ぽよん日和

日々の小さなしあわせ・・・

パパは、レントゲンでママは、CT。

2011-03-31 23:10:15 | 兄妹育児

相変わらず予断を許さない状況が続いている原発に余震にと不安を感じる毎日。

 

洗濯物も安心して外に干せないし、水道水さえ安心して使えない。

子どもたちとの外出も極力控えています。

いつ何が起こるか分からないし、何か起こっていても本当のことが分からない。

本当に不安な日々です。

 

 

大震災の翌日から高熱で具合の悪かった息子も1週間ほどで熱が引き

鼻水と咳が少し残るもののようやく元気になりました。

でも息子が元気になるのと引き換えたかのようにだんな様の具合が悪くなり

最初は、あたしや娘のように息子の風邪をもらってちょっと咳が出てるかなくらいの感じだったのが

息子のかかりつけの耳鼻咽喉科で診てもらってもらったお薬を服用しても

全くと言っていいほど効いている様子もなくドンドン咳が酷くなり

30分とか1時間の短い時間で低体温になったり、発熱したりと体温もおかしく

足が攣ったり、頭痛がしたりで不眠状態にもなって今までにない体調の悪さにさすがに心配になり

近くの大きな病院で診てもらうと肺炎になりかけていてレントゲンで見ると肺にももう白い影。

 

多分、入院までしなくてもお薬で何とかなるだろうということで

お薬をもらってやっと咳が少し治まって夜眠れるようになったと思ったら

翌朝、トイレで咳をした途端にぎっくり腰です。

またまた病院に行ってレントゲンを撮って痛み止めとコルセットを頂きました。

完全に安静生活を余儀なくされてしまっただんな様。

 

もらったお薬も飲みきってまだまだ体調も万全というわけではないものの

11振りに出社した月曜日...

定時に帰って来たものの咳が激しく出ていてかなり具合が悪く

翌日また会社を休んで病院に行くことになりました。

 

もうすっかりお馴染みのレントゲンでまだ白い影が残っており

さらには、副鼻腔炎になっていて鼻の横にも白い影。

翌日も会社を休んでようやく何とか体調も戻りつつあるかなと思っていたところで

今度は、あたしの体調が急に悪くなりました。

 

昨日、お昼から子どもたちとお買い物に出かけていてお家に帰ってからのこと。

なんとなく頭が痛いかなと思っていたのですがドンドン痛みが強くなり

午後4時前くらいには、吐き気が伴って身動きが出来ず

更には、熱っぽいのに寒気が酷くて体温計で測ってみると35.3℃。

間違いかと思って測りりなおしてみると34.8℃。

有り得ない低体温です。

 

ベッドに横になっていただんな様が心配して病院に行くように促してくれてのですが

あまりの体調の悪さに動けなくて結局、6時過ぎに病院に電話して救急に行くことになりました。

 

頭痛と吐き気という症状が心配されたのか思ったより早く診てもらえることなりましたが

問診、神経的症状、尿検査を終えて結局、CTで頭の輪切りを撮影することになり

その後は、ベッドで横になって絶え間なく襲ってくるムカムカズキズキする感じと闘いながら

うつらうつら眠気が差してきていましたが...

診てもらっている病院は、2次3次救急指定の大きな病院なので

絶え間なく救急車で急病の重症患者さんが運び込まれてきては

先生も看護師さんも慌しく働いていらっしゃって

その合間にも親切に細やかに声をかけて頂いたり診て頂いたり

診察室の外の待合からは、はしゃぐ息子の大きな声も聞こえてきたりしていました。

 

そのうちに救急車で運び込まれた患者さんとあたしでベッドがいっぱいになり

また新たな患者さんが運び込まれるというので先生から体調の確認があった上で

ベッドを譲って待合で採血と点滴をすることになりました。

その頃には、あたしのムカムカズキズキする感じもかなり治まっていて

待合で待ってくれていただんな様に時間を聞くともう9時半をまわっていてビックリ。

 

だんな様の背中で寝ていた娘も目を覚まして泣き出すし、息子ももう眠そう。

採血や点滴の準備が出来る合間に娘におっぱいをあげて

だんな様にまたおんぶしてもらったけど眠いのか不安なのか背中でずっと泣いている娘。

あんまり泣くので点滴をしたままの状態でひざの上で抱っこしてみたけど

娘の動きも激しくなってきたのでしばらくしてまただんな様がおんぶ。

でももうおんぶした途端に大泣きでだんな様は、病院中を歩きながら

娘が泣き疲れて寝てくれるのを待つしかない感じでかなり長い間歩き回ってくれてました。

もちろん息子は、待合のソファーで既に爆睡です。

 

