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📖『日本の大問題 現在をどう生きるか』養老孟司 / 藻谷浩介 著 (中央公論新社)

2021-07-24 08:12:58 | 日記

 

 

📖『日本の大問題 現在をどう生きるか』

養老孟司 / 藻谷浩介 著

中央公論新社

 

読者レビュー 一覧

 

①『バカの壁』の養老孟司さん、『里山資本主義』の藻谷浩介さんの対談。面白かったです。

 

・自分で学ぶ場を与える、ということが教師の最大の役目ですし、自分で修行する場を作ってあげることが、教育の大きな役割の一つだと僕は思います。学校にとっては、「場」という考え方が大事なのです。

 

・自分で考えろということは、本気でやれということです。人間は、普通はあまり深く考えずに生きています。しかし、切羽詰まれば、自分で考えます。そして、切羽詰まらなくても、自分で考えろ、と言いたい。切羽詰まらないと本気になれないというのでは、たいしたことはできない。

 

・鎌倉時代の道元が、「先生にとって、一番大事な資質は学ぶ姿勢だ」と言っています。「先生」であるための実質的な知識や能力ではなく、学ぶ態度を言うわけです。学ぶ態度こそが大切。一番上なのに、常に学んでいるとは立派な奴、ということですか。むしろ成功し続けるより、失敗して学ぶ姿に人気が出る。

 

 

②情報化社会とは、基本的ん先送りの社会です。情報は基本的には過去のものです。情報とは、もう済んでしまったことのことです。過去のものに人々がこれほど囲まれている時代はありませんでした。済んでしまったことに取り巻かれていて、肝心のことを先送りにしているのが現代人です

 

内田樹氏によると日本に進駐してきた兵隊は、すべて負けた側を知っている南軍の兵隊だったそうです

 

マスメディアが信用出来ないのは、「現代の視点で過去を裁く」ということをして得々としている一方、すこし考えれば疑わしいことでも、大本営発表をそのままつたえて、国民の知る権利に答えているなどと思いこんでいるからです

 

必死に生きるということは、現代ではもう失われてしまい、そのかわりに、明日のために、将来のために、依頼のためにと、保険をかけるような生き方をしています。

 

教育評論家 諏訪哲二

 いまの子どもは高校生くらいに成ると、完全に消費者として行動している

 

出光興産 出光佐三さんの回顧録

 日本が高度成長期に中東から買っていた原油の価格は、アメリカの企業がアメリカ産の原油を買う値段より3割安かった

 

みなが自分だけの城に閉じこもって純粋消費者として暮らせるのが都市という空間

ですが田舎では、都会よりも濃い近隣の人間関係がそれを許さないのみならず、自然という大きな他者が身近にあります。都会では自分の世界のこもるだけではなく、田舎に通う、あるいは移り住むことで自分以外の他者の存在を感じる時間を持つ、そういうことが増えるということでしょうか。先生の提唱される現代の参勤交代ですね

 

 

③自分で学ぶ場を与えるということが教師の最大の役目ですし、自分で修行する場を作ってあげることが、教育の大きな役割の一つだと僕は思います。学校にとっては、「場」という考え方が大事なのです。

 

自分で考えろということは、本気でやれということです。人間は、普通はあまり深く考えずに生きています。しかし、切羽詰まれば、自分で考えます。そして、切羽詰まらなくても、自分で考えろ、と言いたい。切羽詰まらないと本気になれないというのでは、たいしたことはできない。どういう仕事をするにしても、普段から本気でやれということです。

 

問題や対立から逃げる人というのは、次に問題が出てきた時にも、逃げるに決まっています。それはつまり、何も学ぶ気がないということです。どんな社会であれ、何かをやるということには、自分を育てるという意味合いがあります。これは自分を育ててくれると思えば、本気になれるはずなんです。

 

