団塊団子

団塊世代の暇潰し冗談 ぼやき と たわごと

秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ

2024年06月23日 10時28分43秒 | 戦争

6月23日
沖縄戦 慰霊の日

1945年6月23日
沖縄守備隊 第32軍の牛島満司令官が自決し組織的戦闘が終結した

悠久の大義に生くべし つまり、最後の一兵まで戦うことを命じた

秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ

陸上自衛隊 那覇旅団のホームページに
沖縄戦で日本軍を率いた牛島満司令官の辞世の句が掲載され
関係者は削除を申し入れた。

沖縄国際大の石原昌家名誉教授は
日本軍と自衛隊が同じ意思を持つ表れだと批判した。

具志堅隆松さんは県民の気持ちを考えてほしい と憤った。



猫(軍政府)の許す範囲でしか鼠(沖縄)は遊べない
ワトキンス少佐の発言



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Tバックじゃないぞ

2024年05月27日 14時03分56秒 | 戦争

1905年5月27日

秋山真之(あきやま さねゆき)

バルチック艦隊が対馬海峡に現れたという一報がもたらされた時、

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス」
という電信に付け加えたのが

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

天気晴朗というのは視界良好で取り逃がしは少ないということ、
波高シというのは訓練を積んだ日本に有利な事を意味するとされている。

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」

を示すZ旗が旗艦三笠の艦上に掲揚された。

この旗は本来は「引き船がほしい」といった意味を持つ信号にすぎなかったが、
後がないという日本の状況をアルファベットの最後であるZにかけた。

丁字戦法、T字戦法、トーゴー・ターン の指示が発せられた。



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大規模な殺人祭り

2024年01月22日 14時10分47秒 | 戦争

パンツをはいたサル

戦争とは
過剰になった人間を破壊・蕩尽する祭りだ
(栗本慎一郎)


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笑い話は喜劇か

2023年04月08日 19時44分38秒 | 戦争
十年たてば笑い話になる!

って
話があるが、

本人にとっては何年たっても
笑えない話しだってある・・



クラウゼビッツ

戦争は別の手段による外交の継続

戦争は他の手段による政治(外交)の継続である

戦争とは単に、他の手段を用いた政治の継続である


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大江健三郎の嘘

2023年03月26日 14時46分03秒 | 戦争

作家は嘘の物語で稼ぐものだから仕方ないが
大江健三郎の嘘は許しがたい



沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を命じた?
第2次世界大戦末期の沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を命じたという記述が、 教科書検定で削除を求められた。 その理由は沖縄の慶良間守備隊長だった赤松嘉次大尉の遺族が大江健三郎を相手に起こした訴訟だ。

大江は『沖縄ノート』で慶良間諸島で沖縄住民に集団自決を強制した赤松大尉は屠殺者と表現した。 この事実関係は、曽野綾子氏が現地調査を行なって書いた『ある神話の背景』で、完全にくつがえされた。 赤松大尉は住民に「自決するな」と命じていたことが生存者の証言で明らかにされ、軍が自決を命じたと申告したのは 遺族年金をもらうための嘘だったという「詫び証文」まで出てきたのだ。

にもかかわらず大江は 「軍が命令を出したかどうかは本質的な問題ではない」などと逃げている。 慰安婦について事実関係が反証されたら 「強制連行は本質的な問題ではない」と論点をすりかえる朝日新聞とまったく同じ論法なのだ。
(池田信夫 blog)

ノーベル賞作家に配慮した問題のすり替え
沖縄集団自決 名誉毀損訴訟の最高裁判決で被告の大江健三郎が勝訴したが、知らない人は 大江が正しかったと誤解する。 問題の訴訟は、赤松嘉次大尉らを集団自決を命じた屠殺者だと罵倒した大江の『沖縄ノート』の記述が事実かどうかをめぐって 赤松大尉の遺族などが起こしたものだ。 これについては曾野綾子氏が現地調査をした上で事実ではないと指摘し、 大江側も問題の記述が伝聞で確認できないことは認めた。

一審の大阪地裁は「軍の命令があったと証拠上は断定できないが、関与はあった」という理由で原告の申し立てを退けた。 これはノーベル賞作家に配慮した問題のすり替えである。 原告は赤松大尉が集団自決を命令したかどうかを問うているのであって、軍の関与の有無を争ってはいない。 軍の関与なしに手榴弾を入手することは不可能である。 争点は赤松が自決を命令した屠殺者なのかという点だ。 これについて判決は、大江の記述が虚偽であることを認めつつ、「誤認してもしょうがない」と彼の面子を立てたわけだ。 名誉毀損があまり広い範囲で認められるのも表現の自由を侵害するので、この判決は司法的には妥当なところだろう。 しかし事実にもとづかないで、赤松大尉を「屠殺者」と表現した大江の罪は消えない。

二審判決も事実関係を曖昧にし、命令があったかどうかはわからないが大江が命令を「真実と信じる相当の理由があった」 という理由で、出版を差し止めるほどの事由はないとして控訴を棄却した。 出版差し止めというのは軽々に認めてはならないが、原告が差し止め訴訟を起こしたのは大江側が記述の修正をしなかったからだ。 裁判を通じて明らかになったのは、赤松大尉は住民を屠殺するどころか、 集団自決を思いとどまるよう伝えていたということだった。

裁判では、大江を支援する先頭に立っていた金城重明牧師(元沖縄キリスト教短大学長)が、 渡嘉敷島でゴボウ剣で数十人を刺殺したことを法廷で認めた。 こうした集団的な狂気が、どうして生まれたのかを追究するのが作家の仕事だろう。 戦争は軍部が暴走して起こしたもので、国民は無垢な被害者だという大江の歴史観は、軍はすべて悪だという思い込みでしかない。 集団自決をもたらしたのは軍ではなく、人々を駆り立てる空気だったのだ。 『沖縄ノート』の大部分は現地紙の切り抜きを文学的に加工したものだ。
(池田信夫 blog)


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