村上春樹原理主義!

作家・村上春樹にまつわるトピックスや小説世界について、適度な距離を置いて語ります。

「村上RADIO~RUN&SONGS~」inTOKYO FM☆全記録

2018-08-06 22:55:10 | トピックス

 

まさに昨日、8月5日午後7時から、

村上春樹さんのラジオ番組が始まりました。

すでに日は沈んでました。

灼熱の猛暑日の夜。

楽しかったです、心から。

内容を記録します。(TOKYO FM  のネットからの引用です。)

テーマは「僕が走るときに訊いている音楽」

はじまりは……。

 

こんばんは、村上春樹です。ラジオに出演するのは今回が初めてなので、僕の声を初めて聴いたという方もきっとたくさんいらっしゃると思います。
始めまして。
この番組は、僕の好きな曲をかけて、曲と曲との間に少しおしゃべりもします。リスナーからいただいた質問にもお答えして、皆さんと一緒に楽しくひと時を過ごせればと思います。


MADISON TIME

DONALD FAGEN WITH JEFF YOUNG & THE YOUNGSTERS
THE NEW YORK ROCK AND SOUL REVUE - LIVE AT THE BEACON
Giant Records 

1991ドナルド・フェイゲンのMadison Time。
スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンが2003年NYでやったライブ。キーボード奏者ジェフ・ヤングのバンドがバックです。これはジャズ・ピアニストのレイ・ブライアントの作曲で、1960年ぐらいにヒットしました。レイ・ブライアントは正統的なジャズ・ピアニストで、マイルズ・デイビスとかソニー・ロリンズなどとも一緒に共演したことがあります。
10代の頃、僕はすごく真面目なジャズ・ファンだったので、あのレイ・ブライアントがどうしてこんなコマーシャルな音楽をやるんだろうと首をひねったんだけど、いまこうして聴くとすごくいいですよね。肩の力が抜けていて、グルーヴィーで。

 

僕はジョギングするときにいつもiPodで音楽を聴いていますが、一台に1000~2000曲入っていて、それを7台ぐらい持ってます。今日はそのラインナップの中から、何曲かお聴かせしたいと思います。
走るときに適した音楽は何かというと「むずしい音楽はだめ」ということですよね。リズムが途中で変わるとすごく走りにくいから一貫したリズムで、できればシンプルなリズムのほうがいい。メロディがすらっと口ずさめて、できることなら勇気を分け与えてくれるような音楽が理想的です。たとえば、そう、こういうのを聴いてみてください。


Heigh-Ho / Whistle While You Work / Yo Ho (A Pirate's Life for Me)
Brian Wilson
IN THE KEY OF DISNEY
DISNEY PEARL SERIES 2011

この曲はブライアン・ウィルソンがつくったディズニー関連の曲を集めたアルバムの中の一曲。3つの曲が一緒になっていますが、一曲目がこのYO₋HO、これはディズニーランドのカリブの海賊のテーマソング。あと2つはHeigh-HoとWhistle While You Work(口笛吹いて働こう)。この2曲は1937年に公開された白雪姫の中の音楽、つまりディズニーの古い映画のテーマと新しい映画のテーマを一緒にしちゃったわけです。組み合わせが面白いですよね。
アルバムが出たときは「なんでブライアンがディズニーの曲集を出すわけ?」と首をかしげましたが、 考えてみれば、ウィルソン三兄弟が生れ育ったのはカリフォルニア州のホーソンという街で、アナハイムに近いんです。アナハイムといえば、ディズニーランドがある。子どものころのブライアンはディズニ―ランドに行くのがすごく好きだったみたいです。

 

【挿入曲】
SURFIN' U.S.A.
THE BEACH BOYS
SURFIN' USA
CAPITOL RECORDS 1963

ビーチ・ボーイズはずっと同時代的に聴いてきたわけですが、出会いはもちろんSurfin' USA 。サーフィン・ミュージックというコンセプトがすごくかっこよかった。 しびれました。あれからほとんどしびれっぱなしなんだけど。
しかし、ウィルソン三兄弟のうち、いまブライアンだけが生き残ってこうして熱心に演奏活動をしているというのはちょっと信じられない。すごく不思議な気がします。ブライアンは天才肌で、超センシティブな人で、現実の世界とはうまく折り合いをつけていけないタイプの人だったから、そういう人が生き残るって、すごく不思議だと思いますね。人生ってわからない、本当に。

 

昔から走ることは割に好きだったんです。高校時代、学校で走らされたりするじゃないですか。神戸の学校だったから、六甲の山の上を走るレースが年に1回あるんだけど、僕は結構僕走るんですよね。クラスの女の子とかが道路に沿って並んでて、「何とか君頑張って~」と応援するんだけど、僕には“村上君無理しないで~”とかいうんですよね。それはないだろうと思うんだけどね(笑)。

 

D.B.BLUES
king pleasure
moody's mood for love
初出は1956年のアナログシングル盤
KING PLEASURE AND BAND「D B BLUES / BLUES I LIKE TO HEAR」
Aladdin Records 1956

