エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XII-5

2024-07-24 10:59:56 | 地獄の生活
そう、この私、トリゴーは大事にされ、甘やかされ、ちやほやされる、でなければ、残念ながら金は出さぬ。このやり方を教えてくれたのは、私の古い友人でしてな、私と同じ成り上がり者で、彼の幸福な家庭を私は長年羨ましく思っておったのです……。この友人が私にこう言いました。『友よ、聞いてくれ。わしは妻や子供たち、それに娘婿たちに囲まれて暮らしておる。居酒屋に居座った貴族みたいに。わしは一か月につきこれこれの値で自分に最高級の幸福を注文する。注文どおりの品が出てくれば、金を払う。そうでなければ、わしは現金窓口をピシャっと閉めるというわけだ。ときに何かちょっとした追加のサービスをつけてくれたりすれば、そのときは別途で払う。値切ったりはしない。ギブアンドテークだよ……。わしのやり方を見習うんだ、そしたら上手く行く。料金だと思うのだ。それ以上のものだと思っちゃいかん』とね。
で、私は彼の真似をすることにしましたよ、フェライユールさん。それは良いやり方だし、実際的で、いわゆる『ご時勢』にも合っていますしね。ここに至るまでには、私もいろいろと考えましたよ。今までさんざん言いなりのお人好しを演じてきましたがね、余生は家長としての生き方をしようと。でなければ、神かけて申しますが、自分の家族が飢え死にするなら勝手にそうさせておきます!」
彼の顔は紅潮し、額の血管は膨張していた。が、それは怒りのためか、声を低めて話さねばならぬ、と自分を抑えていたためか、どちらとも分からなかった。彼はふうっと長い息を吐き出し、今までより落ち着いた声で続けた。
「しかし貴方は事を成功させねばなりません、フェライユールさん。しかも素早く。そして貴方の愛する……その、娘さんが父親の遺産を受け取れるように……。ド・シャルース伯爵の遺産がいかに悪辣な者の手中に今まさに落ちようとしているか、貴方はご存じない……」
男爵は、マダム・ダルジュレとその破廉恥な息子ウィルキー氏の話をパスカルに話して聞かせようとしていた。そのとき、玄関の方から騒々しく言い争う声が聞こえてきたので、それは遮られてしまった。
「おや! 私の家に勝手に上がり込んできたのは一体誰なんだ……」と彼は呟いた。
彼の書斎のドアが開けられる音が聞こえ、その後すぐに甲高いしわがれ声が聞こえた。
「なんだ! ここにも居ないのか、何ということだ!」
男爵は怒りの身振りをした。
「カミ・ベイだ」と彼は言った。「あのトルコ人と私はくだらぬ賭けをしたのです……悪魔にでも攫われてしまえ! だが、彼は今にもここまで来て我々を捕まえる気です……こちらから会いに行きましょう、フェライユールさん」
書斎に戻ると、貧弱な髭をした太った男がパスカルの目に入った。鼻は平たく、真っ赤で、ひどく小さい目が斜めについており、肉感的というより動物的な分厚い唇をしていた。一種の黒いチュニック・コートのようなものを着てきちんとボタンをかけ、トルコ帽(赤い円錐台形で黒い房が付いている)を被っていた。その様子は赤い蝋で封をされた中央の膨らんだ瓶を思わせた。
これがカミ・ベイだった。外国からの金を一杯に載せて運ぶガリオン船のような男。パリに惹きつけられはするものの、それはこの街の煌めきや栄光にではなく、その退廃や恥ずべき面に引き寄せられる野蛮人であり、文明に触発されることは殆どなく、何でも金で買えると思い込んでやって来ては、また同じ思いを抱いて帰って行く男である。ただ、このような奇怪な男たちの中でも、このカミ・ベイという男は更に恥知らずで冷笑的かつ傲慢であった。大層金持ちであるということで、彼は常に人々に取り巻かれ、もてはやされ、へつらわれ、ちやほやされていた。また彼は様々な策を弄する下衆どもや高級娼婦たちによって、大いにぼったくられるカモでもあった。彼はまぁまぁのフランス語を話したが、それはむしろ特殊な私室や怪しげな溜まり場で使われる隠語の類であり、いずれにせよ酷い訛りがあった。7.24
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2-XII-4

2024-07-17 07:11:53 | 地獄の生活