それから1時間くらい経った頃、ようやく先生方が来られて

採血と尿検査の結果、体調が悪いとき特に脱水症状や嘔吐に多いらしいのですが

ケトン体の数値が大きく出ているので本当なら点滴も全て終えてから帰宅しても良いくらいだと言うのですが

子ども達が待ってくれているこもあるからここで点滴を止めてお家で水分補給をしっかりして安静にするように

でも翌日も具合が悪いときは、すぐにまた診察に来るように言われました。

それでやっとCTの検査結果に何の問題もないことが分かってホッと一安心。

後から聞いたらだんな様は、救急に電話を入れて診てもらうことになった時点で

あたしの入院を覚悟していたそうです。 

お家に帰ってから具合の悪かっただんな様のために買い置きしていた医療用の経口補助水を飲んでみたけど

すぐに全部もどしてしまい、またまたムカムカズキズキした感じで眠りにつきました。

 

そして今日は、お昼過ぎまでなんとなく頭が締め付けられる感じと眠気に襲われていましたが

午後からは、体調も戻って元気なりました。

だんな様も3日ぶりに出社して今度は、体調を崩すことなく帰ってきました。

 

考えてみると大震災以来半月以上も家族の体調不良であたし自身も常に寝不足気味で

息子にもらった風邪も軽いとは言え、まだ完治していないし

自分で思っている以上に疲れがたまっていたのでしょうね。

だんな様とお互いに思っている以上にご老体だねなんて

今回は、幸い笑い話で済ますことが出来ました。

 

しかも原発事故以来、あんなに放射能汚染や被曝を恐れて心配していたのにも関わらず

だんな様は、度重なるレントゲンで (しかもまた来週、経過を診るために撮ります)

あたしは、人生で初めてのCTで現状の微量な大気や水の汚染の指数より

遥かに大量の被曝をしてしまいました。

なんでもない今までの生活の中だったらこれも単なる笑い話ですが

なんだか思いっきり笑い飛ばすことも出来ない気分。

 

一刻でも早く原発の行方が終息の方向に向かってくれることを祈るばかりです。

世界中のあらゆる知恵や力をお借りしてでも絶対に無事終息してほしい。

被災されて今、またこれから立ち上がろうと懸命に生きていらっしゃる方達に

これ以上の2次災害を負わせないためにも。

未来ある子ども達の笑顔のためにも。

 

祈ることしか出来ないけれど心からそう祈らずには、いられません。

 

 

