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エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

17章 10

2025-09-02 09:30:38 | 地獄の生活
彼女は自分の抱える問題で頭が一杯だったので、マダム・レオンのことを忘れていたが、マダム・レオンの方では忘れるどころか、先ほどからずっとサロンのドアにぴたりと貼り付き、身を丸めて聞き耳を立てており、ギュスターヴ中尉と大事なお嬢様とのやり取りの内容がひとつも聞き取れないことを悔しがっていた。
思い返し反省すること、をマルグリット嬢はしようと思わなかった。真相を勘づかれてしまったことや、峻厳さを押し通すことが出来なかったことなどは、今やどうでもよかった。中尉から強引に要求された約束を彼女は守り抜く決心をしていたからだ。それでも心のどこかでは、不思議な虫の知らせがあり、『将軍』夫妻への処罰はやはり相当なものになるであろうし、彼らの息子はどんなに厳しい裁判官より彼らに情け容赦ないであろうと感じていた。
大事なことは、かの老治安判事に事態を知らせることだ。彼女は手早く二枚の便箋に今夜起きた事を書き記した。明日にはこの手紙をポストに入れる機会を見つけることが出来るであろう。
この仕事が終わったので、まだ早い時間ではあったが、彼女はベッドに横になり、頭から離れようとしない苦しい思いから逃れようと、本を一冊手に取った。ああ、しかし、それは儚い望みだった。
彼女の目は文字を読み、行を追い、ページからページへと移って行くのだが、心は意志に反して勝手に駆け出して行き、あのいかにも我に成算ありという顔付きの少年、パスカルを見つけ出してやると誓ってくれたあの少年のことを考えてしまうのだった。
 真夜中を少し過ぎた頃、フォンデージ夫人が劇場から帰宅し、すぐに小間使いの女中に厳しい口調で叱責を始めた。部屋に火を入れておかなかったことで……。
 かなり後になって『将軍』も帰宅した。歌を口ずさみつつ上機嫌の態であった。
 「息子さんとは会ってないんだわ」とマルグリット嬢は思った。
それやこれやの心配事でマルグリット嬢の頭の中は一杯になり、彼女を酷く苦しめた。なかなか寝付くことが出来ず、明け方になってようやくまどろみに落ちたが、それも長くは続かなかった。まだ七時半にもならない頃、彼女は家の中から聞こえてくる意味不明の喧騒とハンマーの音で目が覚めた。
何事だろうかと、その理由を考えていたとき、フォンデージ夫人が既に着飾った姿でマルグリット嬢の部屋に入ってきた。バッスルで腰の後ろをとてつもなく膨らませ、三層になったスカートを纏った姿だった。
 「貴女を連れ出しに来たのよ、マルグリットちゃん」と彼女は言った。「この館の所有者がついに家の修理を承知したので、工事人たちが私たちのアパルトマンの中に入ってきたの。『将軍』はもう避難をしましたよ。私たちもそうしましょう……。さぁ貴女も綺麗にして、早く出て行きましょう」9.2
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17章 9

