2023年9月、ウィーンとベルリンを中心に演奏会や作曲家ゆかりの記念館を訪ねたレポート
MENDELSSOHN-HAUS LEIPZIG メンデルスゾーン・ハウス
2023年 9月16日(土)
バッハの町として知られるライプツィヒは、メンデルスゾーンが作曲家として、そしてゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者として活躍した町でもあります。トーマス教会の近くの古いバッハ像は、この教会で「マタイ受難曲」を蘇演したメンデルスゾーンが建てたもので、同じ歩道の一角にはバッハ像を見つめるようにメンデルスゾーンの銅像も立っていて、ライプツィヒがメンデルスゾーンゆかりの町であることを思い起こさせます。
バッハ像と向かい合って立つメンデルスゾーンの銅像
トーマス教会から歩いて15分ぐらいのところに、メンデルスゾーンが1845年から世を去る1847年まで居住していた住居が残っていて、ミュージアムとして整備され、公開されています。「天才作曲家を3人上げろ」と云われたら、迸るインスピレーションを瑞々しく湧きあがる音楽で表現したメンデルスゾーンはモーツァルト、プロコフィエフと共に上げたい作曲家です。そんなメンデルスゾーンの息吹を感じに、メンデルスゾーン・ハウスを訪れました。メンデルスゾーン・ハウスは、裕福だったメンデルスゾーン家を象徴するような立派な建物の中にあります。
メンデルスゾーン・ハウスに着いたのは閉館1時間前の午後5時。あまり時間がありません。全部回るとどのぐらいかかるかチケット売り場で尋ねると、「ここは3フロアあって、メンデルスゾーンの展示のほかに、指揮者のクルト・マズアの展示室もあります。全部回るには1時間半は必要だけど6時に閉館なので・・・」
ここにはメンデルスゾーン関連の展示を見に来たので、マズアのコーナーはスルーして、とにかくできるだけ全部回ろう、と早速見学開始。等身大のフェリックスくんが出迎えてくれました。
まずは1階から。最初に入ったこの部屋では、表示されるスコアをリアルタイムで確認しながらメンデルスゾーンの楽曲を聴くことが出来ました。選んだ曲は「真夏の世の夢」序曲。オケのパートに対応したパネルスピーカーが並び、音を発しているパートが明滅でわかる仕組みです。用意されている指揮棒を振ると、指揮に合わせてテンポが変化します。でもなかなか思うようなテンポになりませんでした。
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別の部屋にはハンマーフリューゲルが展示されていました。この楽器はポーランドの名工、トラウゴット・ベルントがメンデルスゾーン没後の翌年の1848年に製作したもので、このような楽器をメンデルスゾーンは所有していたとのことです。
メンデルスゾーンの像を拝んで2階へ
「画家メンデルスゾーン」という部屋には、メンデルスゾーンが描いたスケッチがたくさん展示されていました。
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旅を重ねたメンデルスゾーンは、その土地の風景の印象を絵にして残しておくことが好きだったそうです。メンデルスゾーンが絵を描いたことは知っていましたが、あまりに素晴らしいスケッチの数々に目が釘付けになりました。
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真っ先に目に飛び込んできたのはスイスのミューレン(ミュレン)の風景。何度も訪れたことがある僕のお気に入りの町です。アイガー、メンヒ、ユングフラウが見渡せるパノラマ風景は昔も今も変わりません。
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2006年 夏のヨーロッパ旅行 ~ミューレン~
スイス各地のスケッチがたくさんありました。
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「ミュージックサロン」と名付けられたこの部屋は、メンデルスゾーンの音楽活動や社交にとっての中心となる場所でした。こんなスペースが住居にあるなんて、さすが富豪のメンデルスゾーンですね。毎週日曜日には今でもここでコンサートが行われているそう。聴きたかったなぁ・・・
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3声の歌曲「夕べの風が梢を通れば…"Wenn der Abendwind durch die Wipfel..."」の自筆譜
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「青の部屋」と名付けられた居間
メンデルスゾーンの寝室だった部屋
この部屋でメンデルスゾーンは1847年11月4日夕刻、38歳の若さで息を引き取りました。
子ども部屋。メンデルスゾーン家が所有していた家具が置かれています。
家具や部屋は、質素な美しさを重んじたビーダーマイアー様式を採用しているそうです。
メンデルスゾーンの仕事部屋。ここで大作オラトリオ「エリア」が書かれました。ちょっと感動!
夫の仕事部屋の隣は、妻セシルの部屋
踊り場に掛けられた肖像画
作曲家ゆかりの人たち
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更に3階へ
3階は、メンデルスゾーンが生涯慕ってやまなかった姉、ファニーにまつわる常設展示場になっています。ファニーは、優れたピアニストとして活躍しただけでなく作曲家としても多くの作品を遺し、近年は作曲家としても注目を集めています。
ファニーが作曲した1年の各月を音楽にしたピアノのための組曲「一年」を3曲ずつ四季に合わせて、それぞれ4つの部屋で聴くことができます。
ファニーは1847年5月、弟フェリックスの作品のリハーサル中に急逝してしまいます。大変なショックを受けたフェリックスは、その6か月後に急病で帰らぬ人となったのです。
最後の部屋では、ファニーがピアノを弾くサロンの風景をバックに自動撮影ができ、QRコードから写真をダウンロードできるサービスがあります。この写真、ブログのプロフィール写真にしました。
時間を気にしながらではあったけれど、ひととおり全ての部屋を巡り、展示を見て、指揮体験や作品の試聴をして、記念写真も撮ってもらって・・・かなり楽しむことができました。メンデルスゾーンが生活して、音楽活動をしていたその場に身を置いて空気に触れることが出来たのは貴重な体験でした。この博物館は規模も大きく内容も充実しているしコンサートも行われているので、そうしたことも予定して訪れると更に楽しめるでしょう。
「メンデルスゾーンはこの家で1847年11月4日に死去」
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