9月17日(土)蓮の会ホールオペラ第五回公演
【演目】
プッチーニ/「蝶々夫人」全3幕
【配役】
蝶々夫人:中前美和子/スズキ:小谷円香/ピンカートン:小林 浩/シャープレス:旭 潔/ゴロー:鳥羽洋彰/ケート:今泉英理子/ボンゾ:内田勝也 他
ピアノ:大賀美子
今日は朝の9時から15時まで、娘が通う学校の学園祭で各クラスが出し物で行う劇を観て、夜はオペラ公演という過密スケジュール。
学園祭のお芝居は娘の学年4クラス全ての公演を観た。この演劇公演は毎年とても好評で、開演前には長蛇の列ができ、並んで入れないことも。それなのに原発事故による節電対策とかで、普段よりも公演可能時間が短縮されてしまった。消費電力は少なくなる週末、しかも政府の電力消費制限令は当初の予定よりとっくに早く解除されているのに、一度決まったことを変更すると混乱する、とかで、時間短縮のまま実施された。
このせいで、混雑のために時間が押して、予定より終演が遅れそうになった公演が、お客が大勢並んでいるのに開演直前で中止されるという実害も出た。寸暇を惜しんで一生懸命準備してきた生徒達や、楽しみに出かけてきたお客のことを配慮した措置が考えられなかったのは残念。
しかし生徒達の公演自体はどれも素晴らしかった。セリフを覚えるだけでなく、与えられた役を熱演し、芝居の上でのコミュニケーションもきちんと取れ、ひとつの作品として演じ、その面白さをお客に伝えてくる迫力は驚くばかり。機敏で的確なライディングや、効果音などの裏方も含め、クラスが一丸となって取り組んで成し得た大きな成果に脱帽!
さて、ここからは本題の夜のオペラの感想。3年前に「トロヴァトーレ」を聴いた「蓮の会」によるホールオペラは、回を重ねて5回目となっていた。前回にも増して素晴らしい公演だった。3年前はお客が少ないのが寂しかったが、今回はほぼ満員の盛況。公演内容も、この盛況振りを裏付ける充実したものだった。
この公演は、オーケストラのパートをビアニストが受け持つが、ビアノを担当した大賀さんの存在なくしてこの公演の成功は有り得ないと思えるほど素晴らしいピアノだった。オペラのオケパートをビアノでやると聞いて、コレペティの延長程度のものを想像したら大間違い。オケの迫力にひけを取らないダイナミックで、ドラマ性に富んだ表現力が素晴らしい。ピアノならではの繊細さも光る。全体を把握して、テンボ、間、呼吸、表情づけ… 歌い手のタイミングまで決める指揮者の役割も併せ持つ大役を大賀さんは見事に果たし、蝶々さんの愛の喜び、不安、希望、絶望といったドラマをビアノ1台で十分に伝えた。
この素晴らしいピアノに乗って歌い、演じた歌手陣も見事だった。なかでもタイトルロールの蝶々さんを歌った中前さんと、シャープレス役の旭さんは、大きなオペラハウスでPAなしで歌っても会場の隅々まで届き渡りそうな豊かな声量があり、歌唱でも強い存在感をアピールしていた。
中前さんは、艶やかで芯のある美声で、蝶々さんの純真さ、一途さ、強さ、そして凜とした気高さを見事に歌い、演じた。言葉のひとつひとつが、くっきりと深く心に刻み込まれた。
旭さんの存在感の大きさもこのオペラのひとつの鍵を握っていた。悪役をやっても実に様になる旭さんだが、今回は思慮深く慈悲深く、包容力があり、「頼れる」シャープレスを感じさせる歌と演技だった。
小林さんのピンカートンは、熱い心を持つなかなか誠実な男というイメージ。1幕終盤の愛の二重唱はそうした意味で、嘘偽りない本気の愛のデュエットで心に迫って来たが、どこかにプレイボーイ的ないやらしさを滲ませ、純真無垢な蝶々さんとのコントラストが浮かび上がってもよかった。小谷さんのスズキの役作りは、感情の変化がリアルに伝わってきてうまいと思った。
舞台装置は障子の衝立が置かれただけのシンプルなものだが、衣装がみんな本格的で、とりわけ和服の色や柄にセンスが光っていた。蝶々さんは、艶やかな振袖から白無垢、洋装、再び纏った和服に色打掛… と場面に合わせて変わる衣装がとても効果的なだけでなく、日本の女性達の所作も品が漂って素晴らしく、舞台を盛り立てた。こうした「蝶々夫人」の公演は、日本だからこそ可能なものだろう。
3年前、字幕がなかったのがちょっと辛かったので、リブレットの対訳を持参したが、嬉しいことに今回は字幕が入ったことも、オペラにより没頭できた要因のひとつ。
自害して果てた蝶々さんのところにも、ピンカートンは姿を現さなかったが、これはピンカートンの不誠実さを象徴するというより、蝶々さんの孤独な死が浮き上がってくる効果があったと思う。
「蓮の会」ホールオペラ、来年は「ボエーム」をやるとのこと。これも楽しみだ。