これはキング・プレジャーのD.B.Blues 。キング・プレジャーはもちろん芸名で、本名はクラレンス・ビークス、かなり田舎くさい名前です。これでは絶対に芽が出ないと考えて、「王様の喜び」という意味のド派手な名前をつけました。 これはジャズでいうボーカリーズ、ジャズの器楽ミュージシャンの演奏やアドリブにそのまま歌詞をつけて歌うタイプの草分けの人です。
ジャズ・テナーのレジェンド、レスター・ヤングが1945年に発表した「DBブルーズ」というブルーズ曲に歌詞をつけて歌ってます。DBというのは、陸軍刑務所(Disciplinary Barracks)のこと。ヤングは実際に麻薬所持の罪で1年間陸軍刑務所にぶち込まれた。これはとても過酷な体験だったようで、それが彼の人生や人柄をずいぶん変えてしまったといいます。曲の終わりのほうでテナーサックスのヒューストン・パースンの、レスター・ヤングばりのがんばったソロが入るんだけど、シングル盤用の録音なので途中でフェード・アウトしてしまう。気の毒です。

 

SKY PILOT
Eric Burdon And The Animals
The Best Of eric burdon and the animals 1966-1968
Polydor 1991


初出は1968年アナログシングル盤,
MGM Recordsこの曲は1968年のヒット曲Sky Pilot。エリック・バードンとジ・アニマルズ。ちょうどベトナム戦争の頃で、ラジオからこの曲が聴こえてくると空気がひりひりするような、独特の皮膚感触がありました。途中で「汝殺すなかれ」というメッセージが入っている反戦歌で、アメリカのラジオでは政治的な理由からあまりかけてもらえなかったようです。演奏時間が7分23秒あり、当時のシングル盤には片面には入り切らないので、A面B面に分けて入っていました。DJが自分でレコードをひっくりかえすので、途中で空白の時間が入ります。でもその空白がいい。
この曲は走りながら聴くのもいいけど、車を運転しながら聴くのが好きです。オープンカーで天気のいい日に屋根を開けて、これを聴いて歌いながら運転するのが好きですね。ディストーションかっこいいです、ジェット機のエンジンみたいで。
後半にはスコットランドの連隊が行進に使うバグパイプが入ります。アニマルズはイギリスのバンドなのでこういうのが入ってきちゃう。パート2は結構好きなことをやってて、破天荒ですよね。

 

質問タイム

【先日、父が「葬儀では“My Way”をかけてほしいと遺言状に書いた」と言ってきました。村上さんが自分の葬儀のときにかけてほしい音楽は何ですか?】

村上:ビー・ジーズの「Night Fever」……というのは、もちろん冗談です(笑)。この「My Way」はあまり好きな曲ではないんですよ。でも、この間アレサ・フランクリンの歌う「My Way」を聴いて、こんないい曲なのかと感動したんです。アレサ・フランクリン、いいですよ。
生きているときにしっかり音楽を聴いたので、死ぬときぐらいは静かなほうがいいですね。(プレイリストを作っておくなどは)うけなかったら嫌だし、マイテープを作って女の子に聴かせてしらけられたとか、ああいうことを繰り返したくないから、死ぬときは静かに死にます(笑)。

【音楽を聴かない時期はありましたか?】

村上:まったく音楽を聴かない時期はなかったですね。僕は、ヨーロッパに2~3年いたことがあるんですけど、そのときはいろんな国といろんな住まいを移り歩いていたので、カセットテープのウォークマンか、ラジカセしかなかったんです。持ち物が何にもなくて気楽でよかったなぁ。
80年代、『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』を書いていた頃は、ほぼ音楽のない生活をしていました。ただ、朝走るときにウォークマンでペット・ショップ・ボーイズや、デュラン・デュランなんかを聴いていました。だから『ノルウェイの森』の本を見ると、今でもペット・ショップ・ボーイズの「Suburbia」を思い出します。

【「音楽がない世界」と「猫がいない世界」、どちらを選びますか?】

村上:すごく難しい質問ですね。僕はこういう二者択一の質問には、答えないことにしているんです。というのは、軽い気持ちでどちらかを選んだら、本当にそうなっちゃうかもしれない。そしたら後ですごく後悔しますよね。たとえ仮定の質問でも答えないですね。

【バンドを組むならバンド名は何と付けますか?】

村上:バンドを組もうと思ったことがないから、考えたことがないです。ただ、バンドの名前を付けてくれと時々言ってくる人がいるんです。80年代に店をやっていた頃、バンドに名前を付けてくれとよく頼まれました。思いつかなくて「『アース渦巻&ファイアー』はどう?」って言ったら、「バカにしてるでしょう」と怒り出した人もいました。いい名前だと思うんだけど。猫の名前を付けるのも難しいけどバンドの名前も難しいです。
小説家になると思っていなかったので、ペンネームを考えなかったんです。病院なんかで名前を呼ばれることもあるし、ペンネームを作っておけば良かったなと(笑)。

 

WHAT A WONDERFUL WORLD
Joey Ramone
Our Little Corner Of The World: Music From Gilmore Girls
Rhino 2002

あ、ラモーンズのジョイ・ラモーン!これは1968年のヒット曲、ルイ・アームストロングがオリジナルのWhat a Wonderful World。だいたいはみんなバラードで切々と歌いあげる曲なんですが、ジョイ・ラモーンはアップテンポのリズムでやっています。勇敢にもというか、ラモーン関係の人って、こういうリズムでしか歌えないんじゃないかというか……(笑)。

 

Between the Devil and the Deep Blue Sea
George Harrison
BRainWASHED
Universal Music, Dark Horse Records 2002

これはジョージ・ハリスンのBetween the Devil and the Deep Blue Sea、悪魔と深く青い海――。1932年にハロルド・アーレンがつくった古いスタンダードソングですが、曲名の「between the devil and the deep blue sea」は「絶体絶命」とか「進退窮まる」という英語の慣用句です。イギリスの作家テレンス・ラティガンが「深く青い海」という戯曲を書いていて、僕は18歳くらいの時にこの戯曲を読んですごく心を打たれたんです。若い女性が「前から悪魔が迫ってきて、後ろの崖の下に深い海が広がっていたら、自分は深く青い海を選ぶ」と言って自殺をはかります。その戯曲をすごく好きになって、同じタイトルを持つこの曲をよく聴くようになりました。ジョージ・ハリスンはこの曲を2002年の遺作アルバムの中で歌っていますが、本人が弾いているウクレレのイントロ、のんびりとノスタルジックでいいですよね。遺作っぽくなくて、しめっぽくなくてすごく好きです。走るときには本当に気持ちいい。

 

もともと文章家になるつもりはなかったんです。どちらかというと音楽のほうに興味があって、それを仕事にしていたわけ。そういう人間が突然、小説を書いて小説家になったので、誰かの小説技法を学ぶというよりは音楽から入ったというほうが近いですね。リズムとかハーモニー、フリーインプロビゼーションとか。書きながらそういうことを意識して、それこそ踊りながらというか(笑)、フィジカルに書くという傾向が僕の場合は強いと思います。だから僕の本を読みやすいという人がいたら、そういう人たちとは割と音楽的に通じているんじゃないかという気がすごくします。僕は文章の書き方は音楽に学んだと言ってるんです。

 

Knockin' on Heaven's Door
Ben Sidran
Dylan Different
Cd Baby Inc, 2009

これは、ちょっとゆっくり休憩しながら走る感じの曲。
ベン・シドランとはコペンハーゲンのジャズクラブで会って仲良くなったんですよ。カフェ・モンマルトルという古いジャズクラブがあって、ベン・シドランがライブに出ているというので聴きに行ったんだけど、向こうも僕のことをたまたま知っていて、休憩時間に二人でずっと話してました。けっこう趣味が合うんです。好きなピアニストがモーズ・アリソンだったり、セロニアス・モンクのことを話したり。後で日本まで送ってきてくれたCDの中の一枚がボブ・ディランの曲を集めた「Dylan Different」。なかでも、このKnockin' On Heaven's Doorが一番気に入ってます。すごくクールなアレンジですよね。

 

NYなんかのジャズクラブに行くと、なぜか僕の本をよく読んでくれているミュージシャンが多いんです。よく話して、盛り上がりますね。ジャズ・ボーカリストのカート・エリングとかランディ・ウェストンとか、ウェイン・ショーターとも話しましたね。
中学生のときに行ったアート・ブレイキーとザ・ジャズメッセンジャーズのコンサートに出ていましたねと話したら、「お前はいったい何歳なんだ」と言われました(笑)。1963年くらいの話。その頃は外国のミュージシャンなんてほとんど来なかったんです。わからないまま、ただ珍しいから聴きに行ったんですけど、そこで生まれて初めてジャズを聴いて、打たれて、あれで人生が狂わされた(笑)。

 

Knockin' on Heaven's Door
Ben Sidran
Dylan Different
Cd Baby Inc, 2009

これは、ちょっとゆっくり休憩しながら走る感じの曲。
ベン・シドランとはコペンハーゲンのジャズクラブで会って仲良くなったんですよ。カフェ・モンマルトルという古いジャズクラブがあって、ベン・シドランがライブに出ているというので聴きに行ったんだけど、向こうも僕のことをたまたま知っていて、休憩時間に二人でずっと話してました。けっこう趣味が合うんです。好きなピアニストがモーズ・アリソンだったり、セロニアス・モンクのことを話したり。後で日本まで送ってきてくれたCDの中の一枚がボブ・ディランの曲を集めた「Dylan Different」。なかでも、このKnockin' On Heaven's Doorが一番気に入ってます。すごくクールなアレンジですよね。

 

僕が走り始めたころ走っている作家なんかいなかったから、みんなにけっこう馬鹿にされたけど、最近は世の中も変わってきて、作家もよく走っている。僕が一番面白かったのは1984年だったか、アメリカに行って誰にインタビューしたいかと聞かれて、ジョン・アーヴィングがいいといったら、朝セントラルパークをジョギングしているので、走りながらでよければということで、並んで走りながらインタビューしました。あれは面白かったな。

 

下半身が安定しないと文章って書けないんですよ。誰も信じてくれないけど。下半身がしっかりすると上半身がやわらかくなる。そうすると文章がうまく書けるようになるんですよね。フィジカルな能力ってすごく大事なんです。みんな椅子に座って字を書くのは体力いらないだろうと思っているけど、体力がないと2時間も3時間も机に向かって集中して文章を書くことなんてできないんですよね。だから、もう35年間、毎年1回はフルマラソンを走っていますね。