よく人生は山道を登ようなものだなんて言いますが、とんでもない。崖を登っているようなものです。手を離しただけで落ちていきます。もちろん、落ちるのは楽ですよ。空中を浮遊するだけだから。手を離さずに、全身を使って一歩ずつ登る。そうすると、ちょっとずつ世界が広く見えてくる。人生というのはそういうものです。オフィスに座っていれば給料をもらえるような人は、人生を怠けているようなものです。

 

人間には出力をしながら入力を取り込んでいく。仰向けに寝て上しか見ていなかった赤ちゃんが、はいはいを始めることによって、自分が動くとまわりが動くということを知る。そうやって自分から入力を変えて、劇的に変わっていく。

 

元来、日本はそういう国(民族が混ざり合っている)です。いろいろな人種が、ぐちゃぐちゃに混じり合った後で外部との交渉が切れたので、そういう成り立ちの国であることに気づかなくなっていますが、日本はアメリカが古くなったような国だと思います。

まさに!日本は、いまのアメリカの1000年後みたいな国だと、常々思っていました。世界の西の端のフロンティアがアメリカなら、少し小さいですが東の端のフロンティアが古代の日本だったのです。そこにアジア中、いや世界中からボートピープルが流れ着いて、いまのアメリカ人が銃が手放せないように、ずっと剣を引っ提げて暮らして、戦国時代に手ひどく殺しあってからようやく自分たちの手で武装解除を実現した。アメリカがそうなるのは500年後でしょうか。

 

日本人にとっては、誰が偉いなどというのも、頭の中だけでのことですから、「イワシの頭も信心から」と同じことなんです。このことは、相当古くから浸透しています。鎌倉時代の道元が、「先生にとって、一番大事な資質は学ぶ姿勢だ」と言っています。「先生」であるための実質的な知識や能力ではなく、学ぶ態度を言うわけです。

学ぶ態度こそが大切。一番上なのに、常に学んでいるとは立派な奴、ということですか。むしろ成功し続けるより、失敗して学ぶ姿に人気が出る。

学ぶときに一番大切なのは、「己を虚しゅうすること」となるわけです。実際、日本人は良く学びます。ただ、「では、あなたの意見は」と聞かれると、「さあ」となってしまう。

日本では、権力者に対しても、「先生」のような扱いなのですね。

そう、ただ立てているだけ。

実際にその場にふさわしいかどうかではなく、フィクションとして、「この人は先生です」と立て、そう決めたらみんなでそれに従う。その代り、上にいる側も余計なことはしない。むやみに権力はふるわず、おとなしくしている。

 

学問はもともと非組織戦だったと思います。ところが、マルクスの頃から変わってきて、組織戦になってきたところがあります。学問を実践しようとしう輩が出始めたからでしょう。学問は実践しないからこそ意味がある。それを学んでいる人の頭が変わることで、世界がひとりでに違ってくる、それでいいということです。ひとりでにではなく人の行動を変えようとすると、とんでもないことになる。たとえばソ連ができる、というのが教訓です。

考えが変わっていくのは脳にとって自然なことで、例えば、年をとることでも変わっていきます。だから、できるだけ自然に任せていい。僕はこれまで、自分の頭で考えよう、と言い続けてきたのですが、それではどうしたって、非組織戦にならざるをえないのです。そして実は、そういう抵抗の仕方が最も強靭なのです。

認識が変われば、無理に足並みそろえて行動を強制しなくとも世界は変わっていく。


📖『AIの壁 人間の知性を問いなおす』養老孟司 著(PHP新書1234)

2021-07-24 07:15:46 | 日記

 

 

📖『AIの壁 人間の知性を問いなおす』 

養老孟司  著    PHP新書 1234

おすすめ度 100%

読者レビュー一覧

①80代とは思えない、未来を考えている内容でした。羽生善治さん、井上智洋さん、岡本裕一郎さん、そして新井紀子さんの対談ですが、高度成長時期からたくさんのテクノロジーに囲まれて生活していると、人間は知らない間にAIのように無駄のない整理された人間を望みはじめているのが、最も危険な社会ではないかと感じているようでした。若者のスマホに対する人間の在り方だけでなく、60〜80代の高齢者だって他人事ではなく、まだ20年くらい生きてしまう今日では、特に高齢者に読んでほしいと思いました。わたしも五感をフルに活用しながら生きたいと思います。ありがとうございました。

