これは言えているかも。
経営層が保身に走り、ジジイたちに耳触りのよい情報しか入れなくなって、批判する人を排除する構造。
ジジイの壁は何層にも重なって配置されており、その壁を超えるにはその壁の各有力者たちのお気に入りになること。ジジイは性別を超える。女性にもジジイは存在する。
ここを超えるためには並々ならぬソフトタッチの実力者でなくてはならない。
わたしはジジイたちが偉かろうがなんだろうが言うことは言ってきた。
陰口もいうが、もちろん直接も言う。
そうすると大概のジジイたちは当惑して怒り、あるものは、逃げ出す。
わたしは排除されても壁の向こうから投石を繰り返す。
パレスチナの子どもたちにも似ている。
イスラエル兵や警察にひどく痛めつけられても投石はやめない。
監獄に入れられて、2年間書類のPDFファイルをスキャンする監獄にも入った。
しかし投石も仕事も自分で作ってやめていない。
なぜなら一番仕事をして社会課題の解決のためにやっている自負がある。
悪いことは何一つやらず、利益を生み出し、将来のコスト削減のタネを埋めているから辞める理由が、ない。
ジジイたちは鵜の目鷹の目でやめさせる理由を探すが見つからない。
仕方なく些末なことで始末書を書かせる。
しかし今月は手塩にかけた共同研究プロジェクトの報告がまとまりそうだ。
ジジイを敵に回してもやりたいことをやれる証拠を残す。
これを後輩たちに見せたい
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます