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📖本『シニアひとり旅 インド、ネパールからシルクロードへ』下川裕治 著 平凡社新書

2021-04-03 19:01:25 | 日記

📖本『シニアひとり旅 インド、ネパールから
シルクロードへ 』
下川裕治 著
SHIMOKAWA YUJI
平凡社新書914
平凡社新書創刊20周年

旅人を魅了する、その先のアジアへ

かつて過酷そのものだったインドの列車旅、
困難を極めた中央アジアの国境越え、
シルクロードの交易地として栄えたスイアブはいま……。

第一章 インド-この地を踏まずに、
ひとり旅は語れない…………

第二章 ネパール-再訪トレッキングの聖地へ…………

第三章 パキスタン-旅すればときは遡る…………

第四章 バングラデシュ-支援と自立の狭間で…………

第五章 中央アジア-旧ソ連から独立した国々…………

第六章 シルクロード-交易を担ったソクド人の面影…………

第七章 新疆ウイグル自治区-
ひとり旅だからこそ見えるもの…………

終章 南・中央アジアへの旅で
知っておきたいこと…………


(引用始め)

第七章 新疆ウイグル自治区-
ひとり旅だから見えるもの

旅をするにも厳しいチェックが待ち受ける

この章を書くのは気が重い。
しかし実態がそう進んでしまっている以上、
避けて通るわけにもいかない。

日本人がこの問題にかかわっているわけではないが、
旅行者として中の新疆ウイグル自治区を歩くと、
いやおうなしに巻き込まれていってしまうからだ。

ガイドブックやネット系のガイドも、
この問題にあまり触れていない。

旅行者たちのブログを読んでも、
自ら規制をしているのか、
避けてしまう傾向が強い。

話はどうしても、中政府の方針に絡んでいってしまうからだ。


パキスタン北部で、
ひとりのシニア旅行者と出会った。

僕はイスラマバードから北上し、
フンザを訪ね、
そこから中に向かおうとしていた。

パキスタンの出国審査はソストで行われる。
フンザからソストに向かう乗り合いバンに乗っていると、
彼(ひとりのシニア旅行者)が途中から
乗り込んできた。

翌日、僕らはクンジュラブ峠を越えて、
中の新疆ウイグル自治区に入った。

タンジュラブ峠を越えた最初の街はタシュクルガンである。
新疆ウイグル自治区はイスラム教徒が多いが、
移り住む漢字の民族も多い。

パキスタンでは飲むことができなかったビールも、
この街では大丈夫だった。

僕らは連れだって
四川料理店に入り、
まずビールを注文した。

彼はいま農業をやっているというが、
長く会社に勤めていた。

中在住の経験もあり、中語もかなりうまい。
定年退職後は、農業をしながら、
暇な時期に中にやってくるのだという。

目標は、中の世界遺産をすべてまわることだった。
しかし、それはなかなか大変らしい。

今回の旅でも、青海(チンハイ)省のゴルムドに近い
世界遺産を訪ねようとしたが、
そこはチベット自治区のなかで、
入城許可をとらないと
むかうことができなかったという。

せっかく新疆ウイグル自治区まで足を延ばしたから、
世界遺産はないが、
パキスタン北部を訪ねてみたいという。

彼は新疆ウイグル自治区の話をした。

「いや、すごい検問ですよ。もう二時間おきぐらいにあります。
ウイグル人と外国人はかなり厳しいチェックを受ける。

そのチェックをするのが、
ウイグル人ということもある。

ウイグル人はあまり仕事がないから、
彼らを雇用する目的もあるのかもしれませんけど」

彼は僕と出会う前に、ゴルムドから新疆ウイグル自治区のカシュガルに
出たという。タクラマカン砂漠の南縁を通る道だ。
このルートの大半はバスに頼らなくてはならない。
そのバスの旅の検閲が大変だったらしい。

僕もそのルートを通り、
敦煌まで出るつもりでいた。

そんな旅話でもりあがった。

新疆ウイグル自治区は、シルクロード好きや、
中の仏教遺跡に興味のある人には
魅力的なエリアだ。

前章でも述べたが、かつていくつもの
シルクロードが通っていた。

タクラマカン砂漠の西域南道は
マルコ・ポーロが通った道としても知られている。

タクラマカン砂漠の北側には
天山南路がある。

トルファンから北上し、
ウルムチから西に向かう天山北路もある。

これらの道に沿って、
オアシス国家の遺跡や仏教遺跡が点在している。

楼蘭(ロウラン)の遺跡へは
日本からのパッケージツアーも組まれている。

敦煌にある莫高窟(バツコウクツ)

