村上春樹原理主義!

作家・村上春樹にまつわるトピックスや小説世界について、適度な距離を置いて語ります。

村上春樹の新作長編小説が2月24日に刊行される

2017-01-11 09:36:10 | トピックス

村上春樹が新作の長編小説を、

2月24日に新潮社から発売するそうです。

 

タイトルは『騎士団長殺し』

「第1部 顕れるイデア編」「第2部 遷ろうメタファー編」の全2冊。 

タイトルからして、日本ではないどこかの時代物になるのかしらん?

あるいは異世界もの?

「殺し」とつくからには、ミステリーっぽいのかな? 
などと、想像を刺激されます。
 
村上春樹さんの長編小説は、
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』以来
4年ぶり。
 
400字詰めの原稿用紙2000枚。

村上春樹さんは、毎日朝4時から机に向かい

10枚ずつ書くのだというから、

単純計算しても、200日。

それを何度も推敲して書き直すのだというから、

大変な労作ということになると思います。

もし、3回書き直したとしても、600日。

全面的に書き直すことはないでしょうから、

そういう単純計算は成り立たないけど、

600日と言えば、約2年。

その間に翻訳本やら、エッセイやら、

おととしの正月明けには、webサイト「村上さんのところ」を開くなど

小説抜きにしても、とても忙しそう。

それなのに2000枚の小説を書き上げるあたり、

さすが職業としての小説家です。

 

「ピーター・キャット」のころの村上春樹を見つけた

2016-11-29 20:13:38 | トピックス
アマゾンの 村上春樹さんの本のカスタマーレビューを読むと、
時々、あれっという文章に巡り合うことがあります。
このレビューもそう。
コピペなんかして、アマゾンとか、レビュアーに怒られそうだけど。
なかなか素敵な文章です。
 
千駄ヶ谷でジャズバーの「ピーター・キャット」をやっていた当時の
村上さんのポートレート。
このレビューは『職業としての小説家』のところで
見つけたもの。
 
保存しておきたいという気持ちも、わかるでしょ?


【アマゾン『職業としての小説家』カスタマーレビューより引用】
 

若い頃、千駄ヶ谷に住んだことがある。商店街の一角に「ピーター・キャット」という名の粗末な小屋のようなジャズ・バーがあって、群像新人賞を獲ったばかりの村上春樹さんが店主をしていた。受賞作の「風の歌を聴け」を読んで気にいった私は、店の前を通るたびに彼に出会えたらと願った。めったに会えなかったが、それでも何度かチノパンにセーター姿の村上さんを見かけた。いかにも無口で、実直で、人見知りしそうな若者だった。そんな彼に、いつか大物になって欲しいと私は密かに願っていた。

第二回「小説家になった頃」に作家デビューまでのいきさつが綴られている。この章が本書でもっとも読み応えのある部分であった。就職が嫌で、好きな音楽で食べていきたいと考えて、多額の借金を背負って店を開店したこと。何とかやって行けそうになったある日、神宮球場の外野の芝生に寝転んでビールを飲んでいて「小説を書こう」と思いついたこと。プロットを考えずに書き出したこと。仕事を終えてから台所のテーブルで明け方まで毎晩書いたこと。書いた文章をいったん英語に直し、さらに日本語に「翻訳」し直した。小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりは「音楽を演奏している」というのに近い感覚があった。その感覚をいまも大事に保っていると言う。文章を書くことに対する彼の姿勢は当時から一貫している。この時期に作家・村上春樹のスタイルが形つくられたことがよくわかる。

本書には村上さんの小説の書き方が述べられている。継続性のある仕事の進め方。ひとつの作品に全力を傾注する環境づくり。これ以上のものは書けないと断言できるための推敲の連続。強い心を維持する体力づくりの重要性。小説を書き続ける理由。そして、メラメラと燃え上がる小説への熱い思い。面白いことに、述べられている内容は、小説の書き方をテーマにしながら、ほとんど村上さんの生き方のポリシーを語っているのだ。小説を書くのに必要なノウハウを得るなら、本書よりも大沢在昌氏の「売れる作家の全技術」(角川書店、2012年)のほうが余ほど役立つだろう。