2025-08-30 10:15:32 | 地獄の生活
彼は出て行こうとした。既にドアを開けていたが、最後の一縷の望みが彼を再びマルグリット嬢のもとに引き寄せた。彼女の手を取りながら彼は言った。
「私たちは友人ですね?」
マルグリット嬢は氷のようなぐったりした手を引っ込めはしなかった。そして殆ど聞き取れないほどの声でその言葉を繰り返した。
「私たちは友人です!」
マルグリット嬢から中立を守るという言葉以上のものは得られない、と悟ったギュスターヴ中尉は足早に出て行った。マルグリット嬢は死んだようにぐったりして椅子に再び腰を下ろした。
「ああ神様、これから一体どうなるのでしょう!」と彼女は呟いた。
あの不幸な若者ギュスターヴ中尉がこれから何をしようとしているか、彼女は十分に分かっていると思っていたので、はらはらしながら耳を澄ませていた。『将軍』と彼の間に起こるであろう激しいやり取りは、おそらく彼女のところにまで聞こえてくるであろうから。
実際、すぐに中尉の短く引き攣ったような声が響いた。
「父上はどこだ?」
「『将軍』はクラブにお出かけになりました」
「で、母上は?」
「『伯爵夫人』はお友達がオペラに誘いにいらしたので、ご一緒にお出かけになりました」
「なんと、狂気の沙汰だな!」
それでおしまいだった。外に通じるドアがかつて聞いたことのない激しさで開かれ、叩きつけるように閉じられた。その後聞こえてくるのは召使たちの冷笑だけだった。
フォンデージ夫妻が手はずを整えたこの会見を、最後まで見届けなかったのは途方もない失態ではなかったか。その結果に彼らの人生が懸かっていたというのに!
しかし彼らは、未だ解明されていない犯罪によって突然、巨額の富を手にしたのである。彼らは錯乱状態に陥り、後先を考えることもなくその金を両手で掴めるだけ掴んだのだ。おそらく、猛獣が餌食に飛び掛かるように、金をいくらでも遣えるという喜びに我を忘れ、己の貪欲さを満たすことに心を奪われ、良心の声を押し殺し、忘れ、考えないようにしていたのだろう。
マルグリット嬢が考えていたのはこのようなことだった。が、そう長くは一人で考えに耽っていはいられなかった。ギュスターヴ中尉が立ち去ったことが合図となったのであろう、召使たちがテーブルを片付けるために入って来た。よく訓練されたとは言い難い召使の一人から蝋燭を一本貰うことはなかなか大変だったが、マルグリット嬢はそれを持って自室へと引き上げた。8.30
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17章 8

2025-08-27 09:18:15 | 地獄の生活
「そう、犯罪によって……。ド・シャルース伯爵の死亡時、書き物机に保管されていた二百万フランが消えてしまったのです。盗んだのは誰か? あろうことか私が疑われました……。貴方のお父様はそのことを貴方に仰った筈です。その際私に対し被せられた疑惑も。それはまるで罪人に焼き印を押すような苛烈なものでした」
彼女は言葉を止めた。ギュスターヴ中尉の顔は蒼白になっていた。
「神様、何ということだ!」 と彼はぞっとするという調子で叫んだ。それから突然身を貫くような光明が見えたかのように、いまにも外に飛び出して行くような身振りをした。がすぐ考え直した様子でマルグリット嬢の前に頭を垂れ、控えめに、押し殺した声で言った。
「お嬢様、お許しください……。私は自分が何をしているのか分かっていませんでした。私は馬鹿げた期待をかけられ、甘やかされ、自分を見失っていました。謹んでお願いします。どうか私を許してくださいと……」
「許しますわ、貴方を」
しかし彼はまだ彼女から離れようとしなかった。
「私は一介の中尉に過ぎません」と彼は尚も続けた。「肩章以外には何の財産もなく、不確かな昇進以外には未来もないような男で……。私は考え足らずで頭がどうかしていました。これまでの人生、愚かなことはたくさんしてきましたが、私の過去に、心底恥じねばならないことは断じてしていません……」
彼はマルグリット嬢の目をじっと見つめた。彼女の考えの奥の奥まで読み取ろうとしているかのように。そしていつもの彼の軽い調子とは打って変わった重々しい口調で言った。
「もし私の家名がその……傷つけられることでもあれば、私の経歴はそこで終わります。私は辞表を提出するしかなくなるでしょう……。私はあらゆる努力をして名誉が傷つくことのないようにしたいと考えています。と同時に、不当に誤った嫌疑をかけられた人に対する正義がなされねばなりません。どうかお約束願いたいのです。私のこのような意図の実現を妨げないと」
マルグリット嬢の全身はがたがた震えた。今になって彼女は自分の物の言い方がいかにとんでもなく軽率だったか、を悟ったのである。この男はすべてを見抜いたのだ……。それでも彼女は沈黙を貫いた。すると彼は取り乱した様子で言った。
「貴女に懇願しているのです」 と彼は固執した。「跪いてお願いすれば叶えてくださるでしょうか?」
彼はマルグリット嬢に大きすぎる犠牲を払ってくれるよう頼んでいるのであった……。だが、このように切々と苦しみを訴えられて、冷淡でいられるものだろうか……。
「今後私は中立の立場にいるように致します」と彼女は呟くように答えた。「これが貴方にお約束できる精一杯のことです……。やがては天が裁いてくれるでしょう……」
「感謝します!」と彼は悲し気に答えた。おそらくはもう遅すぎるのだろうと感じつつも……。8.27 
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「地獄の生活 前編」出版

