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pianon イルギ

イ・ジョンジェを筆頭に、

韓国男優にハマリ過ぎて睡眠不足の毎日…。

んが、楽し過ぎて止めれんドォ~!

JJインタビュ~ ’13 9月 No.8

2013-09-18 | イ・ジョンジェ
 記事内の映画紹介、JJ経歴、JJへの賛美、映画評や、
   他の記事と重複する部分は割愛させて頂き
   JJ君への Q&A のみ イッテみたく思います


 コチラの記事から



Q : 映画で“狼”の人相と表現された首陽大君を演じるため、
   実際に狼の行動や習性を見て参考にしたそうですが?
JJ : 狼の人相として出るため、「ナショナルジオグラフィック」を見ました(笑)
   狼の残酷な感じと言うか、そういう点を見ながらキャラクターをどう表現するか
   描いてみたりしました。
   演劇映画科の授業でも動物の真似はあります。その時習った事はとても役に立ちます。

Q : 他の何より、イ・ジョンジェが首陽大君になるとセクシーな野心家の顔が見えた。
   今まで時代劇で数多くの首陽大君を見たが、
   こんなに魅力的な首陽大君は見た事がないようだ。
JJ : ハハハ。そうですか?男が勉強や仕事で何かに集中する時、魅力的に見えないですか。
   そんな風に感じたんでしょう。
   どうやって男らしさを最大化するか、とても悩んで演技しました。

Q : 時代劇での発声も印象的だった。
   今までの作品で こんなに深く低く響き、中低音を出したことがなかったが
   すごいカリスマを感じた。
JJ : 発声は非常に重要な部分でした。
   声が脅威的になれば 表情はあえて脅威的にしなくても良いですから。
   そうすることによって、演技がより洗練して見えるようでした。
   撮影前に発声のウォーミングアップをしました。
   首をはらう時は、ラジオ体操12の動きみたいな体系的な方法があります。
   声帯も筋肉だから、動いてないと声帯の形が変わります。
   作って出す声ではなく、本当の自分の声を出すために神経を使いました。

Q : 上映1時間後から登場した。
   編集されたシーンに対する物足りなささがあると聞いたが、
   復活させるとしたら どんなシーンを生かしたい?
JJ : 上映時間のせいでカットされたシーンはかなりあります。
   監督が、観客500万人を超えたらディレクターズ・カットに入れてあげると約束してくれました。
   編集されたシーンが惜しいのは私の出番の問題ではなく、
   首陽大君の内面が見れるシーンだったからです。
   権力欲に燃える人物ですが、幼い甥への思いやりを描いたシーンがいくつもありました。
   それがカットされて残念です。

Q : にもかかわらず、初登場から強力なカリスマを吐き出した。
   雰囲気・音楽はまるでグラディエーターの登場のように周辺を圧倒する雰囲気だった。
   まるで新しい映画の始まりを知らせるように感じた。
JJ : 初登場シーンについてはとても悩みました。
   その1時間前、人々が首陽大君について語っているので、
   大きなインパクトを与えなければならいけませんでした。
   スタッフがそのシーンに力を入れたのが画面でも分かると思います。
   どこからそんな恐ろしい犬を二匹も連れて来たのか、
   音楽もスターウォーズのワンシーンのように悲壮でないですか。
   でも、“俺、怖いだろ?”と言う感じで登場するのは嫌でした。
   心理的な緊張感を与えるため、感情を抑え、威厳あるよう登場をしようとしました。

Q : 大先輩であるぺク・ユンシクとの呼吸はどうでしたか。
   演技する時、負けないという思いはあったようだが。
JJ : 大先輩ですが、首陽大君とキム・ジョンソの関係ではお互い押されないよう、
   面白い構図になりそうでした。
   力をこめて粘るのは面白くないし、親密な駆け引きをしようとしました。

Q : 首陽大君が退場するシーンも印象的だった。
   特に最後に彼が振り返ってネギョンに投げかける台詞は絶品だった。
   シナリオにはなかった台詞だと聞いたが。
JJ : 元々、そのまま背を向けて行くだけでしたが、何か残念でした。
   それで監督に“最後に首陽大君がネギョンに一言だけ言ったらどうだろう”
   と提案しました。
   監督は"そうだな"と、数日後その台詞を作って来ました。
   読んだ瞬間、“この監督、天才だな”と思いました。
   感情的に多くのことを吐き出さなくてはいけないのでスタッフが緊張しましたが、
   ガンホ先輩も私も、感情を最大限引き出して演じました。

Q : 今までの作品で最も強烈な悪役だ。
   悪役をしてみて、どんな魅力を感じたのか。
JJ : 確かに魅力はあります。
   いつ、思うように感情を噴き出せますか。
   悪役と善役では、どっちの演技が良いとは言えませんが、
   観客は感情を吐き出す演技に熱狂するようです。
   前作『新世界』では感情を抑えた演技をしたので、
   今回の映画を見た観客は私の演技をもっと面白く見たようです。
   “あの人、植物みたいな人だと思ったのに、動物みたいな面があるのね”   
   こんな反転を感じたようです。

