昨日に引き続き、朝日新聞に掲載された「村上春樹さん デンマークで語る(下)」
を引用させてもらいます。
記事の中に出てくる
南デンマーク大の講演で村上春樹さんによって朗読された短編小説「鏡」は
1983年に平凡社から刊行された『カンガルー日和』に収録されている作品。
高校の国語の教科書にも掲載されたそうです。
<朝日新聞11月22日朝刊より引用>
「自らの影 受け入れなければ」
デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、村上春樹さん(67)は「人間一人一人に影があるように、あらゆる社会や国家にも影がある」と語った。「影」というアンデルセンの作品を引き合いに出しての発言だが、村上作品の世界にも深く通じる考え方のようだ。
■「負の側面、社会や国家にも」
「『影』という作品を、最近になって初めて読みました。アンデルセンがこんな作品を書いていたとは知らなかった」。村上さんは、英語での受賞スピーチをそう切り出した。
「影」の主人公は若い学者。いつも足元にいた自分の影が、ふとしたことからいなくなる。数年後に舞い戻ってきた影は、自分が主人に、学者が影になると告げ、やがて学者を過酷な運命が待ち受ける――。
「童話作家として知られるアンデルセンが、こんなに暗くて絶望的な物語を書いていたことに驚きました」と村上さん。「いつものように子供向けの話を書くのをやめて、心の内を思い切って吐露したのだと思います。自分自身の影、目を背けたい側面と向き合うことは、簡単ではなかったはずです」
そして村上さんは、自身の創作の過程にも、自分の隠れた一面とのせめぎ合いがあると語った。
「小説を書いていると、暗いトンネルの中で、思ってもみなかった自分の姿、つまり影と出会う。逃げずにその影を描かなければいけない。自分自身の一部として受け入れなければいけないのです」
「あらゆる社会や国家にも影がある。私たちは時に、負の側面から目を背けようとします」。村上さんは来場者たちに、そして恐らくは世界に向けて語りかけた。
「どんなに高い壁をつくって外から来る人を締め出そうとしても、どんなに厳しく部外者を排除しようとしても、あるいはどれだけ歴史を都合よく書き直しても、結局は自分自身が傷つくことになる」。深刻さを増す難民や移民、あるいは歴史修正の問題が、おそらくこのスピーチの背景にはあったのだろう。
■村上作品にも「影」との出会い
授賞式で「影」を語った翌日、村上さんは近くの南デンマーク大を訪れた。
階段状の講義室に村上さんが姿を現すと、つめかけた約500人の学生たちがわっと歓声をあげた。村上さんは前日のイベントと同じように、日本語で自作の朗読を始めた。
語り手の「僕」は夜の校舎で、鏡に映った自分自身の姿と向き合う。やがて鏡の中の自分の右手が、勝手に動き出す――。アンデルセンの「影」と呼応するような、ユーモラスだがぞくりとするような怖さをはらんだ物語。「鏡」という初期の短編だ。
そのストーリーはまた、「トンネルの中で思いもかけない自分の影に出会う」という、前日のスピーチの言葉をも思い出させた。授賞式翌日のイベントで朗読する作品にこの短編を選んだのは、きっと偶然ではないのだろう。
「僕の小説は二つの世界で構成されることが多い。片方が地上、もう片方が地下というように」
別の会場で開かれた催しで、村上さんはそう語った。朗読した「鏡」だけでなく、例えば『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』は、まさに二つの世界を行き来しながらストーリーが進む。さらには「影」が重要な役割を担う小説でもあった。
受賞スピーチで語った「自らの影、負の部分と共に生きていく道を、辛抱強く探っていかなければいけない」というメッセージは、村上さん自身の創作の核心と、深いところでつながっているのだろう。「影」を受け入れて変わる勇気を、私たちの社会は持っているのか。そんな重い問いを残したセレモニーだった。(柏崎歓)