ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 女体 (1969)

2020年11月17日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」
冒頭のシーンで、その女(浅丘ルリ子)は人間ではなく獣であることが暗示される。ただし女は野性の猛獣ではなく、人の加護を求めつつ飼い主の心をもてあそぶ牝猫だ。同類の画家(川津祐介)から解き放たれた牝猫が、中庸な戦中派男(岡田英次)のペットに治まるはずもない。

リアリズムを超越した増村保造の“女”を、まさに人間の女を捨てた浅丘ルリ子が発情するように狂演する。そんな発情し続ける牝猫の次の標的が、戦後高度成長のフェロモンを発散する男(伊藤孝雄)へ行きつくのは時代の必然なのだ。谷崎潤一郎的マゾヒズムに悶える戦中派男(岡田)の哀れ。増村は“そんな男”への鎮魂を、牝猫の行きつくであろう結末に暗示する。

増村保造の隠れた最高傑作ではないだろうか。

(11月13日/シネマヴェーラ渋谷)

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