あなたは
装丁のつつましい
ありふれた蒼空を かむかう 一冊の本でした。
これは わたしののぞんだ 邂逅だったのでしょうか
装丁のつつましい
ありふれた蒼空を かむかう 一冊の本でした。
これは わたしののぞんだ 邂逅だったのでしょうか
今 思うと
あなたの本を 見つけたというより
言 葉 が 私を見つけてしまった、そんなふうに かんじるのです。
あなたの本を 見つけたというより

私の師 は 「考える」 ひと だった。
もの書きを 生業にしていたが
もの書きは たいして 好きではなかったらしい。
たまたま ひとより筆が立ち
たまたま そうなっただけで
考えた事を そのまま 書いているのだと 言っていた。
考え に 沿い
考え に対 って
考え抜き 考え尽くして 書かれた
師の言葉は、なるほど 文字通り ある考えの産 物 だった。

γνῶθι σεαυτόν
書き記した 言葉の通り いきてゆかれたひとの
しんじつ この世界 を いきてこその「まこと」の言葉は 愛 しい
もの書きを 生業にしていたが
もの書きは たいして 好きではなかったらしい。
たまたま ひとより筆が立ち
たまたま そうなっただけで
考えた事を そのまま 書いているのだと 言っていた。
考え に 沿い
考え に
考え抜き 考え尽くして 書かれた
師の言葉は、なるほど 文字通り ある考えの

考えのあるなし、
考えというもの、
考えを考える これは 「何」なのか。
ここにはいない 師の言葉を読み 「考える」
考えというもの、
考えを考える これは 「何」なのか。
ここにはいない 師の言葉を読み 「考える」
γνῶθι σεαυτόν
書き記した 言葉の通り いきてゆかれたひとの
しんじつ この
ひとのころざしに 花ひらく はかない桜花のようだ
森田童子「さよならぼくのともだち」
拝啓
暑い日が 続いています。
水曜日の図書館で 気球の本を 読みました。
先生は 気球の仕組みを 知っていますか?
熱した空気は、
冷たい空気より 軽くなります。
だから それを布で受けて、布に取り付けたカゴごと 上昇するんです。
実は 調べてみるまで
ちょっと魔法みたいに 思っていたんですが、
知ってみれば 何だか 単純な理屈に思えて、少しだけ 寂しくなりました。
よく考えたら わかることなのに。

言葉というものは 賢愚、有名無名、
誰ソレの言葉 如何に 関わらず ただのモノ。記 号 だ。
「神」という言葉は 「神」ではなく
「愛」「真実」「在る」という言葉は 言葉以上のモノには ならない。
ACIMでも 言葉は 記号(シンボル)
それも 真実(reality)から 二重に隔てられた 記号の記号(symbols of symbols)(M-21.1:9-10) と あった。
ᛉ Maðr er moldar auki;
mikil er græip á hauki.
mikil er græip á hauki.
・・・・・・ あゝ まったく その通りだ。
斯様な シンボル の言葉 の
「わかる」「わからない」で イイ言動 を 繰り返す
斯様な シンボル の
「わかる」「わからない」で イイ

モノモノしい 我々は 一 体 ここで 何をしているのだろう。
「愛」という名の符 牒
「真実」印の表 徴 を とっかえ ひっかえて
「神」を よく語り 「在る」を よく説ける
ヨク「ある」イイ人間ほど 「考える」事 を しない。
考え「ない」から 始終 言葉で 盛った 我ヨシ を ミせたがり
イイたがり
イたがる代 物 我ヨクまみれの 俗 物 だ。
「愛」という名の
「真実」印の
「神」を よく語り 「在る」を よく説ける
ヨク「ある」イイ人間ほど 「考える」事 を しない。
考え「ない」から 始終 言葉で 盛った 我ヨシ を ミせたがり
イイたがり
イたがる
ᚹ Ƿenne bruceþ, ðe can ƿeana lyt
sares and sorge and him sylfa hæf
blæd and blysse and eac byrga geniht.
言葉で い得る物事は シンボル。
モノであって、物事そのものでは「ない」のに・・・
sares and sorge and him sylfa hæf
blæd and blysse and eac byrga geniht.
言葉で い得る物事は シンボル。
モノであって、物事そのものでは「ない」のに・・・
SKÁLD - Grótti -
「 ある は ある 」
子どもでもわかる かんたんな言葉
飾り気のない そっけのない言葉
なにひとつ むつかしい言葉は ありません。
「 ない は ない 」
ひとより 読書経験の多い私です。
専門書も それなりに 読みこなしてきました。
なのに なぜだか まったく
読み通せない 分からない 理解できない。不思議な言葉。
子どもでもわかる かんたんな言葉
飾り気のない そっけのない言葉
なにひとつ むつかしい言葉は ありません。
「 ない は ない 」
ひとより 読書経験の多い私です。
専門書も それなりに 読みこなしてきました。
なのに なぜだか まったく
読み通せない 分からない 理解できない。不思議な言葉。
Meditation on a gold background (1936) Alexej von Jawlensky


