団塊団子

団塊世代の暇潰し冗談 ぼやき と たわごと

腐った魚を出したとして罷免され

2024年05月28日 14時12分54秒 | 歴史

天正十年(1582)5月28日

愛宕山西坊での連歌会で光秀が発句を詠む。

ときは今 あめが下しる 五月哉(さつきかな)

「とき」は明智本流の土岐(とき)
「あめ(天)が下しる」は天下を治める、治(し)ると解釈される。



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Tバックじゃないぞ

2024年05月27日 14時03分56秒 | 戦争

1905年5月27日

秋山真之(あきやま さねゆき)

バルチック艦隊が対馬海峡に現れたという一報がもたらされた時、

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス」
という電信に付け加えたのが

「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

天気晴朗というのは視界良好で取り逃がしは少ないということ、
波高シというのは訓練を積んだ日本に有利な事を意味するとされている。

「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」

を示すZ旗が旗艦三笠の艦上に掲揚された。

この旗は本来は「引き船がほしい」といった意味を持つ信号にすぎなかったが、
後がないという日本の状況をアルファベットの最後であるZにかけた。

丁字戦法、T字戦法、トーゴー・ターン の指示が発せられた。



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葬式仏教を改めるための提言

2024年05月26日 09時20分53秒 | 葬式はそうそう(葬送)あるもんじゃない

User
日本における仏教は葬式仏教と言われて久しいが
これを本来の宗教に戻すためにはどのような方策があるか
奇抜なアイデアを教示願いたい

ChatGPT
日本における仏教が「葬式仏教」として認識されている現状を変えるためには、
仏教の持つ本来の教えや実践に焦点を当て、
人々の日常生活に根付かせるための新しいアプローチが必要です。
以下にいくつかの奇抜なアイデアを提案します:

・デジタル仏教寺院の創設:

インターネット上に仏教寺院を設立し、オンラインでの説法、瞑想セッション、仏教講座を提供します。
仮想空間での参拝や法要を行い、若年層にも親しみやすい形で仏教に触れる機会を提供します。
仏教の教えをわかりやすく伝えるためのアニメーションやゲームコンテンツを制作し、
教育的なエンターテインメントとして普及させます。

・仏教カフェの設立:

都市部に仏教カフェを開設し、気軽に仏教の教えや瞑想を体験できる場所を提供します。
瞑想や読経のセッションを開催し、日常の中で心の平安を得るための方法を学べる場所とします。
仏教に基づいたベジタリアン料理を提供し、健康と環境への配慮を訴求します。

・仏教アプリの開発:

スマートフォン向けに仏教アプリを開発し、日々の瞑想やマインドフルネスの実践をサポートします。
毎日の教えや名言が届く機能、仏教に基づくカウンセリングサービスを提供します。
ゲーム感覚で仏教の知識を深めるクイズやチャレンジ機能を追加し、楽しみながら学べる仕組みを作ります。

・地域コミュニティと連携した活動:

仏教寺院が地域コミュニティと連携し、地元のイベントや祭りを開催します。
地域の清掃活動や子供向けの仏教教育プログラムを実施し、社会貢献活動を通じて仏教の教えを広めます。
地域の悩みや問題解決に役立つ相談会やワークショップを定期的に開催し、寺院が生活の一部となるようにします。

・仏教アートや音楽フェスティバルの開催:

仏教をテーマにしたアートや音楽のフェスティバルを開催し、芸術を通じて仏教の美しさや教えを伝えます。
現代アーティストやミュージシャンとのコラボレーションを通じて、新しい形で仏教に触れる機会を提供します。

・企業とのコラボレーション:

仏教寺院が企業とコラボレーションし、職場におけるメンタルヘルスやストレス管理のための仏教プログラムを提供します。
企業研修としての瞑想やマインドフルネス講座を導入し、働く人々の心の健康をサポートします。

これらのアイデアを実行することで、仏教が葬式だけでなく、
日常生活においても重要な役割を果たす存在となることが期待できます。


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明日千秋楽楽々か

2024年05月25日 20時08分48秒 | 根性無しのスポーツ
救済措置は無し

負け越したら
どう頑張っても
勝ち越せない

当たり前だが・・


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キリストは死刑にされた

2024年05月25日 15時06分40秒 | 死刑だぁ

User
キリスト教は神の創造物たる人の命を人が奪うのは悪と断じているが
キリスト教国においても死刑制度があるのはなぜか

ChatGPT
キリスト教は人の命の尊厳を重んじており、基本的には殺人を罪としています。
例えば、「殺してはならない」という十戒の一つや、新約聖書における「敵を愛せよ」という教えが挙げられます。
それにもかかわらず、多くのキリスト教国が歴史的および現代においても死刑制度を維持している理由には、
いくつかの複雑な要因があります。

1. 聖書の解釈の多様性
聖書には死刑を支持するような記述もあります。
例えば、旧約聖書のレビ記や申命記には、特定の犯罪に対する死刑の規定が含まれています。
また、新約聖書にも、ローマ人への手紙13章4節において、政府が「神の僕」として「悪を行う者に対する報い」を行う権利を持つと解釈できる箇所があります。
これに基づいて、多くのキリスト教徒は、正当な政府が正義のために死刑を執行することを認めています。

2. 歴史的・文化的背景
キリスト教国とされる国々は、それぞれ独自の歴史と文化を持ち、その中で死刑制度が発展してきました。
例えば、中世ヨーロッパでは、キリスト教会と国家が密接に結びついており、犯罪に対する厳しい罰が宗教的にも正当化されました。
こうした歴史的背景は現代においても影響を及ぼし、死刑制度の存続を支えています。

3. 世俗的な法制度の影響
近代国家においては、法律は必ずしも宗教的教義に直接基づくものではありません。
多くのキリスト教国では、法制度は宗教の影響を受けつつも、世俗的な理論や実際の犯罪抑止効果、社会の安全保障といった要因に基づいています。
そのため、宗教的な教義と実際の法制度との間にギャップが生じることがあります。

4. 死刑制度に対する意見の分裂
キリスト教徒の間でも死刑制度に対する意見は分かれています。
カトリック教会は近年、死刑に対する反対を明確にしており、2018年には教皇フランシスコがカトリック教会のカテキズムを改訂して、死刑を「容認できない」ものとしました。
しかし、プロテスタントの中には依然として死刑を支持する声もあります。
このように、キリスト教徒の間でも見解が一様ではないため、死刑制度が残る理由となっています。

結論
キリスト教国における死刑制度の存続は、聖書の解釈の多様性、歴史的・文化的背景、世俗的な法制度の影響、そしてキリスト教徒の間での意見の分裂といった複数の要因によるものです。
このため、キリスト教の基本的な教えと死刑制度の共存は、複雑で多面的な問題であると言えます。


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