記憶のスクラップ・アンド・ビルド

当然ながら、その間にタイムラグがあり、
それを無視できなくなることこそ残念です。

震災から1年

2012年03月08日 04時38分39秒 | Weblog
3.11から1年経つが、復興は遅々としており、同じ震災がまた襲ってきたら同じようなドタバタの対応を繰り返すのではないだろうか。
原子力災害の恐怖と不安は時間の経過で小さくなり、やがて消えるだろう。
それは「安全神話」の復活になるのだろうか。

民間事故調(委員長;北沢宏一)による報告書の要旨がサイエンス・ポータルのサイトにある。
http://scienceportal.jp/news/daily/1203/1203022.html
既に一般のTVや新聞でもコメント付きでその断片が報道されているが、断片の抽出やコメントは調査を担当したスタッフのツイッターを見ると当を得たものでないし、通して読んで改めて隔靴掻痒の感が有る。

「原子力ムラと呼ばれる集団が主体になって安全神話を作った」、「安全神話が原発事故の遠因の遠因になった」という。
「安全神話」は、いつか日本も核武装しなければならないと考える人々が、被爆国民の核アレルギーを消去するために意図して築き上げたことは周知でなかったのだろうか。
核武装の必要性は、政官財界のエリートと自認する人たちが今なお保持していて、一旦緩急あれば直ちに核兵器を製造するという考え方があって、使用済み核燃料を蓄積し、再処理を行ってきたのではなかったのか。
そのことを時々に言明している有力な政治家が有るのは、それが近隣で瀬戸際政策を執っている国への核抑制策になると考えているのだろうと思う。

「結果的に安全神話を追随することになった一般国民」も「原子力ムラ」のひとつだとしている。
それは問題の焦点を曖昧にしているように思える。

原子力災害は平時に起きるものでない。
巨大な自然災害との複合で起きるものであり、その対策が無かったことは強調してし過ぎることでない。
問題は報告書に書かれていなくて記者会見などで触れられていた部分ではなかろうか。

事故調が触れるべき範囲を超えているとする人々もいるかも知れない。
内外で以前から指摘されてきたテロによる、あるいはテロ国家による攻撃に対する「備え」をどうするのか、の問題である。
「一般国民」がともに考えるべき一番大きな問題は、それではないだろうか。

核抑制問題には、かつて想定したような二国間ゲームとして解決するようなバランス解はない。
第三国が存在しゲームはどう展開するか予測できない。
それぞれの国が国内問題として、低エネルギー社会へ転換する可能性を含めて、原子力エネルギーを再生可能エネルギーへ切り替えることがベストなのだと思う。

「再生」とは「森が再生する」とかいうような意味での再生で、化石燃料による「枯渇性エネルギー」の対立概念として「再生可能エネルギー」と呼んだのが最初らしい。
石油や天然ガスが要らない訳でない。
他国に核兵器削減を要求するだけでなく、自国の原子力発電を無くしていかなければ国際的脅威の減少を期待できないのではないのか。
そのためには終戦後の日本のような、あるいは戦中の日本をなぞっている国のような貧しい状態になることも考えておかないといけないのではないだろうか。


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