ぽよん日和

日々の小さなしあわせ・・・

日々不安

2011-03-15 18:51:23 | 兄妹育児
大地震の翌日は、朝から段々と分かってくる被害の大きさと恐ろしさに改めて恐ろしくなったり

東北の被災地での哀しく恐ろしい光景や被災者の方々の様子に胸が痛み

自分たちが無事でいられることに感謝しながらも

何も出来ないことに無力さを感じざるを得ませんでした。


そうこうしているうちに夕方から息子が急に発熱。

テレビでは、大地震の被害の大きさに加えて福島原発が現在進行形で危機的状況になり

息子の発熱も治まる様子がないので日曜日に小児科を受診。

土曜日の午後くらいから近所のスーパーやコンビニで食品やら日用品が

地震の影響で仕入れ困難となり品薄になり始めていたのですが

それに加えて電力不足で人々が買いだめに走り日曜日には、更に品物がなく

月曜日に息子の掛かり付けの耳鼻科に行った後は

お買い物しようにも計画停電の影響で急きょ休業のお店も多く

毎日朝から夜遅くまで1日中、被災地や被災者の方々の辛い様子と

福島原発の刻々と変わる緊迫した状況と電力会社や政府の緊急会見に

精神的に参ってしまっています。



息子は、何らかのウィルス性の風邪と診断されましたが

39度台の高熱が続いていてその度に解熱剤で熱を一時的に下げるものの

薬の効果が切れるとまた高熱になってグッタリです。



だんな様は、あまりの危機的な状況に

息子の体調が戻ったら一時的に九州の実家に戻ったらどうかと言ってくれていますが

だんな様を1人残して帰れません。


何を大袈裟なと思われるかもしれないけれど…

原発の恐ろしさを考えるとどうしようもなく不安でたまりません。



原発に反対する気持ちを持ちながらも今まで何も行動することもなく

成す術もなくその原発の電力に頼るしかなかった自分の無力さに情けなくなる。



日用品がないとか食品が買えないとか交通が不便とか電気が使えないとか

そんなことは、いくらでも我慢出来る。

被災地の方達は、もっと大変な思いをしているのだから。



だけど未来のあるこれからの子ども達を

原発の最悪な事故にだけは、巻き込まれたくない。


何かあったときにどうやって護れば良いのか助けてあげられるのか。


外に出れば人々は、何事もないかのように普通に生活しているように見えるけれど

家でテレビの情報を見ていると気持ちが落ち着かず不安で不安で仕方ない。


お友達からのメールや電話に励まされながらも気持ちは、落ち込むばかり。



この危機的状況が一刻も早く終息しますように!

そして被災者方達が1人でも多く、一刻でも早く

この辛い状況から免れ新たな一歩を踏み出せますように願って止みません。
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11日(金) 大地震の日

2011-03-15 18:51:01 | 兄妹育児
たまたま夜中1時過ぎに息子の具合が突然悪くなって

朝には、元気になっていたものの念のため様子見で幼稚園を休んでいました。


地震が起きた時間は、普段だったら幼稚園のお迎えに出ていて

まだ外出中でバス停近くの遊歩道や公園でお友達と遊んでいるか

スーパーでお買い物をしていたりする時間帯。


でも当日は、子ども達と家にいてのんびりテレビを見たり遊んだり。


最初は、ちょっと大きな地震が来たと思って

息子にも地震が来たことを教え『早くおさまらないかなぁ』くらいに思っていたら

揺れが次第に大きく横に揺れたり縦に揺れたり

いつもと違う異様な様子に不安になって…

あまりよく分かっていない様子の息子を呼び寄せ遊んでいた娘を抱き抱えて

倒れる家具や物のない部屋の真ん中に座って抱き合いながら

ただただ地震が過ぎ去るのを待つしかなく

その間、家中がギシギシガタガタと大きな音を立てて揺れ

キッチンでは、何か落ちて割れる音も聞こえていました。


テレビもすぐに緊急速報に変わって大騒ぎだし

子ども達には、『大丈夫!大丈夫!』と言いながらもスゴくこわくなって

何かあったときの避難場所は、何処だったかとかとりあえず持って逃げる物は、何だとか

この建物の中にいて本当に大丈夫だろうかとかいろんなことが頭をよぎった。



やっと地震がおさまったらテレビでは、地震の被害で起きた火災のライブ中継や

東北での地震の様子、津波への警戒などまるで映画でも観ているような状況。

石油科学コンビナートで火の手が上がってみるみる黒煙が上がったり爆発したり

ビルや家屋でも火災が起きているのをテレビのライブ中継でただただ呆然と眺めるしかなかった。


そしてその間にも何度も大きな余震があり、とりあえず何があるか分からないし

娘をおんぶして身動きが取れるようにして

だんな様に電話しても繋がらないのでとりあえずメールで連絡!

すぐにメールで『大丈夫!』の返事の後、電話がかかってきてようやく一安心。


その後は、九州の実家からも心配して電話があったり大阪のお友達からも電話があったりしても

携帯は、混雑してかけることも受けることも出来ないまま自宅の電話も繋がりにくく

携帯に届く留守番メールを見ながら、とりあえずメールで連絡のやり取りをしたけど…

そのメールも後で聞いたらかなり遅れて届いたものもありました。



だんな様は、最初職場から2時間かけて歩いて帰る覚悟でしたが

テレビで二次災害やパニックを避けるために歩いて帰宅せず

職場待機するように呼び掛けていることをやっと繋がった2度目の電話で伝えると

職場の仲間と行きつけの呑み屋さんで晩ご飯を食べながら様子を見ていました。


そのうちに何とか再開した電車に運良く乗って午前1時前には、帰宅。



子ども達を寝かし付けたもののあたし達は、なかなか寝付けず

それでもあたしは、娘の添い乳をしながらいつの間にか寝ていましたが

だんな様は、ほとんど眠れなかったようで翌日は、朝からグッタリでした。
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