4月12日(水)新国立劇場オペラ公演
新国立劇場
【演目】
ヴェルディ/「オテロ」
【配役】
オテロ:カルロ・ヴェントレ/デズデーモナ:セレーナ・ファルノッキア/イアーゴ:ウラディーミル・ストヤノフ/ロドヴィーコ:妻屋秀和/カッシオ:与儀 巧/エミーリア:清水華澄/ロデリーゴ:村上敏明/モンターノ:伊藤貴之/伝令:タン・ジュンボ
【演奏】
パオロ・カリニャーニ指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団/世田谷ジュニア合唱団
【演出】マリオ・マルトーネ
【美術】マルゲリータ・パッリ
【衣装】ウルスラ・パーツァック【照明】川口雅弘【再演演出】菊池裕美 【舞台監督】大澤 裕
オペラの世界はまだまだ未体験ものが多く、ヴェルディの、というより古今のオペラ作品のなかでも最高傑作と言われる「オテロ」の完全な舞台上演を観るのも今夜が初めて。そんな「オテロ」初体験の身にとって今夜の新国立劇場の公演は、上演に関わる全ての要素が卓越していて、願ってもない「オテロ」に出会えたと言っていい。この上演では、人間の持つ醜さ、あざとさ、弱さなどの負の面と、気高さ、誠実さ、強さといった美しい面の双方がリアルに迫り、それらが入り組み、ぶつかり合うことで化学反応を起こし、物語の悲劇性が極限までに高められた。
それを決定づける重要な3人の登場人物であるオテロ、イアーゴ、デズデーモナを歌った3人の歌手は皆出色の出来栄えで、とりわけタイトルロールのオテロを歌って演じたヴェントレの強烈な存在感は、最初に舞台で一声を発した時から抜きん出ていた。「デル・モナコのようにオテロを歌いたい」とインタビューで語っていたヴェントレだが、実際「黄金のトランペット」とも呼ばれたデル・モナコの声を彷彿とさせる歌唱で、ひと昔前のレニングラード響のトランペットのような野太さとリアルさ、圧迫感が、ひたすら破滅へと追い詰められて行く主人公の運命を感じさせた。
このオテロに真正面から貞節を訴えるデズデーモナ役は自ずとハードルが高くなるが、ファルノッキアはヴェントレのオテロと対等に渡り合い、強く気高いデズデーモナを熱く歌い上げた。ストヤノフは、最大の悪役イアーゴを歌うには知的な印象を受けたが、聴き進むうちに、知が勝らなければここまで非情になり切ることはできないと納得。非常に巧みな歌唱を聴かせた。その他、妻屋のロドヴィーコ、与儀のカッシオ、清水のエミーリアなど日本人キャストも大活躍で、存在感を示していた。
また、役者と共にこのオペラの巨大なドラマ性を高める重要な役目を担うオケと合唱の功績を抜きに、この公演を語ることはできない。カリニャーニ指揮東フィルは、響きも熱気もテンションも、そしてプレイヤーの技も卓越していた。東フィルのピットでの演奏にはいつも感心するが、今夜は一段と懐の深いパワーを蓄え、聴き手を圧倒した。柔らかな表現にも長けていて、粘り気と湿気のある弦の熱い響きと歌には終始惹きつけられた。そして新国の合唱の完成度とテンションの高さにも舌を巻いた。美しい響き、輝きにも魅了される。これなら、世界のどんなオペラハウスへ行っても大喝采を浴びるに違いない。新国は海外公演をしないのだろうか。
物語の舞台をヴェネツィアに設定し、運河と古い街並みを再現した美しい舞台装置と、それに相応しい色合いの衣装を纏った人々によって繰り広げられる演技もドラマを盛り立てた。30トンもの水を使ったという運河は、照明効果と共に幻想的かつ象徴的な役割を発揮した。幕切れでずぶ濡れになったオテロ最期の場面は、終演後にも強く脳裏に焼き付いた。この水を扱った演出にはいろいろな意味が込められていそうだが、謎解きを迫ってきて音楽から気持ちが逸らされることはなく、じっくりと作品自体を楽しみたい身としては理想的な舞台と演出だった。
70歳を過ぎたヴェルディがここまでパワーと集中力にみなぎる音楽を書いたことに驚き、それを最大限に示した新国のハイレベルな上演に敬服。これを統制した指揮者のカリニャーニにも注目したい。もっともっと拍手を送っていたかったのだが、カーテンコールは1回だけで拍手は引いてしまった。
CDリリースのお知らせ
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~(MS:小泉詠子)
拡散希望記事!やめよう!エスカレーターの片側空け
新国立劇場
【演目】
ヴェルディ/「オテロ」
【配役】
オテロ:カルロ・ヴェントレ/デズデーモナ:セレーナ・ファルノッキア/イアーゴ:ウラディーミル・ストヤノフ/ロドヴィーコ:妻屋秀和/カッシオ:与儀 巧/エミーリア:清水華澄/ロデリーゴ:村上敏明/モンターノ:伊藤貴之/伝令:タン・ジュンボ
【演奏】
パオロ・カリニャーニ指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団/世田谷ジュニア合唱団
【演出】マリオ・マルトーネ
【美術】マルゲリータ・パッリ
【衣装】ウルスラ・パーツァック【照明】川口雅弘【再演演出】菊池裕美 【舞台監督】大澤 裕