クチャに近いキジル石窟……。
どれも世界遺産である。

しかし、このエリアに入り込むと、
厳しいチェック体制に巻き込まれることになる。

ウルムチ、トルファン、クチャ、カシュガル、ホータン……。
新疆ウイグル自治区のおもだった街を歩き、
その間を移動したが、

▼どこでも、「ここまでやるか」と
天を仰ぎたくなるようなチェックを受けた。

その内容を旅行者の視線で
しょうかいするとこうなる。

〈ホテル〉
外国人が泊まることができるホテルは
限られている。

中では、外国人を受け入れるには
政府への登録が必要になる。

最近の中は豊かになり、
多くのホテルが中人で埋まる。

あえて外国人に頼る必要を感じていないところも多い。
そんなホテルは登録をしないため、

北京や上海でも、
外国人が泊まることができないホテルはある。

しかし新疆ウイグル自治区は
別の文脈が流れている。

セキュリティーの関係で、
外国人が泊まることができるホテルを
制限している。

新疆ウイグル自治区では、
すべてのホテルの入口で
セキュリティーチェックが行われる。

荷物はX線検査機を通し、
金属探知機のゲートを
通らなくてはならない。

飛行機に乗るときのようなチェックを
受ける必要がある。

検査機が反応すると、鞄を開けたり、
ボディーチェックを受ける。

連泊をし、顔を覚えてくれると、
検査機が反応しても、そのまま
通してくれることも多いが。

〈空港・駅〉
飛行機に乗るときは、
ほかの国と同じように
セキュリティーチェックを受ける。

そのチェックの厳しさに多少の差はあるが、
ほかの国と大差ないと思っていい。

しかし新疆ウイグル自治区の空港は、
飛行機を降り、
空港ターミナルを出るときにも
チェックされることが多い。

カシュガルの空港では、その出口で、
ウイグル人は並ばされ、
ボディーチェックを受けているところを目撃した。

外国人もパスポートの提示を求められることは少なくない。
不審だと見なされるとボディーチェックが待っている。


鉄道の駅でのチェックはさらに厳しい。
トルファン駅で列車に乗るときは、
X線検査機、金属探知機、パスポートチェックを
それぞれ三回受けないと
待合室に入ることができなかった。

これだけでかなりの時間がかかる。
駅には切符売場があるが、
そこに入るときも、
このセキュリティーチェックを
受けなくてはならない。

列車を降り、
駅の敷地を出るときでさえ、
セキュリティーチェックが
行われることが多い。

▼ホータン駅では、
漢字の民族とウイグル人で
出口を分けていた。

漢字の民族はフリーパスで
回転バーを押すだけで
外に出ることができるが、

▼ウイグル人は厳しいチェックを受ける。
さらに身分証明書をリーダーにかざし、
モニターに映し出される顔との
照合も行っていた。

外国人は基本的にウイグル人と同じ扱い。
僕(本著者の下川さん)は、公安から
漢字の民族ラインに向かっていいといわれて
簡単に出ることができたが、

▼ウイグル人ラインに並ぶと、
駅を出るのに一時間はかかったと思う。


〈列車〉
二、三時間でも乗ると、必ず公安がやってきて、
パスポートの提示が求められる。
これは外国人のみ。
ウイグル人は人数が多いためか、
チェックは受けない。

公安にもよるが、
パスポートチェックの後、
尋問を受けることも多い。

目的地、旅の目的、
前日に泊まった街、
旅行の日程……と
内容は難しくないが。

尋問はスマホの翻訳アプリが
使われることもある。

▼そして必ず写真を撮られる。


〈バスターミナル〉
バスターミナルに入るとき、出るときも
同様のセキュリティーチェックを受けなくてはならない。

切符を買うときも同じ。
長距離バスは、街のバスターミナルに停車していくが、

入口には頑丈なゲートがつくられ、
許可されたバスしか入ることができない。

乗客はいったんバスターミナルに入ると、
停車時間中に食事をとるために
街に出ることも難しくなる。

街に出るためには、
セキュリティーチェックを
受けなけれはならず、
また、戻るときも同じ。

外に出ないようにと
バスの運転手から注意を受ける。

バスターミナルに食堂はほとんどないので、
売店でパンや菓子類を買ってしのぐことになる。



〈バス〉
ルートにもよるが、
検問は頻繁に行われる。

ホータンから東に向かったときは、
ひとつの街の入口、そして出口に
検問所があることか多かった。

ここでチェックを受けるのは、
ウイグル人と外国人ということが多い。

漢字の民族はバスのなかで待つことになる。
この検問は時間がかかる。

荷物はバスのなかに置いていっていいので、
内容はおもに尋問。

パスポートを渡し、
公安の質問に答えていく。

目的地、旅の目的……など通り一遍の内容だが、
その内容をパソコンに打ち込み、

パスポートのコピーと一緒に
提出しなくてはいけないらしい。

ときに、日本人はとる必要のないビザについても
訊かれ、その問い合わせに
十分以上もかかったりする。
ひとり、二、三十分はかかることが多い。

ホータンから東に向けてバスに乗ったときは、
十時間ぐらいの間に七回、この検問があった。
さすがに辟易してしまう。

ウイグル人と外国人の検問のために、
バスは二時間以上遅れたと思う。

(👴なぜ、これほどまでの検問をするのか?
その理由は何じゃ?
打ち込んだデータをいったい何に使うのか?)