「恐縮の至りです」と彼は言った。
「結構、結構」
「私がここに参りましたのは、まさに貴方の仰るとおりのことをお願いするためでした」
「でしょう! これで良い、これがベストです」
「ですが、私が何を意図しているか、それだけでも話させてください……」
「それには及びませんよ、君」
「どうか、お願いです! 私の計画を推し進めるうち、貴方の御意向、お気持ち、言葉、それに行動までも引き合いに出さねばならぬ事態が生じて来るでしょう。それらを貴方は後で撤回なさることも出来ます。私を安心させるために……」
男爵は、そんなことはどうでもいいことだ、という身振りをし、指をパチンと鳴らして、彼の言葉を遮った。
「何も心配せず、やりたいようにやってください」と彼は言った。「かの侯爵と忠実な手下であるコラルトの正体を暴くという目的を果たすのであれば、万事良しです。私のことなら、お好きなように利用して下さって結構、私は何も気にしませんよ……。ヴァロルセイの目に貴方はどう映るか? モーメジャン氏、私の代理人の一人、じゃありませんか? 私はいつでも貴方の行為を取り消すことが出来る」
それから彼の『若き友人』であるパスカルの計画は隅々までお見通しだ、ということを納得させねばならないと心に決めているかのように、付け加えた。
「それに、貴方が金満家の実務処理を任されている人間だということは誰しも承知するところです。ということはつまり、金ぴかのメダルのくすんだ裏側ということです。金満家というのは愚か者でない限り、金子の用立てを頼まれれば、いつでも微笑を湛えて「ようございますとも、喜んで!」と答えるものです。ただ、その後に続けて言う。「実務担当をしている私の代理人と話をしてください」とね。そしてこの代理人がいろいろと異議を差し挟み、最終的に自分の依頼人は現在自由になるお金がありませんので、と言って『ノン』を突き付ける……」
パスカルは尚も主張しようとしたが、男爵は取り合わなかった。
「もう、いい加減にしましょう」と彼は言った。「こんな無益な話で貴重な時間を無駄にするのはやめましょう……一日は二十四時間しかない。お分かりのように私はあまりに忙しくて丸一日カードに触る暇もなかった……実は、私はマダム・トリゴーと娘と娘婿のために、ちょっとした思いがけない贈り物を考えておるのですが、どうやら上手く行きそうです」
この不幸な男は笑い声をあげたが、それはなんとも耳障りな笑いであった!
「つまりですな」と彼は言葉を続けた。「毎年毎年、私は何十万フランという金を与えているが、その見返りとして妻には騙され、娘からは嘲弄され、娘婿からは間抜け扱いされ、この三人から揃って陰口を叩かれておるのです。ですが、私はまだそれを続けてもいい、婿殿言うところの『金蔓』であり続けても良いと思っている。但し、その金に対し、彼らが本物のとは言わぬまでも、せめて見せかけの愛情、献身、尊敬、そういったものを見せて私を喜ばせてくれたら、です! 内容の伴わぬ見せかけ、結構!7.17
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2-XII-3

2024-07-11 10:04:37 | 地獄の生活
「ああ、確かに、仰るとおりです。それは確実に戻って来ない、と言うべきでした。で、そこから私にとっての問題が生じるわけで……貴方がこの大金を私に託してくださるのはひとえに私のためですね? 私自身を始め、世の多くの人にとってひと財産とも言えるこのお金を? もちろんそうですよね……そこでなんです。このような犠牲を貴方にしていただく資格が果たして私にあるのでしょうか? 私はその御親切に報いることが出来るどうか分からないのに……十万フランというお金を私は貴方に返すことが出来るのか?……そう思うわけなんです」
「しかしこの金は貴方がド・ヴァロルセイの懐に飛び込み、信頼を得るために欠かせないものではないですか……」
「確かにそのとおりです。もしこのお金が自分のものであれば、私は躊躇などしないのですが……」
トリゴー男爵は元からパスカルの性格を非常に高く評価していたが、これほどまでの誠実さから来る配慮を見せられ、心を動かされた。大富豪は誰でもそんなものだが、自分の貧乏を恥とせず威厳を持って振る舞う人間を彼は殆ど見たことがなかった。彼の知る貧乏人とは、二十フラン金貨が落ちていれば、それがどぶの中でも、這いつくばってでも喜んで取りに行く人間たちだった。
