4月2日付の朝日新聞の朝刊に、村上春樹さんへのインタビューが掲載されました。
どんなことが書いてあるかというと……
この小説はまず「騎士団長殺し」というタイトルが最初にあったのだそうです。
モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」を聞くたびに
そこに出てくる「騎士団長」って何だろうと思っていたのだとか。
続編を期待する人も多いらしいけど、それに対しては
「なんとも言えない、時間をおかないとわからない」と述べています。
「物語は即効力を持たないけれど
時間を味方にして必ず人に力を与えると、僕は信じている。
そして、できればよい力を与えられたらいいなと希望しています」
村上春樹さんは、インタビューの中でそう語っています。
インタビューを受けたということは、現在は日本にいるんでしょう。
出版後初めての声を聞けるのはうれしいですね。
続編、出るのでしょうかね?
以下は朝日新聞のインタビュー記事【引用】
★「騎士団長殺しというタイトルが、まず最初にあったんです」。この奇妙な題名の小説について、村上さんはそう切り出した。
騎士団長は、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の登場人物。「聴くたびに、騎士団長って何だろうって思ってたんです。僕は言葉の感触の奇妙さにひかれる。騎士団長殺しっていう小説があったらどういう話になるだろう、という好奇心が頭をもたげる」
語り手の「私」は無名の画家。もともと村上作品は「僕」という一人称の語りが定番だった。だが、『海辺のカフカ』で一人称と三人称を併用し、『1Q84』で純粋な三人称に移行した。そのなかで小説の幅を広げてきた経緯がある。
「でも『1Q84』を書ききって、また一人称に戻りたい気持ちがあった」と村上さん。「ただ『僕』からは離れようと。『私』という新しい一人称になって、主人公のある種の成熟を感じています」
執筆時、過去の作品と比べて技術的に向上していることを実感したという。
「『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』は、もどかしかった。物語はどんどん湧いてくるけど、それを制御する文体がなかったから。『ノルウェイの森』をリアリズムで書ききったのが転換点。そのあとの『ねじまき鳥クロニクル』で、リアリズムと非リアリズムのかみ合わせが、初めてうまくいった」
その『ねじまき鳥クロニクル』から、はや20年以上。「自分で言うのも何だけれど、20年の差を感じた。昔書けなかったことが書ける手応えがある」
物語は「むろ」という子の誕生とともに結末を迎える。やはり妻がいなくなる物語だった『ねじまき鳥クロニクル』には、なかった展開だ。「僕はこれまで、家族を書いてこなかった。でも今回は、一種の家族という機能がここで始まる」
村上作品は失われたもの、消えてしまったものを描いていると言われてきた。でも今作には、その一歩先に歩みを進めたような印象がある。
「僕自身が年をとってきたからかもしれないけど、何かを引き継いでほしいという気持ちがあるんです。それが何なのか、自分でもよくわからないけれど」
続編を期待する声は多い。「うーん。『ねじまき鳥クロニクル』も『1Q84』も続きはないって言って書いちゃったから、何とも言えないですよ。時間をおかないと、わからない」
今回の小説は、東日本大震災より前の9カ月間を、震災後の未来から回想する設定。村上さんは作品執筆中だった一昨年の秋、福島県で開かれた文学イベントに参加した際に、東北の沿岸を一人、車で走った。「この物語の中の人は、いろいろな意味で傷を負っている。日本という国全体が受けた被害は、それとある意味で重なってくる。小説家はそれについて、あまり何もできないけれど、僕なりに何かをしたかった」
人類が負った戦争という深い傷も、重要な意味を持つ。ナチスのオーストリア併合と日本軍による南京大虐殺、西洋と東洋でほぼ同時期に起こった暴力が、謎の絵を描いた老画家と、次第に結びついていく。「歴史は集合的な記憶だから、過去のものとして忘れたり、作り替えたりすることは間違ったこと。責任を持って、すべての人が背負っていかなければならないと思う」
昨年デンマークで開かれたハンス・クリスチャン・アンデルセン文学賞の授賞式で、「どれほど高い壁を築いて侵入者を防ごうとしても、そのような行為は我々自身を損ない、傷つけるだけ」と語った。
「最近世界各地で見られる、異物を排除すれば世の中よくなるという考え方へのおそれが、すごく強い。社会の影の部分を何でも排除しようという流れが強くなってる。ただ僕はそういうことを、政治的なステートメントとしてはあまり言いたくない。物語という形で語っていきたいんです」
「長編小説はツイッターとかフェイスブックみたいな、いわゆるSNSとは対極にある。短い発信ばかりが消費されていくのが今の時代。読み始めたらやめられないものを書くのが、僕には大事なことです」。村上さんはそう語った。
「物語は即効力を持たないけれど、時間を味方にして必ず人に力を与えると、僕は信じている。そして、できればよい力を与えられたらいいなと希望しています」(柏崎歓)