 

LOVE TRAIN
Daryl Hall & John Oates
EARTH GIRLS ARE EASY (ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK)
Sire, Reprise Records 1989

これね、オージェイズのヒット曲Love Trainをホール&オーツがカバーしたバージョン。これは1989年公開の映画「ボクの彼女は地球人」挿入曲です。原題はEarth Girls Are Easy.。「地球人の女の子はすぐにやらせてくれる」、ひどい題ですよね。でも、そんなに簡単じゃないと宇宙人には言いたいけどね。僕は観たことがないけど、ジーナ・デイビスとジェフ・ゴールドブラムが出演してるから、けっこうちゃんとした映画で面白いのかもしない。もし観た人がいたらどんな映画か教えてください。このバージョンはこのサントラ盤でしか手に入らないと思う。たぶん誰も買わないよね、僕ぐらいしか。

 

Light My Fire
Zacharias
ON THE ROCKS PART ONE
Capitol Records, 1997

初出は1969年リリースの「ZACHARIAS plays THE HITS」(Columbia Records)に収録後テーマの曲は、ドアーズのLight My Fire。
もし僕が野球選手で神宮球場に出るとしたら、テーマはこのLight My Fire。もうこれに決まってるんです。ただ出る話がないだけで(笑)。けっこう脱力感があるでしょ、ジム・モリソンとは違って。ヴァイオリンはドイツ人のヘルムート・ツァハリアス。こういうロック系の曲を演奏するのは珍しいです。

 

村上RADIO、いかがでしたか。
僕は意外にというか、結構楽しかったです。質問をたくさんお寄せいただき、ありがとうございました。
最後になりますが、僕の好きな言葉を一つ引用させてください。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンのスライ・ストーンがこんなことを言いました。
「僕はみんなのために音楽をつくるんだ。誰にでも、馬鹿にでもわかる音楽をつくりたい。そうすれば、誰ももう馬鹿ではなくなるから」
いい言葉ですよね。僕はすごく好きです。それでは今日はここまで。またそのうちにお目にかかれるといいですね。
さようなら。

 


8月にTOKYO FMで「村上RADIO」が放送される

2018-06-05 22:37:04 | トピックス

まだ先の話ですが、8月5日に

村上春樹が初DJをつとめる番組が放送されるそうです。

番組名は「村上RADIO~RUN&SONGS~」

時間は夜の7時から55分間。

 

iPodやCD、レコードを持ち込んで

ご自分で選曲するそうです。

どんな話が聴けて、どんな曲が流されるんでしょうね。

それに、いったい、どんな話し方なんでしょう!

いやあ、楽しみです。

 

きっとラフな感じの番組ながら、

55分のなかに物語が流れるのではないか

なんて期待してしまいます。

下に紹介するのは

村上春樹さんの初ラジオDJに向けてのコメント

★小さい頃から、レコード(とかCD)のコレクションが趣味で、おかげでうちにはそういうものが溢れかえっているんですが、「こんな素敵な音楽をいつも僕ひとりで聴いて、気持ちの良い時間を送っていて、世の中になんか申し訳ないよな」とよく思っていました。ときにはいろんな人たちと適当におしゃべりをしながら、ワイン・グラスやコーヒー・カップを手に、心地よい時間を分け合うのもいいかもしれない。

ラジオでディスクジョッキーみたいなのをやってみようかという気になったのは、そういうところが原点になっています。だから僕の好きな音楽ソースをうちから持ってきて、それを好きなようにかけて、そのあいだに好きなことを話させていただく……そんな感じのパーソナルな番組にできればと思っています。

他の番組ではあまり(まず)聴けないような曲を、でもできるだけ寛いで聴ける音楽を選んでかけていきたいと思います。むずかしいことはほとんど抜きで。そしてその合間にちょっとしたお話もできればなと思っています。楽しんでください。

 

 


村上春樹さんが『騎士団長殺し』について語りました!

2017-04-02 22:23:18 | トピックス

4月2日付の朝日新聞の朝刊に、村上春樹さんへのインタビューが掲載されました。

どんなことが書いてあるかというと……


この小説はまず「騎士団長殺し」というタイトルが最初にあったのだそうです。

モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」を聞くたびに

そこに出てくる「騎士団長」って何だろうと思っていたのだとか。


続編を期待する人も多いらしいけど、それに対しては

「なんとも言えない、時間をおかないとわからない」と述べています。

 

「物語は即効力を持たないけれど

時間を味方にして必ず人に力を与えると、僕は信じている。

そして、できればよい力を与えられたらいいなと希望しています」

村上春樹さんは、インタビューの中でそう語っています。

 

インタビューを受けたということは、現在は日本にいるんでしょう。

出版後初めての声を聞けるのはうれしいですね。

続編、出るのでしょうかね?

