「ピジョン・ブラッド」吉田珠姫・著 イラスト・門地かおり 二見書房シャレード文庫
2006年12月25日初版 284ページ 552円+税
この物語は、類稀なる美貌を持った両性具有の緋織が、その肉体的魔力で肉親、外国人、同じ両性具有の人間とやりまくりながら、自分探しをする物語です。
ストーリーは・・・
高校生の緋織は両性具有で、父と兄の異常な執着を受けて暮らしている。しかし、身体検査と称し緋織の性を貪る父も、父の目を盗むように緋織に触れてくる兄も、最後の一線だけは越えようとしない。欲情に火がついた躯を持て余し苦しむ緋織の前に現れたのは、仲間だと名乗る美青年・サフィール。導かれるまま初めて男を迎え入れた緋織は快楽の極みを知り、耽溺する。男を惹き寄せる天授の魔性を開花させた緋織は父のもとを逃れ、サフィールとともに仲間たちが暮らすという宮殿へ赴くが…。享楽の陰に秘められた愛と憎しみの真実とは?全編書き下ろし!
私たちの身体は、神や天使とおなじ作りなんだよ?
というもの。
●とにかくすごい、緋織の魔力
「父の書斎からも、そして父本人からも、息が詰まるほどの精液の匂いがするのに。
いつからだろう。父が自分を見るときには、常に股間を膨らませていると気付いたのは。いや、・・・・・・と思う。それは父だけではなかった。自分のまわりの男、すべてだった。学校の先生、クラスメイトたち、街で擦れ違う男たち、・・・三歳違いの優しい、気の弱い兄でさえ、精通を迎えたあとは、常時性器を勃起させていた。」(P27)
世の男性がそんなにふたなりがお好きなのかわかりませんが、緋織はみかけは一応、男性なのです(美形だけど)。世の中には「どんな美少年でも男は勘弁!」って男性も少なくはないと思いますが、吉田ワールドでは緋織を見ればどんな男も股間をおっきさせ、そのまま持続させる精力絶倫真人へと成り下がるのです。
これが山藍先生の書く両性具有の物語であるなら、主人公はイヤイヤながら男(たち)に肉体を弄ばれ、最終的には誰かとくっつく・・・のですが、この物語の緋織は、性器を弄るだけで最後の一線を越えない父親に業を煮やした緋織が、その身体のうずきを沈めるために、兄を誘惑したり、やりたい放題です。
「馬鹿!意気地なしっ!おにいちゃんなんか大嫌い!」(P81)
「ひおりは本当におにいちゃんとSEXしたかったのに!最初は絶対、おにいちゃんに入れてもらいたかったのに!・・・もう知らないっ。おにいちゃんがしてくれないのなら、ほかの男にしてもらうから、いい!」(P82) と、まぁ、こんな感じ。
吉田先生の作品は、かなり前に「神官は王に愛される」を読んで、そのあまりに日本語力に難があったので、その後、吉田先生の作品からは遠ざかっており、久々に吉田先生の作品を読みました。
今回はそこまで日本語の乱れ(!?)は感じなかったのですが、緋織は自分のことを「ひおり」と言って(何故か平仮名)、幼児っっぽく話すのです。緋織が幼児のように話すのは、どうやら相手を誘惑する時らしく、これが吉田先生の考えるところのある種の「セクシーさ」なのでしょう。
父と兄にはあそこを弄られるだけで、つっこんでもらえない緋織でしたが、同じ両性具有のサフィールと出会い「突っ込んでくれるのなら」と、ベッドイン。
そんでもって、お互いに同時につっこみあうという、両性具有者にしかできないプレイをして(どういう体位で可能なのかちょっと想像つきませんでした)、そのまま空路インドへ。飛行機の中でも行きずりの男複数に身体を弄んでもらい、インドについたら、集まった男のティムポを出させて一列に並ばせて、「・・・・・・うん、・・・誰のが、一番おいしそうかなぁ。誰の、最初に入れてもらおうかなぁ」(P224)と、「どれにしようかな、天の神様の言うとおり」状態。
気に入ったティムポの男たちとやりまくり、そこに緋織の魔力から逃れられない父と兄がやって来る。
二人は緋織のためなら、近親相姦のタブーを捨てることにしたと言う。
父と兄の熱意にほだされた(!?)緋織は、今後は二人が身体の疼きを沈めてくれるというので、日本に帰ることにする。
それからは親子三人で暮らして幸せに暮らしましたとさ・・・と、あまりに内容のないアホアホなお話でございました。
ここまでバカな話は久々でした。
ところで、BLのイラストは「ここまで描いて大丈夫なの!?」と心配になるものが少なからずありますが、この本は結構すごかったです。
緋織は男性器、女性器の両方があるという設定ですが、男性器はともかく(!?)、女性器っぽい襞まで見えるように描いてあるんですよ。これはいいんでしょうか?