「いいですか、親愛なるフェライユール君」 と彼ははっきりした口調で言った。「ご安心なさい。私がこの犠牲を払うのは、あなたの為ではありません」
「え?」
「私の名誉を賭けて申し上げる。もし貴方という人がいなくとも、私はどっちみち十万フランをヴァロルセイに貸すでしょう。もし貴方がそれを彼に持って行きたくないと言うのであれば、別の者にやらせるだけですよ……」
このように言われては、これ以上議論するのは気まずくなるだけであろう……。パスカルは差し出された男爵の手をぐっと握りしめ、ただ一言だけを発した。だがその口調にはあらゆる誓いと同じ価値があった。
「感謝します」
男爵の方は礼儀正しく肩をすくめた。こんなことは何でもありませんよ、お礼には及びませんと言う代わりに……。それから、彼のいかつい身体つきによく似合う、ややぶっきらぼうな調子で言った。
「よろしいかな。この金子はいかようにも貴方の好きなように使ってくだされば良いのですぞ。それが貴方のために最上の働きをすれば、それはそのまま私のためにもなる。いつどのようにド・ヴァロルセイ氏の手に渡すかは、貴方の判断に委ねます。一時間後であろうと、一か月後であろうと、一度にであろうと五十回に分割してであろうと、またいかなる条件をつけようと、意のままに……。この十万フランは犬を溺れさせるために首に巻き付ける紐だと思ってください……」
男爵は野卑な親爺風を装いながら、抜け目のない洞察力を隠していた。パスカルはそれを理解し、自分の胸中が見透かされていると感じた。7.11
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2-XII-2

2024-07-04 08:52:35 | 地獄の生活
男爵夫人が自然のままでいることを選んでいれば、今頃どんな姿でいることだろう! というのは、もともとの彼女の髪はマルグリット嬢のものと同じく黒であり、三十五歳まではそうしていた。それから赤毛が疫病のように爆発的に流行したときは赤毛に染め、廃れるとやめた。このようにして今でも四日に一度は美容師が彼女の頭に特殊な液を塗りにやって来る。その後太陽光を浴びながら乾かすため、数時間はじっとしていなければならない。そうすることで髪により金色の光沢を与えることになるという……。
そんなことはどうでもよい!パスカルがまだこの出会いに気が動転していたとき、召使が男爵の書斎のドアを開けた。それは巨大な部屋で、この一間だけで家賃三千フランのアパルトマンがすっぽり収まるかと思われた。調度品は、気に入った物はなんでも即座に買うことの出来る金持ちが集めるような特別に豪華なものばかりだった。その中に男爵が居て、山のように積まれた書類の整理に没頭している数人の男たちの中で非常に忙しそうにしていたが、パスカルの姿を見るや、勢いよく立ち上がり、手を大きく差し出しながら彼の方に近づいてきた。
「ああ、いらっしゃいましたね、モーメジャンさん!」と彼は叫んだ。
彼はちゃんとパスカルの別の名前を覚えておいてくれた! これは些細なことではあるが、この上ない吉兆であるように思われた。
「はい、参りました……」とパスカルは言い始めた。
「ああ、もちろん、もちろん」と男爵は彼の言葉を遮って言った。「さぁこちらへ。二人でお話をしましょう……」
そしてパスカルの腕を取り、書斎から二重ドアで隔てられている寝室へと彼を導いた。ただ、この二重ドアの扉は取り払われ仕切り幕で隔てられていた。寝室に入ると、男爵は話し声が隣の部屋に聞こえる可能性があるので低い声で話さねばならない、と身振りで示した。
「いらしたのは、私があのヴァロルセイ侯爵に用立てると約束した十万フランをお受け取りになるためですね……」
「確かに、男爵……」
「結構、今お渡ししますよ。いらっしゃることが分かっておりましたので、ちゃんと用意してあります。ほら、ここに……」
男爵はライティングテーブルの蓋を開けると、千フラン札三十枚の束と六万フランのフランス銀行手形を取り上げ、パスカルに手渡しながらこう言った。
「さぁ、これだ。ちゃんと額面を確かめてください……」