 

以下は朝日新聞のインタビュー記事【引用】

★「騎士団長殺しというタイトルが、まず最初にあったんです」。この奇妙な題名の小説について、村上さんはそう切り出した。

 騎士団長は、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の登場人物。「聴くたびに、騎士団長って何だろうって思ってたんです。僕は言葉の感触の奇妙さにひかれる。騎士団長殺しっていう小説があったらどういう話になるだろう、という好奇心が頭をもたげる」

 語り手の「私」は無名の画家。もともと村上作品は「僕」という一人称の語りが定番だった。だが、『海辺のカフカ』で一人称と三人称を併用し、『1Q84』で純粋な三人称に移行した。そのなかで小説の幅を広げてきた経緯がある。

 「でも『1Q84』を書ききって、また一人称に戻りたい気持ちがあった」と村上さん。「ただ『僕』からは離れようと。『私』という新しい一人称になって、主人公のある種の成熟を感じています」

 執筆時、過去の作品と比べて技術的に向上していることを実感したという。

 「『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』は、もどかしかった。物語はどんどん湧いてくるけど、それを制御する文体がなかったから。『ノルウェイの森』をリアリズムで書ききったのが転換点。そのあとの『ねじまき鳥クロニクル』で、リアリズムと非リアリズムのかみ合わせが、初めてうまくいった」

 その『ねじまき鳥クロニクル』から、はや20年以上。「自分で言うのも何だけれど、20年の差を感じた。昔書けなかったことが書ける手応えがある」

 物語は「むろ」という子の誕生とともに結末を迎える。やはり妻がいなくなる物語だった『ねじまき鳥クロニクル』には、なかった展開だ。「僕はこれまで、家族を書いてこなかった。でも今回は、一種の家族という機能がここで始まる」

 村上作品は失われたもの、消えてしまったものを描いていると言われてきた。でも今作には、その一歩先に歩みを進めたような印象がある。

 「僕自身が年をとってきたからかもしれないけど、何かを引き継いでほしいという気持ちがあるんです。それが何なのか、自分でもよくわからないけれど」

 続編を期待する声は多い。「うーん。『ねじまき鳥クロニクル』も『1Q84』も続きはないって言って書いちゃったから、何とも言えないですよ。時間をおかないと、わからない」

 今回の小説は、東日本大震災より前の9カ月間を、震災後の未来から回想する設定。村上さんは作品執筆中だった一昨年の秋、福島県で開かれた文学イベントに参加した際に、東北の沿岸を一人、車で走った。「この物語の中の人は、いろいろな意味で傷を負っている。日本という国全体が受けた被害は、それとある意味で重なってくる。小説家はそれについて、あまり何もできないけれど、僕なりに何かをしたかった」

 人類が負った戦争という深い傷も、重要な意味を持つ。ナチスのオーストリア併合と日本軍による南京大虐殺、西洋と東洋でほぼ同時期に起こった暴力が、謎の絵を描いた老画家と、次第に結びついていく。「歴史は集合的な記憶だから、過去のものとして忘れたり、作り替えたりすることは間違ったこと。責任を持って、すべての人が背負っていかなければならないと思う」

 昨年デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、「どれほど高い壁を築いて侵入者を防ごうとしても、そのような行為は我々自身を損ない、傷つけるだけ」と語った。

 「最近世界各地で見られる、異物を排除すれば世の中よくなるという考え方へのおそれが、すごく強い。社会の影の部分を何でも排除しようという流れが強くなってる。ただ僕はそういうことを、政治的なステートメントとしてはあまり言いたくない。物語という形で語っていきたいんです」

 「長編小説はツイッターとかフェイスブックみたいな、いわゆるSNSとは対極にある。短い発信ばかりが消費されていくのが今の時代。読み始めたらやめられないものを書くのが、僕には大事なことです」。村上さんはそう語った。

 「物語は即効力を持たないけれど、時間を味方にして必ず人に力を与えると、僕は信じている。そして、できればよい力を与えられたらいいなと希望しています」(柏崎歓)


町の書店の『騎士団長殺し』特設コーナー

2017-02-25 20:24:43 | トピックス

近くでは一番大きな本屋さんでも、

『騎士団長殺し』はこんなふうに特設コーナーを設け
並べられていました。

店の人によると、売れてるそうですよ。
自分で書店に出向いて、
手にとって買う人多いのではないかなと推察します。
そのほうが、買ったという実感がありますから。

本を手にとって開いてみると、目次がいいです。

①もし表面が曇っているようであれば
②みんな月に行ってしまうかもしれない
③ただの物理的な反射にすぎない
④遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える
⑤息もこときれ、手足も冷たい
⑥今のところは顔のない依頼人です
⑦良くも悪くも覚えやすい名前
⑧かたちを変えた祝福
⑨お互いのかけらを交換し合う
⑩僕らは高く繁った緑の草をかき分けて
⑪月光がそこにあるすべてをきれいに照らしていた
⑫あの名もなき郵便配達夫のように
⑬それは今のところただの仮説に過ぎません
⑭しかしここまで奇妙な出来事は初めてだ
⑮これはただの始まりに過ぎない


第1部だけでも目次は32個もあります。
いったいどういう内容なのでしょうね。

読んでしまったら、もう自分にとって未読ではなくなるので

もったいなくて、まだ読めません。

今日は『騎士団長殺し』の発売日!