【演目】
プッチーニ/「蝶々夫人」全3幕
【配役】
蝶々夫人:中前美和子/スズキ:小谷円香/ピンカートン:小林 浩/シャープレス:旭 潔/ゴロー:鳥羽洋彰/ケート:今泉英理子/ボンゾ:内田勝也 他
ピアノ:大賀美子
今日は朝の9時から15時まで、娘が通う学校の学園祭で各クラスが出し物で行う劇を観て、夜はオペラ公演という過密スケジュール。
学園祭のお芝居は娘の学年4クラス全ての公演を観た。この演劇公演は毎年とても好評で、開演前には長蛇の列ができ、並んで入れないことも。それなのに原発事故による節電対策とかで、普段よりも公演可能時間が短縮されてしまった。消費電力は少なくなる週末、しかも政府の電力消費制限令は当初の予定よりとっくに早く解除されているのに、一度決まったことを変更すると混乱する、とかで、時間短縮のまま実施された。
このせいで、混雑のために時間が押して、予定より終演が遅れそうになった公演が、お客が大勢並んでいるのに開演直前で中止されるという実害も出た。寸暇を惜しんで一生懸命準備してきた生徒達や、楽しみに出かけてきたお客のことを配慮した措置が考えられなかったのは残念。
しかし生徒達の公演自体はどれも素晴らしかった。セリフを覚えるだけでなく、与えられた役を熱演し、芝居の上でのコミュニケーションもきちんと取れ、ひとつの作品として演じ、その面白さをお客に伝えてくる迫力は驚くばかり。機敏で的確なライディングや、効果音などの裏方も含め、クラスが一丸となって取り組んで成し得た大きな成果に脱帽!
さて、ここからは本題の夜のオペラの感想。3年前に「トロヴァトーレ」を聴いた「蓮の会」によるホールオペラは、回を重ねて5回目となっていた。前回にも増して素晴らしい公演だった。3年前はお客が少ないのが寂しかったが、今回はほぼ満員の盛況。公演内容も、この盛況振りを裏付ける充実したものだった。
この公演は、オーケストラのパートをビアニストが受け持つが、ビアノを担当した大賀さんの存在なくしてこの公演の成功は有り得ないと思えるほど素晴らしいピアノだった。オペラのオケパートをビアノでやると聞いて、コレペティの延長程度のものを想像したら大間違い。オケの迫力にひけを取らないダイナミックで、ドラマ性に富んだ表現力が素晴らしい。ピアノならではの繊細さも光る。全体を把握して、テンボ、間、呼吸、表情づけ… 歌い手のタイミングまで決める指揮者の役割も併せ持つ大役を大賀さんは見事に果たし、蝶々さんの愛の喜び、不安、希望、絶望といったドラマをビアノ1台で十分に伝えた。
この素晴らしいピアノに乗って歌い、演じた歌手陣も見事だった。なかでもタイトルロールの蝶々さんを歌った中前さんと、シャープレス役の旭さんは、大きなオペラハウスでPAなしで歌っても会場の隅々まで届き渡りそうな豊かな声量があり、歌唱でも強い存在感をアピールしていた。
中前さんは、艶やかで芯のある美声で、蝶々さんの純真さ、一途さ、強さ、そして凜とした気高さを見事に歌い、演じた。言葉のひとつひとつが、くっきりと深く心に刻み込まれた。
旭さんの存在感の大きさもこのオペラのひとつの鍵を握っていた。悪役をやっても実に様になる旭さんだが、今回は思慮深く慈悲深く、包容力があり、「頼れる」シャープレスを感じさせる歌と演技だった。
小林さんのピンカートンは、熱い心を持つなかなか誠実な男というイメージ。1幕終盤の愛の二重唱はそうした意味で、嘘偽りない本気の愛のデュエットで心に迫って来たが、どこかにプレイボーイ的ないやらしさを滲ませ、純真無垢な蝶々さんとのコントラストが浮かび上がってもよかった。小谷さんのスズキの役作りは、感情の変化がリアルに伝わってきてうまいと思った。
舞台装置は障子の衝立が置かれただけのシンプルなものだが、衣装がみんな本格的で、とりわけ和服の色や柄にセンスが光っていた。蝶々さんは、艶やかな振袖から白無垢、洋装、再び纏った和服に色打掛… と場面に合わせて変わる衣装がとても効果的なだけでなく、日本の女性達の所作も品が漂って素晴らしく、舞台を盛り立てた。こうした「蝶々夫人」の公演は、日本だからこそ可能なものだろう。
3年前、字幕がなかったのがちょっと辛かったので、リブレットの対訳を持参したが、嬉しいことに今回は字幕が入ったことも、オペラにより没頭できた要因のひとつ。
自害して果てた蝶々さんのところにも、ピンカートンは姿を現さなかったが、これはピンカートンの不誠実さを象徴するというより、蝶々さんの孤独な死が浮き上がってくる効果があったと思う。
「蓮の会」ホールオペラ、来年は「ボエーム」をやるとのこと。これも楽しみだ。