どの職業においてもプロフェッショナル・レベルに達するには必要な修行がある。身に着けなければならない習慣と考え方がある。だからここで紹介される村上さんの小説家としての心構えや生き方は、真の職業人を目指す人には興味を引く内容であろう。村上さんの小説が好きではない人でも、小説や文学に関心がない人でも、本書には役立つヒントが豊富に含まれているのだ。本書は村上春樹書下ろしの、新しいタイプの「自己啓発本」と言ってもいいかも知れない。

村上さんの文章は、独自の深遠な思想をこれ以上は易しくできないくらい噛み砕いて書かれている。それはまるで若い聴衆を前にして、「僕はこのように生きてきたんだけど、少しでも参考になるといいな」と話しかけているようだ。一度しかない人生をいかに生きるべきかを率直に、自信をもって記しているが、いささかの傲慢さも説教臭さもない。読み終わって、確たる自分をもって、さらなる高みをめざして奮闘する孤高の村上さんの姿に心打たれた。同時に村上さんと再び出会えた懐かしさがこみあげてきた。私の予感は間違っていなかったのだ。

「僕はいまだに発展の途上にある作家だし、僕にとっての余地というか、『伸びしろ』はまだ(ほとんど)無限に残されていると思っているのです。」(294ページ)

村上さん、ますます元気で、いい小説をたくさん書いてください。

「村上春樹さん デンマークで語る」続き

2016-11-22 20:59:51 | トピックス

昨日に引き続き、朝日新聞に掲載された「村上春樹さん デンマークで語る(下)」

を引用させてもらいます。

記事の中に出てくる

南デンマーク大の講演で村上春樹さんによって朗読された短編小説「鏡」は

1983年に平凡社から刊行された『カンガルー日和』に収録されている作品。

高校の国語の教科書にも掲載されたそうです。

 

<朝日新聞11月22日朝刊より引用>

「自らの影 受け入れなければ」

デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、村上春樹さん(67)は「人間一人一人に影があるように、あらゆる社会や国家にも影がある」と語った。「影」というアンデルセンの作品を引き合いに出しての発言だが、村上作品の世界にも深く通じる考え方のようだ。

  ■「負の側面、社会や国家にも」

 「『影』という作品を、最近になって初めて読みました。アンデルセンがこんな作品を書いていたとは知らなかった」。村上さんは、英語での受賞スピーチをそう切り出した。

 「影」の主人公は若い学者。いつも足元にいた自分の影が、ふとしたことからいなくなる。数年後に舞い戻ってきた影は、自分が主人に、学者が影になると告げ、やがて学者を過酷な運命が待ち受ける――。

 「童話作家として知られるアンデルセンが、こんなに暗くて絶望的な物語を書いていたことに驚きました」と村上さん。「いつものように子供向けの話を書くのをやめて、心の内を思い切って吐露したのだと思います。自分自身の影、目を背けたい側面と向き合うことは、簡単ではなかったはずです」

 そして村上さんは、自身の創作の過程にも、自分の隠れた一面とのせめぎ合いがあると語った。

 「小説を書いていると、暗いトンネルの中で、思ってもみなかった自分の姿、つまり影と出会う。逃げずにその影を描かなければいけない。自分自身の一部として受け入れなければいけないのです」

 「あらゆる社会や国家にも影がある。私たちは時に、負の側面から目を背けようとします」。村上さんは来場者たちに、そして恐らくは世界に向けて語りかけた。

 「どんなに高い壁をつくって外から来る人を締め出そうとしても、どんなに厳しく部外者を排除しようとしても、あるいはどれだけ歴史を都合よく書き直しても、結局は自分自身が傷つくことになる」。深刻さを増す難民や移民、あるいは歴史修正の問題が、おそらくこのスピーチの背景にはあったのだろう。

 ■村上作品にも「影」との出会い

 授賞式で「影」を語った翌日、村上さんは近くの南デンマーク大を訪れた。

 階段状の講義室に村上さんが姿を現すと、つめかけた約500人の学生たちがわっと歓声をあげた。村上さんは前日のイベントと同じように、日本語で自作の朗読を始めた。

 語り手の「僕」は夜の校舎で、鏡に映った自分自身の姿と向き合う。やがて鏡の中の自分の右手が、勝手に動き出す――。アンデルセンの「影」と呼応するような、ユーモラスだがぞくりとするような怖さをはらんだ物語。「鏡」という初期の短編だ。

 そのストーリーはまた、「トンネルの中で思いもかけない自分の影に出会う」という、前日のスピーチの言葉をも思い出させた。授賞式翌日のイベントで朗読する作品にこの短編を選んだのは、きっと偶然ではないのだろう。

