ぴち子の忘れられない話…人、オウム、インコ、犬、猫等にまつわる実話

今まで出会った動物達とのエピソードや、素敵な人達の話を綴っていきます。

祖父から聞いた恐怖体験

2014-08-13 20:54:48 | 怪奇
お盆が近いと 亡き人たちのことが懐かしく思い出されます。
母方の祖父もその一人です。
祖父は大勢の孫たちの中でも特に私を可愛がってくれました。
母は実家近くに嫁ぎ 結婚後も長女の私を連れて実家の事業を手伝っていました。
母が仕事をしている間 祖父が私の子守りをしてくれました。
その祖父が昔 体験した不思議な話をしてくれたのです。
ある夏の夜のことでした。
村の祭りの帰り道 田んぼの横の道を友人ら数人で歩いていた時です。
田んぼの上を火の玉が一つ 飛びまわっていたんだそうです。
祖父一人なら怖くなって逃げたのでしょうが、友達数人連れ立っていたのですっかり気が大きくなって皆で火の玉を追いかけまわしたんだそうです。
火の玉はあちこち逃げ回り とうとう近くの家の窓から中に入ってしまいました。
そして その時その家の中から 「あー恐ろしかった。恐ろしかった。追いかけられた。」という声が聞こえてきたんだそうです。
あの火の玉の正体は?
祖父も友人達も怖くなって走って逃げ帰ったそうです。
もう一つ 祖父から聞いた話です。
昔、名古屋で仕事をすることになった祖父は知人を介して職場の近くの一軒家を借りることになりました。
それは 庭に大きな池のある立派なお屋敷でした。
その家に新婚間もない祖父母と、祖父の弟とが住んでいました。
祖母が一人で夫達の帰りを待っている間に誰もいないはずの廊下で足音がしたり、別の部屋で人の気配がしたり 何だかおかしいなあと何となく思っていたそうです。
そして ある時池に面した部屋の障子に何か影が写っているのに気付きました。
毎日日暮れになると決まって同じ女性の影が。
日本髪を結った女性の横顔だったのです。
祖父はほうきを振り回して影の正体を突き止めようとしましたが、ほうきの影すら写りません。
しばらく住んでいましたが あまりの気味悪さに3人はとうとう引っ越すことになりました。紹介してくれた知人に訳を話すと、やっぱり出ましたか。前に借りた人は3日で出てしまったんですよ。
いあやね。昔、あの池に飛び込んで亡くなった奥様がいらしたそうで。
いい物件なんですけどねえ。
その後 そのお屋敷は誰も住む人がおらず 荒れ果てたそうな。







猫と蛙

2014-07-03 15:45:27 | 
梅雨も本番になってくると元気になってくるのが、蛙達。
住宅地の周りが開けてくるに連れて蛙の声が遠くなっていきます。
とはいえ、三重県北勢地方の我が家の庭にも時々蛙のお客さんがやってきます。
ちょっと前にはヌマガエルが蓮池に遊びにきていました。
1週間程逗留していましたが またどこかに行ってしまったようです。
 私は名古屋の中心地で育ったので、子供の頃には家の近辺には田んぼも野原も全くありませんでした。コオロギさえも珍しかったのです。
 なので自然と触れ合うには郊外までバスや電車で出かけるのです。
ある時、近所のおばさんがその子供と私を郊外の田んぼへタニシ採りに誘ってくれたことがありました。
私は大喜びで出かけたのですが 妹はまだ幼かったので一緒に行けません。
そこで、父親が妹を蛙採りに連れて行ったのです。
その日の夕方、私はタニシを持ち帰り、父と妹はトノサマガエルを持って帰ってきました。
タニシは小さいのは庭の池に放し 残りはゆでて酢味噌和えにして食卓に。
そして蛙は…これは食べません。ペットになりました。
父親が網を貼った蛙小屋を作ってくれました。中には小さい池を作り、草むらも作ってありました。
エサは生きたハエです。
毎日ハエを採って小屋に入れていました。
蛙も餌付けできるんですねえ。人の姿を見ると近くに寄ってエサを待ってるんです。それがとってもかわいいんですよ。
やがて秋になり 冬が近づいてきたので小屋を取り外し蛙達を庭で自由にさせることにしました。冬眠のためにです。
次の年の初夏のことです。
ゲーコ、ゲーコと鳴く声がするので見てみると、家の飼い猫が蛙をくわえてやってきたのです。
猫は子猫を運ぶように大事そうに蛙を持ってきて私の前にそっと置きました。
蛙は傷ひとつなく元気に庭に跳んでいきました。
家族の大切な蛙を見つけたので連れてきたようでした。
蛙は庭に放したままにしておきました。
それから毎年夏になると何匹か出てきてケロケロ鳴いておりました。
相変わらず猫は時々蛙を座敷まで連れてきました。
やがて時が経ち、夏になっても蛙の声がしなくなりました。
5年程経っていました。





