彼女は一言も返さなかったが、心の中で神に感謝した。母なればこそ、彼女は息子の中に躊躇と気力の萎えを感じ取り不安になったのだったが、今や思う通りの息子になった……。
事実パスカルは自分の気の弱りを反省し、感情に流されてしまった自分に腹を立てていた。その償いとして、これから五、六日はヴァントラッソン夫人にあれこれ問い質さないことを自分に課した。もし彼女がなんらかの不審を抱いたとしても、それだけ日を置けばほとぼりを冷ますのに十分であろう。
朝食の間、彼は言葉少なだったが、それは彼が早く戦いを始めたくてじりじりしていたからだ。行動を起こしたいと思うものの、どのような戦い方をすればよいか、を自問していた。何より肝要なのは、敵の位置を探ること、これから事を構える相手をよく知ること、とりわけド・ヴァロルセイ侯爵及びド・コラルト子爵とは一体何者なのかを正確に知ることであった。これら二人の過去について正確かつ詳細な情報を得るのはどこへ行けばいいか、どのような方法を取るべきか? 危険を冒して彼らを監視し、あちこちで少なくとも怪しいと思われる情報をこっそり手に入れるか? そういうやり方は煩雑でしかも時間が掛かり過ぎるように思われた。頭を絞っていると突然、マダム・ダルジュレの夜会の常連であるという男のことが記憶に蘇った。あの太った息の荒い見知らぬ男。あの奸計に遭った翌日、彼はユルム街まで会いにやってきて尊敬に値する人物であることを印象づけ、帰り際にこう言い置いていった。『もし何らかの援助が必要なときには、私の家の門を叩いてください』と。
「トリゴー男爵を訪れてみようと思います」と彼は母に行った。「昨日お母さんの言った虫の知らせが当たっているなら、彼は僕たちを助けてくれるでしょう……」
それから30分もたたないうちに、彼は目的地に向かっていた。その前に彼は一番着古した服に着替え、定職に就かず物乞いをして暮らす人間のような外見を上手く作り上げていた。更に顎鬚を剃り落とし、髪も短く切ると、すっかり人相も変わり、鏡を何度も注意深く覗き込ないと自分であることが分からないほどだった。名刺を見ても、彼であることは誰も気づかないであろう。彼は出かけるに際し、自ら次のように書いてポケットに忍ばせていた。
『 P.モーメジャン
よろず案件引き受け業
ラ・レヴォルト街道 』
パリで暮らした経験が、かのフォルチュナ氏が手広く展開しているのと同じ職業を彼に選ばせたのだ。実はその職業だけがそうというわけではないが、殆どすべてのドアを開かせることが出来る職業である。
「最初に見つけたカフェに入って紳士録を借りよう」と彼は考えていた。「トリゴー男爵の住所はすぐ見つかるさ」8.4