オペラの世界はまだまだ未体験ものが多く、ヴェルディの、というより古今のオペラ作品のなかでも最高傑作と言われる「オテロ」の完全な舞台上演を観るのも今夜が初めて。そんな「オテロ」初体験の身にとって今夜の新国立劇場の公演は、上演に関わる全ての要素が卓越していて、願ってもない「オテロ」に出会えたと言っていい。この上演では、人間の持つ醜さ、あざとさ、弱さなどの負の面と、気高さ、誠実さ、強さといった美しい面の双方がリアルに迫り、それらが入り組み、ぶつかり合うことで化学反応を起こし、物語の悲劇性が極限までに高められた。
それを決定づける重要な3人の登場人物であるオテロ、イアーゴ、デズデーモナを歌った3人の歌手は皆出色の出来栄えで、とりわけタイトルロールのオテロを歌って演じたヴェントレの強烈な存在感は、最初に舞台で一声を発した時から抜きん出ていた。「デル・モナコのようにオテロを歌いたい」とインタビューで語っていたヴェントレだが、実際「黄金のトランペット」とも呼ばれたデル・モナコの声を彷彿とさせる歌唱で、ひと昔前のレニングラード響のトランペットのような野太さとリアルさ、圧迫感が、ひたすら破滅へと追い詰められて行く主人公の運命を感じさせた。
このオテロに真正面から貞節を訴えるデズデーモナ役は自ずとハードルが高くなるが、ファルノッキアはヴェントレのオテロと対等に渡り合い、強く気高いデズデーモナを熱く歌い上げた。ストヤノフは、最大の悪役イアーゴを歌うには知的な印象を受けたが、聴き進むうちに、知が勝らなければここまで非情になり切ることはできないと納得。非常に巧みな歌唱を聴かせた。その他、妻屋のロドヴィーコ、与儀のカッシオ、清水のエミーリアなど日本人キャストも大活躍で、存在感を示していた。
また、役者と共にこのオペラの巨大なドラマ性を高める重要な役目を担うオケと合唱の功績を抜きに、この公演を語ることはできない。カリニャーニ指揮東フィルは、響きも熱気もテンションも、そしてプレイヤーの技も卓越していた。東フィルのピットでの演奏にはいつも感心するが、今夜は一段と懐の深いパワーを蓄え、聴き手を圧倒した。柔らかな表現にも長けていて、粘り気と湿気のある弦の熱い響きと歌には終始惹きつけられた。そして新国の合唱の完成度とテンションの高さにも舌を巻いた。美しい響き、輝きにも魅了される。これなら、世界のどんなオペラハウスへ行っても大喝采を浴びるに違いない。新国は海外公演をしないのだろうか。
物語の舞台をヴェネツィアに設定し、運河と古い街並みを再現した美しい舞台装置と、それに相応しい色合いの衣装を纏った人々によって繰り広げられる演技もドラマを盛り立てた。30トンもの水を使ったという運河は、照明効果と共に幻想的かつ象徴的な役割を発揮した。幕切れでずぶ濡れになったオテロ最期の場面は、終演後にも強く脳裏に焼き付いた。この水を扱った演出にはいろいろな意味が込められていそうだが、謎解きを迫ってきて音楽から気持ちが逸らされることはなく、じっくりと作品自体を楽しみたい身としては理想的な舞台と演出だった。
70歳を過ぎたヴェルディがここまでパワーと集中力にみなぎる音楽を書いたことに驚き、それを最大限に示した新国のハイレベルな上演に敬服。これを統制した指揮者のカリニャーニにも注目したい。もっともっと拍手を送っていたかったのだが、カーテンコールは1回だけで拍手は引いてしまった。
CDリリースのお知らせ
さびしいみすゞ、かなしいみすゞ ~金子みすゞの詩による歌曲集~(MS:小泉詠子)
拡散希望記事!やめよう!エスカレーターの片側空け
僕は、この舞台を2009年観ました(指揮;フリッツァ、題名役;グールド、デズデモーナ;イヴェッリ、イアーゴ;ガッロ)。
舞台の美しさ、心理を鋭く抉る演出、何よりもヴェルディの音楽凄さが激しく心を揺さぶりました。CDやDVDなどで観ても、デズデモーナが可愛そうでなりませんでしたが、実際に舞台を観て、オテロがイアーゴの奸計にはまり、醜い人間に堕ちていくのをみるのが辛くなりました。以降、全く「オテロ」を避けています。
別の演出ならどうなのかなとも思いますが、人間の愚かしさをこれでもかとオペラにてしまったこの作品のことを考えると…。
私もオペラ『オテロ』を鑑賞してきましたので、舞台をしっかりとみて書かれておられるブログを読ませていただ、『オテロ』の舞台の感動を再体験することができました。シェイクスピアの作品は、愛と嫉妬の葛藤などの心理描写が卓越していて、オペラ化があまり成功していませんが、原作の内容を絞り込み、見事な傑作オペラを生み出しましたヴェルティのオペラ作曲家としての力量には敬意を感じています。オテロ、イアーゴ、デズデーモナ役の3人の歌手は力量がバランスがとれていて、私も十分楽しめ、爽やかな感動の余韻が残りました。
オペラ「オテロ」の魅力と、シェイクスピアの原作とオペラの脚本の違いを検討し、違いをつけた理由を考察してもみました。読んでいただけると嬉しいです。内容に対してご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。。