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PSYCHO kui METALLICS Vocal HIROCK オフィシャルブログ

八月十五日

2006-08-15 15:29:15 | PSYCHO kui METALLICS
どんなに反戦を歌っても、平和は来ない。
争いがない事がイコール平和じゃないからだ。もちろん平和はキリスト教の教義とは違うし、ラスファタリズムでもない。当然民主主義なんてシロモノでもない。

反戦を歌う歌は、音楽のクオリティは別として、くだらない内容の曲が耳につく。反戦を歌う人の殆どが、平和ではなく戦争がない事を願っているからだ。もしくは、一元的な平和を押しつけているからだ。何の責任感もなく、ただ争う事を恐れる歌。まるで全ての死に意味がないかのような歌。なぜ人が争い、人が殺しあうのか。人が人を殺す事を止めるには、ただ争いを恐れ、願っているだけでは止められないのに。もう一つ言えば、音楽は人の心を動かす力を持っている。持っているのに、今日もくだらない歌の下に人が殺しあうのだ。

人には、文化、価値観、モノの考え方、色んな言い方の“違い”がある。ただ日本人の感覚で誠意を表してもダメだと言う事は薄々わかっている。グローバル、インターナショナル、色々言うけれど、今現在日本人のグローバルはアメリカ的な事に集約される気がしてならない。もちろんそれではヨーロッパ人はもとより、アジアやアフリカの人達とは相容れない。日本人は、日本人の自己主張をしなければならないのだ。潔然と、妥協する事のない主張の先に、他民族とのボーダーが見えるのだと思う。

今日は、日中戦争から始まった大東亜戦争が一応の終わりをみた日だ。沢山の軍人がアメリカやイギリス、中国国民党との戦いで亡くなり、民間人はアメリカの空爆で亡くなった。今ならば世界的な批判に晒されるハズの都市部への爆撃は原子爆弾の投下へとエスカレートし、100万人規模の民間人が殺された。

戦って死んだ者もいれば、ただ殺された者もいる。彼らは何かを護る為に自らの命を堵した。護る事、残す事を願って死んだのだ。本当の平和の為に争う事を恐れなかったのだろう。

おれは、あの戦争を戦った人達が護った物、残した物を受け継いだ事を誇りに思う。いつか、ただ争わないだけのくだらない世の中を打ち壊して、本当に人と人とが理解し合えるような、ぶっ飛んだ歌を歌えるようになりたい。



最後になりましたが、あの戦争で亡くなった方々の御冥福を心よりお祈り致します。

佐藤様☆

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