〈バザール、公園〉
バザールに入るときも、
ウイグル人と外国人は
セキュリティーチェックを
受けなくてはならない。

X線検査機に荷物を通し、
金属探知機を通り、ボディーチェック。

ウイグル人は身分証明書、
外国人はパスポートの提示。

外国人はそこで写真を撮られる。

▼ウイグル人はリンゴひとつ買うのにも、
チェックを受けなければならないわけだ。

これは公園の入口や出口でも
行われている。

人が集まるところでは必ずチェックをする
という体制が組まれている。


〈路上検問〉
街なかを歩いていても、
しばしば検問にあう。

横にある公安の詰所で
尋問を受けることになる。

これがはじまると、
二、三十分はかかることを
覚悟しなくてはならない。

ときにパスポートチェックだけで
終わることもあるが。

タクシーに乗っているときも、
しばしば検問にあう。

道端に検問所がつくられていると、
避けることはできない。

このときはパスポートチェックだけで
終わることが多いが、
ときに尋問を受けると時間がかかる。

駅や空港に急いでいるときは苛立つ
ことになる。


〈鉄格子〉
▼このカシュガルの街に限ってのことだが、
すべての店舗に鉄格子がとりつけられている。

食堂や銀行、
雑貨屋、用品店、靴屋……と、
とにかくすべての店に鉄格子
なのだ。

これは、ウイグル人の暴徒が
入ることを防ぐ目的だといわれている。

この鉄格子は、外から開けることはできない。

客はまず、顔がわかるように
鉄格子の前に立つ。

店員がチェックし、
「この人は大丈夫」と判断して
鉄格子を開けてくれる。

(👴髪をきちんと散髪して笑えば
良いのか?
こぼれそうなダイヤの指環や
ネックレスを見せれば良いのか?
判断基準は何だ?)

こうしてやっと店に入ることができる。

それは誰でも同じことなので、
観光客も鉄格子の前に
立たなければならない。

もっとも雑貨屋などはそれが煩雑で、
昼間など、鉄格子を開けているところもある。

ウイグル人の靴屋や洋服屋などは、
客を店に入れることを諦め、

鉄格子に服をハンガーで吊るしたり、
鉄格子の間に靴を挟んで売っている店も出てきている。


〈ウイグル人居住区〉
カシュガルやクチャなどには、
ウイグル人居住区がある。

ウイグル人の街は、どこか
ヨーロッパのような雰囲気がある。

土の壁が続き、
その途中の入口から入ると中庭に出、

そこにはブドウ畑やアンズの木が
植えられていたりする。

ウイグル人居住区に、
外部の人が入っても問題はない。

外国人観光客も大丈夫なのだが、
入口には、日本の駅の自動改札機のような機械がすえつけられている。
▼住民だけしか入ることができないようかになっているのだ。

住民は、その機械に身分証明書をかざすとバーが開く。
住民ではないウイグル人は入ることはできないのだ。

カシュガルのオールドバザールも
ウイグル人居住区。

その入口には
検問所が設置されている。

もう、うんざらではないだろうか。
新疆ウイグル自治区の街は、とにかく
セキュリティーチェックだらけなのだ。

「ここまでやるか」
と溜め息がでるほどで、
日本の四、四倍もある広い自治区に、
いったいいくつのX線探知機や
金属探知機があるのかと考えると、
なんだか気が遠くなってくる。

このチェックは旅行者といっても免れないから、
新疆ウイグル自治区での日々は、
セキュリティーチェックにはじまり、
セキュリティーチェックに終わるといった感じになる。

ただしこのチェックは、
ただ素直に受けていけば、
通りすぎていく。

危険物を持っていなければ、
引っかかることもない。
ただ耐えればいい。



ウイグル人に課される踏み絵


しかし旅を続けていくて、
ウイグル人が置かれている環境が
目に入ってきてしまう。
精神的にはこのほうがつらい。

トルファンで一軒のウイグル料理店に入った。
店先で、地元でジク・カワープと呼ばれる
ケバーブを焼いていたからだ。

新疆ウイグル自治区のケバーブは羊肉が小ぶりで、
焼き上がると表面に香辛料をぱらぱらとかけて出してくれる。

中央アジアのケバーブは肉が大きく、
食べていると気性が荒くなってくるような気がするものだが、

新疆ウイグル自治区のそれは焼き鳥感覚で食べることができるのだ。

店内に入ると、
入口脇に黒い金属製の盾と、
黒いヘルメットが置かれていた。


盾には白い文字でくっきりと、
「防暴」という文字が躍っていた。

防暴は日本語に訳すと、
機動隊という意味になる。

店の主人や従業員は全員がウイグル人である。

そこに盾やヘルメットがあるということは、
ウイグル人の過激派が暴動などを起こしたとき、

彼らが機動隊になるということを意味していた。

▼同じ民族同士で対峙することになる。

日本の過激派と機動隊が向き合うこととは
意味が違っていた。

日本の場合、過激派は国家権力に反抗していた。

しかし、ウイグル人は、
過激派とケバーブ屋の主人や従業員は
同じように、政府から抑圧されている。
😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢

