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ねうねう句日記

いつか秀句をはきたいと、ねうねうとうち鳴きながら、より所なげに春の夜を・・・
  。

飛ぶ教室 古典和歌

2010-12-15 01:10:30 | 日記
 『飛ぶ教室』という童話があった。どんな内容だか忘れてしまったが、そのタイトルが記憶に残っている。
 私はもう6年近く、某文化センターのM先生「古典和歌講座」を受講しているのだが、しかしこの秋先生が体調を崩され、今日が最後の授業になってしまった。
 M先生の授業はいつも「古典和歌」の世界へと「飛んでいく教室」だったのである。
 気の利いた受講生がお花を買ってきてくれてあったので、最後の授業の格好がついた。
 花はこんな時悲しい気分や寒い空気を薄めてくれる。
 昔バリバリの若手大学助教授だった頃はフザケタ学生を追い掛け回して懲らしめたこともおありだったそうだが、今は
とても想像できない穏やかな先生である。
 おくさまに「だらしなくって、弱虫で!」なんてニコニコドヤサレテおいでになる。
 こんな時、先生は生まれついての東京のシティ・ボーイなんだと思う。うちの旦那も東京生まれだが、ハイカラなママや身内のオバサマ、お姉ちゃまが大好きで、とても素直で丁重である。表面だけではなく根っからなのだと思う。
 学問についての問いかけには、どんな小さなことにも、どんな無知なものにも、きちんとお答えくださる。
 ある地方在住元教師の方のブログを偶然見てしまったエピソード。先生のお書きになったことに関してある疑問を出版社を通してだが発したことがあった。
 すると先生は即座にお調べくださって、入院中にもかかわらず、電話で出版社の方にお返事され、しかも「ご指摘ありがとう、その方に宜しくお伝えください」と付け加えられたという。
ブログの主は、とても感激して書いておられた。
 私達にも、この後もいつでも何でも聞きにいらっしゃいと言ってくださる。
 ご迷惑にならないように、たま~にご自宅にお邪魔したり、お食事にお誘いしたりさせていただくつもりだ。長く長く『飛ぶ教室・古典号』に集っていきたい。

百人二、三句(1)芭蕉・追加

2010-12-11 00:49:25 | 日記

昨夜芭蕉の句を挙げたが、眠くて眠くて肝心の句を落としてしまいました。

○ 山里は万歳遅し梅の花  芭蕉 
真蹟懐紙前書に「伊陽山中初春」(『芭蕉全句集』雲英末雄・佐藤勝明・2010)
 生まれ故郷伊賀は山里でいかにも万歳の来るのが遅い。梅の花は咲いてもう春の陽気であるよ。
 三冊子は「山里は萬歳おそしといゝはなして、梅は咲けりといふ心のごとくに、行きて帰る心、 発句なり」という。発句の格をそなえた句なのである。ふくよかな香をただよわせて咲く梅を見 ながら、万歳を待っている山里の人の心持を詠んだ句である。
  これが一茶になると
○万さいや馬の尻へも一祝い 『七番日記』調子にのったまんざいがかたわらにいる馬のお尻を囃している。馬の尻は滑稽感に満ちている。芭蕉とはまた違いますね。そして
○大声や廿日過ぎての御万歳 『七番日記』万歳は一月一日から十九日をめどにやってきたものだそうです。伊賀には大和万歳か伊勢万歳がきたのでしょう。

○ 鷹一つ見つけてうれしいらご崎  『笈の小文』

○草臥れて宿かる比や藤の花  『猿蓑』
  これが一番好きかな
  

百人ニ、三句(1)芭蕉

2010-12-09 21:43:00 | 日記
 古今の著名な俳人百人の句を集めた『百人一句』というのがある。俳人の姿を描いて、余白には人口に膾炙した秀句を載せたものである。他にも『俳諧百一集』とか『女百人一句』、和歌では『百人一首』はもとより『英雄百首』などなど。
 それで私も、お気に入りの俳人を一人づつ挙げていって「ねうねう百人一句」を編んでみたいと思いました。ただ一人一句はいかにもつらい。好きな俳人の句はたくさんあるのが普通だし。
ま、精選百人一句とする前に、ニ、三句(四、五句かも)挙げたものを作ってみることにいたします。手始めに蕉門から

 トップはもちろん「芭蕉」!絵姿はやはり森川許六の描いたものが近いのではないでしょうか。
ただ、にこやかな曾良を従えた芭蕉はごくまっとうな宗匠に見えて今ひとつ。尊敬するあまり、ぎらぎらしたものを抑えてしまったように思います。冬の句から。

    木枯らしに岩吹きとがる杉間かな  『笈日記』  杉木立の間から見れば、木枯らしに吹き晒されて鋭くとがった岩が見えることだ。
 元禄四年の句。三河新城の耕月(菅沼定次)に滞在中だった。鳳来山を見上げた時の句という。

    百年(ももとせ)の気色を庭の落葉かな     『韻塞』
  芭蕉が彦根の門人宅を訪れたのはあとにも先にもこの元禄四年、李由の明照寺であったと言われている。しかも許六は江戸勤務中であった。




E島さんご先祖・物部道意と芭蕉

2010-12-01 13:01:22 | 日記
 先週から、喪中のため新年の挨拶を遠慮する旨のはがきが舞い込むようになった。その中でE島さんからのはがきがあった。ご主人を6月に87歳で亡くされたという。「主人は足が不自由ですが、息子の会社の経理もするし、頭はしっかりしていて明るく愉快な人で、私が介護をしていますがちっとも大変ではありません」と楽しそうにおっしゃっておられたことを思い出す。

