1月16日(木)ファビオ・ルイージ指揮 NHK交響楽団
《2014年1月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
【アンコール】
J.シュトラウス/グリュンフェルト編/ウィーンの夜会
Pf:ルドルフ・ブフビンダー
2.ブルックナー/交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)
新年最初のN響定期に登場したファビオ・ルイージは、知性と情熱のバランスが取れ、濃い演奏を引き出す好印象の指揮者。プログラム1曲目には、去年11月に聴いた堤剛とのデュオリサイタルで、その名声を存分に証明してくれて惚れこんだピアニスト、ルドルフ・ブフビンダーをソリストに迎え、モーツァルトのニ短調のコンチェルトが置かれていて期待大。
そして期待に違わぬ素晴らしい演奏が始まった。熱を帯びつつも大袈裟な振る舞いをすることなく、キリリと引き締まったオーケストラの導入部、第2主題での甘やかなささやきも素敵だ。そこに入ったブフビンダーのピアノは、端正なフォルムを保ちながら、ほのかな香りや深みのある味わい、痛みを伴った哀しみを織り込みつつ、極上の調べを奏でていった。オケとのやり取りも自然で滑らか。これは間違いなく名演になる!と聴き入っていたら…
第1楽章の後半で「アレ?ピアノがオケと違うことやってる?」拍がずれたというより、全く別のところにとんでしまったように聴こえる。こんな時はルイージ/N響の腕の見せどころ、どこかで修正して何事もなかったかのように続けてくれるに違いない、と思って聴いていたのだが、事態はそんな簡単なものではないようで、ブフビンダーの方も「オーケストラさん、うまくここに合わせてチョーダイ!」と言わんばかりに、いつまでもよくわからんトリルを続けたが修復は叶わない。こうなってしまうとソリストも指揮者もコンマスもどうすることもできない。とうとう演奏は中断してしまい、指揮者が練習番号だかを口頭で告げて、事件が起きた部分は端折ってカデンツァの手前から再開となった。
第2楽章ではさすがに動揺していたのか、ブフビンダーのピアノは感情過多に聴こえたが、第3楽章では完全にペースを取り戻し、最初に聴かせてくれていた「名演」で締めくくった。けれども僕の気持ちは穏やかではない。このハプニング自体より、その後のやり方への抗議の意思表示として、アンコールも含めて拍手をしなかった。
拍がずれたり、ソロが落ちてしまうようなことは稀に出くわしたことはあるが、今夜のような事件は前代未聞だ。だけど、人間は機械じゃないからこういうことが起きることだってある。その代わりに、人間だからこそ心に沁みる演奏に出会えるわけだし。だから起きてしまったことを責め立てる気はない。僕が納得行かなかったのは、楽章の終盤の盛り上がる肝心の部分をあんなわけわからん中抜けのままにして飛ばして先に行ってしまったことだ。演奏が中断してしまったからには、最初からやり直してもらいたかった、というのは無理な注文だろうか。それができる権限を指揮者やソリストは持っているはずだと思うし、やり直すのが義務だとさえ思う。素人の発表会じゃあないんだから。
気分を取り直して臨んだ後半のブルックナーは、ルイージらしい密度の濃い、熱のこもった充実した演奏だった。少々無造作に聴こえる部分があったのは残念だったが、とりわけ第2楽章の強靭な粘りや、第3楽章の大地が呼吸し、芽吹くような生命力から、ルイージのドラマチックな音楽作りの確かさと、N響の高いクオリティを感じた。
とは言え、やっぱり今夜の演奏会は自分のなかではあの出来事の時点で終わっていた。ある意味貴重な体験だった。
《2014年1月Bプロ》 サントリーホール
【曲目】
1. モーツァルト/ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
【アンコール】