しかしパスカルは突然顔を真っ赤に染めたまま、黙っていた。というのは、この大金を実際目の前にしたとき、ふとある考えが頭に浮かんだのだ。ごく自然な考えではあるが、今まで思いつかなかったものである。
「え? 何です?」彼の突然のあきらかな躊躇を見て驚いた男爵が尋ねた。「どうかしましたか?」
「いえ、男爵、何でもないんです。ただ、ふと思ったのです……どう言ったらいいか……私はこのお金を受け取るべきなのか、受け取っていいものかと……」
「なんと!何故そんなことを仰る?」
「つまりその、もし貴方がこのお金をド・ヴァロルセイ侯爵にお貸しになれば、それはおそらく戻っては来ないでしょう」
「おそらく、ですと? 貴方は控え目な言い方をなさる!」7.4
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2-XII-1

2024-06-28 06:58:19 | 地獄の生活
XII

 トリゴー男爵は喜んでパスカルの指示に従うこと、そしてどんな提案も何の異議も唱えず受け入れる、という好意を示してくれた。それを疑うなどは全く子供っぽいことであった。彼と男爵は共通の利害を持っていることを思い出せばそれでよかったのだ。彼らは共通の敵に対し同じような憎悪を抱いていたし、同じように復讐の思いに取り付かれていたからだ。それに、男爵と会って話をしてから起きた数々の出来事も男爵の性格を疑わせるようなものは何もなかった。
あれ以来彼が遭遇した場面というのはマダム・ダルジュレとその破廉恥な息子ウィルキー氏の間に起きたおぞましい諍いであり、そのとき彼はコラルト子爵の悪辣さを知ったのだった。
しかし不幸というものは、人を臆病にそして疑い深くするものだ。パスカルの警戒心はヴィル・レヴェック通りにある男爵邸に到着して初めて霧消した。応対に出た召使たちの態度で自分が男爵にどれほど高く評価されているかがよく分かったからである。使用人たちにどのように迎えられるかで、その家の主人が自分のことをどう思っているかが分からぬ者はよほどの迂闊者と言えよう。
パスカルが召使に名刺を渡すと、相手は恭しく挨拶をし、「どうかこちらにお越しくださいませ」と言った。「主人は只今仕事中でございますが、貴方様がいらした際には構わぬからすぐにお通しせよと申し付かっております」
パスカルは何も言わず、彼の後について行った。トリゴー邸の様子は以前に見たときと同じように彼を驚かせた。なにもかもが贅沢で光り輝いており、王侯貴族のような気前の良さ、無頓着さが感じられた。使用人たちは、まさに軍隊というほど大勢であったが、きびきびと、しかし急がぬ様子で行ったり来たりしていた。
中庭では千ルイの値が付くであろうような馬が二頭、男爵夫人のものであろう小型の箱馬車に繋がれ、前足で地面を蹴っていた。玄関では朝取り替えられる花々が芳香を放っていた。
ただ、最初の訪問時にはパスカルはこの邸の一階部分しか見ていなかったが、今回は二階へと案内されていった。男爵の書斎のある場所である。
彼は金メッキの手摺のついた大理石の階段をゆっくりと上っていった。素晴らしく豪華な絨毯、フレスコ画、高価な彫像などを感嘆しながら眺めていると、頭上で絹の衣擦れの音が大きく聞こえてきた。かろうじて脇に身をよける暇しかなかったが、一人の女性が急いで通り過ぎていった。頭をつんと持ち上げたままで、彼の方を見ようともしなかった。
彼女は四十歳を過ぎているようには見えず、まだ大変美しかった。髪は光り輝く金髪で、首筋の上で途方もなく大きな髷の形に纏め上げられていた。その衣装はと言えば、カットは奇抜で大胆そのもの、辻馬車の馬も棒立ちになるほど派手で、彼女のタイプの美貌にとてもよく似合ったものであった。
「男爵夫人でございます」と召使はパスカルの耳元で囁いた。
言われなくても分かっていた……。以前たった一度だけ、それも時間にしてほんの一秒ほど彼女を見かけたことがあったが、それは生涯忘れ得ないような状況でのことであった……。彼女を最初に見たとき彼が強く感じた恐ろしい印象が何故なのか、今までは分からなかったのだが、彼女のことを知った今は説明がついた。マルグリット嬢はこの女性に生き写しだった。髪の毛の色を除いて……。6.27
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