〽 きのふからけふまでふくかせはなにかせ
〽 こひかせならしなやかに
〽 なひけやなひかでかせにもまれな
〽 おとさしきゝやうのそらのつゆおば
〽 しなやかにふくこひかせが身にしむ
〽 こひかせならしなやかに
〽 なひけやなひかでかせにもまれな
〽 おとさしきゝやうのそらのつゆおば
〽 しなやかにふくこひかせが身にしむ
「田植草紙」朝哥二番
ON・LINE「音楽のちからしんじる」ひとの全音符はきこえず
A noir, E blanc, I rouge, U vert, O bleu : voyelles,
Je dirai quelque jour vos naissances latentes :
A, noir corset velu des mouches éclatantes
Qui bombinent autour des puanteurs cruelles,
先日 LINE をみると
こたえあぐねるレスがあって 思わず 天を仰いだ
「 自分 音楽のちからを しんじているから 」
困ったな、こういうの。 わかり過ぎるほど わかる。 わかってるし。
こたえあぐねるレスがあって 思わず 天を仰いだ
「 自分 音楽のちからを しんじているから 」
困ったな、こういうの。 わかり過ぎるほど わかる。 わかってるし。
けれど、何故 ソレを わざわざ
言葉にして ひとに いわなきゃ イけない 自分なんだろ? って 思いました。
言葉にして ひとに いわなきゃ イけない 自分なんだろ? って 思いました。
なにか を「しんじている」って
ほんらい とても デリケートで とても 個人的なもの。
私は ひとに しんじてもらう必要は あまり ないです。
ほんらい とても デリケートで とても 個人的なもの。
私は ひとに しんじてもらう必要は あまり ないです。
「しんじている」っていえば イイひとの言葉は
相手から いろいろな想いや 考えを 奪って、ヨクなる 拘束具 みたいだもの
相手から いろいろな想いや 考えを 奪って、ヨクなる 拘束具 みたいだもの
作為や 打算の においのする
そんなひとのレスを そのまま「イイね」と 返せば ずるずる
相手の イイ言葉 に 流される。自分達 みなイイひと にして イかされるの いやだなあ
そんなひとのレスを そのまま「イイね」と 返せば ずるずる
相手の イイ
不特定多数のひとと やりとりのできる
みな 誰しも 何気にしている、コレは とても「こわい」 おそろしい ジタイ だ、と。
LUCA 「花摘み歌」 伊王島民謡 Hanatsumi Uta
言葉のイイちからを 過信 したり
盲信 しているひとが じつは 一番 あぶないんです。
盲信 しているひとが じつは 一番 あぶないんです。
言葉に流されたひとの言葉と
言葉に流されたと 「自覚」しているひとの言葉は
似ているけれど「違う」 まったく 違ういい方を していますよ。
言葉に流されたと 「自覚」しているひとの言葉は
似ているけれど「違う」 まったく 違ういい方を していますよ。
「自覚」ある ひとの言葉には 適切な 間合い「客観」 が あります。
言葉にしている ものごとや 相手
なにより 自分自身の言葉 と 一体化していない
俯瞰する「め」 ぶれない「ち」を 反映 する 言葉づかいが ある。
なにより 自分自身の
俯瞰する「め」 ぶれない「ち」を 反映 する 言葉づかいが ある。
欧陽詢『九成宮醴泉銘』(部分)
ですから、「私」は
ここに ながくいるひとや いたがるひと
いついているひと達との 関わりを 早々に やめました。
フォローしない。フォロワーはいりません。
「イイ自分」を 肯定してほしいひとは
イイ人間、イイ言葉に よく逃げる。
イイ人間の イイ言葉に 流されたものばかり いじょう に 求めるでしょう。
カッコたる まこと言葉は イけない ひとを
よく見殺す まことに おシアワセな自分 様 に なってしまう
仮想現実空間 の よい自分達 以外 どこにも 居場所の ないひと なんでしょう、
どこもかしこも 無心する イイひとだらけで いたたまれない
だから ここは どんな いけない人間でも
みなに 愛され 愛してヤレる とても ヨイ万能世界 に なるんでしょうね。
ここに ながくいるひとや いたがるひと
いついているひと達との 関わりを 早々に やめました。
フォローしない。フォロワーはいりません。
「イイ自分」を 肯定してほしいひとは
イイ人間、イイ言葉に よく逃げる。
イイ人間の イイ言葉に 流されたものばかり いじょう に 求めるでしょう。
カッコたる まこと言葉は イけない ひとを
よく見殺す まことに おシアワセな
どこもかしこも 無心する イイひとだらけで いたたまれない
