「禽舎の贄」水原とほる・著 イラスト・有馬かつみ 二見書房シャレード文庫
2008年8月20日発行 228ページ 600円+税
シャレード文庫さんは装丁が変わったのでしょうか?
ストーリーは・・・
表向きは日本画の大家・合田柳燕の内弟子、しかし指南を受ける一方で愛人のように抱かれる日々を送る紗希。愛されれば、自分も愛するべきなのだろうか―なにもかも初めてだった紗希は自分の気持ちがわからないまま、次第に強まる柳燕の束縛に息苦しさを覚えるようになっていた。そんなある日、柳燕のもとに空間プロデューサーの今村と名乗る人物が現れる。物怖じしない態度とさりげない気づかいで自分を屋敷から連れ出し、新しい刺激を与えてくれる彼に魅かれてゆく紗希だが…。
●水原版オペラ座の怪人
タイトルの「禽」とか「贄」という文字から、勝手に淫靡でハード系の作品ではないかと妄想をたくましくしていたのですが、肩透かしでした。
内弟子にしてもらった・・・と思ったら、身体を要求され・・・というBLのお約束的展開(!?)で物語りはスタートします。
紗希は流されるタイプというか、愛していない男性から、しかも手を出されるまで童貞だったのに、そしてその上、同性愛というあまりノーマルでない関係だったにも関わらず、さして疑問を抱くこともなくその関係を受け入れます。あまつさえ、画家という職業に理解のない両親の元で暮らすより、すこしばかり不便だけれどもここでいいや、くらいに思っています。
その反面、内弟子に入る前はのびのびと描けていたのに、このところはあまり良い作品が描けなくなっています。それは、外部の人間である今村からの指摘で一層、顕著となります。
描けなくなった原因が単なるスランプなのか、柳燕との意に沿わぬ関係がストレスになったのか、柳燕の指導法が紗希の個性に合わなかったのか、判然としません。
多少、紆余曲折はあるものの、紗希は柳燕を捨てて今村とくっつきます。
なんというのか、これは水原版オペラ座の怪人なのだな、と思いました。
主人公は怪人(身を隠している)に歌の指導をしてもらって、歌手として成功する。そこにハンサムな幼馴染が登場して恋に落ちる。
主人公を愛していた怪人は嫉妬して二人を引き裂こうとする。だって、夜な夜な、一生懸命、無料で指導していたんですよ?下心がないはずないじゃん!と思うのは私が腐っているからでしょうか?
音楽の才能溢れる、だけど顔が醜い怪人と音楽的な才能はないけどハンサムな軍人の幼馴染。両方から求愛されて、怪人には長い間、世話になったけど私はこないだ再会したばかりの幼馴染を選ぶわ~。うん、やっぱり似ていますね。
紗希の側にも、柳燕の束縛がイヤだった、とか、縛られたくなかったとか理由はあるんでしょうけれども、私は沙希というキャラクターにどうしても共感できませんでした。
紗希は・・・う~ん、女のイヤな面の集大成みたいなキャラのように思えました。
紗希みたいな女性って、けっこう居ると思うんですよ。相手のことを好きでもなんでもないけど、打算で身体で相手をつなぐような人。柳燕との関係は、紗希にとってもメリット(経済的なもの)が多いわけで。
そこがある意味、リアリティがあるのかもしれませんが、女性が読むBLってのは、受けが女性の代替だとはいえ、女性ではないことが求められているわけで、男性性なのか、女性が夢想する「男」の要素だったり、何かわかりませんけど。
柳燕が紗希の絵の才能「だけ」を認めてくれたわけではなく、身体も要求したことに対して、沙希は不満に思っていたのですが、結局、今村とも肉体関係を持つわけなので、紗希に身体を要求しているのは今村も同じなわけです。
なので、今村をノーマルなキャラに設定して、純粋に沙希の絵の才能を認め、サポートするだけ(そんな都合のいい人が居るわけないが)なら、まだよかったと思います。
今村というキャラも、紗希に初対面の頃から下心があるのがミエミエで、柳燕はダメで、今村はOKという図式は、セクハラ問題で不細工から告白されたら「セクハラ」だけど、ハンサムから告白されたら問題ナシというのと同じではないかと思いました。
最後、錐で乳首にピアスを入れるシーンがイタタなくらいで、これまでの水原作品に多かった精神的な痛みは少なかったように思います。
そんなわけで、今回も「水原作品」としては若干、期待はずれのように思いましたが、万々歳のハッピーエンドではなく、ホロ苦さの残るエンディングであるところはまぁ、よかったのではないかと思います。
物語のラストで紗希は柳燕の檻から脱出することができますが、結局、今村の新たな檻に場所を変えただけ・・・紗希はそう自覚しています。結局、紗希は籠の中でしか生きていけない鳥でした・・・というお話でした。
2008年8月20日発行 228ページ 600円+税
シャレード文庫さんは装丁が変わったのでしょうか?
ストーリーは・・・
表向きは日本画の大家・合田柳燕の内弟子、しかし指南を受ける一方で愛人のように抱かれる日々を送る紗希。愛されれば、自分も愛するべきなのだろうか―なにもかも初めてだった紗希は自分の気持ちがわからないまま、次第に強まる柳燕の束縛に息苦しさを覚えるようになっていた。そんなある日、柳燕のもとに空間プロデューサーの今村と名乗る人物が現れる。物怖じしない態度とさりげない気づかいで自分を屋敷から連れ出し、新しい刺激を与えてくれる彼に魅かれてゆく紗希だが…。
●水原版オペラ座の怪人
タイトルの「禽」とか「贄」という文字から、勝手に淫靡でハード系の作品ではないかと妄想をたくましくしていたのですが、肩透かしでした。
内弟子にしてもらった・・・と思ったら、身体を要求され・・・というBLのお約束的展開(!?)で物語りはスタートします。
紗希は流されるタイプというか、愛していない男性から、しかも手を出されるまで童貞だったのに、そしてその上、同性愛というあまりノーマルでない関係だったにも関わらず、さして疑問を抱くこともなくその関係を受け入れます。あまつさえ、画家という職業に理解のない両親の元で暮らすより、すこしばかり不便だけれどもここでいいや、くらいに思っています。
その反面、内弟子に入る前はのびのびと描けていたのに、このところはあまり良い作品が描けなくなっています。それは、外部の人間である今村からの指摘で一層、顕著となります。
描けなくなった原因が単なるスランプなのか、柳燕との意に沿わぬ関係がストレスになったのか、柳燕の指導法が紗希の個性に合わなかったのか、判然としません。
多少、紆余曲折はあるものの、紗希は柳燕を捨てて今村とくっつきます。
なんというのか、これは水原版オペラ座の怪人なのだな、と思いました。
主人公は怪人(身を隠している)に歌の指導をしてもらって、歌手として成功する。そこにハンサムな幼馴染が登場して恋に落ちる。
主人公を愛していた怪人は嫉妬して二人を引き裂こうとする。だって、夜な夜な、一生懸命、無料で指導していたんですよ?下心がないはずないじゃん!と思うのは私が腐っているからでしょうか?
音楽の才能溢れる、だけど顔が醜い怪人と音楽的な才能はないけどハンサムな軍人の幼馴染。両方から求愛されて、怪人には長い間、世話になったけど私はこないだ再会したばかりの幼馴染を選ぶわ~。うん、やっぱり似ていますね。
紗希の側にも、柳燕の束縛がイヤだった、とか、縛られたくなかったとか理由はあるんでしょうけれども、私は沙希というキャラクターにどうしても共感できませんでした。
紗希は・・・う~ん、女のイヤな面の集大成みたいなキャラのように思えました。
紗希みたいな女性って、けっこう居ると思うんですよ。相手のことを好きでもなんでもないけど、打算で身体で相手をつなぐような人。柳燕との関係は、紗希にとってもメリット(経済的なもの)が多いわけで。
そこがある意味、リアリティがあるのかもしれませんが、女性が読むBLってのは、受けが女性の代替だとはいえ、女性ではないことが求められているわけで、男性性なのか、女性が夢想する「男」の要素だったり、何かわかりませんけど。
柳燕が紗希の絵の才能「だけ」を認めてくれたわけではなく、身体も要求したことに対して、沙希は不満に思っていたのですが、結局、今村とも肉体関係を持つわけなので、紗希に身体を要求しているのは今村も同じなわけです。
なので、今村をノーマルなキャラに設定して、純粋に沙希の絵の才能を認め、サポートするだけ(そんな都合のいい人が居るわけないが)なら、まだよかったと思います。
今村というキャラも、紗希に初対面の頃から下心があるのがミエミエで、柳燕はダメで、今村はOKという図式は、セクハラ問題で不細工から告白されたら「セクハラ」だけど、ハンサムから告白されたら問題ナシというのと同じではないかと思いました。
最後、錐で乳首にピアスを入れるシーンがイタタなくらいで、これまでの水原作品に多かった精神的な痛みは少なかったように思います。
そんなわけで、今回も「水原作品」としては若干、期待はずれのように思いましたが、万々歳のハッピーエンドではなく、ホロ苦さの残るエンディングであるところはまぁ、よかったのではないかと思います。
物語のラストで紗希は柳燕の檻から脱出することができますが、結局、今村の新たな檻に場所を変えただけ・・・紗希はそう自覚しています。結局、紗希は籠の中でしか生きていけない鳥でした・・・というお話でした。