彼らの置かれている状況を考えると、
ケバーブ屋の主人が過激派を検挙するとは
とても思えなかった。

▼しかし店には盾とヘルメットがある。
踏み絵ってことだろうか……。

暴動が起きたとき、機動隊になって
鎮圧に向かうように指示したのは
公安のはずだった。

しかし公安にしたら、一般のウイグル人が
すぐに機動隊になれるなどとは
思っていないだろう。

公安が見ようとしたのは、
機動隊になれ、という指示がきたときの
反応だった気がする。

そして、そこから生まれる空気を
計算していたようにも思う。

「私は機動隊には入りません」と表明することは、
過激派を支持するともとられた。


そうなればウイグル料理店を営むことも難しくなるかもしれないという読みが働く。
機動隊になれ、という指示を受けざるを得ないのだ。


街に並ぶウイグル人の店の人々が、
次々に機動隊になっていく。

その証(あかし)のように、公安からは
盾とヘルメットが届けられる。

店の主人が、店の入口脇の見えやすいところに
盾とヘルメットを置くのは、
公安が確認しやすくするためのようにも思う。

こうしてトルファンの公安は
点数を稼ぎたかったのだろうか。

いや、皆が機動隊を受け入れていく事実が
生み出す空気を演出したかったようにも思う。

しかし店の主人や従業員の本心はわからない。
それが処世術だという人もいるかもしれないが。

同じようなことを、カシュガルの街で、
毎朝、行われる鉄パイプ訓練を見ながら考えていた。

カシュガルにこんな訓練があるとは知らなかった。
朝の十時前、街を歩いていると、
鉄パイプやこん棒を手にした人たちが、
急ぎ足で歩道を歩いていた。

新着ウイグル自治区は、
北京時間より二時間遅いウイグル時間で
生活している人が多い。
彼らにしたら朝八時である。

「なんだろうか……」
彼らの後をついていってみた。

店の鉄格子が開き、なかからやはり
鉄パイプを手にした女性が現れ、
道を歩く人に加わってゆく。

鉄パイプは二メートルほどの長さだった。
その光景は少し異様だった。

顔をみると、ウイグル人もいれば、
漢字の民族もいる。

手に鉄パイプやこん棒がなければ、
朝のラジオ体操に集まる住民といった雰囲気だった。

百メートルほど進んだだろうか。
そこにはすでに十人を超える人が立っていた。

中央には、「安全員と書かれた腕章を腕に巻いた中年女性が立っていた。

次々に集まってくる人々は、
前後二列に整列をはじめた。

すると急に、腕章をつけた女性が声をかけた。

「エーッ」
僕の耳にはそう聞こえた。

すると集まった住民の間から、
それに倣ったかけ声が起き、
鉄パイプやこん棒が前に突かれたのだった。
「……?」

鉄パイプ訓練だった。
安全員の声に合わせ、次々に
鉄パイプやこん棒がつき出された。

その光景を、同行していたカメラマンが撮ろうとすると、
安全員の女性が「ノー」といって、
手を左右に振った。

いったい、これはなんなのだろうか。
誰に向かって鉄パイプやこん棒を突いているのだろうか。

予想はついた。
ウイグル人の過激派である。

暴動を起こしたウイグル人を、
鉄パイプやこん棒で攻撃する。

その訓練が行われているのだ。

訓練は十分ほどで終わった。
皆、鉄パイプやこん棒を肩に乗せて、
ぞろぞろと家に帰っていく。

その姿は、やはり朝のラジオ体操の帰りだった。

気になって、翌朝はビルが並ぶ
オフィス街に行ってみた。

やはりそこでも、朝十時に
訓練は行われた。
カシュガルの街のさまざまな場所で
行われていたのだ。

日本でいえば、
町内会レベルで集まる。
そんな人数だった。

その日、旅行会社に出向く用事があった。
そこのスタッフに訊いてみると、
憶測通りだった。

あと三年は続くと思う、ともいった。
三年の根拠がなんなのかはわからなかったが。
(👨本書の発行日は、2019年6月14日)