Q : 昨年『泥棒たち』から今年『新世界』、『観想』に至るまで、
   男性美の濃いジャンルとキャラクターを多く選択してますが。
JJ : 傾向的にはノワールのようなジャンルが好きです。
   若い頃は、自分はメローやコミカルなジャンルが似合うと思っていました。
   また、そういうジャンルのシナリオがたくさん入ってきました。
   『ハウスメイド』以降、関係者や観客が私の男らしさをとても愛して下さるようです。
   私だけの男性像を作ってみたいです。

Q : 主演に拘らず、むしろ選択肢が広がることもある。
JJ : 以前は少し身構えたと言うか、あれこれ計算が多かった。
   今は映画を作る人達を信頼するようになった。
   昔に比べ、忠武路にはプロが増えました。
   なので、私の考えと少し違っても演出や製作者を信じていきます。
   さらに最近の観客は主役が好きなのではなく、(演技の)上手い人が好きです。
   分量が重要なのではなく、どれくらい演じられるかが重要のようです。


 コチラの記事から



Q : 実存の人物を演じる上での悩みは。
JJ : 首陽大君を演じた私の顔は王の人相なのか、謀反の人相なのかは
   見る人の観点によって違うようです。
   スヤンが主役の映画であればキム・ジョンソは悪役として描写されるのに、
   この映画は、その反対だと言えるでしょう。
   劇中、謀反の人相という言葉はたくさん出てきますが、
   観相家の話しだから スヤンが目立つよう作られたと思います。
   首陽大君を演じながら、フィクションとノンフィクションの間で混乱しました。
   様々な資料を見ながら私が感じたスヤンは“男らしい男”とでした。
   それで意図的にいくつかの設定をしました。
   “この人は王になる人物だ”、“王や貴族としての品位がなければならない”
   “目的のためには殺生も選ばない”、“内面に潜む暴力性が高い”など、
   台詞や登場するシーンがあまりない状況で 神経を使うことが本当に多かったです。

Q : 出番だけで考えれば主役ではない。主演欲を下げた本物のイ・ジョンジェが見えた。
   吐き出そうとする気運が映画全体を揺るがす感じだった。
   『ハウスメイド』 『泥棒たち』 『新世界』そして『観想』につながる作の中で
   最も印象深い演技を披露した言っても過言ではない。
JJ : 多分、演出家(ハン・ジェリム監督)の苦労が大きかったんだと思います。
   映画1時間後に登場するので、平凡であってはいけないと思ったのでしょう。
   だから毛皮の衣装で周りの人より目立って見えたんです。
   脅威的な印象を与えるため、顔に傷を二つ描きました。
   いわゆる“やくざ”のようでありながら、王族の気品がなければいけません。
   そんな一連の過程が面白くて楽しかったです。

Q : 今回の映画に参加することになったのは『ハウスメイド』の影響が大きかった。
   ハン・ジェリム監督は『ハウスメイド』で二重人格的な金持ち男のキャラクターを演じるのを見て
   自然に首陽大君を思いついたと言う。
   世界を支配しようとする野心、周囲の人を統一する義理、そして決断を下し、
   それを実行する断固としさ残忍性など、多様な姿が共存していた。
JJ : いつも多彩な姿を見せるキャラクターに興味を感じます。
   役が片方にだけ偏っていては魅力があまりありません。
   なので、現場ではどんどんアイデアを私なりに出します。
   同じ台詞でも1度目、2番目と感じが違うように、
   あるいは立体的に見せるために色々試してみます。
   人が携帯電話を買うと、こんな機能、あんな機能をどんどん追加して
   探すようなのと似ていると言いましょうか?(笑)

Q : 『観想』でさらに注目すべき点は声(発声)だ。
   首陽大君として短く強烈な印象を植えつけたのは、この声が幸いした。
   もちろん、あらかじめ練習して神経を使ったからだが。
JJ : 外見は強力なのに 声が支えてくれないとバランスが合わないじゃないですか。
   撮影現場に行く2時間前から発声練習をしました。
   笑うときは聞く人の耳に障るよう“りんりん”するようにしました。
   前作(『ハウスメイド』『新世界』)に続き、今回の『観想』も俳優が大勢出演しますが、
   俳優なら誰もがその中で目立とうとします。
   他の俳優との調和に気を使いながらも、彼らより良く見えないようではいけない、
   という“小さな欲”と言いましょうか。
   群衆の中で観客に向かって“私はここにいます”と言わなくてはいけないので、
   声・発声の一つ一つまで気を使うんです。