 「僕の小説は二つの世界で構成されることが多い。片方が地上、もう片方が地下というように」

 別の会場で開かれた催しで、村上さんはそう語った。朗読した「鏡」だけでなく、例えば『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』は、まさに二つの世界を行き来しながらストーリーが進む。さらには「影」が重要な役割を担う小説でもあった。

 受賞スピーチで語った「自らの影、負の部分と共に生きていく道を、辛抱強く探っていかなければいけない」というメッセージは、村上さん自身の創作の核心と、深いところでつながっているのだろう。「影」を受け入れて変わる勇気を、私たちの社会は持っているのか。そんな重い問いを残したセレモニーだった。(柏崎歓)


村上春樹の新しい小説は、とても奇妙な物語らしい

2016-11-21 11:05:19 | トピックス

今日の朝日の朝刊の文芸欄に、村上春樹さんの記事が載っていました。

タイトルは「村上春樹さん デンマークで語る(上)」

原文は下記に引用させてもらったけど、

ねえ、新しい小説を執筆中みたいですね。

一人称で語る物語で、『1Q84』より短く、『海辺のカフカ』よりも長い作品。

とても奇妙な物語らしい。

いつ刊行されるのでしょうね。

楽しみです。

 

<朝日新聞11月21日朝刊より引用>

 作家の村上春樹さん(67)が、童話作家アンデルセンにちなむ「ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞」の受賞者に選ばれ、10月末にデンマークで開かれた授賞式に出席した。普段は公の場にあまり姿を見せない村上さんだが、セレモニーだけでなく現地の図書館や大学を訪れ、創作について語った。

 「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」などで知られるアンデルセンの生誕地、デンマークのオーデンセ。駅のそばの図書館で開かれたイベントに登場した村上さんは、約150人の来場者を前にゆったりと椅子に腰掛け、「35年前に書いた、とても短い作品を読みます」と英語で切り出した。

 「僕は自分の小説を読み返しません。読むと恥ずかしくなるし、今ならもっとうまく書けるはず、と思ってしまうから。でもこの話はよく読み返します」

 「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」。初期の短編集『カンガルー日和』に収録された、ごく短い一編だ。自分にとって100%ぴったりの女の子とすれちがった「僕」が、あの時どうすればよかったのか、と思いをめぐらせる。

 「こんなふうには、今はもう書けないと感じる。若かったから書けたのだと。この話が好きなんです」

 村上さんはこの短編を、日本語で朗読した。翻訳者のメッテ・ホルムさんが隣に座り、デンマーク語で一段落ごとに同じ箇所を読み上げた。

 「僕は作家になる前、東京で小さなジャズクラブを経営していました。書くためのさまざまなことを、音楽から学んだのです」。村上さんは来場者たちに語りかけた。

 「僕にとってリズムとメロディーとサウンドは、書く上でとても大切なことです。だから今日は、日本語の音とリズムを楽しんでほしい」。時に小さな手ぶりを交えて朗読は進み、村上さんが最後の1行を読み終えると、会場は拍手に包まれた。

 村上さんは午前中に図書館のイベントに登壇し、午後は授賞式に出席。翌日は近くの大学で「鏡」という短編を、そしてその次の日は別の会場で再び「100パーセントの女の子」を朗読してから、来場者の質問などに答えた。

 いずれも朗読は日本語とデンマーク語で交互に読み進めるスタイルだったためか、作品の翻訳についての質問が相次いだ。「なじみの薄い言語に翻訳される場合、どう訳されたか確認できないことが気にならないか」との問いに、村上さんは「僕は自分も翻訳者だから、翻訳の力を信じています」と答えた。

 「もちろん、翻訳を通して失われるものはある。でももしそれがよい物語なら、翻訳されたとしてもエッセンスは失われずに残るはずです」

 「初めて小説を書いてから今に至る旅のあいだで、重要だったことは何ですか」という質問には、「うーん。長い道のりでしたね」。少しおどけて答えてから、「僕は一人称で小説を書き始めた。主人公に名前がない。名前をつけられなかったのです」と語った。

 「『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』では『僕』と『私』という二つの一人称を使い分けた。『海辺のカフカ』で一人称と三人称の両方を使い、『1Q84』で純粋な三人称を使いました。長い道のりです」