メダカの季節

2014-04-15 22:58:21 | メダカ
今年もメダカの季節がやってきました。
正確にいうと メダカの産卵の季節ですね。
先週、黄色メダカ槽のホテイアオイの根に卵を見つけたので、育稚魚槽を用意しました。
黒メダカ槽ではまだ産卵されてないようです。
白メダカも2匹いるのですが、2匹ともオスなので繁殖できません。
白メダカのメスを調達するまで、黄色メダカの薄い色のメスを入れてみたら面白いことが起こりました。
平和だった白メダカ槽のオス同士が突然、バトルしだしたのです。
尾びれで相手の腹をパシッとはたくのです。
優位にたったオスがメスに近付きます。
何度も繰り返すので、どちらも弱ってしまうのではないかと心配になってきました。
白メダカ槽に平和を戻すには、もとのオス2匹にするか、メスを増やすかの2択です。
いちどメスを見せておきながら連れ去るのは、かわいそうなので メスを追加することにしましたよ。
メダカ界では♂2×♀1の合コンは失敗でした。オスが2匹ならメス4~5匹位が良さそうです。
メスが多いと忙しくてけんかする暇がないし、メスだって始終追いかけまわされると疲れてしまうんです。
人間社会みたいで、なんだかなー。
どんな色の子が生まれてくるのでしょうか。楽しみです。

愛すべき馬達

2013-12-31 22:56:41 | 動物
2014年 明けましておめでとうございます。

今年の干支である馬の思い出がいくつかあります。

中学校の修学旅行で箱根に行った時のことです。
芦ノ湖の湖畔に観光用の馬が繋いでありました。
栗毛のとても美しい馬でした。
友達と馬をバックに写真を撮ることにしました。
馬の前に2人並んでポーズをとってパチリと撮ってもらったその瞬間…
ザーッツと凄まじい勢いで流れ出した水ーではなく馬の大放尿
ほうほうの体でその場を逃げ出しました。

時は経ち、高3 受験期の頃です。
志望校の1つである公立短大の下見に行った時です。
グランドで乗馬姿の学生が颯爽と馬に乗っているのが見えました。
ここに入学して乗馬クラブに入るんだ。と決めました。

そして、受験。運良く合格して乗馬への夢がかないそうでした。
入学式を迎えました。
様々なサークルが新歓活動を行っていましたが、そこに乗馬サークルはありませんでした。
近くの先輩学生にそっと聞いてみました。
「あのう 馬術部はどこなんでしょうか?」
「馬術部なんてありませんよ」
「えっ? あのグランドで確かに乗馬してるのを見たんですけど」
「ああ あれね ○○○工業大学のグランドね」
そう だったのか…  まぎらわしいんですけど
後の祭り で、合唱部に入りました。
それはそれで楽しかったから、ま、いいか。

またまた時が経ち、2児の母となっておりました。
子供会の行事で運動公園に行った時のことです。
アスレチック等で遊んだ後、お弁当を食べる場所を探していました。
我が家の家族と友人家族3組程で、乗馬場脇の芝生の上に落ち着きました。
乗馬服を着たおねえさんが素敵に馬に乗り、テンポ良く駆けておりました。
子供達は大喜び、あこがれのまなざしで見ておりました。
馬が何周か回ってちょうど私達の目の前を通り過ぎたその時です。
プッ プッ プッ プッ プッ… … …
おねえさんではありませんよ。馬がね、走りながらおならをし出したんです。
子供達は 大爆笑。 
ごめんなさい。おねえさん。馬に笑っちゃったんです。
大人達もこらえきれずに笑ってしまいました。

この次はどんな馬に出会うのでしょうか?



忘れられないカレンダー

2013-12-17 20:18:52 | 日記

年末も近くなってきて カレンダーをもらう機会がふえてきました。
これまで我が家には沢山のカレンダー達がやってきましたが、悲しいかな1年でお別れ
壁に掛けてもらえたのはまだ幸せな部類で、洋裁の型紙になったのやら、鳥かごの敷紙になったのやら もっとかわいそうなのは、年の終わりに巻いたままで資源ごみに出された物まであります。
その中で特上の扱いを受けたカレンダーがありました。
なんと22年もの間ずっと掛けられ続けているんです。画像のものです。
主人が取引先の営業さんから頂いた10年カレンダー(1992~2001)です。
まず、デザインが宇宙好きの我が家のツボにはまりました。
10年先を見据えるなんて素晴らしい会社だ!と主人は思ったそうです。
そして 日々の暮らしに追われていた私に将来を想像する楽しみを与えてくれました。
10年も使うのだから、長持ちするようにとパネル板に貼りました。
1年経ち、2年経ち、やがて10年経ちました。
はるか先のように思えた10年はあっという間に過ぎ去りました。
2001年が過ぎてもカレンダーは掛けられたままでした。
子供達が成長していった中身の濃い10年をほうむりたくなかったのです。
それからまた2年 ますますカレンダーが捨てられなくなりました。
カレンダーが来た時に12歳だった長女は大学を卒業し、社会人になりました。
長女が入社したのは、偶然にもこのカレンダーをくれた取引先の会社だったのです。
更に10年 まだまだ掛っています。
結婚した今でも続けて働いている娘を思って、今後も大切に飾っておきますよ。