強制収容所というのがあったり、射殺が心理的負担が大きいとか、ホロコーストに対する歴史学の見方とかが印象的だった。特にゲットーに供給された腐ったジャガイモの話はひどい。マイダネク絶滅収容所の親衛隊員の話は最悪だった。また、掲載されている「行動部隊による殺戮」、「現地人による”ポグロム”」などの写真は衝撃だった。ただ、とても詳しいが、どちらかと言うとホロコースト研究の入門書という感じで、おれには難しかった。(13/08/21)

 

 

⑩新書だったので、手に取りました。

 普通の市民の集まりが、こういう大虐殺を起こす。ある意味、今まで読んだ大量殺人の本より、怖い。

 もう少し、この方面の本を読んで行きたいです。

 

 

⑪恐ろしいタイトルですが、現実を見たいという気持ちがあり購入。

 

【現実、と書きましたが世の中には「ホロコーストはでっち上げだ」という説もありますが、そのあたりはそれぞれの考え方ということで。。。

僕は存在したと考えています】

 

おぞましい歴史、本当に信じられないようなことです。

 

 

⑫[ 内容 ]

ヒトラー政権下、ナチ・ドイツによって組織的に行われたユダヤ人大量殺戮=ホロコースト。

「劣等民族」と規定されたユダヤ人は、第二次世界大戦中に六〇〇万人が虐殺される。

だが、ヒトラーもナチ党幹部も、当初から大量殺戮を考えていたわけではなかった。

本書は、ナチスのユダヤ人政策が、戦争の進展によって「追放」からアウシュヴィッツ絶滅収容所に代表される巨大な「殺人工場」に行き着く過程と、その惨劇の実態を描く。

 

[ 目次 ]

序章 反ユダヤ主義の背景―宗教から「人種」へ

第1章 ヒトラー政権と迫害の開始―「追放」の模索

第2章 ポーランド侵攻―追放から隔離へ

第3章 「ゲットー化」政策―集住・隔離の限界

第4章 ソ連侵攻と行動部隊―大量射殺

第5章 「最終解決」の帰結―絶滅収容所への道

第6章 絶滅収容所―ガスによる計画的大量殺戮

終章 ホロコーストと歴史学

 

 

⑬新書版なので、まず手にとって読みやすい一冊です。ホロコーストの歴史全体を知るためにお薦めです。

 

ホロコーストを「知る」ための必読書。ホロコーストたる複雑的で、複数的で、多頭的な秩序化されたカオスが、見事に整理されており、読みやすい。(ボランティアK)

 

⑭ここに書かれている歴史からまだ100年経っていない。同じ人間が同じ人間いたいしてここまで出来るのか、という辛さを感じる。

運動をしたくなる。ビールを飲みたくなる。そんな感じの後味が読後にある。

 

⑮ホロコーストがよくわかる。ホロコーストの経緯が特に。

少し難しめだった。

2008年05月21日読了 。

 

レビュー以上。