 そして、次の作品のことも口にした。「でも今書いている小説では、一人称に戻ります。また名前がなくなる」

 別の会場で、来場者から「次の作品は」と問われたときには、もう少しだけサービスした。

 「今、新しい小説を書いています。『海辺のカフカ』より長く、『1Q84』より短い小説。とても奇妙(ストレンジ)な物語になります」(柏崎歓)


こちらはアンデルセン賞スピーチの英語バージョン

2016-11-03 23:30:54 | 村上春樹の箴言

The Meaning of Shadows

 

It was only recently that I read Hans Christian Andersen's story “The Shadow." My Danish translator, Mette Holm, recommended it, saying she was sure I would find it interesting. Until I read it, I had no idea at all that Andersen had written stories like this.

 

As I read the Japanese translation of “The Shadow," I found it had an intense, frightening plot. Andersen is known to most people in Japan as a writer of fairy tales aimed at children, and I was astonished to find he'd written such a dark, hopeless fantasy. And a question naturally came to me, namely, “Why did he feel the need to write a story like that?"

 

The protagonist of the story is a young scholar who leaves his homeland in the north and travels to a foreign land in the south. There something unexpected happens and he loses his shadow. He is upset and confused, of course, but eventually he manages to cultivate a new shadow and return safely home. Later on, though, his lost shadow makes its way back to him. His old shadow had, in the meanwhile, gained wisdom and power and had become independent, and financially and socially was now far more prominent than its former master. The shadow and its former master had traded places, in other words. The shadow was now the master, the master a shadow. The shadow now falls in love with a beautiful princess from another land and becomes the king there. And the former master, the one who knows his past as a shadow, ends up being murdered. The shadow survives, achieving great success, while his former master, the human being, is sadly extinguished.

 

I have no idea what sort of readers Andersen had in mind when he wrote this story, but in it we can see, I think, how Andersen the fairy tale writer, abandoned the framework he'd worked with up till then, namely writing tales for children, and instead borrowed the format of an allegory for adults, and attempted to boldly pour out his heart as a free individual.

 

I'd like to talk about myself here.

 

I don't plan out a plot as I write a novel. My starting point for writing a novel is always a single scene or idea that comes to me. And as I write, I let that scene or idea move forward of its own accord. Instead of using my head, in other words, it's through moving my hand in the process of writing that I think. In those times I value what's in my unconscious above what's in my conscious mind.

 

So when I write a novel I don't know what's going to happen next in the story. And neither do I know how it's going to end. As I write, I witness what happens next. For me, then, writing a novel is a journey of discovery. Just as children listening to a story eagerly wonder what's going to happen next, I have the same exact feeling of excitement as I write.

 

As I read “The Shadow," the first impression I had was that Andersen, too, wrote it in order to “discover" something. Also, I don't think he had an idea at the beginning of how the story was going to end. I get the sense that he had the notion of your shadow leaving you, and used that as his starting point to write the story, and wrote it without knowing how it would turn out.

 

Most critics nowadays, and quite a number of readers, tend to read stories in an analytical way. They are trained in schools, or by society, that that's the correct reading methodology. People analyze, and critique, texts, from an academic perspective, a sociological perspective, or a psychoanalytic perspective.

 

The thing is, if a novelist tries to construct a story analytically, the story's inherent vitality will be lost. Empathy between writer and readers won't arise. Often we see that the novels that critics rave about are ones readers don't particularly like, but in many cases it's because works that critics see as analytically excellent fail to win the natural empathy of readers.

 

In Andersen's “The Shadow" we see traces of a journey of self discovery that thrusts aside that kind of easy analysis. This couldn't have been an easy journey for Andersen, since it involved discovering and seeing his own shadow, the unseen side of himself he would want to avoid looking at. But as an honest, faithful writer Andersen confronted that shadow directly in the midst of chaos and fearlessly forged ahead.

 

When I write novels myself, as I pass through the dark tunnel of narrative I encounter a totally unexpected vision of myself, which must be my own shadow. What's required of me then is to portray this shadow as accurately, and candidly, as I can. Not turning away from it. Not analyzing it logically, but rather accepting it as a part of myself. But it won't do to lose out to the shadow's power. You have to absorb that shadow, and without losing your identity as a person, take it inside you as something that is a part of you. You experience that process together with your readers. And share that sensation with them. That's one of the vital roles for a novelist.