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日々不安

2011-03-15 18:51:23 | 兄妹育児
大地震の翌日は、朝から段々と分かってくる被害の大きさと恐ろしさに改めて恐ろしくなったり

東北の被災地での哀しく恐ろしい光景や被災者の方々の様子に胸が痛み

自分たちが無事でいられることに感謝しながらも

何も出来ないことに無力さを感じざるを得ませんでした。


そうこうしているうちに夕方から息子が急に発熱。

テレビでは、大地震の被害の大きさに加えて福島原発が現在進行形で危機的状況になり

息子の発熱も治まる様子がないので日曜日に小児科を受診。

土曜日の午後くらいから近所のスーパーやコンビニで食品やら日用品が

地震の影響で仕入れ困難となり品薄になり始めていたのですが

それに加えて電力不足で人々が買いだめに走り日曜日には、更に品物がなく

月曜日に息子の掛かり付けの耳鼻科に行った後は

お買い物しようにも計画停電の影響で急きょ休業のお店も多く

毎日朝から夜遅くまで1日中、被災地や被災者の方々の辛い様子と

福島原発の刻々と変わる緊迫した状況と電力会社や政府の緊急会見に

精神的に参ってしまっています。



息子は、何らかのウィルス性の風邪と診断されましたが

39度台の高熱が続いていてその度に解熱剤で熱を一時的に下げるものの

薬の効果が切れるとまた高熱になってグッタリです。



だんな様は、あまりの危機的な状況に

息子の体調が戻ったら一時的に九州の実家に戻ったらどうかと言ってくれていますが

だんな様を1人残して帰れません。


何を大袈裟なと思われるかもしれないけれど…

原発の恐ろしさを考えるとどうしようもなく不安でたまりません。



原発に反対する気持ちを持ちながらも今まで何も行動することもなく

成す術もなくその原発の電力に頼るしかなかった自分の無力さに情けなくなる。



日用品がないとか食品が買えないとか交通が不便とか電気が使えないとか

そんなことは、いくらでも我慢出来る。

被災地の方達は、もっと大変な思いをしているのだから。



だけど未来のあるこれからの子ども達を

原発の最悪な事故にだけは、巻き込まれたくない。


何かあったときにどうやって護れば良いのか助けてあげられるのか。


外に出れば人々は、何事もないかのように普通に生活しているように見えるけれど

家でテレビの情報を見ていると気持ちが落ち着かず不安で不安で仕方ない。


お友達からのメールや電話に励まされながらも気持ちは、落ち込むばかり。



この危機的状況が一刻も早く終息しますように!

そして被災者方達が1人でも多く、一刻でも早く

この辛い状況から免れ新たな一歩を踏み出せますように願って止みません。
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11日(金) 大地震の日

2011-03-15 18:51:01 | 兄妹育児
たまたま夜中1時過ぎに息子の具合が突然悪くなって

朝には、元気になっていたものの念のため様子見で幼稚園を休んでいました。


地震が起きた時間は、普段だったら幼稚園のお迎えに出ていて

まだ外出中でバス停近くの遊歩道や公園でお友達と遊んでいるか

スーパーでお買い物をしていたりする時間帯。


でも当日は、子ども達と家にいてのんびりテレビを見たり遊んだり。


最初は、ちょっと大きな地震が来たと思って

息子にも地震が来たことを教え『早くおさまらないかなぁ』くらいに思っていたら

揺れが次第に大きく横に揺れたり縦に揺れたり

いつもと違う異様な様子に不安になって…

あまりよく分かっていない様子の息子を呼び寄せ遊んでいた娘を抱き抱えて

倒れる家具や物のない部屋の真ん中に座って抱き合いながら

ただただ地震が過ぎ去るのを待つしかなく

その間、家中がギシギシガタガタと大きな音を立てて揺れ

キッチンでは、何か落ちて割れる音も聞こえていました。


テレビもすぐに緊急速報に変わって大騒ぎだし

子ども達には、『大丈夫!大丈夫!』と言いながらもスゴくこわくなって

何かあったときの避難場所は、何処だったかとかとりあえず持って逃げる物は、何だとか

この建物の中にいて本当に大丈夫だろうかとかいろんなことが頭をよぎった。



やっと地震がおさまったらテレビでは、地震の被害で起きた火災のライブ中継や

東北での地震の様子、津波への警戒などまるで映画でも観ているような状況。

石油科学コンビナートで火の手が上がってみるみる黒煙が上がったり爆発したり

ビルや家屋でも火災が起きているのをテレビのライブ中継でただただ呆然と眺めるしかなかった。


そしてその間にも何度も大きな余震があり、とりあえず何があるか分からないし

娘をおんぶして身動きが取れるようにして

だんな様に電話しても繋がらないのでとりあえずメールで連絡!

すぐにメールで『大丈夫!』の返事の後、電話がかかってきてようやく一安心。


その後は、九州の実家からも心配して電話があったり大阪のお友達からも電話があったりしても

携帯は、混雑してかけることも受けることも出来ないまま自宅の電話も繋がりにくく

携帯に届く留守番メールを見ながら、とりあえずメールで連絡のやり取りをしたけど…

そのメールも後で聞いたらかなり遅れて届いたものもありました。



だんな様は、最初職場から2時間かけて歩いて帰る覚悟でしたが

テレビで二次災害やパニックを避けるために歩いて帰宅せず

職場待機するように呼び掛けていることをやっと繋がった2度目の電話で伝えると

職場の仲間と行きつけの呑み屋さんで晩ご飯を食べながら様子を見ていました。


そのうちに何とか再開した電車に運良く乗って午前1時前には、帰宅。



子ども達を寝かし付けたもののあたし達は、なかなか寝付けず

それでもあたしは、娘の添い乳をしながらいつの間にか寝ていましたが

だんな様は、ほとんど眠れなかったようで翌日は、朝からグッタリでした。
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