ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 生きちゃった (2020)

2020年11月15日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
自分の意思が伝えられない男(仲野太賀)の話だ。その男の沈黙は日本社会のありように対する問題提起のようなのだが石井裕也監督の語り口は、まさに主人公のように曖昧で憂いどころか警鐘にも及ばない。この男は本心を「言わない」のか「言えない」のかがよく分からないからだ。

「言わない」という行為には自覚的な理由がある。それは相手やその場の状況への遠慮や気づかいであり、よく言えば優しさ、悪く言えば自己保身だ。そして、この沈黙は相手との関係において、はたして有効なのだろうかという迷いがつきまとう。「言えない」というのはいたって生理的な問題で、合理的な理由が有るわけではなく、本人にも制御できない(計り知れない)防衛本能の発動なのではないだろうか。本人にはストレートに社会にコミットできない情けなさや後悔がつきまとうのかもしれない。

「言わない」のは自覚的な沈黙で「言えない」のは本能的な沈黙だ。この主人公をどちらの沈黙者に設定するかによって、石井裕也が意図したであろう、日本社会への問題提起、すなわち物語のありようは大きく変わるはずだ。そこが曖昧なように思えた。

もっとも、私は昔から、友人からも、家族からも、教師からも、職場の同僚や上司や、お客さんからも“お前はひと言多い”という言われてきた「言わずにはいられない」タイプで、言ってしまってスッキリしたという自己満足と、言わなきゃよかったという自己嫌悪の葛藤に悩まされてきた男なので、今回の主人公に感情移入できなかったというのが、本当のところかもしれません。

少しでも多く“愛される”ことを望みつつ、その潔さと覚悟の末に堕ちてゆく女を好演した大島優子さんの健闘に★ひとつプラス。

最後に、この話し「喜劇」に仕立てた方が分かりすくて良かったように思いました。

(11月13日/ユーロスペース)

★★★

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