 

In the nineteenth century, when Andersen lived, and in the twenty-first, our own century, we have to, when necessary, face our own shadows, confront them, and sometimes even work with them. That requires the right kind of wisdom and courage. Of course it's not an easy task. Sometimes dangers arise. But if they avoid it people won't be able to truly grow and mature. Worst case, they will end up like the scholar in the story “The Shadow," destroyed by their own shadow.

 

It's not just individuals who need to face their shadows. The same act is necessary for societies and nations. Just as all people have shadows, every society and nation, too, has shadows. If there are bright, shining aspects, there will definitely be a counterbalancing dark side. If there's a positive, there will surely be a negative on the reverse side.

 

At times we tend to avert our eyes from the shadow, those negative parts. Or else try to forcibly eliminate those aspects. Because people want to avoid, as much as possible, looking at their own dark sides, their negative qualities. But in order for a statue to appear solid and three-dimensional, you need to have shadows. Do away with shadows and all you end up with is a flat illusion. Light that doesn't generate shadows is not true light.

 

No matter how high a wall we build to keep intruders out, no matter how strictly we exclude outsiders, no matter how much we rewrite history to suit us, we just end up damaging and hurting ourselves. You have to patiently learn to live together with your shadow. And carefully observe the darkness that resides within you. Sometimes in a dark tunnel you have to confront your own dark side. If you don't, before long your shadow will grow ever stronger and will return, some night, to knock at the door of your house. “I'm back," it'll whisper to you.

 

Outstanding stories can teach us many things. Lessons that transcend time periods and cultures.


村上春樹 アンデルセン賞のスピーチ「影と生きる」

2016-11-01 09:14:02 | 村上春樹の箴言

村上春樹さんが「ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞」を受賞したニュースは、以前にご紹介しましたが、その授賞式が、30日に童話作家アンデルセンの生誕地・オーデンセで行われたそうです。

デンマークのメアリー皇太子妃からブロンズを授与された写真が朝日新聞に出ていました。

 

その授賞式のスピーチの全文が、BuzzFeed Newsという

ネットのニュースに早速掲載されていました。

しかも和訳してくれています。

このニュースのレポーターは溝呂木佐季さんという人。

素晴らしい!!

 

その全文の【引用】です。長いけど、レアなので。

デンマークの童話作家アンデルセンにちなむ「ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞」の授賞式が1030日、生誕地オーデンセであった。受賞した村上春樹さん(67)は英語スピーチで、アンデルセンの小説「影」を取り上げ、自らの執筆の姿勢と重ねて、影から逃げずに生きる重要性を説いた。

BuzzFeed Newsは村上さんの英語スピーチ全文を委員会から受け取った。日本語訳は次の通り。

影と生きる」

最近になって初めてハンス・クリスチャン・アンデルセンの短編小説「影」を読みました。僕がきっと気にいるだろうと、デンマーク語の翻訳者メッテ・ホルムが薦めてくれたのです。読んでみるまで、アンデルセンがこのような小説を書いていたとは思ってもみませんでした。

「影」の日本語訳を読んでみて、強烈で恐ろしい筋の話だと思いました。日本で多くの人たちにとって、アンデルセンは子ども向けおとぎ話の作者として知られていて、彼がこのように暗く、希望のないファンタジーを書いていたと知って、驚きました。

そして自然と疑問に思ったんです。すなわち「なぜ、このような小説を書かなければならないと感じたのだろうか」と。

小説の主人公は、北国の故国を離れて、南国の外国を旅する若い学者です。思ってもみないあることが起きて、彼は影をなくします。もちろん、どうしたらいいのかと困惑しましたが、なんとか新しい影を育て、故国に無事帰りました。

ところが、その後、彼が失った影が彼の元に帰ってきます。その間、彼の古い影は、知恵と力を得て、独立し、いまや経済的にも社会的にも元の主人よりもはるかに卓越した存在になっていました。

言い換えれば、影とその元の主人は立場を交換したのです。影はいまや主人となり、主人は影になりました。

影は別の国の美しい王女を愛し、その国の王となります。そして、彼が影だった過去を知る元の主人は殺されました。影は生き延びて、偉大な功績を残す一方で、人間であった彼の元の主人は悲しくも消されたのです。