日本には太平洋戦争の末期、
竹槍訓練があった。

周辺の住民が集まり、竹槍で、
「エイッ、エイッ」と突きだすのだ。

ほとんどの男性は戦地に駆り出されていたから、
訓練に参加するのは女性や子どもたちが多かった。

僕は当時の空気を知らない。
しかし戦後、出版されたさまざまな書籍を読むと、
多くの人が、この訓練の意味をはかりかねていたことがわかる。

当時の日本はアメリカ軍の空爆に晒(さら)されていた。
投下される爆弾に竹槍で立ち向かうことなどできるわけがなかった。

竹槍訓練は、地上での戦闘を想定していたように想う。

しかし重装備のアメリカ兵に、
竹槍で向かっていくことは、
なんの意味もなかった。

玉砕の精神が日本の空を
覆っていたのかもしれないが、

戦争が終わり、振り返ってみると、
本当に竹槍訓練に意味があるとは
思っていなかった自分にきづくのだ。

しかし皆、それを封印して、
「エイッ、エイッ」と竹槍を
突きだしていた。

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
軍からの指示には誰も
逆らうことはできず、
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
無意味だと口にすることは
できなかった。

毎朝、鉄パイプ訓練を眺めながら、
トルファンのウイグル料理店に置かれていた
盾とヘルメットを思いだしていた。

鉄パイプ訓練も公安の指示だったはずだ。
かつて大人数の暴動が起きた新疆ウイグル自治区だったが、

その後、過激派はテロに方向を変えてきていた。

中という国は、報道が厳しく制限されているので、
実態はわかりにくいが、

少なくともここ十年、
大規模な暴動の話は耳にしていない。

テロが主流になってきた時代に、
鉄パイプ訓練などなんの意味もないことは、
住民全員が認識しているように思う。

しかし公安の指示は絶対である。
訓練が無意味だとは、
誰も口にできない。

へたなことをいえば、
過激派のレッテルを貼られてしまう。
そのほうがよほど怖いのだ。

この空気はおそらく、
戦争時代の日本と同じだった。

戦時なのである。

中は新疆ウイグル自治区のなかに、
戦時という空気を広めようとしている節があった。

その意味を高めるために、
鉄パイプ訓練を思いついたのかもしれなかった。

テロは起きているかもしれないが、
戦時中の日本とは違った。

そのあたりは、住民も
わかっている気がする。

鉄パイプ訓練にしても、
皆が、そろっているわけではない。

鉄パイプを突きだす顔がにやけているわけではないが、
緊張感に支配されている訳でもない。
どこか投げやりなところも感じとってしまう。

(中略)

2016年、台湾の○英文総統が、
台湾の少数民族に対して、
正式に謝罪した。

これに対して、中政府内には
激しい反発の意見が出たという。

中に対する露骨なあてつけではないか……と。

中の少数民族問題といえば、
ウイグル人とチベット人問題がまず全面に出てくる。

民族弾圧ともとれる政策をとる中は、
ある意味、この問題にナーバスになっているのかもしれない。

新疆ウイグル自治区内にある、
ウイグル人の収容所が急増しているという指摘もある。

衛星写真を分析すると、
収容所の建物が急に大きくなっていることがわかるのだという。

収容されているウイグル人は、百万人を超えているともいわれる。

公安に反発したり、刃物をもっていたりすると、
過激派の関係を疑われ、
▼▼▼
簡単に収容所に送られるらしい。

収容所では、宗教的な信条を
脅かそうとする再教育が
繰り返されているという。

過去に収容所に入れられた経験をもつ
ウイグル人の発言も伝わりはじめている。

「この世に神などは存在しない」、
「宗教も存在しない」と詰問され、
への賛美を唱えさせられる。

▼そして、食事は豚肉……。
(👨イスラム教の人は豚肉を食べないのに!)

宗教弾圧の色合いすらあるという。



それでも彼らの笑顔が絶えないわけ

ウイグル人はいま、そんな環境のなかで生きている。

クチャではしばしば、市内をパトロールする
ウイグル人の隊列をよく目にした。

「南疆民兵」と胸に書かれた制服を着ていた。

南疆とは、新疆ウイグル自治区のなかで南部を示している。
政府はこうして
警備兵を雇うという懐柔策もとっている。

政府に従えば、
給料がちゃんともらえる仕事に就くことができる……と。

しかし隊列は足並みもそろわず、
手の動きもばらばらで、
統率がまったくとれていない。

それを目にして、つい吹きだしてしまった。

ときに腕に、「安全員」という腕章を腕に巻いた
中年女性が立っていた。

次々集まってくる人々は、
前後二列に整列をはじめた。

すると急に、腕章をつけた女性が、
かけ声をかけた。

(中略)