 

②壁シリーズなので迷わず購入。

AIによって人間が人間らしい生き方を

できるように開発を進めていくことを願う。

やはり自然の中で五感を働かせて

生きていくことが生物である人間には

必要なのだと再認識した。

リモートワークが広まったコロナ禍では

そもそもリモートワークができる人と

できない人とで格差が開いてしまうから

AIの進化によってさらに

格差が開いてしまうのなら

井上智洋の言っていたBI(ベーシックインカム)の

併用が必要になってくるはずだ。

車の自動運転で事故が起きた場合に

誰の責任になるのかというのは

技術の完成前に議論をしていく必要がある。

わからないから面白いと言う感覚は

忘れないようにしたい。

 

③A.I.に限らず新しく便利なモノに飛びつく前に、本当に必要かどうかを考えようっていう話。

 

羽生善治さんとの対談がとても面白かった。

 

 

④人工知能(AI)技術の飛躍的発展により、近年「AIが人間の知能を超える」と喧伝されるようになった。しかし、そもそもAIとは何なのか、AIと人間の知性の違いはどこにあるのか―解剖学者養老孟司が、4名の知性と語り合う。AIの発展がめざましい棋界に身を置く棋士・羽生善治、経済学者であり…続きを読む

 

⑤羽生善治(棋士)、井上智洋(経済学者)、岡本裕一郎(哲学者)、新井紀子(数学者)との対談形式でAIと未来を議論する。それぞれの切り口でのAI感も興味深く読みましたが、養老猛司先生の持論である五感をフルに使って自然と触れ合うというところに帰結したのは予定調和な印象かな。

 

⑥新井先生との対談は非常に読みやすくて納得。

答えはないのだから、その不確実性を楽しむ遊びが欲しいですね

じゃないと人間脳退化してしまう

アメリカ文化への辛辣なインサイトも面白かった!

 

⑦AIに支配されるのは人が作った世界(脳化社会)であり、自然そのものはAIにも予測不能である。人間の発達とは脳を騙すことや鈍らせることで、その過程にあるのがAIなのではないか。そう考えると、感性を磨く(というか戻す)方法は病気、例えば統合失調症などになることなのかもしれない。今回も養老先生に勇気をもらった。

 

⑧人工知能(AI)技術の飛躍的発展により、近年「AIが人間の知能を超える」と喧伝されるようになった。しかし、そもそもAIとは何なのか、AIと人間の知性の違いはどこにあるのか―養老孟司が4名の知性と語り合います。安易に「これからはAIだ」となってしまう雰囲気に流されるのではなく、本当に必要なものは何かを考えることが大切だと知ることができる本です。

 

⑨まぁ、いつもの養老先生トーク。「ん?!」と思って考えさせられる。いまひとつ根拠がわからない、とか、それは恣意的な解釈にすぎないのではないか、と思うことはままあるが、それを刺激にいろいろ考えてみることには価値があると思う。答えを求めるのではなく、考える種を見つける本。最後の新井紀子さんとの対談が養老先生にしてはけっこうかみ合っていて面白い。

 

⑩AIに関して、一見すると関わりの低いように見える著者と様々なジャンルの業界の方々の対談を通して、AIに関してだけでなく、現代社会に欠けているものが伝わってくる書籍。

AIというテーマを通して、現代社会のあらゆる問題が浮き彫りになっている。

 

⑪人間とAIの関係を考えている人におすすめ。

 

【概要】

○人間とAIの関係について対談(コロナ禍以前)

・AIから見えてきた「人間の可能性」/羽生善治氏

・経済はAI化でどう変わるか/井上智洋氏

・AIから人間を哲学する/岡本裕一朗氏

・分からないことを面白がれるのが人間の脳/新…続きを読む

 

⑫養老孟司さんと4人の叡知のAIについて語らう。

 