アンデルセンがこの小説を書いたとき、どんな読者を想定していたのかわかりません。しかし、読み取れるのは、僕が思うに、おとぎ話の書き手であるアンデルセンが、ずっと取り組んできた枠組みを捨てて、すなわちそれは子ども向けの物語を書くことでしたが、その代わりに大人向けの寓話の形式を使って、自由な個人として、大胆に心の内を吐露しようとしたことです。

ここで僕自身について話したいと思います。

僕が小説を書くとき、筋を練ることはしません。いつも書くときの出発点は、思い浮かぶ、ひとつのシーンやアイデアです。そして書きながら、そのシーンやアイデアを、それ自身が持つ和音でもって展開させるのです。

言い換えると、僕の頭を使うのではなく、書くプロセスにおいて手を動かすことによって、僕は考える。こうすることで、僕の意識にあることよりも、僕の無意識にあることを重んじます。

だから僕が小説を書くとき、僕に話の次の展開はわかりません。どのように終わるのかもわかりません。書きながら、次の展開を目撃するのです。

なので、僕にとって小説を書くことは発見の旅なのです。子どもが次に何が起きるのだろうとワクワクしながら一生懸命に話を聞くように、僕は書いているときに、全く同じワクワク感を持ちます。

「影」を読んだとき、アンデルセンも何かを「発見」するために書いたのではないかという第一印象を持ちました。また、彼が最初、この話がどのように終わるかアイデアを持っていたとは思いません。

あなたの影があなたを離れていくというイメージを持っていて、この話を書く出発点として使い、そしてどう展開するかわからないまま書いたような気がします。

今日、ほとんどの批評家ととても多くの読者は、分析するように話を読みます。これが正しい読み方だと、学校で、または、社会によって、訓練されます。学術的視点、社会学的視点や精神分析的視点から、人々はテクストを分析し、批評します。

と言うのも、もし小説家がストーリーを分析的に構築しようとすると、ストーリーに本来備わっている生命力が失われてしまうでしょう。書き手と読み手の間の共感は起きません。

批評家が絶賛する小説家でも、読み手は特に好きではないということもよくあります。多くの場合、批評家が分析的に優れていると評価する作品は、読み手の自然な共感を得ることができないからです。

アンデルセンの「影」には、このような生ぬるい分析を退ける自己発見の旅のあとが見て取れます。これはアンデルセンにとってたやすい旅ではなかったはずです。彼自身の影、見るのを避けたい彼自身の隠れた一面を発見し、見つめることになったからです。

でも、実直で誠実な書き手としてアンデルセンは、カオスのど真ん中で影と直接に対決し、ひるむことなく少しずつ前に進みました。

僕自身は小説を書くとき、物語の暗いトンネルを通りながら、まったく思いもしない僕自身の幻と出会います。それは僕自身の影に違いない。

そこで僕に必要とされるのは、この影をできるだけ正確に、正直に描くことです。影から逃げることなく。論理的に分析することなく。そうではなくて、僕自身の一部としてそれを受け入れる。

でも、それは影の力に屈することではない。人としてのアイデンティティを失うことなく、影を受け入れ、自分の一部の何かのように、内部に取り込まなければならない。

読み手とともに、この過程を経験する。そしてこの感覚を彼らと共有する。これが小説家にとって決定的に重要な役割です。

 アンデルセンが生きた19世紀、そして僕たちの自身の21世紀、必要なときに、僕たちは自身の影と対峙し、対決し、ときには協力すらしなければならない。

それには正しい種類の知恵と勇気が必要です。もちろん、たやすいことではありません。ときには危険もある。しかし、避けていたのでは、人々は真に成長し、成熟することはできない。最悪の場合、小説「影」の学者のように自身の影に破壊されて終わるでしょう。

自らの影に対峙しなくてはならないのは、個々人だけではありません。社会や国にも必要な行為です。ちょうど、すべての人に影があるように、どんな社会や国にも影があります。

明るく輝く面があれば、例外なく、拮抗する暗い面があるでしょう。ポジティブなことがあれば、反対側にネガティブなことが必ずあるでしょう。

ときには、影、こうしたネガティブな部分から目をそむけがちです。あるいは、こうした面を無理やり取り除こうとしがちです。というのも、人は自らの暗い側面、ネガティブな性質を見つめることをできるだけ避けたいからです。

影を排除してしまえば、薄っぺらな幻想しか残りません。影をつくらない光は本物の光ではありません。

侵入者たちを締め出そうとどんなに高い壁を作ろうとも、よそ者たちをどんなに厳しく排除しようとも、自らに合うように歴史をどんなに書き換えようとも、僕たち自身を傷つけ、苦しませるだけです。