ᚩ Ōs bẏþ ordfruma ælcre spræce
wisdomes wraþu and witena frofur,
and eorla gehwam eadnẏs and tohiht.
・・・・・・衝撃でした。
そんな ワケのわからない本を
ふつうなら抛 ってしまう 自分なのに
「なぜ」でしょう 私は そうできなかった。
wisdomes wraþu and witena frofur,
and eorla gehwam eadnẏs and tohiht.
・・・・・・衝撃でした。
そんな ワケのわからない本を
ふつうなら
「なぜ」でしょう 私は そうできなかった。
森田童子「君と淋しい風になる」
「 ある は ある 」 「 ない は ない 」
言葉の世界に 有るものは
真を
「ある」とは? 「ない」とは?
自分は (今)(どこ)にいる イイ自分か
観ないから イイ言葉、 イイ受動態の 特別な自分 に ヨク逃げる

フィクションとは 作られたモノ
ラテン語の fictio(形成する)が 語源で、
本来 「捏造する」という 意味の言葉だ。
物事ジタイ 言葉ではない
物事そのものは 言葉に出来ない「何か」
ラテン語の fictio(形成する)が 語源で、
本来 「捏造する」という 意味の言葉だ。
物事ジタイ 言葉ではない
物事そのものは 言葉に出来ない「何か」
「いろはにほへと ちりぬるを」
何故 この事、この物を
「わかよたれそ つねならむ」
何故 そうしなければ ならない「自分」か

רָאָה 考えろ。
ない は ない。
ないんだろう?
ないのに 何故 「ない」 と いえるか?
J′ai un immense désir de santé et de vitalité.
「ない」何か は
「ない」と 言葉で いえる
Je sais accéder à mes meilleures ressources.
Music : Earthquake
「ない」のに 伝わる?
「ない」んだよ? わかる?
「ない」のに 何故 わかる 自分が
今 ここに 「ある」 のか?
C′est merveilleux d'être libre.
ないを「ない」と 言葉に するのは
「ない」ではなく 「ある」 から 出来る事だ。
J'ai choisi la vie.

ある は ある。
そう。あるんだ。
あるのに 何故 「ある」ための イイ必要が 「有る」のか?
「うゐのおくやま けふこえて」
「ある」だけで 善い自分が ナニゆえ「ある」と 未だ イイ 続けて イるのだ?
「あさきゆめみし ゑひもせす」
ヤレ 絶対精神だの 全一性だの 実相だの
たかが用語に イジョウ な 価値(善悪)を 付加する
「ある」「ない」言葉が なければ イきられない

言葉で
言葉に
イかされる (最高最善)(唯一無二)(真我)なる
フカ価値の べったり憑いた イジョウ過ぎる
ラリった 人間ならば 「在る」だけで イイ という「他」ない
アリ難い ヨイ動物 に 自分が シでかした
イイ因果 を 理解できるような 頭脳 も 真心 も たましいも
要らない ありゃし 「ない」 カミ だから。
イイ
要らない ありゃし 「ない」 カミ だから。
Igorrr & Ruby My Dear - Alain-
רָאָה 考える。
なにかが
私の ナニかを 揺さぶる。
考える。これは 一体なんだ・・・
僕は 気球は、知ることと 似ていると 思います。
僕の持つ 知りたいという欲求は 際限がなくて、
気球も ただ 上に昇ることだけを 目的としています。
人生で 知れることの量には 限りがあるところも、気球と 似ています。
気球で 宇宙には 行けませんから。
もしかしたら、僕は 宇宙に 行きたいのかもしれません。
僕の持つ 知りたいという欲求は 際限がなくて、
気球も ただ 上に昇ることだけを 目的としています。
人生で 知れることの量には 限りがあるところも、気球と 似ています。
気球で 宇宙には 行けませんから。
もしかしたら、僕は 宇宙に 行きたいのかもしれません。
自らの言葉を 校 えなければ
言葉の「囚校 」から 逃れられぬ・・・・・・
言葉の「
「なぜ 何もないのではなく、何かがあるのか」

