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劉暁波氏――中○が消せなかった人
2017年7月14日 BBCニュース
キャリー・グレイシー○○編集長
画像提供,AFP
劉暁波氏は投獄8年目にして肝臓がのため亡くなった。写真は2008年のビデオから
「私は罪となるようなことを何もしていないが、しかし不満はない」。
劉暁波氏は2009年、法廷でこのように表明した。そしてそれから刑務所で過ごした長い8年の間、民主主義への思いを決して撤回しなかった。中の指導者たちは、生きる劉氏を恐れたと同じくらい、死してなお、劉氏を恐れている。無理もないことだ。
中○○○党はかつては、信念の政党だった。党のために殉教する覚悟の同志は大勢いた。しかし権力を握ってから70年近くたった今の中○○○党は、硬直的でシニカルな権力者だ。憲法上の権利を求める人を投獄し、投獄した人たちについて国内で話題にすることさえ禁じ、経済力を対外的に駆使して外国政府に沈黙を強いる。○○平国家主席の下、中はこうした抑圧を熱心に推進し、成功を収めてきた。そのなかにあって、劉暁波氏は例外的な、中にとっての敗北だった。
劉氏が2010年のノーベル平和賞を受賞したことから、中政府にとっての問題は始まった。平和賞受賞によって劉氏はただちに、信念のために投獄された世界的著名人の仲間入りをした。ネルソン・マンデラ氏、アウンサンスーチー氏、カール・フォン・オシエツキー氏といった人たちと、肩を並べるようになったのだ。
カール・フォン・オシエツキーを知らない人もいるだろうが、中政府にとっては特に居心地の悪い比較対象だ。フォン・オシエツキーは1935年、ナチス・ドイツの強制収容所にいながらにしてノーベル平和賞を受賞した平和主義者だった。アドルフ・ヒトラーは、家族が代理人として授賞式に出席するのを許さなかった。
ノーベル平和賞に選ばれた時、劉暁波氏は国家政権転覆扇動の罪で服役中だった。中政府は、(劉暁波氏の)妻が代理として式典に出席することを認めず、それどころか劉霞氏を自宅軟禁にした。オスロで開かれた2010年の平和賞授賞式で、劉暁波氏の代わりに壇上に上がったのは、空(から)の椅子だった。そしてそれを機に、21世紀の中と1930年代のドイツが比較されるようになったのだ。
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2010年のノーベル平和賞授賞式。受賞した劉暁波氏の不在を象徴する、座る人のいない椅子が壇上に置かれた
厳しい検閲という点でも、劉暁波氏とフォン・オシエツキー氏の状況は似通っている。ナチス・ドイツは1935年の平和賞受賞について、国内での言及を一切禁止した。劉暁波氏の受賞に対する中の姿勢も同じだ。中政府はしばらく「空の椅子」という単語での検索をも禁じたほどだ。
つまり、劉暁波氏は国際舞台で中に恥をかかせたわけだが、本国でその名を知る中人は少ない。がん治療のため国外に移ることが可能かをめぐり、中の病院の言い分に外国人医師たちが反論したことも、香港では釈放を求めて徹夜の集会が行われていたことも、中国内では徹底した検閲体制のために中○○民はほとんど何も知らされていなかった。自分たちの国で、ノーベル平和賞受賞者が死につつあったというのに。
選択的記憶喪失
選択的記憶喪失は中の国家政策だ。そして劉氏の投獄から死亡に至るまで、政府は彼の記憶を消し去ろうと一生懸命だった。家族や友人たちがなかなか面会できないように、自宅から約600キロ離れた刑務所に収容した。劉暁波氏の妻の劉霞さんが置かれた自宅軟禁はあまりにも抑圧的で、彼女は次第に体と健康を害されていった。ノルウェーに対する中の懲罰行動は苛烈で、今やノルウェー政府は中の人権状況や劉暁波氏のノーベル賞について言及を避けるほどだ。
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劉暁波氏(左)と妻の劉霞氏。撮影場所や日時は不明。広州市の活動家がツイートした。
しかし存命中と同様に死してなお、劉暁波氏は消し去られたりしない。中が国外に公表した重病人の映像は、明らかに国際社会に、劉暁波氏が安らかに死を迎えられるよう自分たちは手を尽くしているのだと証明するためのものだった。しかし中の意図とは裏腹に動画を通じて、劉暁波氏は中で踏みにじられてきた民主化運動の殉教者となった。そして1930年代ドイツが自国のノーベル平和賞受賞者をどう扱ったか、その先例との比較を招いた。
肝臓がんを患った劉暁波氏は、末期になって初めて治療のための仮釈放が認められた。そして入院してもなお、厳しい監視下に置かれ、友人の多くは面会を許されなかった。今から80年近く前、カール・フォン・オシエツキーも看守に監視されながら病院で死んだ。彼の場合も、治療が許された時には、すでに手遅れだった。