自らの影とともに生きることを辛抱強く学ばねばなりません。そして内に宿る暗闇を注意深く観察しなければなりません。ときには、暗いトンネルで、自らの暗い面と対決しなければならない。

そうしなければ、やがて、影はとても強大になり、ある夜、戻ってきて、あなたの家の扉をノックするでしょう。「帰ってきたよ」とささやくでしょう。

傑出した小説は多くのことを教えてくれます。時代や文化を超える教訓です。

 

 

 


ノーベル文学賞はボブ・ディラン

2016-10-13 21:21:43 | トピックス

今年のノーベル文学賞が

夜の8時過ぎに発表されました。

村上春樹、受賞か??

 

なんていうか

今年の受賞者は、アメリカのミュージシャンの

ボブ・ディランだそうです。

確かに歌詞はすごいという人もいるけど。

歌詞はポエムなのだから

詩人としての評価なんでしょう。

 

でも、歌が文学賞…

それなら、村上春樹さんの小説でも、問題ないのに。

真摯だけどラフな小説世界だから、なかなか取れないのかな

と思っていたけど、

ボブ・ディランの歌詞がOKなら、村上春樹さんもOKでしょう。

 

2006年にノーベル賞の登竜門とされるチェコのフランツ・カフカ賞を受賞して以来、

毎年、有力候補に挙がっていたのに。


とまあ。

でもそんな権威付けになりそうなノーベル賞なんて

まだとらなくてよかったかもしれません。

だって、まだまだ作家としてこれから

という上り調子であってほしい。

ノーベル賞なんか受賞したら

はい上がり!

ということになりそう。

でも、神棚に飾られるのはまだ早い。


もっともっと躍動的な小説シーンを展開してほしい。

そのためには、権威から遠いところにいてくれなくっちゃ。

だから、ノーベル賞をとらない村上春樹さんを大事に評価したいと思うのです。


 

 


『少年カフカ』について。

2016-03-05 08:41:17 | トピックス

『少年カフカ』は、

2002年に『海辺のカフカ』が発売されたのに伴い

ホームページがオープンされ

そこに寄せられた質問と回答を編集して

作られた本です。

2003年に発売。

当時、書店には、漫画雑誌と同じようなサイズと装丁と紙質の

『少年カフカ』が山積みになっていましたっけ。

 

でもその頃は、村上春樹さんにあまり関心がなかったので、スルー。

『少年カフカ』のタイトルから、中高校生を対象にしたものかな

という印象を、なんとなく抱くにとどまっていました。

日本の少年たちは、

村上春樹の『海辺のカフカ』を読んで質問するくらいに聡明なのかと、

その早熟さに、中身を見もしないで軽く驚いていました。

 

先日、何かの拍子で『少年カフカ』は手に入りにくいという情報を読んで

「いまのうちに手に入れておこう」とアマゾンから取り寄せたのです。

(安心してください。まだいっぱいありました。)

そして、「少年カフカ」とは、

「漫画雑誌のような装丁と雰囲気の本を」ということで意図されたタイトルで、

(少年マガジン、少年ジャンプ、少年サンデー……ほらっ)

要は田村カフカ少年のことなんだな、と納得しました。

カフカ君は15歳ですからね。

世界でいちばんタフな15歳です。

まあ、要は大人向けの本でした。

 

それにしても、村上春樹さんも、ほんとに面白いことを考えますね。

去年発売になった『村上さんのところ』と同じ形態のやりとりを

12年前に『少年カフカ』でもやっていたということです。

その村上さんの思考と体力のタフさに頭が下がります。

きっと世界一タフな作家です。

(フルマラソンも毎年走っているし。)

 


やっぱり牡蠣フライじゃないか

2016-01-15 12:24:12 | harukiグルメ

村上春樹の『村上春樹 雑文集』が文庫で店頭に並んでいたので、手に入れました。

筆頭に出てくるのは、「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」という文章。

大庭健さんの『私という迷宮』という本の解説文だそうです。

その解説(のようなもの)のタイトルが上記。

やっぱり牡蠣フライじゃないか、と実に思いました。

村上春樹は牡蠣フライが好き。

きっと、九州福岡の糸島半島に冬になるとたくさん立つ牡蠣小屋なんて、行ってみたら喜ばれることでしょう。

 

