2007年1月22日(月)
→
土曜日の夜のニュースで「あるある大辞典」でやった納豆ダイエットの番組が捏造だったと知ったときは、意地が悪いかも知れないが、番組への怒りではなく「番組を見て夢中で納豆を食べ始めた人たちの顔が見たい」という一種スッキリした気分になった。
うちはみんな普段から納豆が好きでよく食べている。それが最近あの番組のせいで売り切れのことが多く、食いたいときに納豆が食えない状況に出くわし「な・なんなんだこれは!?」という気分だった。「ヤセル」とかいう情報をすぐに鵜呑みにするばかりか、実際にスーパーに走ってしまうほどに踊らされる、殆どビョーキのようなこの現象は日本人の習性なのか、或いは万国共通の人間の本能なのか…?
新聞の社会面には「一生懸命納豆を食べていたのに」とか「裏切られた、許せない」とかいった失望の声が載るが、こんな声は滑稽でしかない。読売新聞の社会面には「テレビにすぐ影響される視聴者にも責任がある」と自戒を込めて話したというやはり騙された人のコメントが載っていたが、この人みたいに「こんな情報に踊らされた自分もバカだった」と思わない限り、また同じことを何度でも繰り返すだろう。
こうした捏造事件が発覚するとマスコミは大抵消費者の側に付き、企業側を攻撃するものだ。でも今回のはそれだけで終わりにするべきではないのでは?ちょっと興味が湧いて21日(日)の各紙の扱いを調べてみた。
日経と産経は社会面で事実を淡々と伝えるだけだったが、朝日、毎日、読売、東京の各紙はこの事件を1面で報道し、2面や社会面でコメント等を掲載。毎日は「視聴者も惑わされない目を」と題した囲み記事で、こうした視聴率稼ぎの健康番組の情報には作り話が入りやすいことを認識すべきと指摘していたほか、朝日も「いい加減な情報に振り回されないよう自覚すべきだ」というある大学教授のコメントを掲載、読売は上にも紹介した騙された人の自戒を込めたコメントを載せるなど、こうした情報に踊らされた視聴者への警鐘も鳴らす内容となっていたのを読んで、少々安心した。
小泉劇場の時もそうだが、目の前の情報や事件、目新しいことだけに踊らされて動き回ってしまう人達が余りに多いことは実に嘆かわしい。「世論は怖い」「世論を読み間違えるな」なんて選挙の結果や不二家の不祥事などへのコメントとしてマスコミがよく言っているが、おれにしてみれば「騙されやすい世論をいかに巧みに騙すか」が日本では何においても成功する決め手ではないのだろうかとさえ思ってしまう。きっと政治家や企業のお偉方の多くも口には絶対出さないが、自らの成功のためにはそんな風に考えているに違いない。おれたちは大いにこういう人たちにバカにされ、事実バカにされても仕方ない素質しかないのかも知れない。
インターネットの普及で近頃は自らものを調べる努力を怠るようになった人が急増したというが、こんなこと書いているおれも何かあると割とすぐサイト検索をして結構信じてしまうことは反省しなければならない。何か行動を起こす前に一瞬でも立ち止まって冷静になり、自らの努力で物事の真意を確かめ、できればそれを見抜けるような利口な人間になりたいなぁ。
何はともあれ、また心穏やかに納豆が食べられるのは嬉しいことだ。


土曜日の夜のニュースで「あるある大辞典」でやった納豆ダイエットの番組が捏造だったと知ったときは、意地が悪いかも知れないが、番組への怒りではなく「番組を見て夢中で納豆を食べ始めた人たちの顔が見たい」という一種スッキリした気分になった。
うちはみんな普段から納豆が好きでよく食べている。それが最近あの番組のせいで売り切れのことが多く、食いたいときに納豆が食えない状況に出くわし「な・なんなんだこれは!?」という気分だった。「ヤセル」とかいう情報をすぐに鵜呑みにするばかりか、実際にスーパーに走ってしまうほどに踊らされる、殆どビョーキのようなこの現象は日本人の習性なのか、或いは万国共通の人間の本能なのか…?
新聞の社会面には「一生懸命納豆を食べていたのに」とか「裏切られた、許せない」とかいった失望の声が載るが、こんな声は滑稽でしかない。読売新聞の社会面には「テレビにすぐ影響される視聴者にも責任がある」と自戒を込めて話したというやはり騙された人のコメントが載っていたが、この人みたいに「こんな情報に踊らされた自分もバカだった」と思わない限り、また同じことを何度でも繰り返すだろう。
こうした捏造事件が発覚するとマスコミは大抵消費者の側に付き、企業側を攻撃するものだ。でも今回のはそれだけで終わりにするべきではないのでは?ちょっと興味が湧いて21日(日)の各紙の扱いを調べてみた。
日経と産経は社会面で事実を淡々と伝えるだけだったが、朝日、毎日、読売、東京の各紙はこの事件を1面で報道し、2面や社会面でコメント等を掲載。毎日は「視聴者も惑わされない目を」と題した囲み記事で、こうした視聴率稼ぎの健康番組の情報には作り話が入りやすいことを認識すべきと指摘していたほか、朝日も「いい加減な情報に振り回されないよう自覚すべきだ」というある大学教授のコメントを掲載、読売は上にも紹介した騙された人の自戒を込めたコメントを載せるなど、こうした情報に踊らされた視聴者への警鐘も鳴らす内容となっていたのを読んで、少々安心した。
小泉劇場の時もそうだが、目の前の情報や事件、目新しいことだけに踊らされて動き回ってしまう人達が余りに多いことは実に嘆かわしい。「世論は怖い」「世論を読み間違えるな」なんて選挙の結果や不二家の不祥事などへのコメントとしてマスコミがよく言っているが、おれにしてみれば「騙されやすい世論をいかに巧みに騙すか」が日本では何においても成功する決め手ではないのだろうかとさえ思ってしまう。きっと政治家や企業のお偉方の多くも口には絶対出さないが、自らの成功のためにはそんな風に考えているに違いない。おれたちは大いにこういう人たちにバカにされ、事実バカにされても仕方ない素質しかないのかも知れない。
インターネットの普及で近頃は自らものを調べる努力を怠るようになった人が急増したというが、こんなこと書いているおれも何かあると割とすぐサイト検索をして結構信じてしまうことは反省しなければならない。何か行動を起こす前に一瞬でも立ち止まって冷静になり、自らの努力で物事の真意を確かめ、できればそれを見抜けるような利口な人間になりたいなぁ。
何はともあれ、また心穏やかに納豆が食べられるのは嬉しいことだ。
コメントを頂いたので、遊びにきてみました♪
私は最初から納豆が食べられないのですが、
私の家族も納豆大好きなので、スーパー行っても納豆がない!!って言っていたのを覚えてます。
”痩せるから”ではなくて、”健康にいいから”っていう思考にすればいいのにな~と思ってしまいました。
納豆は大昔から食べられている歴史のある食品なので、こんなことではへこたれませんね。ドイツ人でも納豆好きはいるんだから、是非納豆のうまさをドイツ人にもっと広めるためにもyoshieさんも納豆を食べて下さいね。