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エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

16章 11

2025-07-30 14:55:19 | ソーンダイク博士
「お宅のおかみさんにうちの家事手伝いを頼んでいることを知っている人がいましてね、その人からあなたに聞いてくれないかと頼まれたのですよ。例の仕事はやってくれる気があるのかって」
「ああ、もちろん、やりますよ。たった今もそれに取り掛かっていたところで……」
シュパンはそこから先は聞いていなかった。脱兎のごとく外に飛び出していた。服は乱れに乱れ、打ち傷だらけだったが、痛みなど感じなかった。それほど喜びが大きかったのだ。
「あの人がフェライユールさんだ」 と彼は思っていた。「そうに違いない。その証拠を掴んでみせるぞ……」
そこから二十歩ほどのところに、廃屋があった。シュパンはその陰に身を潜めた。やがてモーメジャン氏が高級家具付き貸し間の建物から出てくると、その後をつけた……。
その男はアスニエール通りを更に上って行き、右に折れてレヴォルト通りに入ると、ちっぽけな家の前で立ち止まった。シュパンは素早く近づき、そっと声を掛けた。
「フェライユールさん?」
その青年は反射的に振り向いた。それから自分が思わず正体をばらすというヘマをしてしまったことに気づき、シュパンに飛び掛かった。そして彼の両手首を掴むと、骨が砕けるほどに締め付けた。
「悪党めが!」 と彼は言った。「お前は何者だ? 私の後をつけろと誰に命令された? 何が狙いだ?」
「そ、そんなに締め付けないでくださいよ!痛いっすよ!俺は……使いの者です、マルグリットお嬢様の……」7.30
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16章終わりです。10月までに終わりまで漕ぎつけられるといいのですが……。ムリかな。
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16章 7

2025-07-19 08:05:14 | ソーンダイク博士
その夜、シュパンはよく眠れなかった。翌朝、五時から彼はアムステルダム通りをぶらつき、目を皿のようにして居酒屋の店先を一軒一軒覗き込んでいた。鉄道の荷物取扱係がいないかと探していたのだ。
ほどなく彼は、そのような男が一人『朝飯の前に一杯引っかけ』ているのを見つけ、たちまち仲良くなった。すぐに心安くなるための方法を彼は心得ていたのだ。しかし、この荷物取扱係は、残念ながら何も知らないと言ったが、彼の同僚の一人のもとへと連れて行ってくれ、その同僚は十六日の夜、老婦人の乗った馬車から荷物を下ろすのを手伝ったという。彼はそのときのことを完璧に覚えており、その老婦人はロンドンに行くとのことであった。
しかし、それらの荷物は発送されてはおらず、その老婦人はそれらを保管室に預けていた。その翌々日、怪しげな様子の太った女が預かり証を手にやって来て、その荷物の保管料を支払った上で、それらを引き取っていったという。
この話をしてくれた荷物取扱係の記憶にはっきり残っていたのは、彼が通例よりも愛想よく応対したにも拘わらず、この太った女は彼にびた一文もチップをくれなかったということだった。去りがてに彼女は、いかにも口先だけというような恥知らずな口調でこう言ったという。
「このお礼はするからね、兄ちゃん。あたしはアスニエール通りでちょっとした居酒屋をやってるんだけどさ、今度そっちの方に来たら、友だちと一緒でもいいよ、うちに寄っておくれ。とっておきのお酒をご馳走するからさ!」
この荷物取扱係がとりわけ腹に据えかねたのは、この太った女が自分を愚弄しただけだと確信したからだった。
「て言うのもさ、その女、店の名前も住所も言わなかったんだよ、あの腹黒の婆め!」と彼はぶつくさ不平を呟いた。「今度会ったら、ただじゃおかないからな!」
シュパンは既にその場から遠ざかっていた。この情報を与えてくれた男の泣き言は殆ど意に介さなかった。今や、追手を逃れるためにフェライユール夫人が取った策略が理解でき、彼の推測は確信へと変わっていたからだ。パスカルはやはりパリのどこかに身を隠している、ということが証明されたように彼には思われた。だが、パリのどこだ? 先ほどの太った女を探し出せれば、フェライユール夫人とその息子に行き着くことになるだろう。しかし、どうすればいいか?
その女はアスニエール通りで居酒屋をしている、とのことだった。それは本当だろうか? その漠然とした言い方は単に新たな用心深さの表れと見るべきではないのだろうか?
確かに言えることは、アスニエール通りにあるすべての酒場を知っているシュパンだったが、あの荷物取扱係が言っていたような逞しいおかみがカウンターの向こうにでんと陣取っているような店は心当たりがないということだった。7.19
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2-VI-3

2023-02-03 09:32:58 | ソーンダイク博士

 「マ、マダム・ダルジュレは?」

 「マダムは郊外にお出かけでございます」と門番が答えた。「今夜までお戻りになりません……もしお名刺を頂けましたら……」

 「ああ、いや! また来るからいい……」

 これはド・コラルト氏から特に注意を受けていたことだった。自分の名前を名乗るな、と。そしてダルジュレ邸を訪れるのは出来るだけ思いがけぬ頃合いを見計らうべし、とりわけ彼女に心の準備をする時間を与えないよう、身分を明かすことを控えるように、と……。それが成功に導く道なのだということを彼も最終的に納得したのだった。

 しかしこの最初の躓きに彼はことのほか苛立った。これから丸々午後いっぱいのこの時間をどうやって潰すべきか。不安とじれったさで頭がごちゃごちゃになった彼はじっとしていられなくなった。一台の馬車が通りかかったので、それに乗り込み、ブーローニュの森に向かわせた。それからまた大通りに戻り、『ナントの火消し号』の共同所有者の一人を捕まえてビリヤードに興じ、カフェ・リッシュで可能な限り長々と夕食を取った。

 八時の鐘が鳴ったとき、彼はようやくコーヒーを飲み終えた。素早く帽子を被り、手袋を嵌めると、マダム・ダルジュレの舘へと走って行った。

 「マダムはまだお帰りではございません」と門番が告げた。女主人がたった今起きたばかりだということを知っていたが、彼はこう言った。「でも間もなく戻られると思います……もしお差支えがなければ……」

 「いや結構だ!」とぶっきらぼうにウィルキー氏は答えた。

今回は心底腹を立て、引き返しながら何気なく通りを横切り顔を上げたとき、館の二階のサロンに灯りが灯るのが見えた。三階の窓の二つは煌々と火が灯されていた。

 「ああ、なんて女だ!」とこの利口な若者は不平を洩らした。「今度は騙されないぞ! ちゃんと居るんじゃないか!」

 マダム・ダルジュレが自分のことを召使いたちに知らせておいたのではなかろうか、という考えがふと彼の頭に浮かんだ。だから自分は門前払いを喰らったのだ、と。

 「確かめてやろうじゃないか」と彼は考えた。「明日の朝までここで監視することになったとしても!」2.3

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「もの言わぬ証人」出版

2021-03-03 10:05:14 | ソーンダイク博士

長い時間が掛かり、その間にいろいろなことがありましたが、

オースティン・フリーマン作「A Silent Witness」をようやく訳し終えました。

アマゾンで見てみたら「もの言えぬ証人」というアガサ・クリスティ作品があるようです。原題は”Dumb Witness" 、口がききたくても言葉を喋れない犬が唯一の目撃者、という設定。こちら、フリーマンの場合は死体。まぁ素朴なタイトルです。

以下のごとく、出版開始いたしました。

「もの言わぬ証人 前編」はこちらから

「もの言わぬ証人 後編」はこちらから

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ポルトン言行録(Mr.Polton Explains)

2020-03-07 09:54:31 | ソーンダイク博士

「物言わぬ死体」もそのうち再開するつもりですが、ソーンダイク博士の家に住み込みで働いているポルトン---小さな大司教みたいな人、とジャーディーンに言われていた人物---が語り手となっている中編があるので、それを先に訳していくことにします。幼いとき両親を失い、おばさんに引き取られた少年ポルトンは天性の時計職人、ところが・・・。100年ちょっと前のイギリスの労働者階級の暮らしが描写され、ディッケンズを髣髴とさせます。軽妙さが売り、と本人は思っているようですが、ときに受けを狙ってすべるところなど、「物言わぬ」と似た雰囲気もあり。本邦初訳(多分)なのが訳者としては楽しいところ。

 いずれにせよ、作者自身、大いに楽しみながら書いているということは強く感じます。それが訳出できれば、と念じつつ・・・。

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