んなわけで問題作のカテゴリーに入れさせていただきます。
頭の悪いふたなりが自分探しを兼ねてやりまくっているだけの内容がない話を読みたい方にはオススメです。
2006年12月25日初版 284ページ 552円+税
この物語は、類稀なる美貌を持った両性具有の緋織が、その肉体的魔力で肉親、外国人、同じ両性具有の人間とやりまくりながら、自分探しをする物語です。
ストーリーは・・・
高校生の緋織は両性具有で、父と兄の異常な執着を受けて暮らしている。しかし、身体検査と称し緋織の性を貪る父も、父の目を盗むように緋織に触れてくる兄も、最後の一線だけは越えようとしない。欲情に火がついた躯を持て余し苦しむ緋織の前に現れたのは、仲間だと名乗る美青年・サフィール。導かれるまま初めて男を迎え入れた緋織は快楽の極みを知り、耽溺する。男を惹き寄せる天授の魔性を開花させた緋織は父のもとを逃れ、サフィールとともに仲間たちが暮らすという宮殿へ赴くが…。享楽の陰に秘められた愛と憎しみの真実とは?全編書き下ろし!
私たちの身体は、神や天使とおなじ作りなんだよ?
というもの。
●とにかくすごい、緋織の魔力
「父の書斎からも、そして父本人からも、息が詰まるほどの精液の匂いがするのに。
いつからだろう。父が自分を見るときには、常に股間を膨らませていると気付いたのは。いや、・・・・・・と思う。それは父だけではなかった。自分のまわりの男、すべてだった。学校の先生、クラスメイトたち、街で擦れ違う男たち、・・・三歳違いの優しい、気の弱い兄でさえ、精通を迎えたあとは、常時性器を勃起させていた。」(P27)
世の男性がそんなにふたなりがお好きなのかわかりませんが、緋織はみかけは一応、男性なのです(美形だけど)。世の中には「どんな美少年でも男は勘弁!」って男性も少なくはないと思いますが、吉田ワールドでは緋織を見ればどんな男も股間をおっきさせ、そのまま持続させる精力絶倫真人へと成り下がるのです。
これが山藍先生の書く両性具有の物語であるなら、主人公はイヤイヤながら男(たち)に肉体を弄ばれ、最終的には誰かとくっつく・・・のですが、この物語の緋織は、性器を弄るだけで最後の一線を越えない父親に業を煮やした緋織が、その身体のうずきを沈めるために、兄を誘惑したり、やりたい放題です。
「馬鹿!意気地なしっ!おにいちゃんなんか大嫌い!」(P81)
「ひおりは本当におにいちゃんとSEXしたかったのに!最初は絶対、おにいちゃんに入れてもらいたかったのに!・・・もう知らないっ。おにいちゃんがしてくれないのなら、ほかの男にしてもらうから、いい!」(P82) と、まぁ、こんな感じ。
吉田先生の作品は、かなり前に「神官は王に愛される」を読んで、そのあまりに日本語力に難があったので、その後、吉田先生の作品からは遠ざかっており、久々に吉田先生の作品を読みました。
今回はそこまで日本語の乱れ(!?)は感じなかったのですが、緋織は自分のことを「ひおり」と言って(何故か平仮名)、幼児っっぽく話すのです。緋織が幼児のように話すのは、どうやら相手を誘惑する時らしく、これが吉田先生の考えるところのある種の「セクシーさ」なのでしょう。
父と兄にはあそこを弄られるだけで、つっこんでもらえない緋織でしたが、同じ両性具有のサフィールと出会い「突っ込んでくれるのなら」と、ベッドイン。
そんでもって、お互いに同時につっこみあうという、両性具有者にしかできないプレイをして(どういう体位で可能なのかちょっと想像つきませんでした)、そのまま空路インドへ。飛行機の中でも行きずりの男複数に身体を弄んでもらい、インドについたら、集まった男のティムポを出させて一列に並ばせて、「・・・・・・うん、・・・誰のが、一番おいしそうかなぁ。誰の、最初に入れてもらおうかなぁ」(P224)と、「どれにしようかな、天の神様の言うとおり」状態。
気に入ったティムポの男たちとやりまくり、そこに緋織の魔力から逃れられない父と兄がやって来る。
二人は緋織のためなら、近親相姦のタブーを捨てることにしたと言う。
父と兄の熱意にほだされた(!?)緋織は、今後は二人が身体の疼きを沈めてくれるというので、日本に帰ることにする。
それからは親子三人で暮らして幸せに暮らしましたとさ・・・と、あまりに内容のないアホアホなお話でございました。
ここまでバカな話は久々でした。
ところで、BLのイラストは「ここまで描いて大丈夫なの!?」と心配になるものが少なからずありますが、この本は結構すごかったです。
緋織は男性器、女性器の両方があるという設定ですが、男性器はともかく(!?)、女性器っぽい襞まで見えるように描いてあるんですよ。これはいいんでしょうか?
んなわけで問題作のカテゴリーに入れさせていただきます。
頭の悪いふたなりが自分探しを兼ねてやりまくっているだけの内容がない話を読みたい方にはオススメです。