I am NOBODY! Who are YOU? ~ ぽーぽー的ACIMブログ『エセー』 ~

“ひとのフリ見て我が(ego)フリ直せ” ナマケモノ系acimerの
『NO』奇跡のコース×奇跡講座×奇跡の道なエセー

サイレントナイト ✵ ホーリーナイト

2023-12-26 | homeworks
You're wearing my old clothes, but you, you wear it better
And every time I see your face, the moon should be jealous
And I keep talking to the wall, Till he's a friend of mine
I call you every hour just to tell you that I'm losing my mind…





今期一番の寒波が 訪れた日
仕事から帰ると 家の電気が つかなくなっていた。

 ブレーカーが 上がらない。

アパートの管理会社に電話をすると
時間外。 つながらない。

緊急連絡先の番号に かけ直す。

保守会社と思われる オペレーターから
明日以降でないと 担当者と連絡がとれないと言う。

緊急事態も 杓子定規に 処理 される カンリ社会だ。





電気工事会社に 直接電話を かけた。

賃貸マンションの修理工事は 自腹になるかもしれないが、
それでもいいかと 聞かれ、見積金額を聞くと 
8万円だという。

     ハチマンエン?!

薄給のサラリーマンには おいそれと出せない金額だ。


ひとを頼み 宿を取ろうにも 時間が時間。
雪はどんどん降り積もる。足元は おぼつかなくなるだろう。

交通機関も いつ止まるかわからない。仕事は休めない。

      万事休す 、か。

  極寒の家で 私は 籠城することに 決めた。


  

水道のお湯は 出ない。
だが ガスは いつも通り使えた。

   ありがたい。

朝つくった味噌汁の残りを 温め飲んで
コートを着たまま 冷たい炬燵の中に入り 寝ころんだ。

冬山で遭難した時は むやみに動かず
じっと 「待つ」のが 一番だと聞いていた。

胎児のように 身体を丸め 外気に触れる面積を 出来る限り少なくする。




真っ暗な夜。
何も聞こえない。静かな夜半である。

身のうちの 幽かなあたたかさを抱いて 眼を閉じる。

   しんしん シンシンと 
   自分の輪郭線が 闇に解けていく・・・

       なつかしい。

   ・・・・・・ひとのぬくもりを 想う

 あなたに 抱かれ
 君を抱いた あのひのぬくもり。

  あゝ 私は まだ このヒを失いたくはない。





灰色の庭で
夕顔がしぼんでゆきました

ピアノで
合唱していたのは
澄み切った眼の少女たちではなかったのでしょうか

月の光がそそいでくるはずでした
私が
窓をあけたときに
広間に
骨壺を膝に置いた
私がいます


                  吉行理恵『夢のなかで』より



Schubert's Ave Maria Violin and Piano - Shigeo Watanabe



  うつらうつろの 早天。

眠ったような
眠っていないような 妙な心もちで 目が覚める

    真っ暗の朝。

  凍てつく暗闇の中
  のろのろと仕度を整え
  いつもより うんと早く私は 家を出た。


 仕事。 私には 務めがある。
      まだ此処で 私を必要とする ひとがいる

  まだだ。まだまだだ。

   


日の昇らぬ 朝の風景うつつ

前日の宵と ひとつづきに 思える スイ狂は
夢うつつのない 各々に ミ合う 万能神を 再生産するだろう。

夢だろうと なかろうと
 わたしは 此の私をいきている。

ただ それだけの 事実こと
  何故 ひとは 受け入れられないのか。


   


年末の繁忙期

上司に事情を説明し
私は 仕事を超特急で片付け 早々に 家に帰った。

アパートの管理会社から 了承を得た
修理工事も 滞りなく済み、日暮れ前には いつもの日常に戻る


一年で 一番 よるのながいヒ。

 ゆず湯に入り
 南瓜の料理をつくり
 酒を飲んで あたたかな炬燵で まどろむ




 
煌々とあかるい冬至のよる。

身も心も 満たされた 私は なんて幸せだろうと思った。

けれど この幸せは 昨晩 胸に抱いた
あの ぬくもりには 到底 及ばないと観じる。

 
  知らず識らず 
  われワレは ひとシれず 

便利のよいうつせみに
うつつを抜かし 己のみちを み失っていくのだろう。

あゝ 空々しい幸せを 頼みに いきる
自分というものは みな かなしい いきものである。



Måneskin 「TIMEZONE」 BEASTARS for Måneskin (Animated Video)