コトある事に 愚痴っているが 私は かくのが 嫌いだ。
下手くそだし。
手間がかかる。面倒くさい。
その上 言葉でないものを
実に 馬鹿気な 馬鹿馬鹿しい 座 興 だ。
本当は 何もかかずに ねていたい
ものぐさの 私は プロフに ある通りの「なまけもの」だ。
いえばイイ ♡ いえればイイ ♡ イったもん「かち」 ♡
スピリチュアル、精神世界というところは (何でも)イイ
(何でも)よくなる (何でも) ヨク 出来る まぢ ラクショー 業カイ☆

すぴ界わ 無レイ講が もっとおーデス♨
貴方も私も みな「神」「愛」「光」だ ☼
「ありのまま」「あるがまま」「ある」だけでいい ☼
生かすも殺すも 何をしてもしなくても エブリシングOK ☼
「ありのまま」「あるがまま」「ある」だけでいい ☼
生かすも殺すも 何をしてもしなくても エブリシングOK ☼
人の為 自分の為 (すべて)肯定するだけで イイ
何でもイける 何でも イイ道理が
常識「コモンセンス」 イかす天国。 (イカ天わ 食べもんと思ってマシタWWW)
馬鹿を 自認する「私」は
だから 此処の こんな イイ

そんな 好い イ場所に 棲息する「私」のブログも 今年で 8年

せーしん世界カイ隈でわ ヨク「ある」コスぷれ ☸
かいた記事も 500を超え、公開していない記事や
ボツ原稿も含めて 書籍化すれば 相当の冊数になるだろうか。
ものぐさ 「なまけもの」の自分が
嫌々ながらも ここまで頑張り かき続けてこれた、出来はともかく
☆ よくやったゾ「自分」☆ モノすごい自分だな、と 素直に思う。
「見ての通り」 自分の事しか かいていない
♡ちょー 自分大好き人間だぁ♡
ボツ原稿も含めて 書籍化すれば 相当の冊数になるだろうか。
ものぐさ 「なまけもの」の自分が
嫌々ながらも ここまで頑張り かき続けてこれた、出来はともかく
☆ よくやったゾ「自分」☆ モノすごい自分だな、と 素直に思う。
「見ての通り」 自分の事しか かいていない
自己肯定を し続けてる イイ自分 だろ?
自分を 否定 出来ない。 つーか、原理上、ソレ あり得ないし。
もともと リア充
馬鹿が 幾つあっても 足りない 「私」は
自分を 否定 出来ない。 つーか、原理上、ソレ あり得ないし。
もともと リア充
馬鹿が 幾つあっても 足りない 「私」は
♡ちょー 自分大好き人間だぁ♡
うごめも 棒人間 (点呼、ゴレンジャー)
嫌な事、悪い事、
つらい事、悲しい事
もちろん 人並み に 多々ある。
でも それはそれ♥
そんなものだから
どっぷり ハマるのも スルーするのも
好きに 出来る「自分」でしょ
好きにしている 好きの多い 「文字通り」 私は

酒わ 百薬のちょおー🉐
「有難い」
「恵まれている」 と 感じることの方が多い。
日常の生活に たいした悩みや 問題がないのだ。
・・・・・・というか、有れば
即行 カタづける ☠
問題は そう長引かず 終息する。
たいした悩みや 問題に いかないレベル で コトが 済んでいると言える。
おかげ様で ワレながら 幸せな人生、幸せな自分様サマだ。
「恵まれている」 と 感じることの方が多い。
日常の生活に たいした悩みや 問題がないのだ。
・・・・・・というか、有れば
即行 カタづける ☠
問題は そう長引かず 終息する。
たいした悩みや 問題に いかないレベル で コトが 済んでいると言える。
おかげ様で ワレながら 幸せな人生、幸せな自分様サマだ。