だから ここは どんな いけない人間でも
みなに 愛され 愛してヤレる とても ヨイ
誰かみたいになれたら誰かみたいに愛してもらう私は神
Srv.Vinci - Mad me more softly
あき深し 相似のひとつき 答えうる
空は 血だらけ note 界隈
空は 血だらけ note 界隈
Golfes d’ombre ; E, candeurs des vapeurs et des tentes,
Lances des glaciers fiers, rois blancs, frissons d’ombelles ;
I, pourpres, sang craché, rire des lèvres belles
Dans la colère ou les ivresses pénitentes ;
9月末あたりから 週日 ひどく 慌ただしい日が 続いている。
上期の締めも そこそこに
国に提出する 報告書データを 取りまとめなければならない。
システムベンダーは 最低でも
あと 3000件超のデータが 必要だと言った。
基準を下回る報告となると 5~6000千万円超 の ペナルティをくらう。
毎年ながら 気が重い。
その後 1万件近い 書類を 一枚一枚 精査し、
一件一件 登録処理の ちから仕事が 待っている。
衆院解散直後 押し候補の パンフレットを持参した
労組の人間が やってきて 選挙協力を頼まれた。
国のトップが 変るたび
中途半端な 理想論 に 振り回され いらぬ雑務を 押し付ける。
毎年ながら 気が重い。
その後 1万件近い 書類を 一枚一枚 精査し、
一件一件 登録処理の ちから仕事が 待っている。
衆院解散直後 押し候補の パンフレットを持参した
労組の人間が やってきて 選挙協力を頼まれた。
国のトップが 変るたび
中途半端な 理想論 に 振り回され いらぬ雑務を 押し付ける。
法改正で 編入のにんげんも 更に増えた。
今まで通りとはいかない。残業時間も 限られているのだ。
自分のしんしんは 自分で 護る。
下々の 公僕は 御上の人身御供だ。
御上への叱責を 直に受け、人権など 「ない」に 等しい 使い捨て である。
先々を考え、計画していた 秋旅行を 取りやめることにした。
FKJ - Ylang Ylang
正直、ほっとしている。
実のところ 旅行は あまり好きではない。
理由は わかっている。
こころ踊る 非日常の物見遊山より
変わらない 日々の暮らしを たんたんと いきられる
私は 凡夫の あり難さ を あいしていた。
季節の深まりとともに
あおあおと 繁っていた草木も 次第 いろを深め枯れてく
秋 このあり難さも 所謂 さもしい にんげんの 愛着 だろう。
光が 強ければ強い程 逃れ得ぬ
影の自分 は 更なる影を 光源に求め 死に急ぐ 。
かえる事を 禁じられ うえに 従うほかなかった 死地の者たちを 思った。
あおあおと 繁っていた草木も 次第 いろを深め枯れてく
秋 このあり難さも 所謂 さもしい にんげんの 愛着 だろう。
光が 強ければ強い程 逃れ得ぬ
影の自分 は 更なる影を 光源に求め 死に急ぐ 。
かえる事を 禁じられ うえに 従うほかなかった 死地の者たちを 思った。
「殷文鳥獣戯画」 青山杉雨筆
自分の 無明 を しらぬものは 畢竟
自分の 都合のいい わかりやすい世界に 拘泥して終うだろう。
そんな「自分」が 真に いきていると いえるだろうか。
物惜しみ 後ろ髪を ひかれたまま
重い腰をあげ 私は 旅に出る。
日常から離れ あわあわと 非日常の種々に揺らぐ
きみよ ひととき 私は 永劫の旅人 と なろう。
自分の 都合のいい わかりやすい世界に 拘泥して終うだろう。
そんな「自分」が 真に いきていると いえるだろうか。
物惜しみ 後ろ髪を ひかれたまま
重い腰をあげ 私は 旅に出る。
日常から離れ あわあわと 非日常の種々に揺らぐ
きみよ ひととき 私は 永劫の旅人 と なろう。
ポストに入っていた いつもは
ゴミ箱直行の 無料タウン誌に ふと目が留まった
薄紅の 秋桜畑の写真。
近所の 八幡様の例大祭で 奉納神楽があるらしい。
私のちいさな秋 黄金色に染まる 君に あいにいくよ。
ゴミ箱直行の 無料タウン誌に ふと目が留まった
薄紅の 秋桜畑の写真。
近所の 八幡様の例大祭で 奉納神楽があるらしい。
私のちいさな秋 黄金色に染まる 君に あいにいくよ。
やまかがみ ありのひふきも
やまあさも かむとのこうに みえるまほろば
やまあさも かむとのこうに みえるまほろば
「風の歌」haruka nakamura feat.LUCA
絶対といえば 次は猫 いとしい君のマタに沈むニルヴァーナ
U, cycles, vibrements divins des mers virides,