2017-02-24 11:37:13 | トピックス

本日発売! です。

朝日新聞朝刊の2面の下段に、色刷りの広告が出ていました。

 

第一部「顕れるイデア編」

第二部「遷ろうメタファー編」

 

広告のコピーはこうです。

 

7年ぶりの本格長編

 

それは孤独で

静謐な日々であるはずだった。

騎士団長が顕れるまでは──

 

☆広告の中のコピーだけど、以下は多分本文からの抜粋

 

今のところは顔のない依頼人です

何かが起ころうとしている

勇気のある賢い女の子にならなくてはならない

今が時だ

死が二人を分かつまでは

しかしここまで奇妙な出来事は初めてだ

 

いったい本の中で何が起きたのでしょうね!

知りたい。

知りたいです。

 

しかし、アマゾンなどに出回っていた本の装丁は

ダミーだったんですね。

どこまでも、新作の内容は秘密だったわけです。

なかなか…。


村上春樹の新作の英語タイトルは『Killing Commendatore』

2017-01-26 21:34:47 | トピックス
HARUKI MURAKAMI’s latest book is going to be published in Japan,at 2017.2.24.
The novel is called "Killing Commendatore". 
 

村上春樹の新しい小説『騎士団長殺し』の英語タイトルは、 

『Killing Commendatore』だそうです。

作家の千葉望さんという方は、

以下のようにツイートしておられます。

★村上春樹の新作が『騎士団長殺し』と聞き、どうしてもモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の騎士長を思い出してしまう。娘を取り戻そうとしてドン・ジョヴァンニに殺されるも、最後には亡霊となって彼を地獄に引き込む役。それとはぜんぜん関係ないのかしら。★

どうなんでしょうね?


新作はまだ予約段階にも関わらず

アマゾンのランキングでは、今日現在、3位と5位につけています。

新潮社では、第1部、第2部とも初版50万部で発売というからスゴイ!

本が売れないと言われている昨今、

村上春樹さんがどうしてこんなに売れるのか。

期待値が高く、知名度も高く、

そして常に読者の期待を裏切らない作品を提供し続けてきた

というのがその理由でしょうか?

こういう前評判であるからには、超絶面白い内容を期待します。


満を持しての長編小説でしょうから

きっと面白いに違いにないと、ワクワク感が膨らみます。


ああでも、村上春樹さんご本人は、本当に受けるだろうかと、

きっと緊張しておられるでしょうね?

 


村上春樹の新作長編小説が2月24日に刊行される

2017-01-11 09:36:10 | トピックス

村上春樹が新作の長編小説を、

2月24日に新潮社から発売するそうです。

 

タイトルは『騎士団長殺し』

「第1部 顕れるイデア編」「第2部 遷ろうメタファー編」の全2冊。 

タイトルからして、日本ではないどこかの時代物になるのかしらん?

あるいは異世界もの?

「殺し」とつくからには、ミステリーっぽいのかな? 
などと、想像を刺激されます。
 
村上春樹さんの長編小説は、
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』以来
4年ぶり。
 
400字詰めの原稿用紙2000枚。

村上春樹さんは、毎日朝4時から机に向かい

10枚ずつ書くのだというから、

単純計算しても、200日。

それを何度も推敲して書き直すのだというから、

大変な労作ということになると思います。

もし、3回書き直したとしても、600日。

全面的に書き直すことはないでしょうから、

そういう単純計算は成り立たないけど、

600日と言えば、約2年。

その間に翻訳本やら、エッセイやら、

おととしの正月明けには、webサイト「村上さんのところ」を開くなど

小説抜きにしても、とても忙しそう。

それなのに2000枚の小説を書き上げるあたり、

さすが職業としての小説家です。

 

「ピーター・キャット」のころの村上春樹を見つけた

2016-11-29 20:13:38 | トピックス
アマゾンの 村上春樹さんの本のカスタマーレビューを読むと、
時々、あれっという文章に巡り合うことがあります。
このレビューもそう。
コピペなんかして、アマゾンとか、レビュアーに怒られそうだけど。
なかなか素敵な文章です。
 
千駄ヶ谷でジャズバーの「ピーター・キャット」をやっていた当時の
村上さんのポートレート。
このレビューは『職業としての小説家』のところで
見つけたもの。
 
保存しておきたいという気持ちも、わかるでしょ?


【アマゾン『職業としての小説家』カスタマーレビューより引用】
 

若い頃、千駄ヶ谷に住んだことがある。商店街の一角に「ピーター・キャット」という名の粗末な小屋のようなジャズ・バーがあって、群像新人賞を獲ったばかりの村上春樹さんが店主をしていた。受賞作の「風の歌を聴け」を読んで気にいった私は、店の前を通るたびに彼に出会えたらと願った。めったに会えなかったが、それでも何度かチノパンにセーター姿の村上さんを見かけた。いかにも無口で、実直で、人見知りしそうな若者だった。そんな彼に、いつか大物になって欲しいと私は密かに願っていた。

