・・サウイウモノニ ワタシハ ナリタイ

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布田 薬王寺

2010年02月14日 | 寺社仏閣 建造物 ?施設など
薬王寺って色んなところにありますね 千葉の東金市にもありました。

昔、四国の日和佐の海岸でキャンプしていて炊事が面倒になり、毎日駅前のほっかほっか亭に通っていた頃、良く脇を通りました。ちなみに当時、四国のほっかほっか亭のノリ弁は、ご飯おかず別トレイで関東と全く違う仕様で、290円ではありませんでした。(470円?)ちなみに同じ四国の吉野川上流にある本山町の帰全山キャンプ場はバイクかチャリでしか入る事が出来ず、ほっかほっか亭まで歩いて通えました。シャワー室もあったよ。













薬王寺(やくおうじ)
 不老山薬王寺は市内上布田字布田前にあって、かつては顕本法華宗であったが現在は単立寺院である。本寺は日常上人の開基と云われるが、寛永十年(1633)二世日圓上人の時、本尊薬師如来を安置して以来、「布田の薬師様」と崇敬されて、眼病の平癒祈願や参籠のための信者が遠近から集まるようになった。延享二年(1743)二月火災に罹って古記・什宝多数が灰になった。現在の本堂はその後再建されたものである。縁日は毎年9月7日8日に行われ、昔ながらの盛況で、遠近の信者は前日から参詣し参籠するのを例としている。
住 所 :東金市上布田301

東金市観光協会



薬王寺 - Wikipedia

薬王寺(やくおうじ)

* 福島県石川郡石川町にある真言宗智山派の寺院。
* 福島県いわき市にある真言宗智山派の寺院。山号は延寿山。
* 千葉県白井市にある天台宗の寺院。 - 薬王寺 (白井市)
* 千葉県東金市にある単立の寺院(旧顕本法華宗)。 - 薬王寺 (東金市)
* 東京都青梅市にある真言宗豊山派の寺院。 - 薬王寺 (青梅市)
* 神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある日蓮宗の寺院 - 薬王寺 (鎌倉市)
* 神奈川県鎌倉市手広青蓮寺境内にある塔頭。詳しくは青蓮寺 (鎌倉市)#塔頭を参照。
* 和歌山県有田郡有田川町(旧金屋町)にある浄土宗の寺院。
* 徳島県海部郡美波町にある高野山真言宗の寺院。 - 薬王寺 (美波町)
* 香川県東かがわ市にある真言宗善通寺派別格本山の與田寺の旧寺号

ほっかほっか亭 - Wikipedia


・・ほっかほっか亭総本部は、2006年6月以降、長く九州・山口以外の西日本で地区本部として店舗を運営(直営ないし加盟店への委託)しているハークスレイの傘下にある。

東日本・九州地方・山口県では、株式会社プレナスがフランチャイジーとなっていたが、プレナスが2008年5 月14日を以ってフランチャイズ契約を解消した。(詳しくは、「プレナス」の項目を参照のこと)。ただし、解約はしたが、それらのエリアから完全に店舗がなくなったわけではなく、一部が存続している。残った店舗は暫定措置としてほっかほっか亭総本部、またはハークスレイが直接管理している。


埼玉県草加市を皮切りに、"Honesty"(まじめに)"Hot"(つねにあたたかいお弁当)"Heart"(こころをこめて)の『3H』を基本理念として、銘柄米を使った炊きたてのご飯と作りたての惣菜という、それまでの弁当販売の概念を覆すメニューで大当たりとなり、2008年5月14日時点で全国に3,450店舗を展開するチェーン店へと成長した。略称の「ほか弁」は広く一般に定着し、当フランチャイズ店に限らず、調理したての弁当を販売する店舗や、その弁当全般の代名詞とまでなっている。

しかし前述のプレナスのフランチャイズ契約の解消により、同社の直営・加盟店を合わせて2,294店あった店舗のうちの2,028店と、サンコー(株)が運営する茨城地区の50店の、合わせて2,078店が新ブランド「ほっともっと」に転換したため[1]、 2008年5月15日時点での店舗数は1,363店となり、約2,300店を展開していた本家かまどやが持ち帰り弁当業界首位に浮上し、ほっかほっか亭は業界3位に転落した[2]。

エリアフランチャイズにより地域ごとに運営会社が異なっているため、メニューなども地域ごとに違っている・・



海苔弁当 - Wikipedia

海苔弁当(のり弁当、のりべんとう)とは、海苔を米飯のおかずとして食材に用いた弁当である。

弁当箱に米飯を詰め、その上に醤油などで味付けした板海苔を敷き詰めたものが基本的な形式である。さらに米飯を詰めて海苔が内層部に入ったり、米飯と海苔がそれぞれ複数層をなすこともある。また、板海苔を敷く前におかかか昆布の佃煮またはその両方をまぶすことが一般的である。

海苔弁当が確立した時期は定かではない。構成要素に関して言えば、安土桃山時代に現代と同じ形状の弁当箱が登場し、江戸時代中期に板海苔が作られるようになった。庶民が各海産物を安価に手に入れられるようになってから家庭で広く作られるようになったものと考えられる。阿川弘之は著書において、海苔弁当または弁当箱の代わりに小鉢で製作した同様の食事を「かつぶし飯」として記述しており、他の文筆家も家庭料理の一つとして触れているのが散見される。

1960年代に、温かい出来たての持ち帰り弁当を販売する業者として草分け的存在である「ほっかほっか亭」(通称ホカ弁)が、その創業時に、白身魚フライとちくわの天ぷらを乗せた海苔弁当をメニューに加えて好評を得たことで、商品名としても広く知られるようになった。米を除く食材がすべて日本では身近な海産物であり、販売物としても庶民的な存在、すなわち安価な弁当として定着した。

現在では、多くの弁当販売業者やコンビニエンスストアが販売しており、「のり弁」という略語で親しまれている。多くの業者が製造・販売するようになっても構成食材は上記のものとほぼ同等で、白身魚フライが他素材のフライに代わる程度である。また、沢庵やしば漬けなどの漬物類と金平牛蒡などが添えられている・・

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