イマココ らびアンろーず♡
ACIMを 始めた きっかけは
単純に 「面白そう」だったから。
余暇、遊びの延長 だ。
ロハスとかいう
良さげな ライフスタイルが 流行っていた頃
共感する ファッションリーダーが 勧めていて 興味を持った。
思い返せば、(やぶヘビ)とは 正に この事を言う。
Thaumazein なんだコレ?!
森田童子「ぼくたちの失敗」
「まこと」を いきるひとは 形而下を生きつつ
その眼は つねに 形而上を向いている
観ている その自分じしんを 観ようとする
「観る」 生きて 死ぬ 私の
生きる?
死ぬって?
生きて死ぬ この「私」は・・・・・・?

ᚬ Óss er algingautr
ok ásgarðs jöfurr,
ok valhallar vísi.
Jupiter oddviti.
「考える」
・・・不可能な事と 知ったとしても
観ずにはいられない
問わずにはいられない「私」は
問わずにはいられない「私」は
「わたし」を 「知りたい」

ᚬ Óss er flæstra færða
fǫr; en skalpr er sværða.
これは 一体 「何」 なのか。
まさに その答え が
(いま)(ここ)にいる 「自分」 だ。
仮想現実空間に集う 我々は のぞむ情報 を 共有し合える 世界の中心 に 「在る」
みな よいひと よい神 よい 創造主 と いえる
コトバ通り
誰もが のぞむ物事を 即時発信、
のぞむ 相手と つながれば、のぞむ 対価を
同時に 得られる 「よい自分」 だ。
誰もが のぞむ物事を 即時発信、
のぞむ 相手と つながれば、のぞむ 対価を
同時に 得られる 「よい自分」 だ。
SKÁLD - Gleipnir -
ネット上の 膨大な 情報知識、
人工知能 AIによる 文言・画像 の 便利さに潜む 暗愚のザマ
人間の まがまがしい 煩悩の根深さ を 感知しない
電脳世界の我々は みな
カンセイ 豊かな よい覚セイ者、いいゼン人様に 成り上る
「本当」を 手に入れた 「本当」の 自分だ。
何でも 「本当」に 出来る
ナニでも「本当」に なれる 「本当」しかない 文字通り

人工知能 AIによる 文言・画像 の 便利さに潜む 暗愚のザマ
人間の まがまがしい 煩悩の根深さ を 感知しない
電脳世界の我々は みな
カンセイ 豊かな よい覚セイ者、いいゼン人様に 成り上る
「本当」を 手に入れた 「本当」の 自分だ。
何でも 「本当」に 出来る
ナニでも「本当」に なれる 「本当」しかない 文字通り

「本当」の 世界
「本当」の メディア
「本当」の 自分の 善いイ場所だ。
同じ電脳に「ある」
同じイイ人間の「かち」に 機械的に シタがえれば「よい」
当然 自身の ヨイ姿かたち、形態、ヨイ言葉と
一体化した 同一ラベルの自己陶酔者 にして
陶然 バ違いを 覚知できない 同一次元レベルに憩う
仮想現実空間の いい繋がりに イ超えるような 優生思想の業欲人間
今ここにいる 我々は みな 仮想 の 「本当」に 良い自分 なのだ。
「本当」の メディア
「本当」の 自分の 善いイ場所だ。
同じ電脳に「ある」
同じイイ人間の「かち」に 機械的に シタがえれば「よい」
当然 自身の ヨイ姿かたち、形態、ヨイ言葉と
一体化した 同一ラベルの
陶然 バ違いを 覚知できない 同一次元レベルに憩う
仮想現実空間の いい繋がりに イ超えるような 優生思想の
今ここにいる 我々は みな 仮想 の 「本当」に 良い