 4,5年前になるだろうか、私は近江高月西物部在住の「泥芹子 希志」という名の俳人を調べようと高月歴史資料館を訪ねたのだが、学芸員の方に『物部道意考』という本を教えていただいた。そして泥芹が江戸の芭蕉一座で「深川八貧」の「炭」を詠んだ医師物部道意であることを知った。この著者がE島さんのお父さんで旧制高校の教師をされていた片山松治郎氏である。E島さんは長く埋もれていた父の遺作を出版されたのだ。また物部道意はE島さんの祖先である。
    「深川八貧」
    米買いに雪の袋やなげ頭巾    芭蕉
    雪の余波とりわき佐野の薪買はん 依水
    さけやよき雪ふみたてし門の前  苔翠
    炭一升雪にかざすや山折敷    泥芹

 その後東京在住のE島さんと深川の芭蕉記念館でお目にかかることが出来た。芭蕉記念館には、お父様の著作や収集された芭蕉関係の書籍を寄贈されている。こちらは57歳、E島さんは80歳だったと思うが、お話し振りの的確さ、さわやかなこと、目を丸くしてお聞きするばかりであった。私には忘れられない明治の女性や大正の女性が何人かおられるが、間違いなくそのお一人である。

 さて話は物部道意に戻るが、神奈川県立図書館に、物部道意と芭蕉(松尾桃青)が連名で医師本間道悦宛に出した起請文があり、ホームページに公開されている(飯田九一文庫)。翻刻は次のとおり。
  相伝医術啓廸院一流 
  秘書秘語邪豈漏 
  侘乎若於違背者 
  大小神祇別而生 
  縁氏神可蒙御 
  罸者也仍而起請文如件
    物部道意(花押) 
    貞享三年丙寅 二月十二日 
    松尾桃青(花押) 
  本間道悦様

芭蕉に医学の知識があったことは知られているが、医師物部道意とともに本間道悦に入門していたとは大したものである。E島さんに印刷して送ってあげようと思う。




88歳!KENZOケーキ

2010-11-28 15:50:32 | 日記

 11月某日、ついに母の88歳バースデイパーティーの日がやってきました。
いつもの時間に機嫌よくお目覚め、時計代わりのNHK「てっぱん」を見て、さあお仕度じゃ。
目はいいはずなのに気合が入ってるせいかほほ紅が濃すぎますね、お母さん。真珠のブローチの出番も久しぶり。
 12時開始なので早めにC会館へ出発。11時半到着。玄関前に静岡ナンバーが停まってる。従妹のローバーだ。遠路来てくれてありがとう!と思いつつロビーに這入ったら、すでにほぼ全員そろってる!こういうことには時間厳守の一族のようです。

 わあわあ久闊をあたためながら会場へなだれ込む。母と叔母二人(83と81)は一年ぶりと五年ぶりの再会。手を握り合って座り込みました。とにかく子供達がでかくなってるよ。米寿の祝いは孫と「はとこ」の世代が若々しい空気を運んでくれるんだなーと思いました。
 大事な事は最初にやってしまおうと、弟の挨拶もそこそこに皆が待ち焦がれていた大ケーキ搬入。この辺ではおいしくて超有名なお店のデコレーションケーキ。ローソクをさしてみんなでバースデイソングを歌いました。私の旦那のアコーディオン伴奏。
 灯を吹き消すとき、皆が手伝おうとすると、母は「いいや、私ひとりでやる」と、三分くらいかけて消していました。
 叔父の乾杯のあとはビュッフェ料理と飲み放題で宴の開始。当初少し高級にお膳で日本料理と思ったけれどこの形式でよかった。なかなかおいしくてリーズナブル、飲み放題だから勘定の心配もなし。

 やがて歌の時間がきて、母が自慢の美声を披露する時がきました。(このために皆を呼んで米寿パーティーをしたようなものだし)出しものは『蘇州夜曲』。三日ほどまえから夜旦那のアコーディオンで練習したかいあり、高音も出てまずまずけっこうでした。
 ついで弟の「野崎小唄」、従弟親子で「ケセラセラ」。弟Sニの声がいいのに驚いた。亡くなった父もまあ歌はうまかったし。従弟親子は旦那のアコーディオンと合わせるひまもなく、ズレがでましたがヨシヨシ、娘と歌えることなんてもうないかもしれないんだから。二次会のカラオケで存分に歌ってもらいましょう。そのあと故郷静岡にちなんで、皆で「みかんの丘」と「やし実」を合唱。やしの実はほんとにいい歌だ。
 実をとりて 胸にあつれば 新たなり 流離の憂い
 海の日の 沈むを見れば たぎり落つ 異郷の涙  ・・・・・泣ける

 ここで旦那は自分のOB会に出席するために挨拶して退席。ご苦労様でした。あなたの伴奏がなければ母はうまく歌えなかったと思う。
 後半はカラオケ内臓マイク(従妹持参)をTVにつないで、それぞれ母に歌のプレゼント。お上品モードで唱歌や懐メロを歌いました。
 2時に飲み放題終了。切り分けられたケーキとコーヒーで歓談、いっぱいついでおいたワインをじっくり飲んだり、高~いタバコをこころゆくまで飲んだり、おしゃべりが飛び交い、親類って長く会ってないとみんな善人で楽しい~。

 2時半、母はしっかりお礼の挨拶をしてパーティーは終了。
 母と私、叔母夫婦を除いて全員二次会へ移動。

今まで還暦も、70歳も80歳も、子供たちがばたばたしていてお祝いしなかったけれど、ようやく88でお祝いできて良かった!
さすがに疲れたようで、家に帰って横になってもらったら、長いお昼ねでした。
また明日からいつもとかわりなく一日一日を過し、長生きしてください。
仏壇の父に今日のことを報告。お父さんのお祝いはできなかった~、72歳は亡くなるのにちょっと早かったよ。