2025-08-26 20:25:00 | 地獄の生活

二部構成のこの長編小説の前編をさっさと出版しなかったのは、おそらく最後まで辿り着けないだろうと思っていたからです。が、なんと終わりまで到達しそうな感じになってきました。表紙は使い回しの自作の絵、土星。何の関係が?と聞かれると、それがないんです、と答えるしかないのですが……。 5年超のこの年月、個人的にはいろいろありすぎて眩暈がしそうですが、訳している時間はいつも本当に楽しかった。それ以外の言葉が見つかりません。といっても、まだ終わったわけではないんだった! あともう少し頑張ります。では。

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17章 7

2025-08-21 09:08:56 | 地獄の生活
「貴方のお父様は」 とマルグリット嬢は続けた。「ド・シャルース伯爵の御友人なので、伯爵家の食卓で五回か六回私と同席されました。それで一体私の何を御存じなのでしょう? 一年前、突然に私はド・シャルース邸に連れて来られ、それ以来伯爵は私をご自身の娘のように扱ってこられました。それだけのことです。私が何者なのか、どこでどのように育てられたのか、私の過去がどのようなものか、フォンデージ様は貴方と御同様、何もご存じありません……」
「両親からは、貴女がド・シャルース伯爵の御令嬢だと聞いています……」
「その証拠は? ご両親はこう仰るべきでした。私は哀れな捨て子で、マルグリットという名以外に名前を持たない人間だと……」
「ええ!そうだったのですか!」
「ご両親はこうも仰るべきでした。私は貧しい、とても貧しい人間なので、あの方々がいらっしゃらなければ、私は日々のパンを得るために労働者にならねばならなかったでしょうと……」
中尉の唇に、信じられないという薄笑いが瞬間浮かんだ。それから、マルグリット嬢は自分を試しているのかもしれない、という考えが浮かび、それが彼を少し落ち着かせた。
「マルグリットさん、あなたはちょっと大袈裟に話しておられませんか」 と彼は言った。
「私は何も大袈裟に言ってなどはおりません……私がこの世に持っている財産は一万フランほどが全てです。あらゆる神聖なものにかけて断言いたします」
「それじゃあ規定の持参金にすら満たない……」と中尉は呟いた。
彼は嘲弄しているのだろうか? 信じられないという彼の顔つきは心からのものだろうか、それとも演技だろうか? 実際のところフォンデージ夫妻は彼にどう話していたのだろうか? 夫妻は息子に全てを打ち明けていて、彼は彼らの共犯者なのだろうか、それとも夫妻はこの奇妙な会見がどう転ぶか読めなかったため、息子に何の警告もしていなかったのだろうか?
この点をマルグリット嬢ははっきりさせねばならないと考えた。そして心乱れていた彼女は、いくつかの言葉が持つ測り知れない影響については深く考えなかった。
「貴方は私がとてもお金持ちに違いないと思っておられるのでしょうね。そのことは私にだってよく分かります。もし私がお金持ちだったとしたら、貴方は罪を犯した女からは距離を置こうとするように、私から遠ざかろうとなさる筈です。だって、私がお金持ちになるとすれば、それは犯罪によって、ですもの……」
「お嬢さん、何ということを仰るんです!」8.21
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