羽生善治さんとの語らいでは、AIと将棋の相性をあげてひとのもつ先入観を排除して、古い手でくることもあり勉強になるという。

養老孟司さんのAIを高級な文房具という考え方が、たかがAIぽくて良かったです。

 

井上智洋さんは、ベーシック…続きを読む

 

⑬養老孟司がAIをテーマに4人の識者と行った対談を収録した一冊。私自身はIT企業に勤めていることもありAIには肯定的な立場なのだが、五者五様の問題意識は謙虚に受け止めたい。少なめのボリュームながら民主主義から男性学まで縦横無尽に議論が往来する新井紀子との対談が特に面白かった。「わからないから面白い」は本当にその通りだと思う。

 

⑭コロナが流行する前の講演で、「『遺言2.0』はいつ出ますか?」という質問に対して、先生は「それはわからないが、AIについては書きたいと思っている」とおっしゃっていた。本書は対談の形式をとってはいるものの、ある意味ではこの問題に関する先生なりの総論だと言えなくもない。

いまから三十一年前、先生は『唯脳論』という本を書き、そのエピローグで「脳化社会」というキーワードを提示した。「脳化」とは、正確には進化の過程で生物の脳がしだいに大きくなっていくことを示すテクニカル・タームなのだが、先生はこの言葉を飛躍させて、ヒトにおいては脳が肥大化した結果、外部まで脳を拡張させ、社会そのものまで脳と化してしまったという、なんともユニークな理論を展開したのである。いまさら説明の必要はないかも知れないが、私自身のおさらいの意味も含めて、養老先生がいつも述べていることを書く。

脳とはどんな器官かといえば、「予測し、統御する器官」である。つまり、ものごとの予測を立てて、その予測にしたがってものごとが進むように取り計らう器官である。先生はそれをさらにわかりやすく端的に、「ああすれば、こうなる」と書いた。自然は人間が作ったものではないがゆえに予測不可能であり、脳は予測可能な人工物を次々と作り出すことで自然を置き換え排除していったのである。周囲を見廻してほしい。われわれのまわりに人間が作らなかったものがどれだけあるだろうか。机も椅子も、ペンもタバコも、建物も道路も、みんな人間が作ったものである。街路樹や公園はどうか。それすらも、人間が考えて配置したものである。要するに、われわれはもはや脳が作り出した世界=脳の中に住んでいるも同然なのである。

考えてみると、人類が「進歩」とか「発展」とか「文明」とか、その他いろいろな呼び方で呼んできたものは、すべて「ああすれば、こうなる」ようにすることである。そして、AIもじつはそのひとつの究極の在り方だと思えばよい。すなわち、人間は何を考えだすかわからないが、コンピュータなら予測でき統御できる。いや、むしろ統御されねばならない。だから、東証のシステムがダウンして一日止まっただけで「不祥事」になり、「サーバーの息吹を感じていれば防げた」などと言い出すのである。

だから、AIに仕事を奪われるとか、AIが人間を置き換えるとか、今更のように言っているが、われわれはとうの昔からそういう社会をせっせと作ってきたのである。あなたも私も、意識的にであれ無意識であれ、振り返ればずっとそうしてきたはずである。じゃあなんで今頃になってそんなに騒ぎ立てているのか。その答えを、養老先生はすでに『唯脳論』に書いていた。すなわち、脳がどんなに人工物を作り出して外部の自然を置換していったところで、最後にどうしても置換できない自然が残る。それは何かと言えば、われわれ人間自身である。人類はまだハエ一匹たりとも生命を作り出せてはいない。行き着く未来で残された唯一の自然が、われわれ人間の身体なのである。自然を排除していけば、いずれ身体という自然が反逆する、と。