Paix des pâtis semés d’animaux, paix des rides
Que l’alchimie imprime aux grands fronts studieux ;
今年の夏 自分のなかで ずっと
あたためつづけていた あのひとと私の物語
エセー「The fish story」から
20数年後を経た ふたりの「ひびきやむぬるも」
あたためつづけていた あのひとと私の物語
エセー「The fish story」から
20数年後を経た ふたりの「ひびきやむぬるも」
彼ら を ようやく
そうぞう 以上に 感慨深いものが ありました。
ああいう お話しは かんたん。
how to が 分かれば 誰でも つくる事が 出来ますよ。
ただ 言葉にするのが とても むずかしい
「ある」ようで「ない」 空想 です。
スピリチュアル、精神世界カテに いる私ですが
生憎 非 スピリチュアル、非 精神世界の 非 二元の 人間ですから
利いた風な 常套句を並べただけの
陰翳のない 不実な言葉を許す 上目遣いの 雑な感性
有名な書物や 偉人賢人の真言をタテに 幼稚な理論武装を図る
貧相な知性 の ミナ様と つき合う義理は 「ない」
私は しんじつ いきている言葉 に あいたくて 此処にきたんです 。
スピリチュアル、精神世界カテに いる私ですが
生憎 非 スピリチュアル、非 精神世界の 非 二元の 人間ですから
利いた風な 常套句を並べただけの
陰翳のない 不実な言葉を許す 上目遣いの 雑な感性
有名な書物や 偉人賢人の真言をタテに 幼稚な理論武装を図る
貧相な知性 の ミナ様と つき合う義理は 「ない」
私は しんじつ いきている
Rosenfeld - I Want To -
最近は ブログをやらず、
行楽や 趣味、自分のための読書を 楽しんでいる。
衝動買いした 武田百合子、志村ふくみの随筆
金子兜太や、岡井隆、荒川洋治の詩歌論、民俗学の選集、戯曲、アンソロジーなど。
途中まで揃えていた
緑川ゆき「夏目友人帳」を 一気読み、続きの巻を 買い足した。
頭をつかう 勉強 読書も 一方で 継続している。
日々 研鑽を求められる サラリーマンだ。
自己啓発の有無は 人事考課や 給与に直結する 死活問題 である。
公文書簡や 六法 および判例集、
ときに 学術論文もさらう ネットの外の 「私」 は
司法、行政、立法に携わる 官吏と連携し
この国の基幹、ブルーカラーの下々を 守る 実務のにんげんだ。
日々 研鑽を求められる サラリーマンだ。
自己啓発の有無は 人事考課や 給与に直結する 死活問題 である。
公文書簡や 六法 および判例集、
ときに 学術論文もさらう ネットの外の 「私」 は
司法、行政、立法に携わる 官吏と連携し
この国の基幹、ブルーカラーの下々を 守る 実務のにんげんだ。
「日課念仏」伝徳川家康筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
日本社会の「うえ」と「した」の
現状、現場、現実と 毎日 顔を 突き合わせている
「私」は それ故 ネット上で 安易に
善だか悪だか アセンション、ダークサイドと のたまう
もっともらしい リーディングや カウンセリングに 胡坐をかき
ソレらしい チャネリングなるものを 垂れ流す 世間知らずの 上っ面 は 即 却下 する。
高名な思想家や 宗教者の文言を 引き合いに出すだけの
解説、研究試論、作詩が 本当 のスピリチュアル、正当 の精神世界なのかね、へえ、ご大層 だな。
有名人気スピラー、精神世界 著名人のシリ馬に乗る
「お花畑でない」自称「人である」覚醒者曰く 「意識の方向性が「どこ」に向かうか?」
これだけで 。 論理破綻を「正」と見做した 実にヨイ 御前様の
「似非」シソウ「場」ちがいな「目覚め」による 増上慢 は 明々白々だ。
現状、現場、現実と 毎日 顔を 突き合わせている
「私」は それ故 ネット上で 安易に
善だか悪だか アセンション、ダークサイドと のたまう
もっともらしい リーディングや カウンセリングに 胡坐をかき
ソレらしい チャネリングなるものを 垂れ流す 世間知らずの 上っ面 は 即 却下 する。
高名な思想家や 宗教者の文言を 引き合いに出すだけの
解説、研究試論、作詩が 本当 のスピリチュアル、正当 の精神世界なのかね、へえ、ご大層 だな。
有名人気スピラー、精神世界 著名人のシリ馬に乗る
「お花畑でない」自称「人である」覚醒者曰く 「意識の方向性が「どこ」に向かうか?」
「似非」シソウ「場」ちがいな「目覚め」による 増上慢 は 明々白々だ。
全く イイ 大衆迎合型 プロパガンダ ではないか