先生は いつかの返信で 言いましたよね。
人間は 経験によって 形作られると。
人間は 知ることが 出来るから、
日々の経験が あるから、心が 五感で世界を蓄えて 思考を豊かにすると。
なら、知らないことは 死んでいることと 同じです。
新しい何かを 知れないことは 停滞です。
停滞している川は 川にはなれません。それは、ただの水に なるんです。
何処へも 行けず、流れを止めて 澱みを待つだけの水です。
僕は 時々それを考えて 何だか、酷く、恐ろしくなります。
人間は 経験によって 形作られると。
人間は 知ることが 出来るから、
日々の経験が あるから、心が 五感で世界を蓄えて 思考を豊かにすると。
なら、知らないことは 死んでいることと 同じです。
新しい何かを 知れないことは 停滞です。
停滞している川は 川にはなれません。それは、ただの水に なるんです。
何処へも 行けず、流れを止めて 澱みを待つだけの水です。
僕は 時々それを考えて 何だか、酷く、恐ろしくなります。
「It's our world」
何かを アゲるも、ディスるのも ソの通り
よい「本当」で それぞれ
イ得る 自分とは 傀儡、機械人間 に 等しい
非覚者は 方便を 好む
救世主は 覚者を 好まない
聖人は 覚者を 好まない
人格者は 覚者を 好まない
救世主は 覚者を 好まない
聖人は 覚者を 好まない
人格者は 覚者を 好まない
此処にくる セイ 「神」 よ
今 私が 誰の 本歌取り を したか、 気付いたかね

何某「正」師 の イイ通り
何某の「正」神の如く
何某の サル芸 猿マネの イイを 「真理」に して 繰り返す
ヨイ「何某」信者 は 意にカイさず 考えないだろう
I’m Nobody,
私の師は 世界を 変えたい
正解を 知りたいなら 「 自分で考えろ 」と 言った
何某の「正」神の如く
何某の サル芸 猿マネの イイを 「真理」に して 繰り返す
ヨイ「何某」信者 は 意にカイさず 考えないだろう
I’m Nobody,
私の師は 世界を 変えたい
正解を 知りたいなら 「 自分で考えろ 」と 言った
Who are you?
「覚者は 方便を 好まない」 と言った améthustos の 御大は
(その通り) 酔わない 「しん」の言葉を 生きてゆかれた。

鏡の法則、引き寄せの術
日月神示 の なんちゃらチャラ
聖典、仏法、聖者の教え の 「善い」マ法 に 溺れ
在り方 あり様 絶対全一なる「カイ」の 呪詛で 止揚した
正解を ヨク知る 御前サマだ。
ソの通り よい何モノに 成った、ヨク 成れたろう
日月神示 の なんちゃらチャラ
聖典、仏法、聖者の教え の 「善い」マ法 に 溺れ
在り方 あり様 絶対全一なる「カイ」の 呪詛で 止揚した
正解を ヨク知る 御前サマだ。
ソの通り よい何モノに 成った、ヨク 成れたろう
Why am I me ?
同様の「カイ」ある (同じ)よいひと
(同じ)よい神 (同じ)よい創造主の「本当」を 選んだ
波長同通 狂象跳猿 の めしイよ
言葉なしに 手前の「神」だか「真理」だか
言葉ではない (そのもの)すべて 此処に 明かして ミセてみろ。
同様の「カイ」ある (同じ)よいひと
(同じ)よい神 (同じ)よい創造主の「本当」を 選んだ
波長同通 狂象跳猿 の めしイよ
言葉なしに 手前の「神」だか「真理」だか
言葉ではない (そのもの)すべて 此処に 明かして ミセてみろ。
森田童子「G線上にひとり」
ひとに おもねり
みなを どこかへ 連れて行くような
言葉 テクストとは 真逆で
考え抜き
考え尽くされた理知 の言葉は
その言葉を読むものを けっして 酔わさない
真直にたちあがるひかりの柱
自ら 分け入って
その言葉そのものに 近づかなければ
すがたを 見せない みを明かさない 潔癖の言葉。
胡乱な信仰 やわな思想 イイ加減の常識 旨い免罪符を盾に
神をダシにする ヨイ人間など 受け入れない 逆に あらたまの刃 で さばかれる
まことの言葉は じつに 容赦のない 非情の言葉です。
エセー「ふたりの巫(かんなぎ)① ~理のbardo」(2018-2-28 公開:現在クローズ)
みなを どこかへ 連れて行くような
言葉 テクストとは 真逆で
考え抜き
考え尽くされた
その言葉を読むものを けっして 酔わさない
真直にたちあがる
自ら 分け入って
その言葉そのものに 近づかなければ
すがたを 見せない みを明かさない 潔癖の言葉。
胡乱な信仰 やわな思想 イイ加減の常識 旨い免罪符を盾に
神をダシにする ヨイ人間など 受け入れない 逆に あらたまの
まことの言葉は じつに 容赦のない 非情の言葉です。
エセー「ふたりの巫(かんなぎ)① ~理のbardo」(2018-2-28 公開:現在クローズ)