第二回「小説家になった頃」に作家デビューまでのいきさつが綴られている。この章が本書でもっとも読み応えのある部分であった。就職が嫌で、好きな音楽で食べていきたいと考えて、多額の借金を背負って店を開店したこと。何とかやって行けそうになったある日、神宮球場の外野の芝生に寝転んでビールを飲んでいて「小説を書こう」と思いついたこと。プロットを考えずに書き出したこと。仕事を終えてから台所のテーブルで明け方まで毎晩書いたこと。書いた文章をいったん英語に直し、さらに日本語に「翻訳」し直した。小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりは「音楽を演奏している」というのに近い感覚があった。その感覚をいまも大事に保っていると言う。文章を書くことに対する彼の姿勢は当時から一貫している。この時期に作家・村上春樹のスタイルが形つくられたことがよくわかる。

本書には村上さんの小説の書き方が述べられている。継続性のある仕事の進め方。ひとつの作品に全力を傾注する環境づくり。これ以上のものは書けないと断言できるための推敲の連続。強い心を維持する体力づくりの重要性。小説を書き続ける理由。そして、メラメラと燃え上がる小説への熱い思い。面白いことに、述べられている内容は、小説の書き方をテーマにしながら、ほとんど村上さんの生き方のポリシーを語っているのだ。小説を書くのに必要なノウハウを得るなら、本書よりも大沢在昌氏の「売れる作家の全技術」(角川書店、2012年)のほうが余ほど役立つだろう。

どの職業においてもプロフェッショナル・レベルに達するには必要な修行がある。身に着けなければならない習慣と考え方がある。だからここで紹介される村上さんの小説家としての心構えや生き方は、真の職業人を目指す人には興味を引く内容であろう。村上さんの小説が好きではない人でも、小説や文学に関心がない人でも、本書には役立つヒントが豊富に含まれているのだ。本書は村上春樹書下ろしの、新しいタイプの「自己啓発本」と言ってもいいかも知れない。

村上さんの文章は、独自の深遠な思想をこれ以上は易しくできないくらい噛み砕いて書かれている。それはまるで若い聴衆を前にして、「僕はこのように生きてきたんだけど、少しでも参考になるといいな」と話しかけているようだ。一度しかない人生をいかに生きるべきかを率直に、自信をもって記しているが、いささかの傲慢さも説教臭さもない。読み終わって、確たる自分をもって、さらなる高みをめざして奮闘する孤高の村上さんの姿に心打たれた。同時に村上さんと再び出会えた懐かしさがこみあげてきた。私の予感は間違っていなかったのだ。

「僕はいまだに発展の途上にある作家だし、僕にとっての余地というか、『伸びしろ』はまだ(ほとんど)無限に残されていると思っているのです。」(294ページ)

村上さん、ますます元気で、いい小説をたくさん書いてください。

「村上春樹さん デンマークで語る」続き

2016-11-22 20:59:51 | トピックス

昨日に引き続き、朝日新聞に掲載された「村上春樹さん デンマークで語る(下)」

を引用させてもらいます。

記事の中に出てくる

南デンマーク大の講演で村上春樹さんによって朗読された短編小説「鏡」は

1983年に平凡社から刊行された『カンガルー日和』に収録されている作品。

高校の国語の教科書にも掲載されたそうです。

 

<朝日新聞11月22日朝刊より引用>

「自らの影 受け入れなければ」

デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、村上春樹さん(67)は「人間一人一人に影があるように、あらゆる社会や国家にも影がある」と語った。「影」というアンデルセンの作品を引き合いに出しての発言だが、村上作品の世界にも深く通じる考え方のようだ。

  ■「負の側面、社会や国家にも」

 「『影』という作品を、最近になって初めて読みました。アンデルセンがこんな作品を書いていたとは知らなかった」。村上さんは、英語での受賞スピーチをそう切り出した。

 「影」の主人公は若い学者。いつも足元にいた自分の影が、ふとしたことからいなくなる。数年後に舞い戻ってきた影は、自分が主人に、学者が影になると告げ、やがて学者を過酷な運命が待ち受ける――。

 「童話作家として知られるアンデルセンが、こんなに暗くて絶望的な物語を書いていたことに驚きました」と村上さん。「いつものように子供向けの話を書くのをやめて、心の内を思い切って吐露したのだと思います。自分自身の影、目を背けたい側面と向き合うことは、簡単ではなかったはずです」

 そして村上さんは、自身の創作の過程にも、自分の隠れた一面とのせめぎ合いがあると語った。

 「小説を書いていると、暗いトンネルの中で、思ってもみなかった自分の姿、つまり影と出会う。逃げずにその影を描かなければいけない。自分自身の一部として受け入れなければいけないのです」

 「あらゆる社会や国家にも影がある。私たちは時に、負の側面から目を背けようとします」。村上さんは来場者たちに、そして恐らくは世界に向けて語りかけた。

 「どんなに高い壁をつくって外から来る人を締め出そうとしても、どんなに厳しく部外者を排除しようとしても、あるいはどれだけ歴史を都合よく書き直しても、結局は自分自身が傷つくことになる」。深刻さを増す難民や移民、あるいは歴史修正の問題が、おそらくこのスピーチの背景にはあったのだろう。