一党独裁国家
ナチス・ドイツの人権状況やプロパガンダ政策と比較されるのは、中にとって特に不本意なことだろう。中は自分たちの一党独裁国家が、国際舞台で正当性を無事に獲得したと、ここしばらく思っていたので。今月初めに独ハンブルクで開かれた主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)では、劉暁波氏の扱いについて公然と○主席に問いただす国家首脳は一人もいなかった。中が対外的に力を拡大し、国内の取り締まりを強化するなか、中の反政府活動家のために声を上げる人はあまりいない。
中の前途有望な研究者
天安門広場での民主化運動
劉暁波氏は最初から反体制活動家だったわけではない。旺盛に発言する前途有望な研究者で、パスポートも持っていた。1989年までは、恵まれた生活を送っていたのだ。しかしその年の、天安門広場での民主化運動が、分岐点となった。6月4日の虐殺を機に、中○○○党に背(そむ)くのがいかに重い代償を伴うか、悲惨なほど明らかになった。
劉暁波氏の同世代のほとんどの人が、そして後進の世代の人たちも、代償はあまりに重すぎると判断した。ほとんどの中人は、命と自由と、体制に参加することを選んだ。
しかし、それとは別の道を選んだ人たちもおり、劉暁波氏はそのひとりだった。1989年の理想を終生守り続け、まずは中出国の機会を放棄し、やがて繰り返し、自らの自由も放棄した。近年でも担当弁護士たちによると、罪を認めれば釈放してやるとどれだけ言われても、応じなかったのだという。
「地獄に行きたいなら、暗いと文句を言うな……」
劉暁波氏はかつてこう書いた。そして公判中の陳述では、劉暁波氏は自分を刑務所に入れた者たちに悪意は抱いていない、むしろ自分の個人的な体験を超越したいと述べた。「私に敵はいない」と題されたこの陳述は、ノーベル平和賞授賞式で、空の椅子の横で代読された。
他者を受け入れない支配政党。
信念を持ったアウトサイダー
そのような人を、中政府が危険視したのは無理もない。他者を受け入れない支配政党にとって、信念をもったアウトサイダーは、自分たちを否定し侮辱する存在だ。交換条件や脅しで言いなりにできない相手は、許しがたい敵なのだ。
しかし、劉暁波氏の苦しみは終わった。座る者のいない空の椅子と同様、空になった病床の映像が、これからも中を怯えさせる。
そして中政府はこれからも、劉暁波氏の後に続く人たちを脅し、迫害し、懲罰を与え続けるだろうが、このノーベル平和賞受賞者の記憶を消し去ることはできない。81年前のナチス・ドイツが、自らの恥を決して消すことができなかったのと同じように。
📖本『劉暁波伝』
余傑 著、劉燕子 編、劉燕子、横澤泰 訳
集広舎
発売 2018年2月9日
📖本『最後の審判を生き延びて
劉暁波 文集』
劉暁波 著、劉 霞 編
丸川哲史・鈴木将久・及川淳子 訳
レビュー
①劉暁波 氏の普段の活動・主張がよく分かる本。
「中経済一人勝ちの裏で」、
ナショナリズム、すべて金次第。
享楽主義、政治的異論の禁止。
知的エリートに対する利益誘導。
制度腐敗、社会的不公正、道徳喪失、
未来を食いつぶす。
「漢人に自由なければ、チベット人に自治なし」
自由と独裁の政治衝突が
漢・チベット民族の衝突に転化。
(中略)
「我々はともに独裁の囚人」
あとがき(徐 友漁)
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中に友好的であることは、
中の人々に友好的であることで、
中政府と(中○国民を)区別するべきである。
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②2010年にノーベル平和賞を受賞劉暁波の論文です。
劉暁波は、2009年12月25日に国家政権転覆扇動罪で、有罪の判決を受け、懲役11年を申し渡されました。
2020年6月21日まで刑に服さなければなりません。
ノーベル平和賞の受賞式には、服役中のため出席することができませんでした。
妻や代わりの関係者の中からの出国は認められなかったので、ノーベル平和賞はお預けのままなのでしょう。
この本は懲役11年の刑を言い渡される原因になった論文や妻のために作った詩、裁判の最終陳述、裁判の判決文などが収められています。
現代中の政治状況、文化状況等がよく分かります。中に関心がある方にお勧めです。
●中○○○党(5頁)
中央電○台の報道によれば、在校する大学生全体において、入党を希望する者は60%にも上っている。
中党への入党と支持の理由について、報道が重視するのは、理想主義から現実主義への変化である。共○党の目的は論じないし、また、遠大な○産主義の現実も論じない。さらに党の闘争精神も論じない。
