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団塊団子

団塊世代の暇潰し冗談 ぼやき と たわごと

死にたくない

2015年08月31日 19時49分37秒 | 戦争

沖縄戦 日本軍の住民自決命令はなかった が・・
沖縄戦の集団自決裁判(2005年)で大江健三郎と共に被告となった岩波書店は、2008年に 証言 沖縄戦の日本兵 (國森康弘)を出版した。


軍は敵との戦いを本分としており、住民を守るという意識は薄かった、と多くが証言、むしろ戦闘の邪魔だった、という証言も有った。 P66,93,95,123,後書P146  
 
上層部は軍機漏洩を危ぶみ、兵士は自身が中国で行なった捕虜刺殺体験から、共に住民の投降を案じた。 P45,73,119  
沖縄方言が分からず沖縄語で談話したらスパイと見なして処刑した。 P87,134  
壕は軍が優先し住民は攻撃にさらされた。 P26,27,92  
幼い子供は一張羅を死に装束として着せられ、女は正月の晴れ着を死に装束とし、重傷者には手榴弾や青酸カリ、モルヒネが渡された。 P22,29,53,57,75  
住民はラジオもない離れ小島で軍の言う鬼畜米英、女は強姦、男は八つ裂き、 を信じるしか情報がなかった。 P22,32  
住民は差別され、日本人以上に日本人であろうとした。 P33,108


阿嘉島で山に逃げず残留し米軍から食料を貰った後藤松雄(60歳)斬首、妻は刺殺
Q)なぜあんな年寄りをスパイ扱いして殺したのか(親戚の義勇隊員、中村仁勇 20年後)
A)罰せよとは命令したが殺せとは言ってない(野田義彦隊長) P86


阿嘉島では日本軍がいたのに集団自決が無かった、その訳は  
 
野田義彦隊長は玉砕方針だったが、鈴木茂治中隊長は住民に、自決は軍が全滅してからにせよと厳命 P67,68  
米軍と住民の間に日本軍という位置関係 P67  
米軍の猛攻撃が一時収まった P68  
山に逃げた義勇隊員、中村仁勇(14歳)は弟が「いやだ!死にたくない」と言うので自決を躊躇った P49,64


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人間の本能

2015年08月30日 18時09分37秒 | 戦争

人間は捕食動物であり
その自然的本能は武器によって殺す事である
(ロバート・アードリー)


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ハッキリセヨー

2015年08月28日 12時05分21秒 | 爺の時事

副首相) ハラキリシヨー
プッチン)ハラショー
アヘッ) チクショー


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イモリ

2015年08月27日 10時44分15秒 | 戦争

沖縄戦・渡嘉敷島 「集団自決」の真実(曽野綾子『ある神話の背景』改題 WAC)

赤松嘉次大尉は特攻で死ぬべき人であったから村の人たちをどうするということは頭に無かった。 P47,96,122
赤松嘉次大尉は舟に爆弾を積み特攻する人間魚雷であったが機を逸した。大町大佐が出撃中止命令 P45,112,119
赤松嘉次大尉は当時25歳。重大なのは日本軍に撃たれるかも知れないと人々が信じた事だ。 P174,226  
 
防衛隊員大城徳安(教諭)が数回部隊を離れたため敵と通謀する恐れ有りとして処刑した。 P224,233,291,309  
米軍により伊江島から移住させられた住民の中から投降勧告に来た男女数名を斬った。 P224  
米軍監視下の小嶺武則、金城幸二郎の二人16歳が投降勧告に来たので死を命じた。 P238  
本土終戦直後の8月16日、投降勧告書を届けた住民4人のうち誰何に逃げた2人を射殺した。 P241  
 
食料調達は軍は牛、民は豚鶏と分けたが、空腹は軍も同じで徹底されなかった。 P212  
イモリは不味くて食えなかった。 P49,209  


赤松嘉次大尉は安里喜順巡査に非戦闘員は最後まで生きろと言っていた。 P145,165
現地召集の防衛召集兵が手榴弾を持ち込み後顧の憂いが無い様に家族を手に掛けたのではないか。 P66,139,153,193
島への帰還者が納得する説明として軍の命令ということにしたのではないか。 P194
遺族年金受給の条件は軍の指示命令が有ることだったから住民自決命令を主張した。 P195

座間味島集団自決でも隊長(梅沢裕少佐)の命令は無かったと生き残った女性が娘に告白した。 解説P334
集団自決を命じた村の助役の弟は遺族補償のため梅沢隊長が命令したことにしたと証言した。 解説P334


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しょうもない賞

2015年08月26日 13時37分21秒 | 戦争

ノーベル賞作家に配慮した問題のすり替え

沖縄集団自決 名誉毀損訴訟の最高裁判決で被告の大江健三郎が勝訴したが、知らない人は 大江が正しかったと誤解する。
問題の訴訟は、赤松嘉次大尉らを集団自決を命じた者だと罵倒した大江の『沖縄ノート』の記述が事実かどうかをめぐって
赤松大尉の遺族などが起こしたものだ。
これについては曾野綾子氏が現地調査をした上で事実ではないと指摘し、大江側も問題の記述が伝聞で確認できないことは認めた。

一審の大阪地裁は「軍の命令があったと証拠上は断定できないが、関与はあった」という理由で原告の申し立てを退けた。
これはノーベル賞作家に配慮した問題のすり替えである。
原告は赤松大尉が集団自決を命令したかどうかを問うているのであって、軍の関与の有無を争ってはいない。
軍の関与なしに手榴弾を入手することは不可能である。
争点は赤松が自決を命令した者なのかという点だ。
これについて判決は、大江の記述が虚偽であることを認めつつ、「誤認してもしょうがない」と彼の面子を立てたわけだ。
名誉毀損があまり広い範囲で認められるのも表現の自由を侵害するので、この判決は司法的には妥当なところだろう。
しかし事実にもとづかないで、赤松大尉を「者」と表現した大江の罪は消えない。

二審判決も事実関係を曖昧にし、命令があったかどうかはわからないが
大江が命令を「真実と信じる相当の理由があった」という理由で、出版を差し止めるほどの事由はないとして控訴を棄却した。
出版差し止めというのは軽々に認めてはならないが、原告が差し止め訴訟を起こしたのは大江側が記述の修正をしなかったからだ。
裁判を通じて明らかになったのは、赤松大尉は住民をするどころか、集団自決を思いとどまるよう伝えていたということだった。

裁判では、大江を支援する先頭に立っていた金城重明牧師(元沖縄キリスト教短大学長)が、
渡嘉敷島でゴボウ剣で数十人を刺殺したことを法廷で認めた。
こうした集団的な狂気が、どうして生まれたのかを追究するのが作家の仕事だろう。
戦争は軍部が暴走して起こしたもので、国民は無垢な被害者だという大江の歴史観は、軍はすべて悪だという思い込みでしかない。
集団自決をもたらしたのは軍ではなく、人々を駆り立てる空気だったのだ。
『沖縄ノート』の大部分は現地紙の切り抜きを文学的に加工したものだ。
(池田信夫 blog)


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