 ■村上作品にも「影」との出会い

 授賞式で「影」を語った翌日、村上さんは近くの南デンマーク大を訪れた。

 階段状の講義室に村上さんが姿を現すと、つめかけた約500人の学生たちがわっと歓声をあげた。村上さんは前日のイベントと同じように、日本語で自作の朗読を始めた。

 語り手の「僕」は夜の校舎で、鏡に映った自分自身の姿と向き合う。やがて鏡の中の自分の右手が、勝手に動き出す――。アンデルセンの「影」と呼応するような、ユーモラスだがぞくりとするような怖さをはらんだ物語。「鏡」という初期の短編だ。

 そのストーリーはまた、「トンネルの中で思いもかけない自分の影に出会う」という、前日のスピーチの言葉をも思い出させた。授賞式翌日のイベントで朗読する作品にこの短編を選んだのは、きっと偶然ではないのだろう。

 「僕の小説は二つの世界で構成されることが多い。片方が地上、もう片方が地下というように」

 別の会場で開かれた催しで、村上さんはそう語った。朗読した「鏡」だけでなく、例えば『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』は、まさに二つの世界を行き来しながらストーリーが進む。さらには「影」が重要な役割を担う小説でもあった。

 受賞スピーチで語った「自らの影、負の部分と共に生きていく道を、辛抱強く探っていかなければいけない」というメッセージは、村上さん自身の創作の核心と、深いところでつながっているのだろう。「影」を受け入れて変わる勇気を、私たちの社会は持っているのか。そんな重い問いを残したセレモニーだった。(柏崎歓)


村上春樹の新しい小説は、とても奇妙な物語らしい

2016-11-21 11:05:19 | トピックス

今日の朝日の朝刊の文芸欄に、村上春樹さんの記事が載っていました。

タイトルは「村上春樹さん デンマークで語る(上)」

原文は下記に引用させてもらったけど、

ねえ、新しい小説を執筆中みたいですね。

一人称で語る物語で、『1Q84』より短く、『海辺のカフカ』よりも長い作品。

とても奇妙な物語らしい。

いつ刊行されるのでしょうね。

楽しみです。

 

<朝日新聞11月21日朝刊より引用>

 作家の村上春樹さん(67)が、童話作家アンデルセンにちなむ「ハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞」の受賞者に選ばれ、10月末にデンマークで開かれた授賞式に出席した。普段は公の場にあまり姿を見せない村上さんだが、セレモニーだけでなく現地の図書館や大学を訪れ、創作について語った。

 「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」などで知られるアンデルセンの生誕地、デンマークのオーデンセ。駅のそばの図書館で開かれたイベントに登場した村上さんは、約150人の来場者を前にゆったりと椅子に腰掛け、「35年前に書いた、とても短い作品を読みます」と英語で切り出した。

 「僕は自分の小説を読み返しません。読むと恥ずかしくなるし、今ならもっとうまく書けるはず、と思ってしまうから。でもこの話はよく読み返します」

 「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」。初期の短編集『カンガルー日和』に収録された、ごく短い一編だ。自分にとって100%ぴったりの女の子とすれちがった「僕」が、あの時どうすればよかったのか、と思いをめぐらせる。

 「こんなふうには、今はもう書けないと感じる。若かったから書けたのだと。この話が好きなんです」

 村上さんはこの短編を、日本語で朗読した。翻訳者のメッテ・ホルムさんが隣に座り、デンマーク語で一段落ごとに同じ箇所を読み上げた。

 「僕は作家になる前、東京で小さなジャズクラブを経営していました。書くためのさまざまなことを、音楽から学んだのです」。村上さんは来場者たちに語りかけた。

 「僕にとってリズムとメロディーとサウンドは、書く上でとても大切なことです。だから今日は、日本語の音とリズムを楽しんでほしい」。時に小さな手ぶりを交えて朗読は進み、村上さんが最後の1行を読み終えると、会場は拍手に包まれた。

 村上さんは午前中に図書館のイベントに登壇し、午後は授賞式に出席。翌日は近くの大学で「鏡」という短編を、そしてその次の日は別の会場で再び「100パーセントの女の子」を朗読してから、来場者の質問などに答えた。

 いずれも朗読は日本語とデンマーク語で交互に読み進めるスタイルだったためか、作品の翻訳についての質問が相次いだ。「なじみの薄い言語に翻訳される場合、どう訳されたか確認できないことが気にならないか」との問いに、村上さんは「僕は自分も翻訳者だから、翻訳の力を信じています」と答えた。

 「もちろん、翻訳を通して失われるものはある。でももしそれがよい物語なら、翻訳されたとしてもエッセンスは失われずに残るはずです」

 「初めて小説を書いてから今に至る旅のあいだで、重要だったことは何ですか」という質問には、「うーん。長い道のりでしたね」。少しおどけて答えてから、「僕は一人称で小説を書き始めた。主人公に名前がない。名前をつけられなかったのです」と語った。

 「『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』では『僕』と『私』という二つの一人称を使い分けた。『海辺のカフカ』で一人称と三人称の両方を使い、『1Q84』で純粋な三人称を使いました。長い道のりです」

 そして、次の作品のことも口にした。「でも今書いている小説では、一人称に戻ります。また名前がなくなる」

 別の会場で、来場者から「次の作品は」と問われたときには、もう少しだけサービスした。

 「今、新しい小説を書いています。『海辺のカフカ』より長く、『1Q84』より短い小説。とても奇妙(ストレンジ)な物語になります」(柏崎歓)