中の少数民族問題といえば、
ウイグル人とチベット人問題がまず全面に出てくる。

民族弾圧ともとれる政策をとる中は、
ある意味、この問題にナーバスになっているのかもしれない。

新疆ウイグル自治区内にある、
ウイグル人の収容所が急増しているという指摘もある。

衛星写真を分析すると、収容所の建物が急に大きくなっていることがわかるのだという。
収容されているウイグル人は百万人を超えているともいわれる。

公安に反発したり、刃物をもっていたりすると、
過激派との関係を疑われ、
簡単に収容所に送られるらしい。

収容所では、宗教的な信条を脅(おびや)かそうとする再教育が
繰り返されているという。

過去に収容所に入れられた経験をもつウイグル人の発言も
伝わりはじめている。

「この世に神などは存在しない」、
「宗教も存在しない」と詰問され、
への賛美を唱えさせられる。

そして食事は豚肉……。
宗教弾圧の色合いすらあるという。



それでも彼らの笑顔が絶えないわけ

▼ウイグル人はいま、そんな環境のなかで生きている。
クチャでは、しばしば、市内をパトロールするウイグル人の隊列を目撃した方が

「南疆民兵」と胸に書かれた制服を着ていた。
南疆とは、新疆ウイグル自治区のなかで南部を示している。

政府はこうして警備兵として雇うという懐柔策もとっている。
政府に従えば、給料がちゃんともらえる仕事に就くことができる……と。

しかし隊列は足並みもそろわず、
手の動きもばらばらで、
統率がまったくとれていない。

それを目にして、
つい吹き出してしまった。

ときに腕に、「安全員」という腕章をつけた女性が、
友だちと一緒に市場の車道で、鍋をつついているところも見た

本来は注意しなくてはいけない立場のウイグル人である。

幾度となく受ける検問にも、彼らはへこたれない。
いつも笑顔でバスに戻ってくる。

🌕そう、ウイグル人は、
いつもいい笑顔をつくって僕を迎えてくれる。
彼らはわかっているのかもしれない。
こういうときは、笑顔でやりすごそう、と。

シルクロードは、その道が生む利益のために、
常に周辺国の圧力を受けてきた。

激しい支配にも晒されてきた。
しかしそのなかで、何百年もシルクロードとともに
生きてきた彼らの体に流れる時間感覚からみれば、
中共党による中政府の歴史はあまりにも浅い。
たかだか七十年なのだ。

シルクロードの歴史は、現代に生まれた国の政策を凌駕している。
多くのウイグル人が、一見、柔順に政府の方針を受け入れているのは、
実はそういうことなのかもしれない。
そう考えると、漢字の民族の顔はどこか焦っているようにも映る。


(👩眠くて二回同じ部分を抜き書きしてしまった!
許してね。

👴👨👩👧👶
「内政干渉は許さない」
といってくる前に、
自分の国の大切な国民を
虐殺したりレイプしたりしてはいけないだろう。
それをやめてくださいと世界中の国々が言うことの
どこが内政干渉だというのか?
自分の国の国民なら何をしてもいいのか?
この進化した世の中で
またアウシュビッツを真似たアウシュビッツ以上の大惨事が行われていることに
驚愕しまた最高にがっかりしている。
戦国時代の者共がAIを手にするとこうなるのか!
そんなことしてはならないことなんて、
この時代に生きてる人の常識なんですよね!
ヒヤシンス王子を育ててしまった者が居て、
ヒヤシンス王子を言い聞かせる人も
やめさせることができる人も
この世に1人もいないということに驚愕する。
誰も命をかけて真剣にやめろと言わないし、
やっている人の本心もわからない。
人のいのちという大切なものについて
どういうふうな概念を持っているのか?
人権について、人のいのちは所有できないことを知らないのか?
そんなこと、この時代に生きてる人の常識なんですよね!

また、人権について世界共通の規則と法律を
この進んだ世の中でまだ決めていなかったのか?
なぜその揺るぎない規則に背く国が存在するのか?
そういう者に国を治めてもらい続けてよいのか?
いいわけない。
倫理観と道徳心を持たないことは非常に恐ろしいと感じ
身震いしている。
1日も早い肉体と精神の解放を望む、
祈る、願う。
😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢)



ひとり旅は立場が弱い。
しかしそれだからこそ、みえてくるものがある。
新疆ウイグル自治区の旅は検問だらけだが、
同じように、セキュリティーチェックに並ぶと、
🌕ウイグル人の心のなかが
少しだけわかった気にもなる。
🌕そして彼らの笑顔と優しさが
心に染みる。
(😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢😢
助けてあげて
🌊🐚🌊🐚🌊🐚🌊🐚🌊🐚🌊)



十年ほど前、ウルムチに一週間ほど
滞在していたことがあった。

僕(下川さん)は毎日、夜になると一軒の安い食堂に坐っていた。
そこは四川料理が多い店だったが、
店の入口の脇で、
ひとりのウイグル人のおじちゃんが
ケバーブを焼いていた。

ウイグル料理の店には
ビールが置かれていない。

しかしここは四川料理の店だから
ビールがある。
そしてケバーブも。



(👧ケバーブって、『大岡川桜祭り』の出店で見たよね?
あれがいわゆる日本人が呼ぶ「シシカバブ」なんだよね?
肉のとってもいい匂いがしたね、おかあさん!