J.シュトラウス/グリュンフェルト編/ウィーンの夜会
Pf:ルドルフ・ブフビンダー
2.ブルックナー/交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)
新年最初のN響定期に登場したファビオ・ルイージは、知性と情熱のバランスが取れ、濃い演奏を引き出す好印象の指揮者。プログラム1曲目には、去年11月に聴いた堤剛とのデュオリサイタルで、その名声を存分に証明してくれて惚れこんだピアニスト、ルドルフ・ブフビンダーをソリストに迎え、モーツァルトのニ短調のコンチェルトが置かれていて期待大。
そして期待に違わぬ素晴らしい演奏が始まった。熱を帯びつつも大袈裟な振る舞いをすることなく、キリリと引き締まったオーケストラの導入部、第2主題での甘やかなささやきも素敵だ。そこに入ったブフビンダーのピアノは、端正なフォルムを保ちながら、ほのかな香りや深みのある味わい、痛みを伴った哀しみを織り込みつつ、極上の調べを奏でていった。オケとのやり取りも自然で滑らか。これは間違いなく名演になる!と聴き入っていたら…
第1楽章の後半で「アレ?ピアノがオケと違うことやってる?」拍がずれたというより、全く別のところにとんでしまったように聴こえる。こんな時はルイージ/N響の腕の見せどころ、どこかで修正して何事もなかったかのように続けてくれるに違いない、と思って聴いていたのだが、事態はそんな簡単なものではないようで、ブフビンダーの方も「オーケストラさん、うまくここに合わせてチョーダイ!」と言わんばかりに、いつまでもよくわからんトリルを続けたが修復は叶わない。こうなってしまうとソリストも指揮者もコンマスもどうすることもできない。とうとう演奏は中断してしまい、指揮者が練習番号だかを口頭で告げて、事件が起きた部分は端折ってカデンツァの手前から再開となった。
第2楽章ではさすがに動揺していたのか、ブフビンダーのピアノは感情過多に聴こえたが、第3楽章では完全にペースを取り戻し、最初に聴かせてくれていた「名演」で締めくくった。けれども僕の気持ちは穏やかではない。このハプニング自体より、その後のやり方への抗議の意思表示として、アンコールも含めて拍手をしなかった。
拍がずれたり、ソロが落ちてしまうようなことは稀に出くわしたことはあるが、今夜のような事件は前代未聞だ。だけど、人間は機械じゃないからこういうことが起きることだってある。その代わりに、人間だからこそ心に沁みる演奏に出会えるわけだし。だから起きてしまったことを責め立てる気はない。僕が納得行かなかったのは、楽章の終盤の盛り上がる肝心の部分をあんなわけわからん中抜けのままにして飛ばして先に行ってしまったことだ。演奏が中断してしまったからには、最初からやり直してもらいたかった、というのは無理な注文だろうか。それができる権限を指揮者やソリストは持っているはずだと思うし、やり直すのが義務だとさえ思う。素人の発表会じゃあないんだから。
気分を取り直して臨んだ後半のブルックナーは、ルイージらしい密度の濃い、熱のこもった充実した演奏だった。少々無造作に聴こえる部分があったのは残念だったが、とりわけ第2楽章の強靭な粘りや、第3楽章の大地が呼吸し、芽吹くような生命力から、ルイージのドラマチックな音楽作りの確かさと、N響の高いクオリティを感じた。
とは言え、やっぱり今夜の演奏会は自分のなかではあの出来事の時点で終わっていた。ある意味貴重な体験だった。
ブフビンダーさんのピアノは本当に素晴らしいんです。あそこ以外はほぼ完璧でしたし、こういうこともあるのですね。堀さんは、あのような状況できっとブフビンダーさんを何度もステージに呼び戻すのはかえって気の毒だと思って早めに引き上げようとしたように思います。
第1日目は、ピアノ協奏曲は、さすが大御所、くっきりとしたモーツァルト、伴奏もとても素敵でしたし、ブルックナーも勢いがあって、最後は聖なる感じで、素晴らしかったと思います。