団塊団子

団塊世代の暇潰し冗談 ぼやき と たわごと

DDTを浴びせられ

2024年08月08日 21時58分28秒 | 台北第二

我が母は大正14年生まれ 昭和17年17歳で卒業 18期生

卒業後、陸軍司令部経理部に3年勤務、
かの後藤田正晴少尉の下で働いていた事がとても自慢であった。

我母)どうぞお召し上がりになってください・・
少尉)馬から落馬、か!


「召し上がる」自体が尊敬語なので、
「お」が付くことで二重敬語になっている。

「どうぞ召し上がりください」が正解。


Wikipedia より
1940年3月 陸軍に徴兵 台湾歩兵第二連隊に入営
  陸軍では高等官への例外扱いがないため二等兵からスタート
  甲種幹部候補生に合格し陸軍経理学校で学ぶ
  経理部将校候補生として陸軍軍曹

1941年10月1日 陸軍主計少尉

1943年9月10日 中尉

1945年8月 終戦を迎え台北で悲嘆に暮れる日本人と対照的に
 爆竹を鳴らして喜ぶ台湾人の姿を目の当たりにする。
 同月20日、ポツダム進級により主計大尉となる。入営時からは9階級の進級であった。
 台湾に進駐してきた中国国民政府軍によって武装解除

1946年3月10日 召集解除。同年4月まで捕虜生活を送った。
 捕虜といっても盛り場に酒を飲みに行くこともできたという。
 台湾での日本の統治が割合良好であったこともあり
 現地人による日本人に対する報復行為は殆ど見られなかった。
 基隆港から離台する際、日本人と台湾人の間に差別をつけずに接していた後藤田に餞別を渡そうと、
 元部下の現地人が見送りに来てくれた。
 田辺港(和歌山県)に上陸するなり、兵卒と同じ扱いで、
 アメリカ兵からDDTを浴びせられ、後藤田は戦に負けたことを改めて実感した。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 千人針 | トップ | 2つの国に生きて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

台北第二」カテゴリの最新記事