あめ~ば気まぐれ狂和国(Caprice Republicrazy of Amoeba)~Livin'LaVidaLoca

勤め人目夜勤科の生物・あめ~ばの目に見え心に思う事を微妙なやる気と常敬混交文で綴る雑記。
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雨場毒太の気まぐれ書評139

2010-07-08 23:53:51 | 雨場毒太の気まぐれ書評
侍たちの、静かで熱き闘い
孤愁の岸
杉本苑子 著
講談社 1962年
角川 1975年
埼玉福祉会 1985年
世界文化社 1987年
中央公論 1997年
★第48回直木三十五賞受賞作


名作なので今まで次から次へといろいろな出版社から刊行されているが、初出である講談社が今も版を重ね続けているので、読みたい人は講談社文庫の棚を探せば問題ない(ある程度大きな店でないと無いかもしれない)。

岐阜県の海津というところは、木曽川、長良川、揖斐川の三つの川が集まり、大変洪水の起こりやすい地である。昔から当地の人々は、堤防で土地一帯を囲む「輪中」を築いて暮らしている、というあたりは小学校の社会科でも習う。本書は、江戸時代にこの地の治水を巡り多数の死者を出した「宝暦治水事件」を題材にとった長編歴史小説である。

薩摩藩(鹿児島藩)は外様でありながら全国トップクラスの藩領を誇り、琉球との貿易の利潤もあって資金も豊富にあり、幕府にとって最大の脅威であった(最終的に倒幕の原動力となった事実はご存じの通り)。そこで幕府が薩摩藩弱体化のために行った施策が、薩摩とは無関係な公共事業を薩摩に負担させるという理不尽極まりないものであり、選ばれたのが海津の治水工事だったのである。

幕府の悪企みはそれだけに留まらない。たびたび工事中の堤を破壊させて工事を遅らせたり、大工など専門的技術を持つ工夫を雇うことを禁じたり、粗食を強いたりと嫌がらせの限りを尽くした。抗議の意を込めて切腹して果てる藩士も出始めた。

本作では工事の指揮をとった平田靱負を初めとする、薩摩藩士たちの忍耐、情熱、悲憤が存分に活写されている。作者本人は「若書き」と振り返る文体だが、かえって読者の心を強く揺さぶるようでもある。

宝暦治水事件は、当事者たるところの鹿児島県・岐阜県では学校で必ず教わる常識であるそうだが、それ以外の地域での知名度はさほど高いとは言えない。横暴をひたすら耐え忍び、武士の魂を示した侍たちの姿は、もっと知られるべきことだと思う。この小説はその入口となるはずである。