下流側からの『ポン・デュ・ガール』
前回までご紹介した
ニームの街の飲料水を供給した水道橋
『ポン・デュ・ガール(ガール川の橋)』は
現存する
もっとも完全な形で残る古代ローマの水道橋の中で
最大のもの
に挙げられている
上流側からの全景
実は
遠景ではわからないが
橋は二重構造に成っている
二千年前にローマ人が架けた橋は
右のアーチの部分
幅にして5mくらい
その水道橋に張り付けるように
19世紀に
通行用の橋を下流側に新たに付け足したのです
最下段のアーチの高さに
以前は両岸に駐車場があったので
この「新橋」は
車で渡れた
20年ほど前に
サイトのアクセスを遮断して
入場料をとるようになってしまった
そのために
左岸からきた人は左岸側の駐車場
右岸から来た人は右岸側
に
車を置いて見学に行くようになってしまった
左岸側の河岸の道路から
新橋に曲がって入るところ
この写真は
上流側の右岸の方から撮った
通行用新橋のない側
ところで
各所に凸凹と石が飛び出している
これは19世紀の終わりの大修理の際
足場を組むための突起
ローマ人たちも
同じようにして建設した
街中の建造物であれば
この種の突起は削り取って見た目をきれいにしていたが
この様な
山の中の実用的建造物は
そのような化粧直しはやらなかった
19世紀にもそれに習った
組み合わせた切石は
1個6〜8トン!
この二葉の写真は
中段のアーチを見上げている
真下からなので見えないが
この上に最上層三段目のアーチが並んでいるのです
水道橋自体も
最下層アーチの上は歩いて渡れるが
中段アーチの橋脚の幅が4mほどあり
その両側の歩けるはみ出しは
それぞれ50cmくらいの幅しか残っていない
25m下は川
結構怖いです
最下層アーチの上は歩いて渡れるが
中段アーチの橋脚の幅が4mほどあり
その両側の歩けるはみ出しは
それぞれ50cmくらいの幅しか残っていない
25m下は川
結構怖いです
最下段のアーチは6個
中段は11個
最上段は35個
が
残った
最上段の全長
275m
これが
川を渡っている水道橋として
最大なのです
その
最上段の小さなアーチ(と言っても高さ6m)
で支える上部に
水を流した暗渠がそのままの形で残っています
そこを通ってみる
右岸の側から
崖を登り少し藪を分け入ると
入り口が見える
水を流す導管の部分は
幅1m程
高さは1,9m程
上を
厚さ20cm幅3mほどの一枚石の石板を
被せるように並べて
蓋をして『暗渠』にしてある
蓋の板石は
3mほどの感覚でつないである
中に入ると
ずっと先まで続いているのがわかる
ところどころ
蓋石がなくなっている
あるいは最初から無い(内部清掃用の入口)ために
所どころ明るく見える
左側の壁の下部の
少し厚みが不規則な出っ張りに
気がつかれただろうか
この辺りは両側の壁が
膨らんで
間隔が狭くなっているでしょう
これらは
7世紀に使われなくなるまで
700年の間水が流れていく際に付着した
水垢(石灰)の層なのです!
蓋の無い所から
上部の蓋の上に出られる
こうなる!
これは怖い、
石は石灰岩だが
硬い部分が大理石化していて滑るのです
歩いて最後まで渡ったけれど
腰が抜けそうだった
水面まで何と50m!
この水道橋は
ニームの街から北東に25kmほど
ちなみに
橋から山中の水源まで23kmほど
なるべくカーブは避けるとはいえ
曲がりくねることも考慮すると
60km近く
勾配が一定で
4パーミル
パーセントが1/100です
パーミルは1/1000なのです
つまり1kmで4m下る
たったの
何という建築技術だろう
ちなみに
実際の建設に当たったのは
奴隷ではありません
こんな精巧な物は奴隷の作業ではできない
ローマ正規軍の技術工兵隊
の
プロの手になる
古代ローマ人の建築工学の技術の粋なのです
そして
ここにも樹齢千年のオリーブの木が
四捨五入
ならぬ
九百九十九捨千入
するならば
2歳の橋
と
1歳の木
そして
0歳児の人間たち
所で
世界遺産などの発想など無い戦後間もない頃から
県が
サイトを壁で囲って見物は有料にしよう
という意見が何度も出た
何しろ財政難なもので
その度に
地域住民が大反対
「ポン・デュ・ガールは俺たちが生まれた時にはもうそこにあった」
「父さんが生まれた時にもそこにあった」
「爺さまが生まれた時にもそこにあった」
「ご先祖さまの誰もが生まれた時からそこにあった」
「あの橋は文化財とか史跡とか人間が勝手に指定するべきもんじゃない」
「この俺たちの生まれ育った大地そのものなんだ」
「入場料とるなんて考えらんねえ」
と
拒否を繰り返してきたそうです
(日本とは違うなあ...と)
ところが
世界遺産登録とともに
管理がうるさくなり財源が厳しく
それに
強風にあおられて落下する事故が相次いだ
それを契機に
無制限な接近をやめて
入場管理をすることにしたのだそうです
それで
導管の中も通れなくなった
夕景で河原に陰を落とすポン・デュ・ガール
この写真左前方の白い建物は
古の水車小屋を利用した
小さなホテルでした
アーチ型の3つの窓が並ぶ3階の部屋が
ベッドから寝たまま水道橋が見える
という
誰にも教えたくない最高のホテルだったのですが
世界遺産登録
と
入場管理導入
で
廃業になってしまった
悲しい
なお
水道自体は
橋を架ける必要があった窪みを渡るのは
ここだけ
あとは
およそ60kmの地上の部分を
4パーミルを得るため作られていた水道の残骸が
各所に残っています
いずれも
導管部は既になくなっている
この水道橋の名前『ポン・デュ・ガール』
「ガール川の橋」
単純な名前です
Le Gard (ガール川)は
上流のこの辺りでは
Le Gardon(ガルドン川)
と
呼び名が変わります。
名詞の末尾に on をつけると
「小さい」「可愛い」
という意味の名詞になる
例えば
Chat(猫)を Chatton とすれば
仔猫
まあ
そんな感じですが
橋の名前は本来の川の名前
ちなみに
この辺りに県は『ガール県』と言います
では
今回はここまで
次回は
近くの素敵なホテルと
さらに
その近くの別の町を
ご紹介します
= = = = = = = = = = = =
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