一方、何度も繰り返すのは、中○の偉大な功績である。毛○○が語った「中○人民はここから立ち上がった」から○小○の指導のもとでの「中○人は豊かになる」まで、
また、最後には「3つの代表3人」と「新三民主義」である。
●職業の自由へ(16頁)
中○人はすでにその組織の中でしか生きられない、ということはない。
中国社会はまさに移動と行動と職業の自由に向かっている。インターネットによる情報革命は、情報獲得と、民間の発言チャンネルの多元化をもたらし、
そのことで官権の情報封鎖と
政治議論を禁じるコントロール手段は基本的に失効した。
●非暴力(53頁)
人類の不公正な秩序に反抗するやり方は、
暴力による権力奪取から非暴力の反抗へと転換され、
民族矛盾の解決もまた、武力による勝負から政治交渉、あるいはすべてのメンバーが公開で物事を決する平和方式に転換されているはずだ。(ガンジー、マーティン・ルーサー、キング、アウン・サン・スー・チー、マンディラ、アラファト……)
●公益(63頁)
地方の官商が結合した強者勢力は、公益の発展と公共施設の建設という名目で、当地の農民の土地を強制的に占拠し、その土地の上に旅館、レストラン、ディスコや商店街などを建てたのだが、すべて商業利益のためのものであった。
●一党独裁の罪。(81頁)
中○各級の役人が、どうしてこんなにも冷酷で、無責任なのか、
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それは公共体制下の公権力の私物化と、
独占的な役人の任免権にある。
一党独裁の権力と特権階級の既得権益を守るために、中○はしっかりと各級官僚の任免権をコントロールし、
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もともとは公衆から授けられるところの
権限を
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私的なところから授けられた
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一党私権にしている。
●気にかけないのは(89頁)
中○が政権を掌握して以来、
中○歴代の独裁者が
最も気にかけるのは、
手のなかの権力であり、
(独裁者が)最も気にかけないのは
人の命なのだ。
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●オリンピック(137頁)
オリンピックのための練習そのものもまた、選手のあらゆる個人生活を奪っている。
●西洋文明の限界(157頁)
西洋文明は現段階において中を改造するのに有用なだけで、
未来において人類を救済できないことはわかっている。
超越的な高みから見れば、西洋文明のさまざまな弱点は人類の弱点を示している。
●インターネット(250頁)
我々は絶対権を持った一人の天使よりもむしろ相互に牽制し合う10人の悪魔を求める。
●中○経済発展の罪(371頁)
中○経済発展は、
個人の自由という権利と、社会の公益を無視した代価によって、
利益を受けるのは、主に権勢のある高官たちのような階層であり、
庶民が利益を受けることはとても少ない。
しかも、このような「経済の奇跡」の裏にあるのは、
制度腐敗の奇跡、
社会不公正の奇跡、
道徳喪失の奇跡、
未来を浪費する奇跡であり、
経済コストと、人権コストが
極めて高い奇跡である。
コストと計りがたいほどの奇跡なのである。
☆関連図書
📖『現代中○人批判』
劉暁波 著、野沢俊敬 訳
徳間書店(1992年9月30日)
(2011年5月12日、記)
③目次
序文
衣帯ようやく寛がれど、ついに悔いず
『劉暁波-序文』V.ハヴェル
評論1 中○の特色ある政治
ポスト全体主義時代の精神風景(2004)
社会を変える 政権を変える(2006)
改革時代の新啓蒙
(中略)
評論2
(中略)
評論3 文化と社会
📖『現代中○知識人批判』あとがき(1989)
林昭が生命で書いた遺言は、
現代中○にわずかに残る自由の声である。(2004)
(中略)
文書
六、二ハンスト宣言(1989.6.2)
0八憲章(2008.12.9)
(中略)
私の自己弁明(2009.12.23)
私に敵はいない-私の最終陳述(2009.12.23)
二000年 劉暁波から○亦武への手紙(2000.1.13)
真実の言葉で虚言の制度を覆(くつがえ)す
-「傑出した民主人賞」受賞の謝辞(2003.6)
詩
-十七歳へ-「六四」二周年を祭る
時間の呪詛の中で-「六四」-10周年を祭る
冬のごとく-霞へ
僕は終身刑の囚人だ-霞妹へ
などなど(中略)
付録 劉暁波 判決文(2009.12.25)
あとがき 「劉暁波の思想」 除友漁