X の ディープステイトや 陰謀論、ご尤もの精神論で 釣り、
手下のサイト、独自ドメインブログへ 誘導、篤信者の 囲い込みを 図る
特別イイコ の ワンネス、原初的な 日本的霊性を 鼓舞する よき選民思想者よ、
ア リ 難 う。
「私」は イジョウ に 極端なニンゲンに 接すると
位相レベルが 自動転調 し、法眼がひらき、肝の据わる 特イな人間 らしい。
X の ディープステイトや 陰謀論、ご尤もの精神論で 釣り、
手下のサイト、独自ドメインブログへ 誘導、篤信者の 囲い込みを 図る
特別イイコ の ワンネス、原初的な 日本的霊性を 鼓舞する よき選民思想者よ、
ア リ 難 う。
「私」は イジョウ に 極端なニンゲンに 接すると
位相レベルが 自動転調 し、法眼がひらき、肝の据わる 特イな人間 らしい。
The Butterfly Effect (2004) Trailer #1
よみ人知らず 万葉集第13巻 3332番歌
連日 不同意性交を 犯したとみられる
お笑い芸人のニュースを ネットで 見かけます。
6年前 私は この種の不道徳を
エセー : Bedtime story「9分59秒と10分の間に 」で かいた。
好意をもつ男性の 同意を得ず、彼を 凌辱した 女性の物語です。
拙い話ながら たくさんの方に 読まれ 評価くださった。
かき手としては 嬉しい。喜ばしい事です。
ですが、見方をかえれば
純愛に み得る あの様な話が 求められる コトじたい
おかしい。いちばん 根本の問題が 見過されました。
いったい 「何のため」の スピリチュアルであり、精神世界なのか・・・・・・
そのとき 寄せられた よい方たちの コメントに あい 通ずる
救われることのない ひとの無明、その かなしい ゆく末が 観えました。
かき手としては 嬉しい。喜ばしい事です。
ですが、見方をかえれば
純愛に み得る あの様な話が 求められる コトじたい
おかしい。いちばん 根本の問題が 見過されました。
いったい 「何のため」の スピリチュアルであり、精神世界なのか・・・・・・
そのとき 寄せられた よい方たちの コメントに あい 通ずる
救われることのない ひとの無明、その かなしい ゆく末が 観えました。
一柳慧 「 Music For Living Space」1969
O, suprême Clairon plein des strideurs étranges,
Silences traversés des Mondes et des Anges :
— O l’Oméga, rayon violet de Ses Yeux !
私は 「ジョウ」況に応じ 文体および 性を 変える。
「思い」「考える」私は
男でも 女でもあり 男でも 女でもない
「思」「考」 し得る
私というものの それが 自然 であり 、必然 だから。
重要文化財 円尓号 無準師範筆
「思考」を 言葉にするのは わたしにとって
物事を 具体するだけでなく
モノゴトを 抽象するための 客観的 仮設「チ。」に 過ぎぬ。
ある言葉に どの様な反応したかで、
自他の「ジョウたい」「セイたい」「ショウたい」が わかるのだ。
物事を 具体するだけでなく
モノゴトを 抽象するための 客観的 仮設「チ。」に 過ぎぬ。
ある言葉に どの様な反応したかで、
自他の「ジョウたい」「セイたい」「ショウたい」が わかるのだ。
それ故 言葉は 「みずかがみ」と イイなして ここに イる「私」だ。
たとえ 名のある神で あろうと
「 葦原の瑞穂の国は 神ながら言挙せぬ国 」 の
「い」 を かいさぬものは 御身ある
おのれの イイ言の葉に 捕縛され、イつづける
草の戸も 住み替はる代ぞ ひなの家 芭蕉
理論上 非二元の「イ」きものは
意味や 価値を 所有しない。「ない」のだ。
「ない」ものごとが 「わかる」「わからない」と
反応し、行為する事自体「ある」まい。
ひとの眼にうつる自分でいたくて
コンビニのソーダ水を買いました
コンビニのソーダ水を買いました
夭折した ある歌人の しごころ に ひかれ うたを つくりました。
へたくそだけど これが 今できる 「わたし」の 精いっぱい。
地にねむる ひとりぼっちの あなたに 届くまで 「私」 うたひ つづけます。
へたくそだけど これが 今できる 「わたし」の 精いっぱい。
地にねむる ひとりぼっちの あなたに 届くまで 「私」 うたひ つづけます。
Billie Eilish - when the party's over -
いにしへの 秋の夕べの 恋しきに
今はと見えし 明けぐれの夢
源氏物語「御法」
いにしへの 秋の夕べの 恋しきに
今はと見えし 明けぐれの夢
源氏物語「御法」
🌕文中の緑の仏文は アルチュール・ランボー「母音」です🌕