「祈る」だの
「現臨」だの
「実存感覚の目覚め」だの
そうする事、そういう自分を
始終 ひとに ミセたがる 人間が 「本当の自分」なんだろうか。
「わからない」
覚醒体験や 超越至高の境地 など
簡単に 得られる術や 行法、ドラッグの類が
ゴマンと 有るような スピリチュアル・精神世界である。
イイ行為義認 も 甚だしい 斯様な「有り体」が この「業」カイの 不文律 のようだ。

ナニが「神」だ
ナニが「本当」か
ナニが「真理」なのだろう
天を 掴んだはずの 私の手は 虚しく 空を泳ぐ
「わからない」
西風 は ふわり こぼれ落ちた
苦い涙を拭い 通り抜ける 私を 措いてゆく
「わからない」
私は 答えのない 窮理の問いを 所有してしまった。
ナニが「本当」か
ナニが「真理」なのだろう
天を 掴んだはずの 私の手は 虚しく 空を泳ぐ
「わからない」
苦い涙を拭い 通り抜ける 私を 措いてゆく
「わからない」
私は 答えのない 窮理の問いを 所有してしまった。
Schubert: Ave Maria, S. Watanabe & S. Tanaka (1954)
まだ知らない 何かが 世界には溢れていて、
きっと それは 僕の人生の総量よりも ずっと多いんです。
先生、僕の気球は 宇宙には 行けないでしょうか。
いつか 何かの本で見た、アポリアという言葉を 思い出します。
解決の付かない 問いのこと だそうです。
僕の「知りたい」を 先生は アポリアだと 思うでしょうか。
詩は いつもと同じように 別紙で同封してあります。
お体に お気をつけて。
敬具
ヨルシカ 「 n-buna Official」 より

華叟子孫不知ゼン
狂雲面前誰説ゼン
三十年来肩上重
一人荷担松源ゼン
考えないものは みてはいない。
自分の 作ったモノ ばかり廻 るモノである。
ゼン人よ 天は これ イジョウの非道 を 許さない
自分の 作ったモノ ばかり
ゼン人よ 天は これ イジョウの非道 を 許さない
ものを観る その眼を 創造できない「しんじつ」の 禁を犯した イつき は すでに
地が 揺れる。
知が 揺れている。
血が 再び「チ」に 流れ「ち」を 穢す。
「考える」とは むかいあうもの を ただし「みる」こと。
知が 揺れている。
血が 再び「チ」に 流れ「ち」を 穢す。
「考える」とは むかいあうもの を ただし「みる」こと。

鏡と言う言葉を 所有する者 に 鏡は 存在しない。
ᚬ
पाकः॑ पृच्छामि॒ मन॒सावि॑जानन्दे॒वाना॑मे॒ना निहि॑ता प॒दानि॑ ।
व॒त्से ब॒ष्कयेऽधि॑ स॒प्त तंतू॒न्वि त॑त्निरे क॒वय॒ ओत॒वा उ॑ ॥
(いま)(ここ)に有る 自分自身の「せい」を み捨て
ヨク成れる イ場所に逃げた
じき オノレが 作り、所有した 膨大な ヨイ言葉、
ヨイ
ᚨ
अचि॑कित्वाञ्चिकि॒तुष॑श्चि॒दत्र॑ क॒वीन्पृ॑च्छामि वि॒द्मने॒ न वि॒द्वान् ।
वि यस्त॒स्तंभ॒ षळि॒मा रजां॑स्य॒जस्य॑ रू॒पे किमपि॑ स्वि॒देकं॑ ॥
言葉というもの
自分というものを 考える
しんの「ぜん」者は しんなる「
そんな「
チ。ー 地球の運動について ー
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ
どうじゃこうじゃと いうが 愚かじゃ 一休宗純
南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ
どうじゃこうじゃと いうが 愚かじゃ 一休宗純