Tomorrow I've got another plane, I'm not gonna take it
Mmh, instead I'm gonna fly straight to you, I paid double for the tickets
And I don't give a shit about the contracts that I signed
And they can say whatever, we'll be making love, I'm fucking you tonight




「A Course in Miracles」には イエスという 師が おります。

   ですが、私にとって 一番の師は 彼ではない
   文筆を生業としていた方でした。

   子どもでもわかる平易な言葉で
  「ある」や「ない」 「私」という 不可思議を 教える一方

   古今東西のヌルい論客
   学者センセイの言説を 理智のロゴスで ばさりと一刀両断する。


 不義や 欺瞞が大嫌いだった あの方は

  風のように 生きて 去っていった とても美しいひとでした。

  


 「 師のように この世界を みてみたい 」

 「 師のように ものかきが できたら
        どんなに 幸せだろう・・・」

  そんな 私のブログは 師の命日に 開設しました。


 師は 言いました。

  「 書く事は
   それ自体が 欠落の証しだ。
   欠落を自覚する 不幸な行為だ 」
と。


        このかなしい師の 言葉おもい
        私は ずっと 頭でしか 理解しておりませんでした。




「私」は ひとを 喜ばせたり 気持ちよくなれる
 たのしい、幸せなものごとを かくのは もともと 得意でした。

  わたし 幸せに笑うひとが 好き。
  みんな 幸せに 笑っていきて欲しいです。



「私」は 生まれた時から
  共存共生という 清く正しく美しい 道徳の名の許

 善いひとつのチ、
 善いひとつの集団チ・イキで イき イかされイきられる 

  「何か」の 私有物かみ でした。 




そのチの 善い自分で イきてきた「私」には

これが「自分」だという 
セルフイメージが ほとんど ありません。


そのバ その場に 適応できる 従順な 歯車パーツみたいな自分を いきてる

    「ない」自分でした。


ひとの言う「良い」とか「悪い」なんて 言葉自体
 
ヨクいきていくために必要な  拘束具パラダイム に 過ぎない事を

私は ヨクしっていました・・・・・・





他人の空

鳥たちが帰つて来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を上つたり下つたりした。

それは途方に暮れているように見えた。

空は石を食つたように頭をかかえている。
物思いにふけつている。
もう流れ出すこともなかつたので、
血は空に
他人のようにめぐつている。


                  飯島耕一 <すべての戦いのおわり 1>より




Beastars " Many Stories "


イジョウの ものごとに 
イジョウに こだわり続ける スピリチュアル・精神世界のひとの言動って

「よい自分」を イジョウに 正当化してて  不自然。 気持ち悪いです。

   書く事に限らず
   どんな「行為」も 何かが 欠落している「自分」 だからこそ

   ある行為だとか あるものごとを 必要とする。
   「善い」と 価値づけ し続ける。

   イジョウ に 執着してしまうんじゃないでしょうか。


「私」 幸せに 笑うひとが イジョウに 欲しくて 今まで生きてました・・・
 




かけばかくほど 善い自分の言葉が 私を 嗤う。

かかなければイけない いきてけない 何もない自分は 
救いようのない 不幸せな人間だ、と 思いしらされる。

師の言った通りだった。

だから 「わたし」 そんな風に いきてきた よい私自身に

    「ありがとう」
    「さよなら」するために
 かいております。
 



私が 「しじんさん」という 彼に こだわるのは

此処で 彼が いちばん
「ありがとう」「さよなら」するのが むつかしいひと だったから。


ここに ヨクお出でくださる

  神だの愛だの絶対だの 饒舌に 
  長々いい続けて ひとを イのままに したがえる 頭のよい御方

  ある行為 それ自体が 欠落の証しと知らず
  欠落を自覚しない 幸せな行為に えんえん憑りつかれた こころよい貴方
 

     「ありがとう」「さようなら」

 namaḥ samantavajrānāṃ hāṃ





貴方の「仰るとおり」 よい物事に 成るでしょう
いずれ 「全て」そう成るコトでしょう。

ココにいる「よい」私たちの「いう通り」
 全ての世界は ヨク なってイきますよ。

     あ り が と う

そんな 善き同志の貴方は もう必要ない。「わたし」イらない

      さようなら

残り少ない 貴方様の 余生よい が 存分に 愉しめるよう 
  今まで 貴方から頂いた 「全て」 お返しします。






ありがとう 
さようなら 
十字架の 全きアイの神様。




桃字の歌詞は MÅNESKIN「Timezone」より


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