私はもうほとんど落語だと思っているのだが、労働者はいつか働かなくてよい日が来るように仕事してきたのだし、人間の代わりになんでもやってもらうためにロボットを作ってきたのである。だから、AIが人間から仕事を奪うのは当然のなりゆきだし、そのうち「もう人間はいりません」という時代が訪れることは、最初から目に見えていたのである。ニーチェが生きていたら、「人間は死んだ」と言うのではないか。われわれは、尻に火がついてからやっと気づいて慌てている間抜けなサルである。

じゃあ、どうすればいいんですか。またお決まりの質問が聞こえてくる。そんなの、お得意のAIに訊いたらいいんじゃないですか? 賢い彼らなら、「ああすれば、こうなる」の結果こうなったんだから、もう頭で考えるのはやめたらどうですか?と教えてくれるかもしれない。ああ、本当に落語のオチみたいだ。そろそろ私はパソコンの電源を切って休むことにする。

 

⑮ p18 人間の意識だけで社会を形作って「ああすればこうなる」というふうに原因と結果がきれいに揃う(脳化社会)思考だけでものごとを考えていると、そういう世界観の中にいたら、人間げはコンピュータにはかなわないんですよ

 

p38 映画 リスボンへの夜行列車

 

p44 AIというのは、もうそういうものだと割り切ってうけいれるしかないという捉え方と、もう一つは、AIを絶対的なものとしてみないという捉え方

 

p83 サピエンス異変 人間は自分が作った社会に身体が適応してない

 

p95 人工超知能

 

p116 日本の輸出依存度 14-17% 日本は自前でくっていけるってこと

一番大きいのはエネルギー事業

 

p138 ジルドゥルーズ 哲学者とは概念を創造する者だ

 

p195 それぞれの社会は履歴をもっている。歴史です。その中で、暗黙の裡にほどほどのところで落とし所をみつけるのが伝統的な社会だと思います

 

p200 人生って想定外のことが起きるんですよ。その常識がなくなってしまって、なんでも想定しなきゃいけない、というのが圧力になってしまいますね。

 

問題提起するなら処方箋をセットで寄こせ、と平然という。なんにでも答えがあって誰かが教えてくれると思っている人があまりにも多い

 

60億もいるのに、AIの研究は必要か。

 

⑯「日本のリアル」の方は読んでないなあ。なんでやろ。また書店で探してみよ。さて、一番読みたかったのは、もちろん新井先生との対談。けれども、それ以上に岡本さんとの哲学対談がおもしろかった。倫理を功利主義と義務論に置き換える話。幸福についての話。このあたり、もっと突っ込んで聞きたいなあ。何が幸せなのか。それは人によりけり。AIに決められてたまるか。それから、子育てではやっぱり五感を鍛えないと。視覚、聴覚優位から、触覚や嗅覚も。体性感覚というようなものもかなあ。体幹も鍛えた方がいいだろうし、やっぱり自然の中での生活は大事だなあ。木登りとか、川で魚とったりとか? やっぱり、田舎への参勤交代かなあ。さらには第六感というのか直感(直観?)も。ネット上にフェイクニュースがあふれたりするこの世の中では、鼻が利くというのか、直感的なものも大事だよなあ。天然知能といってもいいのかなあ。なんかがどっかからやってくるんだなあ。そういえば、養老先生、郡司さんのことを、郡司くんっていってたなあ。そんな、仲良かったのかなあ。しかしまあどれもこれも、もともと養老先生がホスト役で、それぞれの専門家に話を聞くというかたちのはずが、みんな養老先生の独擅場(独壇場?)になっている。さすがというか、もう養老先生に意見できる人は今の世の中にはいないんだよなあ。

 

⑰AIが万能で絶対的な人口生命体などではなく,一技術,つまり道具に過ぎない.問題は,人間という生命体がその道具をどのように使うか,なのだが,ものを考えなくなった,あるいは考えたくないマジョリティは,使い方の自由なAIを使えないので,飲み込まれる.人工的環境に両足を突っ込んだ(ことにも気付いていない)人間という種が,本来自然の一部だった自らを現在の環境に基づきどのように顧みるのか,その一点に問題は集約される。

 

👴👨👩👧BOOLさん、いつもありがとう😉👍🎶