一 閑 堂

ぽん太のきまぐれ帳

文化としての「階級意識」

2005年06月19日 | 
『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(新井潤美著・平凡社新書刊)という本は、面白かった。
イギリス小説と映画の中にある、イギリス社会全体の暗黙のご了解事項【階級意識】を切り口にした一冊で、一見階級差なしの日本で暮らしていると気づかない指摘や発見に満ちている。

海外で実際に暮らしてみると、特に先進国といわれる国々では、黄色人種や極東にある「日本」という国に対して、時にあからさま、時に陰湿な差別があることを肌で感じるはずだ。
たとえ人種や民族が異ならなくても、職業やその生活ぶり、つきあう相手、はたまた通う学校や受けている教育ごとに、厳然とした<階級差>が実在することにも…。
アジアについてはあまり知らないのだけれど、たとえば韓国は出身地別階級社会と聞いている。名家といわれる家がそれぞれの地方にあり、そことつながる人つながらない人では、まるで違う世界が広がっているとのことだ。

イギリス社会での階級差は、母国語の発音ではっきり区分けされる。
たとえば、ミスター・ビーン
世界的に有名なコメディーキャラクターだが、演じているローワン・アトキンスンという俳優のインタビューを一度でも聞いたことのある人は、彼が話している英語が、典型的パブリックスクール・イングリッシュであることを即座に了解できるだろう。彼は、アッパーもしくはアッパー・ミドルに属する人間である。
たとえば、映画『マイ・フェア・レディ』
労働者階級(ワーキング・クラス)の花売り娘イライザをアッパークラスの淑女に仕立て上げる時、ヒギンズ教授がまずまっさきに実行したのが発音の矯正だった。ヒギンズが言語学者だったからではない。むしろ、彼がたまたま言語学者だったために、階級移動という実験が成立しえたのだ。
イライザの卒業試験は宮廷舞踏会だった。身ごなしや身だしなみももちろんなのだが、なんといっても彼女が話す洗練された英語の発音のおかげで、「あの方は、東欧系の王族関係者に違いない」とみごとに誤解され、ヒギンズは実験に勝利したのである。

ハリウッドの映画監督ロバート・アルトマンは大のイギリス贔屓のようなのだが、『ゴスフォード・パーク』という映画で、大きなお屋敷の主人側と使用人側との生活が同時進行するドラマで、階級差を立体的に対比させる試みをしたことがあった。群像劇がたくみな監督の手腕を楽しみにしていた私だが、登場人物の話す英語の違いがあまり伝わってこず、なんとなく中途半端な気分だったことを覚えている。
『不機嫌なメアリー・ポピンズ』でもいわれているのだが、アメリカはどうもイギリス風の階級意識に疎いようだ。

もちろん、<階級差><階級意識>は発音にとどまらない。小説などにも、濃厚に顕れる。
ことに私が面白いと思っていったのは、ジェーン・オースティンである。当然ながら、『不機嫌なメアリー・ポピンズ』でも詳しくとりあげられている。
『高慢と偏見』などは小説の筋よりも、オースティン自身の諧謔が存分に味わえる一冊で、私は日本語訳でしか読んでいないのだが、それでもなお伝わってくる独特の<階級意識>が味わい深い。
特にオースティンが面白いのは、イングランド郊外での中流階級(ミドルクラス)サロンを舞台としていることだろう。ごくごく狭い共同体の中、登場人物たち全員がまことに微妙な<階級差>を自覚しているために、あちこちで色々な騒動が持ち上がる。
ミドルクラスは一枚岩ではない。そこには、「アッパー・ミドル」「ミドル・ミドル」「ロウアー・ミドル」の垣根が存在し、それゆえ話がいよいよこみいってくるのである。
まして、結婚するかまたは家庭教師にでもなるか、中流女性にとっていずれかの選択肢しかなかった時代に生きた人の描く社会だけに、諸々が身につまされるのだ。

『不機嫌なメアリー・ポピンズ』では、他にも、さまざまな映画や小説をとりあげている。
BBCで放映された連続ドラマ『高慢と偏見』のパロディーにあたる『ブリジット・ジョーンズの日記』、テレンス・スタンプの名演技で有名なサイコサスペンス『コレクター』、私も大好きなキューブリックの傑作『時計じかけのオレンジ』とバージェスの原作、いかにも英国風…の映画を撮らせたら天下一品のアイヴォリー監督『眺めのいい部屋』とフォスターの原作、ディケンズやサッカレーの小説、ブロンテの『ジェイン・エア』、カズオ・イシグロの『日の名残り』、世界中で大人気の児童向けファンタジー『ハリー・ポッター』などである!
もちろん、タイトルとなった『メアリー・ポピンズ』シリーズも、だ。

現代日本では、即座に非難されそうな<階級意識>ではあるけれど、私にはこれも文化の諸相と感じられる。
イギリス小説が好きな理由の一つは、フランス小説にありがちな傾向、「神」といった理念や哲学あるいは男女の情愛よりも、人間社会の細部をじっくりかつ諧謔と共に描く点なのだが(大デュマやユーゴーなども好きだし、モーリヤックのシビアな観察眼にしびれた私ではあるけれど)、イギリス社会から<階級意識>を除くことは無理だろうし、それならそれで、大いに楽しんだ方がより面白いと思うのである。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
イギリス社会の階級意識 (かねこ)
2005-06-19 19:48:48
ポン太さん、こんにちは。



イギリスでは、階級の違いによる発音の違いが顕著に分りますね。(アメリカや日本でも言葉遣いによって、その人の受けた教育、社会的地位がある程度わかりますが、イギリスほどではありません。)映画や小説で、階級差に気づくことはよくあります。よく知っている『メアリー・ポピンズ』、『ジェーン・エア』をとりあげて、イギリスの階級意識について書かれているとは、とても興味があるので、読んでみたい思います。紹介して下さってありがとうございます。
嬉しいです (ぽん太)
2005-06-19 20:35:09
かねこさん、コメントありがとうございました!



この本を読んだ後、まず一番先におすすめしたかったのがかねこさんでした(笑)

沢山の事例を紹介しているため、そんなに詳しい分析はされていないのですが、その分読みやすく、私には実に興味深い内容でした。



思えば、あまりこういった切り口の本はないですよね?

コックニーなどがロンドンの労働者階級の訛りといったことはよく聞きますが(イライザもそれですね、イライザの父も!)、実際はもっともっと細かく分かれているとのことです。

イギリス王室のリチャードとウィリアムの発音の微妙な違いなども紹介されており、最近のアッパークラスのトレンドもうかがえる一冊でした。

お楽しみになれますように・・・!
面白かった! (かねこ)
2005-06-22 18:27:10
ぽん太さん、



イギリス社会の側面、言葉遣いについて今まで知らなかったことが多く、とても興味深く読みました。What?

がupper classで、Pardon?がnon-upper classであるということなど、びっくりです。階級意識について知っていると、よけいに小説、映画が楽しめそうです。



有難うございました。
よかったよかった (ぽん太)
2005-06-22 21:51:00
かねこさん、もうお読みになったんですね!

早くてビックリです。



アッパーとノン・アッパーの区分けの厳密さも、面白かったですよね~。

それを細かく分類定義した本もあるあたり、さすが英国!という感じがしました(笑)



私にとってもかなり楽しめた一冊でしたので、喜んでいただけて何よりでした。

かねこさんのおすすめなどありましたら、また教えてくださいね。

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