👩そうだったわね。まだあのときの私たちは、
ケバーブがウイグルを代表する料理のひとつだということすら知らなかったわね。
あの肉の香りの遠い空の下に
ウイグル問題が起きていたのね。

👧そうだね。私たちは表面だけすーっとこするだけでなぁんにも知らない。

👴👨それではいけない!


👩蛇足だけど手のひらサイズの
『プチ玩具(おもちゃ)シリーズ』
のなかにシシカバブがあって、
お前はそれを大切に大切にしていたね)




新疆ウイグル自治区のケバーブは
焼き鳥のようでビールによく合う。

ウイグル人のおじちゃんは
ケバーブの注文が入らないときは
いつも店内にいた。

そして、客にビールや料理を運ぶウェイターの役もこなしていた。

店の脇でケバーブを売らしてもらう条件が、
店を手伝うということだったのではないだろうか。

いまはだいぶよくなってきたが、
漢字の民族の店のなかには、
サービスとは無縁というところがよくあった。

安い食堂はとくにそうだった。
店員はテレビを見続け、
いくら呼んでも腰をあげてくれない世界である。

この店もそうだった。
🌕しかしウイグル人のおじちゃんはいつもすぐに気づいてくれた。
メニューをもってきては、
まったくうまくない英語で説明してくれる。

(👧そのおじちゃんと、おじちゃんの家族は無事かな?
イヤだ、まさかもういないなんてことがあったら
ぜったいにイヤだ!)




実は(僕は・下川さんは)日本人だから、
漢字メニューの意味がかなりわかることを
ウイグル人のおじちゃんは知らなかった。

それを(おじちゃんに)伝えたかったが、
共通の言葉である英語のレベルは低かった。

❇️それでも僕は毎日、この店に通った。
ひとり旅の夕食は寂しい。
ときに孤独感に苛(さいな)まれることもある。

それを救ってくれたのは
🌜🌟ウイグル人のおじちゃんだった。

いつもケバーブを頼んだが、
一串一元の安さだった。

これで生活ができるのかと心配になったが、
それでもおじちゃんは、
働かない若い漢字の民族に
文句ひとつ口にするでもなく、
客の注文をとり、
料理を運んでいる。

新疆ウイグル自治区のなかの、
ウイグル人の立場は危うい。

それでも生きなくてはならない。

ひとり旅をしていると、
そんな世界がよく見える。

(引用、終わり)



(👴👨👩👧👶
下川裕治さん、
👑📖『シニアひとり旅
インド、ネパールからシルクロードへ』
旅人を魅了する、
その先のアジアへ

ありがとうございました。
📖📺『深夜特急』が好きだから
下川さんの書籍はほんとうに気になっていました。




四川料理が多い店の入口の脇で
ケバーブを売っているウイグル人のおじさんとご家族の方々へ、
どうかいまもお元気でいらっしゃいますよう、お祈りしています。)





ニュース

【自由 強権】在日女性が中のウイグル弾圧を告発 「国家分裂罪」と家族を脅迫 アジアの女性のために声を

2021/04/03 12:04 👑産経新聞

 中新疆(しんきょう)ウイグル自治区で、中によるウイグル族女性に対する人権弾圧が深刻化している。施設に収容されたウイグル人女性らが性的暴行や虐待、拷問が組織的に行われていたと証言しているが、中はその存在を真っ向から否定する。日本国内でも、遠い故郷で起きている人権弾圧を国際社会の力で阻止しようと、在日ウイグル人たちが抗議の声を上げ続けている。

 「ウイグル人の女性は強制不妊手術で命を落とした人が数多くいる。中によって生まれてこなかった赤ちゃん、生まれても自由に生きる権利を奪われた民族のために黙祷(もくとう)をささげてほしい」

 3月7日、東京・神宮前の国連大学前で、在日ウイグル人女性のグリスタン・エズズさん(36)はこう声を張った。集会には、それぞれの民族衣装を身にまとったウイグル自治区やチベット自治区、内モンゴル自治区、香港の出身者ら約40人が故郷での人権弾圧の即時停止を強く求めた。

 エズズさんは18歳まで暮らしたウイグル自治区で、人工中絶の事例を頻繁に耳にしてきた。ウイグル族の女性は3人目の子供を身ごもれば人工中絶させられ、第1子と第2子の間に十分な期間を空けなかったとして、中絶を強いられた女性もいたという。