で、今回の牡蠣フライネタは「自分とは何か」について牡蠣フライを使って語るというもの。

サイトの質問で就職試験に原稿用紙4枚で自分について説明せよ」という問題が出た、ということに対し、たとえば「牡蠣フライについて書いてみれば」という回答がなされたのです。

まさに村上春樹の名答(迷答?)ですね。

 

☆自分自身について書けと言われたら、ためしに牡蠣フライについて書いてみてください。

あなたが牡蠣ふらいについて書くことで、そこにはあなたと牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が、自動的に表現されることになります。

それはすなわち、突き詰めていけば、あなた自身について書くことでもあります。

それが僕のいわゆる「牡蠣フライ理論」です。

え~~。でも本文の論旨をたどれば、たしかにそうかなと、納得できるのですが。

 

というわけで、村上自身が見事な見本原稿を書いています。

その中から抜粋すると…

☆僕の皿の上で、牡蠣フライの衣がまだしゅうしゅうと音を立てている。小さいけれど素敵な音だ。目の前で料理人がそれを今揚げたばかりなのだ。大きな油の鍋から僕の座っているカウンター席に運ばれるまでに、ものの五秒とはかかっていない。ある場合には──たとえば寒い夕暮れにできたての牡蠣フライを食べるような場合には──スピードが大きな意味を持つことになる。

箸でその衣をパリッとふたつに割ると、その中には牡蠣があくまで牡蠣として存在していることがわかる。それは見るからに牡蠣であり、牡蠣以外の何ものでもない。牡蠣の色をし、牡蠣のかたちをしている。彼らはしばらく前まではどこかの海の底にいた。何も言わずにじっと、夜となく昼となく、固い殻の中で牡蠣的なことを(たぶん)考えていた。それが今では僕の皿の上にいる。僕は自分がとりあえず牡蠣ではなくて、小説家であることを喜ぶ。油で揚げられてキャベツの横に寝かされていないことを喜ぶ。自分がとりあえず輪廻転生を信じていないことをも喜ぶ。だって自分がこの次は牡蠣になるかもしれないなんて、考えたくないもの。

僕はそれを静かに口に運ぶ。ころもと牡蠣が僕の口の中に入る。かりっとした衣の歯触りと、やわらかな牡蠣の歯触りが、共存すべきテクスチャーとして同時的に感知される。微妙に入り混じった香りが、僕の口の中に祝福のように広がる。僕は今幸福であると感じる。僕は牡蠣フライを食べることを求め、そしてこうして八個の牡蠣フライを口にすることができたのだから。そしてその合間にビールを飲むことだってできるのだ。…

 

実に美味しそうです。さすがに小説家の文章はすごいなーと感心するのでした。

 

 


村上春樹とコーヒー

2015-12-22 08:24:09 | harukiグルメ

コーヒーは村上春樹にとって、重要なテイストです。

小説にもコーヒーはよく出てくる。

例えば『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のなかでも、年下の友人の灰田が、コーヒーを大事そうに淹れます。

☆週末の夜、灰田はつくるのマンションに泊まっていくようになった。二人は夜遅くまで話し込み、灰田は居間のベッド兼ソファに寝支度をととのえて眠った。そして朝にはコーヒーを用意し、オムレツを作った。彼はコーヒーにうるさく、丁寧に焙煎された香ばしいコーヒー豆と、小さな電動式のミルを常に持参した。コーヒー豆に凝るのは、貧乏な生活を送っている彼にとってのほとんど唯一の贅沢だった。

 

『海辺のカフカ』でも、大島さんがカフカ少年にコーヒーの作り方を教えています。

☆グラインダーで豆を挽き、注ぎ口の細いとくべつなポットでお湯をしっかり沸騰させ、それを少し落ち着かせ、ペーパーフィルターを使って時間をかけて抽出していく。できあがったコーヒーに大島さんはほんの少しだけ、なにかのしるしのように砂糖を入れる。クリームは入れない。それがいちばんおいしいコーヒーの飲みかたなのだと彼は主張する。

ジャズ喫茶を経営していただけのことはあり、コーヒーには一家言あるのでしょう。

なんだかコーヒーの香りがしてきませんか?

砂糖をほんの少しだけ入れるというのはどうなのでしょうね。

早速まねして飲んでみましょう。