彩の国さいたま芸術劇場でやっていた『海辺のカフカ』を観ました。
脚本はフランク・ギャラティ。
アメリカの脚本家です。
映画『アクシデンタル・ツーリスト』の脚本や、トニー賞を受けた舞台『怒りの葡萄』の脚色で有名な人です。
蜷川幸雄が脚本を書いたのではなく、アメリカですでに上演されていた『海辺のカフカ』を翻訳し、蜷川が演出を手がけたという経緯です。
ご存知のように、村上春樹の小説『海辺のカフカ』は上下2冊の大作です。
それを3時間超の舞台に縮尺するのだから、大味な舞台になるのではないかと心配していたけれど、そういう杞憂は見事に裏切られました。
宮沢りえの美しさ、フランス映画のBGMのような素敵な音楽。
3メートルはあるかと思われる大きな透明なケースが、黒子によって自在に入れ替わる場面転換。
まるで映画のシーンを見るように、舞台は展開します。
森もトラックも図書館の部屋も、透明ケースで移動します。
シーンによっては、いかにも山の中に迷い込んだような錯覚を起こさせます。
人が動かず、場面が動く。
水槽のようなガラスケースに横になって収まった宮沢りえは、象徴のように美しく、青いワンピースと白い二の腕が目に焼きつくのでした。
ナカタさんが猫と会話するシーンでは、着ぐるみの猫が登場します。
リアルな猫です。
幻想的な舞台は、観客の心をひきつけて離しません。
芝居が終わったときには、総立ちのスタンディング・オベーション。
もう一度見たいと思った斬新な芝居でした。
芝居『海辺のカフカ』を見て、小説『海辺のカフカ』を再読しました。
芝居の脚本は小説のエッセンスを抽出して、印象的にまとめられていたけれど、やはり小説は言葉をつないで考えに考えさせます。
奥深い世界がひろがっています。
「世界でいちばんタフな15歳」という発想が、そもそもすごい!!
神話的世界がベースになって、物語は重層的に進みます。
面白いといったらありません。
人物造形も見事。
個人的な感想をいえば、小説の中のさくらより、鈴木杏ちゃんのさくらのほうが、より豊かな人物像を結んでいると思いました。
だけど、こんなにふうに芝居と小説をいったりきたりするのは、とても贅沢な読書体験だと思ったのでした。
“世界の蜷川”と“世界的作家・村上春樹”のコラボだからこそ生まれる素晴らしさです。