 住んでいた村では、妊娠に関する取り締まりは同じウイグル族女性が担っていた。エズズさんは「(その女性は)がんで亡くなったけど、『ウイグルの赤ちゃんの恨みで早死にした』といわれるほど、村中から嫌われていた」と振り返る。

 米国務省は2020年版の国別人権報告書でウイグル自治区で「市民100万人以上が恣意的な収監やその他の手段で身体的な自由が奪われている」と指摘する。

 05年に留学などを目的に来日したエズズさんも自治区に残した家族と連絡が取れない状況が続いている。その発端は17年末だった。

 「弟は勉強に連れていかれた」

 家族からの電話は盗聴の恐れがあったのか遠回しな言い方だったが、弟が収容所に送られたと確信した。

 エズズさんは悩んだ末の18年8月、弟が施設に収容されたことを訴える動画をインターネット上に公開した。家族が弟を探していることを海外で明らかにすれば、中への牽制(けんせい)となり、結果として弟に危害を加えにくくなるだろうと考えたからだ。

 だが、事態はその思惑と逆の方向に動く。

 告発動画の公開直後、姉たちが中に事情聴取され、こう言われたという。「お前の妹は国家分裂罪を犯した。その責任はあなたらが受ける」。19年4月24日を最後に、エズズさんは故郷の家族と連絡が取れなくなった。

 「証言したことで、家族と連絡が途絶えた。他の親戚も収容されたかもしれない。自分のせいだ」

 今もエズズさんは精神的に落ち込み、安全な日本で抗議活動を続ける自分に無力感も感じている。


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 自治区の女性の人権問題は深刻化している。今年2月、複数のウイグル族の女性が、収容所で中の警察官らによる性的暴行が日常化していたと英BBC放送で告発した。中の報道官は「組織的な性的暴行や虐待は全く存在しない」と報道を否定するが、国際社会が求めている調査団の受け入れは拒んでいる。BBCの放送後も、自治区からの亡命者が収容所での性的虐待の実態を告発し続けている。

 エズズさんは「ウイグルの女性は強制手術を受けても、暴行を受けても、役人に文句を言うのは、死を覚悟しなければできない」と話す。それに比べ、日本は「自由」であふれ、人権も尊重される。日本人には「アジア全体を見て、ウイグルやモンゴル、チベット、香港の女性のためにも声を上げてもらいたい」と願う。

 エズズさんは抗議活動のツールでもある自身のツイッターにこう記している。


「ウイグル人の自由と独立を勝ち取る為だけに動く。
🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕
一人一人の意識が世論を変える、
🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕🌕
一人一人の行動が世界を変える」


👑(政治部 奥原慎平)


中よ、あなたが開発だ、進歩だと思っているものは
実は破壊なのだ。

日本はそれを通り越してきたからこそわかる。

けれど日本はジェノサイドなどしなかった。

月から地球を見てご覧なさい。
みんなひとつの国でしょう。
死ぬも生きるもみんないっしょなのです。
だから。

日本には、まだまだ宮崎駿さん、鈴木敏夫さんらが存在するけれども、

あなたの国には大革命から

こんな考えをもつ人々はきっと存在しない
かまたは出ていってしまった!

どうか人間からアイデンティティーを奪う行為はやめてください。

👑宮崎駿 鈴木敏夫との出会いから
スタジオジブリ設立まで(YouTube)
(nomorefry)
公開日:2021/04/04



宮崎駿先生の言葉
「何にこだわりたいかって言ったら
🌕昔、自分たちが受け継いだものっていうか、
子どもの時に観たもので、
その時に自分たちをワクワクさせてくれたもの、
そのなかに込められたものを
やっぱり自分は受け継いでやっていきたいって思ってるんです。

🌕親に庇護されて育っていろんなものを学びながら、
親から離れて独立して、自分の人生を切り拓いていく、
❇️その一点じゃないかって!

🌕いろいろ困難はあるけれども
❇️やっぱり生きるに値するんだって
ことなんじゃないかなって
思うんですよね!


どうだ、聞いたか中さん。
あなたのやりかたでは
これは無理だろう。
人間の重要で大切な人生のアイデンティティーに
無断で土足で入り、勝手にその人の未来を決定し
独断でその人の人生を終わりにするようなことをしてよいわけがないのです!
首相になるっていうことは、国民の味方になるっていうことですよ!
風土とか自然を抜きにして
そこに暮らす人々の人間関係は語れない。成り立たない。
風土とか自然とかそこに暮らす人々はいっしょでなければならないんです。
なぜそれを壊すのですか。
そんなこと、してはならないことは、
この時代に生きてる人の常識なんですよね!

しかし、また新疆ウイグル自治区では
当国の写真家が拘束されました。
そんなこと、してはならないことは、
この国際社会に生きてる人の常識です。
皆さんが1日も早くご家族のところに
生還されることを願ってやみません。